アルベルトは机に向かい、何かを書き込んでは、離れた紙を魔法で手元へ引き寄せていた。ノアは床に積まれた資料を分けていた。
部屋の隅には、小さな実験個体が四本の肢で立っていた。
完成。棄却。再検証。保留。
最初の頃よりは、どこへ置けばいいのか分かるようになっていた。術式や数式の意味は相変わらず理解できなかった。
古い資料束を持ち上げると、下から薄い冊子が出てきた。
ノアの手が止まった。
《第19号魔物実験》
表紙を見直した。やはり第19号だった。
ノアは冊子を開いた。
術式の記述を飛ばし、読めるところだけを追っていった。
魔物の生成実験についての記録だった。
数ページ先に事故記録があった。
実験中に生成された魔物が管理下を外れ、施設外へ被害が広がったと記されていた。
ノアはページをめくった。
被害地域の欄に、見覚えのある名前があった。
故郷の名前だった。
ノアはさらにページをめくった。
関係機関の欄には、国の機関と大学、それにいくつもの企業の名が並んでいた。
その先には、実験前危険評価があった。施設外へ重大な被害が及ぶ可能性があると記されていた。
それでも、実験は行われた。
ノアは実験概要のページへ戻った。端に責任者の欄があった。
**主任研究責任者 アルベルト**
ノアは顔を上げた。
アルベルトは変わらず机に向かって作業を続けていた。
ノアは手元の冊子へ目を戻した。
《第19号魔物実験》
その下には、アルベルトの名前があった。
「あの」
「どうした?」
「魔物って、あなたが発見したんですよね」
アルベルトは手を止め、ノアを見た。
「……ああ。私が最初に観測したよ」
「それまでは?」
「いなかった。魔法はあったけどね」
ノアは手元の資料を握ったまま聞いた。
「危険だと、わかっていましたか?」
「危険……そうだね。危険ではあると理解している」
「なら、なぜ」
「なぜ?」
「なんで続けた」
「何の話をしているんだ?」
ノアは資料を机に置いた。
「第十九号事件の話だ。なんで続けた」
アルベルトは机の上の資料を見た。
「……ああ、君は、あそこの」
「答えろ。何を考えていた!」
「俺の故郷が消滅して、何が得られた!」
アルベルトは黙った。
「……大失敗だったなあ」
「あ……何が!」
「本当に申し訳ないことをしたと思っている」
「違う!」
ノアが机を叩いた。
「何が得られた! お前は何を!」
「……うん、得られたことも多い」
「魔物っていうのはね、魔法で出来たものなんだ。だから『魔物』と命名した」
アルベルトは机の資料を一枚取った。
「第十九号実験では、どの術式から発生するか、それによって性質がどう変わるかも――」
アルベルトは説明を続けた。
途中から、ノアには何を言っているのか分からなかった。
「……必要な犠牲だったと言いたいのか?」
アルベルトが説明を止めた。
「必要だったとは言っていない、価値があったと言っているんだ」
ノアは右手を上げ、アルベルトへ掌を向けた。
アルベルトがノアを見た。
ノアは撃った。
アルベルトの前に魔法が広がり、ノアの放った光を横へ弾いた。逸れた光が壁際へ飛び、積まれていた資料を吹き飛ばした。
ノアはすぐに二発続けて放った。
アルベルトは一発を防ぎ、続けて飛んできたもう一発を斜め上へ逸らした。天井近くで破裂音がして、棚が揺れた。
ノアは距離を詰めながらさらに撃った。アルベルトが腕を振ると、魔法は軌道を変えて床へ落ちた。石床が弾け、細かな破片が飛んだ。
弾けた床の近くには、実験個体がいた。
ノアはもう一度アルベルトへ掌を向け、撃った。
アルベルトが弾いた。
魔法は個体の脇を抜け、足元の床を掠めた。床面が欠けた。
ノアの動きが止まった。
視線がアルベルトから外れ、実験個体へ向いた。
「なんだ?」
ノアの視線を追って、アルベルトも振り返った。
「どうした?」
四足獣に似た小さな身体は、見た目には何も変わっていなかった。
身体の片側がわずかに沈んだ。
胴から細い肢が一本伸び、床についた。
もう一本が伸びた。
さらに一本。
身体が持ち上がり、伸びた肢が壁に触れた。別の一本が棚へ掛かった。天井へ伸びた肢が梁まで届いた。
棚が傾いた。
肢は止まらなかった。
数秒前まで小さな四足獣のようだった個体は、研究室いっぱいに肢を広げていた。
