暫定解   作:sososo

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第四章 保留
いや、勇者は恥ずかしいですよ


 

 駅前広場の上空には、巨大な広報幕が浮かんでいた。

 空中に固定された半透明の布には、大きく笑うニムラの写真と金色の文字が載っていた。

 

> 勇者ニムラ 今日も私たちの暮らしを守っています。

> 魔王にも負けない。安心・安全な未来へ。

 

「また増えてる」

 

 休日だった。

 私服で買い物に出ただけで、今日はそのまま帰るつもりだった。

 広場では子供が写真を撮っていた。

 

「あ、勇者だ!」

「でっかー!」

「ここから撮ると一緒に写るよ!」

 

 ニムラはちらっと見て言った。

 

「帰ろ」

 

 広報幕が大きく揺れた。突風を受け、布全体が横へ流された。

 周囲の人々も足を止めて見上げた。

 布の縁が淡く光り、固定術式が再起動した。本来の位置へ戻ろうとする途中で街路樹に引っ掛かり、ねじれた片側が支柱へ、反対側が街灯へ絡んだ。

 布が張り、駅前の搬入口を斜めに塞ぐ。

 

「危ない!」

 

 車が急停止した。

 術式はなお姿勢補正を繰り返し、ギシギシと金属が軋む。

 

「管理系統切れたかな。……寝よう」

 

 歩き出して三歩。

 

「きゃっ!」

 

 振り返ると、補正に引かれた街路樹の太い枝が折れ、歩道側へ倒れてくる。その先に、小学生くらいの子供がいた。

 考えるより先だった。

 ニムラは走り、子供を抱えて転がる。

 直後、太い枝がさっきまで子供のいた場所へ叩き付けられた。

 周囲が静まり返る。

 

「大丈夫か?」

「……う、うん」

 

 ニムラは子供を立たせる。

 

「怪我は」

「ない……」

「そうか」

 

 立ち上がるとズボンが汚れていた。

 最悪だ。

 

「危ないから離れとけ」

 

 帰ろうとしたところで、ポケットの端末が震えた。

 

《緊急招集》

《第3特務処理班》

《駅前広報幕 姿勢制御術式異常》

 

 上では笑顔の自分が、支柱へぐるぐる巻き付きながら暴れていた。

 

「俺かよ」

 

 ニムラは端末の応答ボタンを押した。

 

「ニムラです。現場にいます」

『えっ!? 現場いるの!?』

「はい」

『勇者になってからやる気が違うねえ!』

「たまたま通りかかっただけですよ」

『ははは、そういうことにしとこうか』

「……概要は」

「ありがとうございました! 勇者さん!」

 

 振り返ると、さっき助けた子供が母親の後ろから手を振っていた。周囲の視線もこちらへ集まる。

 ニムラも小さく手を振った。

 

「危ないから離れて」

 

 マミヤが電話越しに吹き出した。

 

『人気者だねえ』

「ありがとうございます」

『あはは。はい、業務開始。管理者さんの連絡先送ったから連絡取っといて。サカキくんがすぐ着くって』

「了解です」

『じゃ、よろしくね』

 

 通話が切れた。

 

「休日潰れたな」

「勇者さん頑張れー!」

 

 子供が元気よく叫んだ。

 ニムラは子供の方を見たまま、母親に言った。

 

「危ないから離れてね」

 

 ニムラは管理者と連絡を取りながら、避難誘導を続けた。

 

「そちらの通路も閉鎖してください。搬入口は使わないように。近づく人がいたら、駅側へ回してください」

『分かりました。今そちらへ向かっています』

 

 通話を切ると、広場の向こうから腕章をつけた男が駆けてきた。

 

「お待たせしました!」

 

 息を切らしながらニムラの前まで来ると、男は一度姿勢を正した。

 

「まさか、勇者様直々に来ていただけるとは……」

「いえ、もう一人が来たら代わりますので、制御室へ案内してください」

「は、はい!」

 

 広場の端に一台の車が滑り込んできた。

 サカキが車を降り、街路樹に巻きついた巨大なニムラの顔を見上げた。

 

「あ、勇者が制御不能になってる」

「代われ」

「はいはい」

 

 ニムラは管理者を振り返った。

 

「案内を」

「こちらです!」

 

 管理者に続き、駅舎脇の管理棟へ入る。

 狭い階段を上がった先に小さな制御室があった。

 壁際の盤面には、警告表示がいくつも点灯している。

 管理者は画面を操作しながら説明した。

 

「手動停止を入れたんですが、姿勢維持だけが残ってしまって」

「補正のたびに巻き込みが増えてるんですね」

 

 ニムラは数値をしばらく追い、端末を取り出した。

 

