約束の場所には、サカキが先に来ていた。
端末を見ながら立っている。周囲には管理局の車両が何台か停まっていたが、職員の姿はそれほど多くない。
サカキが顔を上げた。
「お、来た」
「お疲れさまです」
イチノセは片手を上げた。
その後ろから、マエとチユがついてくる。
サカキは二体を見た。
「連れてきたの?」
「はい。話すならいた方が分かりやすいかなと思って」
「なるほどね」
マエはイチノセの横で止まった。チユは少し遅れて近づき、そのままイチノセの足元へ寄る。
サカキの端末が短く震えた。
《対象到着確認》
《各班待機完了》
《確保開始可能》
サカキは画面を見た。
少しだけ指を動かす。
《待機継続》
表示を閉じた。
「この二体が、マエとチユです」
「うん。前も見た。じゃ、まあ話そうか」
「はい」
近くには簡易の机と椅子が用意されていた。
イチノセが座ると、チユもその横へ来た。マエは少し離れたところで止まっている。
サカキは向かいの椅子へ座り、端末を机へ置いた。
「まず、イチノセがどうしたいか聞いていい?」
イチノセは少し考えた。
「再調整を全部やめてほしい、っていうのとはちょっと違います」
「うん」
「危ないやつもいると思うし。実際、管理局の人に魔法使ったやつもいたので」
「そうだね」
「ただ、高度化してるから一回戻そう、っていうのは……もうちょっと待ってほしいです」
サカキは黙って聞いている。
「マエとチユも、前と同じじゃないんです」
イチノセは二体を見る。
チユがマエの方へ寄った。マエが少し向きを変える。
「僕が勝手にそう見てるだけかもしれないですけど。でも、だから一回ちゃんと見てほしくて」
「何を?」
「こいつらが何してるのかです」
サカキはマエとチユを見た。
「分かんないまま戻すのも違うと思うんです」
「なるほどね」
端末が短く震えた。
《確保開始確認》
サカキは画面を見る。
何も言わず、表示を閉じた。
「他には?」
「……ないです」
「そっか」
「サカキさんは、どう思います?」
「俺?」
「はい」
「難しいね」
「それだけですか?」
「うん、そういうの、決めるの苦手なんだよ」
「ずるいなあ」
「第三班の班長、それで断ったから」
「ああ、それで班長が」
「ニムラには悪いことしたかもな」
「まあ、あんま気にしないですよ。班長は」
「イチノセ」
「はい」
「俺さ、真面目なんだ。実は」
「知ってますよ」
イチノセは少し笑い、椅子の背へ身体を預ける。
サカキの端末が短く震えた。
画面を見る。
《確保開始確認》
サカキが画面に触れる。
低い音が鳴った。
その時、マエが動いた。
数歩進んだところで止まり、少ししてまた一歩進む。
「どうした?」
イチノセが立ち上がろうとすると、サカキが呼んだ。
「そのままでいいよ」
「はい?」
振り返る。サカキは座ったままだった。
「……どういうことですか?」
低い音が鳴った。
周囲の地面を淡い光が走り、薄い術式がいくつも浮かび上がる。
「これ……」
反転術式だった。
イチノセは端末を取り出し、転移術式を起動する。途中まで組まれた術式が、そのまま崩れた。
「……あ」
顔を上げると、建物の陰から管理局の職員が出てきていた。少ないと思っていた職員が、周囲から少しずつ距離を詰めてくる。
マエがイチノセの前へ出た。チユも向きを変える。
「待って」
二体が止まる。イチノセはサカキを見る。
サカキも立ち上がっていた。
「サカキさん。これ、話し合いじゃないんですか」
「話は聞いたよ」
もう一度、周囲を見る。
反転術式。管理局の職員。使えなくなった転移。
「……これ、魔王の捕獲作戦の時の」
「そうだ」
サカキは少しだけ黙った。
