休日だった。ニムラは昼を過ぎても着替えず、ソファに寝転がっていた。
つけっぱなしのテレビを眺めながら、菓子をつまんでいた。
部屋の中央で空間が歪んだ。
ニムラはソファの上で顔を上げた。
その向こうから黒い影が現れた。ノアは床へ降り立つと、マントを払い、腕を広げた。
「クックックッ、ここが貴様の本拠地か」
ニムラは寝転がったままノアを見た。ノアの背後には、文字が浮かんでいた。
<なにしにきた!>
「……何をしに来たんですか?」
「世界征服だ!」
文字が切り替わった。
<そんなことはさせない!>
「……」
ニムラは起き上がり、テーブルの端末を取った。
「質問してもいいですか?」
ノアは背後の文字を指さした。
「目的は、世界征服ですか?」
「そうだ!」
ニムラは端末に入力した。
「普段は、どのあたりで活動をしていますか?」
「魔界だ!」
「今日は魔物はいないんですか?」
「ちょっとまって」
「はい」
「もっと勇者らしくしてよ、記者会見じゃないんだから」
「勇者らしくってなんなんですか」
「後ろに書いてるでしょ、読んでよ」
ニムラはノアの後ろを見た。
<そんなことはさせない!>
「そもそも魔王ってなんなんですか」
「魔王は魔力研究者の王だよ」
ニムラの指が止まった。
「……世界征服する人ではないんですか?」
「あれ? 知らないの?」
「はい」
「勇者なのに」
「……質問を続けます。魔物との関係なんですが」
「魔王なんだから家来でしょ。続けるの?」
「聞いてこいと言われてるんで」
「勇者なのに?」
「仕事なんで」
「勇者って仕事なの?」
「……どうなんだろ」
背後に浮かんでいた文字が消えた。
「なんか、ごめんね」
「いえ」
「帰るね」
空間が歪み、ノアの姿がその中へ消えた。
「質問……まあいいか」
端末をテーブルへ置いた。
◇
魔力管理局本部。
マイタニは端末の報告を上から追っていた。
「二度目ですか」
向かいのカテキが答えた。
「はい、今回もノア側から接触しています」
「こちらから誘導した形跡は?」
「ありません」
「魔力研究者の王って本当なんですか?」
マイタニが顔を上げた。
「魔王の意味、まあ、若い人は知りませんか」
「……知りませんでした」
「アルベルトの時代からの呼称です。元から敬称だけってわけでもなかったですが、第19号からは畏怖の意味が強くなりましたかね」
「目的は、世界征服だそうです」
「世界征服……」
◇
その日の仕事を終え、三人は詰所を出た。
帰り道、イチノセが言った。
「班長、魔王とよく会ってるってホントですか?」
「まだ二回だよ」
「平和のために戦ってんだよな」とサカキが言った。
「別に、会話してるだけですよ」
「ほんとに勇者っぽくなってきましたね」
「本気で言ってるのか?」
「うーん、まあ」
「勇者手当が現実的になってきたな」
「出るとしても俺だけでしょ。じゃ、お疲れ様です」
「お疲れ様です」とイチノセが言った。
「また会おう」
「そりゃ会うでしょ」
ニムラは片手を上げ、二人と別れた。
しばらくして、ノアが現れた。
「またか」
ニムラは足を止めた。
端末を取り出し、連絡を入れようとした。
送信に失敗した。
「やあ」
「どうも」
「なにしてたの?」
「帰り道ですが」
◇
サカキとイチノセは、そのまま歩いていた。
サカキの端末が鳴った。マミヤからだった。
『ごめん、緊急案件! ニムラくんいる?』
「さっき別れました」
『イチノセちゃんは一緒?』
サカキは端末をイチノセに向けた。
「はい、います」
「また魔物案件ですか?」とサカキが言った。
『最近多いんだよ〜!』
「え、今からですか?」
『うん、ニムラくんにも連絡つかないし、二人でいける?』
◇
商業施設の吹き抜けに、薄いエイのような魔物が浮かんでいた。