「サカキ」

『はいよ』

「十秒、固定できるか」

『もちろんでございます』

 

 ニムラの眉がわずかに動く。

 

「頼む」

『ありがたきお言葉』

「切るぞ」

『合図するから待って』

 

 数秒後、端末から声が飛んだ。

 

『固定ー!』

 

 ニムラは姿勢制御を解除した。

 警告表示が一斉に赤へ変わる。

 張力が落ち、座標値が跳ねる。

 ニムラは現在位置を読み込み、新しい基準座標として上書きした。

 

「再固定」

 

 画面の数値が止まる。

 赤い表示が、いくつか黄色へ変わった。

 

『こっちは止まったぞ』

「了解」

 

 ニムラは通話を切った。

 管理者が画面を確認した。

「……止まりました」

「応急処置は済みました」

 ニムラは制御盤から手を離した。

「ずれたものは、後で直しておいてください」

「はい! すぐに専門業者を呼ばせていただきます!」

 

 ニムラは窓の外へ目をやった。

 

「あと、次に作る時はもう少し小さめで」

「はい?」

「いえ」

 

 管理棟を出ると、ちょうどイチノセが広場へ駆け込んできた。

 

「遅くなりました!」

 

 動かなくなった広報幕を見て、イチノセが声を上げた。

 

「あれ!? もう終わっちゃったんですか!?」

「ああ」

 

 ニムラは広場の端を指した。

 サカキが倒れた街路樹の枝をまとめ、絡まった固定具を外している。

 

「サカキが後片付けをやってる。手伝ってやれ」

「ええ……」

 

 イチノセは広報幕を見上げた。

 

「もっと、人を助けるとか……」

「助けた後だ」

「そうじゃなくて、僕も何かこう……」

「枝、持てるかー」

 

 サカキが遠くから呼ぶ。

 

「……持てます!」

 

 小走りでサカキの方へ向かう。

 その背中を見送りながら、ニムラは広場の上を見た。

 街路樹に絡まった自分が、満面の笑みでこちらを見下ろしていた。

 

     ◇

 

 翌日の詰所には、駅前で配られていた広報紙が置かれていた。

 紙面の中央には、大きな見出しが躍っていた。

 

『勇者ニムラ、またまたお手柄! 制御不能の大型広報幕から市民を救う』

 

 その下には、街路樹に絡みついた巨大なニムラと、それを見上げるニムラの写真が載っていた。

 

「いーなー」

 

 イチノセが紙面を覗き込んだ。

 

「また班長だけですよ」

「また勝手に写真使われてる」

「良いじゃないですか、それくらい」

 

 ニムラは記事を読み進めた。

 

『偶然現場を通りかかった勇者ニムラ氏は、混乱する市民を落ち着かせ、自ら危険区域へ向かった――』

「俺は帰ろうとしてたんだ」

「書けないですよ、そんなの」

 

 記事の後半には、施設管理者のコメントも載っていた。

 

『まさか勇者様ご本人が来てくださるとは思いませんでした。現場に姿を見た時、本当に安心しました』

 

 ニムラはその部分で目を止め、紙面を机に置いた。

 

「まあ、いいか」

 

 扉が開いた。

 サカキが、同じ広報紙を片手に入ってくる。

 

「見ましたよ、もう」

「なんだ、もう見たのか」

「あ、僕が映ってる!」

 

 イチノセが紙面を奪い取り、写真の端を指差した。

 広報幕の下。

 倒れた枝を抱え、こちらに背を向けている小さな人影がある。

 顔すら判別できない。

 

「これ、僕です!」

「おお」

 

 サカキが紙面へ顔を近づける。

 

「勇者候補がもう一人」

「いや、勇者は恥ずかしいですよ」

 イチノセが当然のように答えると、サカキがニムラを見た。

「俺はかっこいいと思うよ」

「別にどっちでもいいですって」

「ほんとだよ」

 

 イチノセは広報紙を机へ広げ、引き出しからハサミを取り出した。

 ニムラは机へ向き直った。

 端末を開き、昨日の報告書を表示する。

 

 発生時刻。

 現場到着時刻。

 避難範囲。

 姿勢制御術式の異常。

 サカキによる外部固定。

 基準座標の暫定変更。

 

 横でイチノセとサカキが、まだ広報紙を覗き込んでいる。

 

「これ、顔が見えてたらもっと良かったのになあ」

「次は正面向いて枝拾えば?」

「次がある前提で言わないでください」

 

 ニムラは入力を続け、報告書の備考欄へカーソルを移した。

 

『応急処置後、施設管理者へ専門業者による再調整を指示した』

 

 少し離れた机から、紙を切る音がした。

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