「今回はお前」
イチノセはしばらくサカキを見た。
「サカキさんが決めたんですか」
「うん、俺が確保するって決めた」
周囲の職員が距離を詰めてくる。
「大人しく来てくれたら、こっちも無理にはやらないよ」
「その後、マエたちはどうなりますか」
「その二体も確保する」
「調整は?」
「するよ」
「……じゃあ嫌です」
「わかった」
サカキが端末を持ち上げた。
「拒否確認、強制確保へ移行する」
職員が一斉に動いた。
「行くぞ!」
イチノセが走り出し、マエとチユも続く。
正面から二人が回り込み、横に控えていた細長い魔物から帯が伸びる。イチノセが進路を変えると、マエがその前へ出た。身体から淡い光が漏れる。
「マエ!」
光が弱まった。
「攻撃するな! 逃げるだけ!」
マエは向きを変え、イチノセの後を追った。
「右側、空けないで。イチノセから先に取るよ」
サカキが指示を出していると、別の通信が入った。
『外周西側、転移反応です。魔物が一体出ました』
「作戦対象か」
『違います』
「……なんか動きは?」
『いえ。その場で止まっています』
「じゃあ触らないで。監視だけ」
その間にもイチノセは職員の間を抜けていた。帯状の拘束具が腕へ巻きついたが、マエが器具を押さえ、その隙に腕を抜く。
「ほんとによく言うこと聞くね」
「だったら捕まえないでくださいよ!」
「それとこれは別」
サカキの端末がまた鳴った。
『北側にも転移反応。二体です』
「……また?」
『はい。こちらもその場で止まっています』
「距離取って。刺激しないで」
『了解』
サカキは前へ視線を戻した。
イチノセたちはまだ逃げている。
今度は別の着信が入った。
ニムラだった。
「なんだ、今作戦中!」
『サカキ』
「あん?」
『俺はイチノセを逃がす』
サカキは少し黙った。
「……そうか」
『じゃあな』
「じゃ」
通話が切れた。
サカキはすぐに全体通信を開く。
「ニムラが来る。作戦区域には絶対入れさせるな」
『了解』
「ニムラの認証まだ生きてるから、設備側も注意して」
サカキは端末をしまった。
前では、イチノセと二体がまだ逃げていた。
「さて」
サカキもそちらへ走った。
サカキが加わると、逃げ道はすぐに狭くなった。
「そっち塞いで。前から二人」
職員が回り込み、イチノセは進路を変える。マエとチユもその後を追い、建物の間へ入った。出口は見えていたが、その手前にも職員がいる。
「止まれ」
「嫌です!」
横から拘束具が伸びる。イチノセが避けると、正面からも二人が来た。
マエが前へ出た。
「マエ、駄目!」
マエは少し下がった。
イチノセはそのまま空いている方へ走った。チユが先に抜け、マエも続いていたはずだった。
後ろから足音が近づいてくる。
振り返る。
マエが止まっていた。
「マエ、来い!」
マエは職員たちの方を向いたまま動かない。
イチノセが戻ろうとすると、チユが前へ回り込んだ。
職員がマエへ近づいていく。
「何やってんだよ!」
マエが一度だけこちらを向いた。
赤い板が飛んでくる。
チユが受け止めた時には、マエはもう職員たちの方へ向き直っていた。
イチノセは足を止めた。
「……ふざけんなよ」
チユが服を引く。
「分かってる」
イチノセとチユは走り出す。
イチノセは一度だけ振り返った。
マエはまだそこにいた。
「ばかやろう」
もう振り返らなかった。
◇
ニムラが作戦区域の入口へ着くと、職員が二人待っていた。
「ニムラさん」
「お疲れさま」
「ここから先は入れません」
「サカキからか」
「はい」
「そうか」
ニムラは作戦区域の向こうを見た。
中の様子までは見えない。
「分かった」
そのまま踵を返した。