その下では、床に落ちていた紙袋や空き容器が数センチほど浮き、ゆっくりと揺れていた。手すりに掛けられた金属製の案内板は魔物の方へ傾き、照明もときどき瞬いた。
小さな破裂音がして、魔物の脇で青白い火花が散った。
「イチノセ、避難誘導お願い」
「はい、わかりました」
イチノセは利用者の方へ向かった。
「すみません、こちらから離れてください。職員の方、あっちの通路お願いできますか」
残っていた利用者が順に吹き抜けから離れていった。施設職員が通路に立ち、吹き抜けへ向かう利用者を別方向へ案内した。
サカキは少し離れたところから魔物を見ていた。
人が減るにつれ、床から浮いていた紙袋の揺れが小さくなった。
続いていた照明の明滅も収まり、魔物もほとんど位置を変えなくなった。
「……さっきより大人しくなったな」
サカキは端末を出した。
「主任、この建物の中、何入ってるか見れます?」
『わかった、見てみるね』
サカキは吹き抜けへ近づいた。
魔物がゆっくり後ろへ下がった。
サカキが止まる。
魔物も止まった。
サカキは今度は横へ数歩動いた。
魔物もそれに合わせて横へずれた。
「あ、距離を保とうとしてるのかな」
もう一度近づくと、魔物はまた離れた。
「近づくと離れますね」
『位置調整かな』
少しして、マミヤが続けた。
『ここ、荷物の搬送補助設備が入ってる。安定点の術式あるから、そこに持っていこうか』
「お、ありがとうございます」
避難を終えたイチノセが戻ってきた。
「終わりました。周りも止めてもらってます」
「じゃ、こいつ向こう持ってくよ」
「持ってく?」
サカキが魔物の前へ回り込んだ。
魔物は距離を取るように、反対側へ動いた。
「あ、持ってく」
「そっち空けて」
「了解です」
イチノセが進行方向の荷物をどかし、脇の通路へ回った。台車を寄せて通路を塞いだ。
サカキが一歩進んだ。
魔物が一歩分、下がった。
近くの柵がわずかに震えた。
「もうちょい右」
イチノセが回収容器を持って先へ回った。
『安定点、もう使えるからいつでもどうぞー』
「早いですねえ」
サカキはゆっくり魔物へ近づいていった。
魔物が吹き抜けを離れ、搬送設備の前へ移った。
浮いていた紙袋や空き容器が床へ落ちた。
傾いていた案内板が戻った。
小さな放電も消えた。
「今」
「はい」
イチノセが回収容器を作動させた。
薄い膜に包まれた魔物が、そのまま回収容器へ収まった。
サカキは端末の表示を確認した。
「よし、完了」
◇
ニムラとノアは、まだ帰り道にいた。
「あの時、なんで切らせてくれなかったの?」
「いえ、不明点が多かったので」
……だが、最後の停止承認は違う。
気づけば画面へ手を伸ばしていた。押す直前、自分でも驚いて手が止まった。
なぜ手を伸ばしていたのか、うまく説明できなかった。
「そもそも、あれは安全接続だったんですか?」
「そうだよ。見せたじゃん。魔力、初めて見たでしょ」
「魔力は目に見えないのでは?」
「見られるのが僕なんだよ」
「魔力って確か、重力と電磁気力に干渉でしたっけ」
「あと弱い力と強い力ね。こっちは理論上だけど」
「……目に見えないのでは?」
「見えるのが僕だ」
「魔王だから、ですか?」
「……かな」
「帰るよ」
「あ、一つ聞きたいのですが」
「なに?」
「また来るんですか?」
「うん、また来るね」
ノアの周囲の空間が歪んだ。
その姿が消えた。
「あ」
ニムラは誰もいなくなった場所を見た。
「休みの日には来ないで欲しいんですが……」
◇
魔力管理局本部。
マイタニは端末に表示された報告の最後を見た。
「また来る、と」
「はい。本人からです」
「捕縛計画を進めますか?」
マイタニは端末を閉じた。
「……ええ」
「ニムラへの接触を前提に、ですか」
「はい、進めましょう」