チユは、赤い板を前に置いていた。
帯の先で表面をなぞり、傷のところで止まる。
もう一度そこを触っていると、マエが近づいてきた。
マエは少し見てから脚を伸ばし、赤い板へ触れた。
チユはすぐに板を引いた。
またマエが触ろうとすると、チユは板を遠ざけた。
今度はマエが先に板を取った。
すぐにチユの帯が伸び、板の端を掴んだ。
マエも離さない。赤い板が二体の間で止まった。
少しの間引っ張り合ったあと、チユがマエの脚を叩くと、マエが押し返した。
そのまま二体で押し合い、先に離れたのはチユだった。
チユはマエと赤い板を交互に見たあと、そのまま向きを変えて歩いていった。
マエは赤い板を持ったままその場に残った。
チユが角を曲がって見えなくなると、その方へ二歩ほど進み、止まる。
しばらくして赤い板を持ち直したが、それ以上追うことはなかった。
◇
イチノセが道を歩いていると、前からマエが来た。
「あれ、チユと一緒じゃないの、珍しいな」
マエは身体の下に赤い板を持ったまま近づいてきた。
「チユのじゃん」
イチノセが手を伸ばすと、マエがすぐに赤い板を引いた。
「なんだよ」
マエがまた赤い板を前へ出す。
赤い板とマエを見る。
「あれ、それお前触ったら駄目なんじゃなかったっけ」
マエが止まる。
「……お前、盗ったの?」
イチノセはしばらく黙った。
「早く返してこいよ」
そう言うと、マエが向きを変え数歩進んだ。
そこで止まって、またこちらを向いた。
そのまましばらく動かない。
イチノセが手で追い払うと、マエがもう一歩進んで、またこちらを向いた。
「はー」
イチノセが歩き出す。
「一緒に行ってやるから」
マエが振り返った。
次の瞬間、イチノセの周りを走り始める。
「分かった分かった」
イチノセが手で追い払う。
「行くぞ」
マエはすぐに前へ出た。
マエが先を走り、イチノセもその後を追った。普段あまり通らない道へ入った。
「こんなとこにいんの?」
マエは迷わず進んでいく。
曲がり角でも一度も足を止めなかった。
古い建物の間を抜け、さらに奥へ入ったところで、
ドンッ、と大きな音がした。
イチノセが足を止める。
少し遅れて、金属が崩れる音が続いた。
「……何だ?」
マエも止まっていた。
次の瞬間、一気に走り出す。
「あ、待て!」
角を曲がった先に、入口が崩れた大きな建物があった。
壁材や太い金属が積み重なり、中はまったく見えなかった。
マエは真っ直ぐそこへ走っていく。
金属の隙間へ脚を掛けて引っ張るが、びくともしない。場所を変えて今度は押してみるが、それでも動かなかった。
「マエ」
マエは何度も脚を掛け直し、金属を引こうとしていた。
その時、建物の奥でガン、と金属のぶつかる音がする。
マエがぴたりと止まった。
すぐにまた、入口の金属へ脚を掛ける。
イチノセもそこまで来た。
「……ここにいるのか」
奥でもう一度、何かが動く音がした。
イチノセも、入口を塞いでいる金属へ手を掛けた。
「せーの」
マエも横で引っ張るが、動かない。
もう一度力を入れたが、少し軋んだだけだった。
「……無理だな、これ」
マエはまだ引っ張ろうとしていた。
イチノセは建物を見上げた。
「これだけでかいなら……」
横へ歩くと、マエもついてきた。
建物の脇を回ると、細い通路の奥に扉があった。
「よし、当たり!」
取っ手を引くが開かない。
「あ、流石に鍵掛かってるか」
マエはすぐに扉へ寄り、鍵穴を見る。
足元に落ちていた細い金属片を拾って差し込み、がちゃがちゃと動かし始めた。
「そんなのもできるんだ」
イチノセはしばらく見ていたが、鍵が開く様子はなかった。
「どいて、マエ」
マエが振り返り、横へ退いた。
イチノセは一歩下がった。
「こういう時は――」
勢いをつけて扉に向かう。
「蹴破ればいいんだ!」
扉を蹴ると、内側へ開いた。
マエはすぐに中へ走っていった。
「足痛いな……靴履いててよかった」
中は薄暗く、古い棚や機械が並び、床には部品が散らばっていた。
奥からまた金属の音がした。
マエが曲がった先に、チユがいた。
倒れた棚の下に金属板が斜めに挟まり、その下へ身体が入り込んでいる。
チユは帯を伸ばし、何度も棚を押していた。
マエが駆け寄る。
「ちょっと待て。そのままじゃ抜けない」
イチノセは倒れた棚へ手を掛けた。
「そっち」
イチノセとマエで持ち上げると、棚が少し浮いた。
マエが脚を伸ばし、下に挟まっていた金属板を持ち上げる。
チユの身体が抜けた。
「よし」
イチノセが手を離すと、棚が大きな音を立てて落ちた。
イチノセたちは慌てて離れる。
「……危な」
マエはすぐにチユのそばへ行ったが、チユはイチノセへ寄った。
イチノセは二体を見てから、周囲を見回した。
「帰ろう。ここまだ崩れそうだし」
来た道へ戻ろうとして、壁に大きな板が掛かっているのが目に入った。
古い案内図だった。
建物の周辺から、いくつもの線が遠くまで伸びていて、端の方には、見覚えのある地名があった。
「……これ」
イチノセが近づき、案内図を端末の画面に収めた。
「行こう」
チユはイチノセに引っ付いて離れない。
マエは既に出口の方に向かっていた。
帰り道、チユはずっとイチノセから離れなかった。
足元へ寄ったり、服へ帯を掛けたりしながらついてくる。
もう塞がった右足には触れなかった。
マエは少し前を歩いていた。
何度かこちらを振り返る。
「マエ、そういえば」
イチノセが止まった。
マエも立ち止まり、振り返る。
「返すんだろ」
マエは少しの間、動かなかった。
それから、身体の下から赤い板を取り出した。
チユの方へ向き、身体を低くしながらゆっくり近づくと、赤い板を前へ出した。
チユは一度だけマエへ近づき、赤い板とマエを順に見ると、そのまま離れた。
チユはイチノセの方へ来ると、そのまま身体を登り始めた。
「おい」
チユは肩の辺りまで来て、止まる。
マエはしばらくそれを見てから、赤い板とチユを交互に見た。
次の瞬間、赤い板をぽい、とイチノセとは反対側へ放った。
「あ、こら!」
チユが飛び降りた。
さっきまでとは別物みたいな速さで走る。
赤い板が地面へ落ちる直前に帯を伸ばし、掴んだ。
そのまま身体の近くへ抱える。
何度か表面を触る。
マエはチユとイチノセを交互に見た。
イチノセはマエの後ろへ回った。
そのまま身体を押す。
「ほら、行け」
マエが数歩前へ出る。
チユは振り返ってマエを見ると、すぐに前を向き、赤い板を抱えたまま先へ進んでいった。
マエもその後を追う。
イチノセは二体の背中を見送った。
「なんだこいつら」