職員が少し意外そうな顔をしたが、呼び止めることはなかった。
ニムラは端末を取り出し、以前確認した作戦資料を開いた。反転術式は作戦区域を囲むように配置され、転移阻害も複数の系統に分かれている。
地図を見ながら道を外れ、外周に沿って歩く。
しばらく進むと、簡易の制御設備が見えた。
そこにも職員がいた。
「ニムラさん、止まってください」
「ちょっと通る」
ニムラは職員が近づくより先に、認証端末へ手をかざした。
『認証を確認しました』
扉が開いた。
「まだ使えるのか」
ニムラは中へ入り、そのまま制御盤へ急いだ。
制御盤には、作戦区域内の術式がいくつも表示されている。転移阻害もすべて正常に稼働していた。
ニムラは術式の配置を確認した。
外周寄りの一系統を選ぶ。
ヒガシがいた。
「あんれ、ニムラさん」
「ちょっと邪魔する」
その後ろから、職員が追いついてきた。
「止めて!」
職員が声を上げる。
「え?」
「ヒガシ、少し待て」
「あ、はい。良いですけど」
ニムラは配置を確認した。
《転移反応検知》
《第三系統 阻害中》
ニムラは第三系統の停止ボタンを押した。
『転移阻害術式、第三系統を停止します』
表示が一つ消えた。
「すまんな」
ニムラは制御盤から手を離した。
◇
『転移阻害、第三系統停止!』
サカキが振り返った。
「戻して!」
『復旧します!』
◇
マエの前に、職員が迫っていた。
拘束具が広げられる。
マエは一歩下がった。
その身体の周囲に、淡い光が集まる。
職員が手を伸ばした。
景色が横へずれた。
◇
イチノセはチユと走っていた。
イチノセが振り返ると、何もなかった場所で景色が歪み、その中から何かが転がり出てきた。
「――マエ!」
マエが起き上がる。
イチノセは一瞬だけ立ち止まった。
「お前……」
マエがこちらへ走ってくる。
チユも足を止めていた。
「三人で飛ぶぞ」
転移術式を起動する。
光が広がりかけたところで、術式が崩れた。
「……くそ」
遠くで警報が鳴っている。
イチノセは端末をしまった。
「走るぞ!」
イチノセと二体で走り出した。
『イチノセ職員と二体、南側へ逃走中です』
「追跡班出して」
『了解』
サカキは端末を見ながら指示を飛ばした。転移阻害は復旧している。イチノセたちは走って逃げているだけで、まだ十分に追える距離だった。
すぐに外周から通信が入った。
『西側、転移反応。魔物二体です』
「またか」
『はい。北側にも出ました』
サカキは足を止めずに聞く。
「動きは?」
『いえ。今のところ、その場にいます』
「近づかないで。そのまま監視」
『了解』
追跡班は南へ進んでいる。
少しして、また通信が入った。
『南東側、転移反応。三体追加』
サカキが足を止めた。
「追跡班、止まって」
『え?』
「その場で停止」
『了解』
端末上の表示が止まる。
サカキはそのまま待った。
『……新しい転移反応、ありません』
「外周の個体は?」
『動いてません』
サカキは地図を見た。追跡班とイチノセたちの距離は、まだそれほど開いていない。
「追跡班、少しだけ前へ」
『了解』
表示が動く。
間を置かず、外周から声が入った。
『西側、また転移反応!』
「止まって」
追跡班が止まる。
サカキは少しだけ端末を見た。
「追跡中止!」
『……中止ですか』
「うん、全員戻して。外周の魔物には触らないで」
『了解です』
追跡班の表示が止まり、やがて来た道を戻り始める。
外周に現れた魔物の反応は、その場から動かなかった。
南へ逃げるイチノセたち三つの反応だけが、地図の端へ近づいていく。
サカキはしばらくそれを見て、端末を閉じた。
「えー、作戦失敗です。事後処理に移ります」