巨大な蜘蛛のようだった。
「おい、何が起こってる」
ノアが言った。
肢の一本が棚の間へ入り込み、木枠を押し割った。
「答えろ!」
「……異常増幅だ」
ノアはアルベルトへ向けていた手を下ろした。
「だから、なんだよそれ」
天井から破片が落ちた。
◇
ニムラは端末に表示された資料を読んでいた。
《ノア捕縛計画》
画面をスクロールした。
ノアが再び接触してくることを前提に、その機会を利用する内容だった。
「へえ、僕の捕縛計画」
ニムラは振り向いた。
いつの間にか、ノアが後ろから画面を覗き込んでいた。
ニムラはすぐに電源を落とした。
ノアは端末へ手をかざし、上へ滑らせた。
端末から引き上げられるように、半透明の文字と図が宙へ浮かんだ。
「……そんなことまで」
ノアが指先を動かすと、文字と図が順に切り替わった。
しばらくそれを読んでいた。
「これじゃ僕、捕まらないよ」
「……そうなのか」
「うん。何やってくるか決まってんなら、一個ずつ対応してけばいつかは出られるし」
「しかし、まだ初期案だ。このまま実行されるとは思えない。報告もする」
「そうだね。……決めなかったらどうかな」
「なに?」
「うん。こっちの魔法に合わせて、そっちが動くようにして」
ノアは浮かんでいた図を切り替えた。
「あ、そうだ。反転魔法とかいいんじゃない?」
ニムラはノアを見た。
「自己調整術式、わかんないか。それを使えば簡単にできるよ」
「……それで、お前はどうなる?」
「多分、捕まるんじゃないかなあ」
「ちょっとノア捕縛計画、練ってくる。ちゃんと渡してね」
空間が歪み、ノアの姿が消えた。
◇
魔力管理局本部。
カテキは端末の報告を見ながら言った。
「ニムラの報告は見ましたか」
「ええ」
ノアは反転魔法と自己調整術式を組み込んだ修正案を作り、ニムラへ渡していた。
マイタニは添付された資料を開いた。
「採用しますか?」
「します」
「え」
カテキが顔を上げた。
「全部じゃありませんよ」
「本人が作ったものを採用するんですか?」
「以前からそういうところがあります。国家所属じゃなくなったときも、仕事が面倒だと言っていたとか」
「適当ですね」
「元々ノアが出現するかどうかが賭けだったんです。来てくれるというなら、ちょうどいいじゃないですか」
「あと、ニムラには」
マイタニは端末を閉じた。
「ええ。もう作戦内容は知らせません」
◇
さっきまで四本だった肢は何本にも増え、壁や天井へ伸びていた。膨れ上がった胴体を中心に、巨大な蜘蛛のような姿が研究室を塞いでいる。
故郷を襲った魔物の姿が重なった。
「おい、大丈夫なのか」
アルベルトは答えなかった。
壁へ伸びた肢の一本へ手を向ける。魔法が走り、肢が壁から外れた。
直後、反対側から新しい肢が伸びた。
「……そっちか」
アルベルトがそちらを処理する。
今度は天井近くから伸びる。アルベルトはそちらへ向き直り、また一本を落とした。
だが、すぐに別の場所で肢が増えた。
魔物の中では、魔力が絶えず動いていた。肢が伸びるたび、その少し前に流れが一か所へ集まっている。
アルベルトが動くのは、肢が現れてからだった。
「なにやってんだ」
ノアは魔物の内部を見た。
「上だ」
アルベルトがノアを見る。
天井側へ魔力が集まり、その直後、胴体から新しい肢が伸び始めた。
アルベルトが手を上げた。伸びきる前に肢が落ちる。
「次は右」
アルベルトが右へ向く。
「後ろ」
振り返ると同時に魔法を放つ。
次の肢も伸びきらなかった。
ノアは魔物の中の魔力を追った。
「そっち」
アルベルトが動く。
「次」
指した先へ魔法が飛ぶ。
何度か繰り返すうちに、部屋中へ伸びていた肢が減り始めた。長く伸びていたものが引き、膨れ上がっていた胴体も小さくなる。
巨大な蜘蛛のようだった姿は、元の小さな四足獣に近い形へ戻っていた。
「おい」
「なんだい」
「お前は、魔物研究者の中では、どれくらいだ」
「どれくらい?」
「一番偉いんじゃないのか」
「まあ、一番理解してると思うよ」
ノアはしばらく魔物を見た。
「……俺の目は役に立つのか」
「実験させてもらえれば」
「それで、今の暴走は」
「今、研究中だよ」
ノアはアルベルトを見た。
「完成させろ」
「協力してくれるってことかい」
「その後、殺す」
「……できるなら」