ニムラの端末が鳴った。
画面には、マミヤの名前が出ている。
「はい」
『お疲れさまー。今、大丈夫?』
「大丈夫です」
『じゃあ、いくつか決まったことだけ伝えとくね』
ニムラは椅子へ座った。
『まず、ニムラくんはしばらく休暇』
「はい」
『正式に勇者を辞めるのは、もうちょっと後になりそうかな。手続きとかで、すぐにっていうのは難しいみたい』
「分かりました」
『ごめんねえ』
「いえ、ありがとうございます」
『うん』
少しだけ間があった。
『あと、イチノセちゃんの作戦からは外れたよ』
「そうですか」
『サカキくんが引き継ぐって』
「なるほど」
『気合い入ってたよ』
「……そうですか」
マミヤが笑った。
『まあ、そっちは任せといていいと思う』
「はい」
『じゃあ、とりあえず休んでね。仕事の連絡来ても出なくていいよ』
「分かりました」
『出たかったら出てもいいよ』
「はい」
『どっちでもいいよ』
「出たかったら出ますね」
『あはは、当然だね』
ニムラは少し考えた。
「じゃあ、休みます」
『うん。またね』
「失礼します」
『はーい。お疲れさま』
通話が切れた。
ニムラは端末を机へ置いた。
しばらくそのまま座っていた。
予定は、何もなかった。
◇
ノアはベッドに座っていた。
机の上には、開いたままの本と、飲みかけのカップが置かれている。
「やあ」
「やあ」
「やあ?」
ニムラが向かいの椅子へ座った。
「天気がいいな」
「急だね」
「……天気がいいと気分が上がるからな」
「僕は天気が悪いほうが好きだよ」
「……」
ノアの口が弧を描いた。ニムラはノアから目を離した。
「で、なに?」
「一つ聞きたいことがあってな」
「なに?」
「結局、魔物に意思はあるのか?」
ノアは少しだけ考えた。
「僕にはわからない」
「へえ」
「意思があるとは断定できない」
ノアは机の上のカップへ手を伸ばした。
「確認できてないからね」
「そうか」
「うん」
「じゃあ、また」
ニムラが腰を上げると、ノアが呼び止めた。
「そういえば、勇者、辞めるって聞いたけど」
「情報が早いな」
「ちょっとね」
ノアは少し黙った。
「なんでやめるの?」
「やめたかったから」
ノアが目を見開いた。
「……あ、そうなんだ」
「ああ、じゃあ帰る」
「うん、またね」
ニムラが帰ったあと、ノアは一人で呟いた。
「それでいいんだ」
すこし考える。
気になることはたくさんある。
魔物に意思があるかどうか、はあんまり。
それより、何が魔物の動きに作用してるのか。
あの捕縛実験の一体以来、反例は見つかっていない。高度魔物って言われてるのも、研究はやめたのに確かめちゃった。けど、結局既知のことしかなかった。
でも気になる。
みんなは、意思を確かめたがる。あるかないかで、していいことが変わるのか。
僕は、何を基準にあいつを嫌っていたんだろう。
価値があると言われるのが嫌だった。
価値があることが許せなかった。
認めるのが嫌だった。
殺してやりたかった。
でも、だって、あいつの研究にも、価値はあるから。
していいことと、価値は、多分、別だ。
僕は研究をやめたかったんだっけ。
数時間後、ノアが動き出した。
机の上の本を両手でどかす。カップはこぼしたくなかったので横に置いた。
その後、以前の研究資料をどこに置いたか忘れていることに気づいた。
中指をこめかみへ持ち上げかけて、止めた。
「いや、違うな」
両手を組んで考える。
「僕が危険なのは間違いないからなあ」
まずは僕をどう制御するかだ。したくないこと、やっちゃ駄目なことも、しないために。
「どうすればいいんだろう」
でも、楽しくなってきた。
◇
道路の両側から、建物が少しずつ減っていった。ニムラは端末に表示した地図を確認する。地図はイチノセが提出したものだった。道はまだ続いている。
「……遠いな」
車をそのまま走らせる。
しばらくすると舗装の状態が変わり、ひびの入った古い道路の両側に、使われていない建物や止まったままの搬送設備が見え始めた。
その間を、一体の魔物が横切る。ニムラは少し速度を落としたが、魔物はこちらを気にする様子もなく道路の向こうへ消えていった。
さらに進むと、今度は二体が何か大きな部材を運んでいた。その少し先では、別の魔物が古い設備の前に集まっている。
「……ここか」
地図を見る。まだ少し先だった。
ニムラはそのまま車を走らせた。進むほど魔物の数が増えていく。道の端にも、建物の中にも、頭上の古い通路にもいた。
それぞれが別々に動き、ニムラの車が近づくと道を空けるものもいれば、まったく気にしないものもいる。何をしているのかは分からなかった。
やがて地図に示されていた場所へ着き、邪魔にならなそうな場所へ車を停めた。外へ出ると、遠くで何かを動かす音がしている。
周囲を見たが、イチノセの姿は見えない。端末を持ったまま古い建物の間を歩いていると、少し先から声がした。
「あ、こら!」
聞き覚えのある声だった。
ニムラはそちらへ向かい、建物の角まで来たところで足を止めた。
イチノセがいた。まだこちらには気づいていない。近くにはマエとチユもいる。
マエは赤い板を身体の近くへ置いていた。チユがそこへ寄り、帯を板へ伸ばす。マエが板を引き寄せると、チユはもう一度帯を伸ばした。今度は先に触れ、赤い板を持ち上げると、そのまま少し離れたところへ放り投げた。
「あー!」
イチノセが声を上げる。
マエはすぐに板を追いかけ、転がった赤い板を拾って戻ってきた。
チユがまた近づくと、マエは板を身体の下へ隠した。チユが横へ回ると、マエも向きを変えた。
「逆になっちゃったなあ」
イチノセはそう言いながら笑っていた。
チユが反対側へ回り、マエもまた向きを変える。少ししてマエが赤い板を出すと、チユの帯がすぐに伸びた。マエは慌てて板を抱え込む。
「まあ、いいか」
その横で、チユはまだマエの周りを回っていた。
ニムラは離れたところから、それを見ていた。
ふと、指先が目に入った。
操作盤。減っていく残り時間。承認入力へ近づいていった、自分の指。
ニムラは顔を上げた。
マエはまだ赤い板を抱えている。チユがまた近づいた。
「まだやるの?」
イチノセが笑った。
ニムラは三つの姿を見た。
あの時、自分が何を考えていたのかは分からない。
今は、壊したくないと思った。