「何があった」
『班長の反応が増えています!』
「数は」
『十二……十三、まだ増えています!』
『数えてる場合じゃないって! 廊下中にいる!』
通信の向こうで、いくつもの声が重なった。
『サカキ』
『まだ着いていない』
『逃げろ』
『現在地』
すべてニムラの声だった。
ニムラは右手を持ち上げた。
「サカキ、俺を見ろ」
『すごい見てるよ!』
「今、俺が何をした」
『手、上げた!』
「一人か?」
『待って。次も上げた。……奥のも』
廊下に並んだニムラたちが、手前から順に右手を持ち上げていく。
ニムラが手を下ろすと、写し身も遅れて同じ動きをした。
「サカキ、一番近い俺に触れろ」
『え』
遅れて声が重なる。
『サカキ』
『俺に触れろ』
『触れろ』
『あーもう、うるさいな!』
しばらくして、サカキの声が戻った。
『さわれない。手が抜ける』
「縄は」
『何人かについてる。でも壁の中に入ってる。途中で消えてるのもある』
「イチノセ。外の縄は」
『一本です。車両から班長まで、分かれずにつながっています』
『え?』
「……俺が増えてるんじゃない。俺が動くたびに、その時の俺が残ってる」
『じゃあ、このニムラたちは』
「多分、少し前の俺だ」
ニムラが一歩踏み出しかけた。
『増えました!』
足を止める。
『また一人、反応が出ました!』
「全員、動くな」
『了解! 全員そのまま!』
サカキが三人を止める。
廊下のニムラたちは、まだ動いていた。
「全員」
「動くな」
「動く」
「な」
声が途切れ、一人ずつ動きを止めていく。
最後の一人が止まると、周囲が急に静かになった。
「イチノセ。反応は」
『増加、止まりました』
「記録を続けろ」
『はい』
ニムラは端末を開いた。
経路が変わるたび、赤い扉が現れる。
写し身の管理人は、その前で消えた。
扉の向こうからは、停止しているはずの設備音が聞こえる。……設備音。
「イチノセ、改修前資料を送ってくれ」
『はい』
表示された旧図面を追い、ニムラの指が止まる。
「サカキ。赤い扉は見えるか」
『目の前にある』
「よし、入れ」
『取っ手がないよ』
「管理人、鍵は」
『あ、はい。……駄目っぽいですね。すみません』
「……蹴破れ」
『えぇ』
サカキは三人に言った。
「ここにいて。絶対動かないで」
「はい」
「分かりました」
「お気をつけて」
サカキは止まったニムラたちの間を抜け、赤い扉の前へ立った。
向こうから低い駆動音が聞こえている。
「やるよ」
一歩下がり、扉へ蹴りを叩き込む。
大きな音とともに、扉が内側へ倒れた。
その向こうに廊下はなかった。
壁一面に古い表示板が並び、病棟図の上で無数の人型の印が点滅している。
中央では、大型の制御盤が回り続けていた。
「ニムラ」
『なんだ』
「制御盤だ」
『当然だ』
サカキは倒れた赤い扉を跨いだ。
『表示は読めるか』
「第七病棟、非常避難経路展開装置。通路を複製して、避難者を分ける設備みたい」
『現在の表示は』
「展開経路十三。避難対象、三十一名」
『本物は五人だ』
表示板の端で、警告が点滅していた。
《出口前滞留人数超過》
《経路再配置を継続します》
「写し身も避難者と数えてるっぽいな」
『なるほど。移動するたび写し身が増える。人数が増えたから、また別の経路へ戻す』
『それで、何度進んでも出られなかったんですね』
サカキが操作盤を見下ろした。
《経路再配置停止》
「停止あるよ」
『待て。停止した場合は』
「現在展開中の経路は保持したまま、再配置だけ止める」
『内部の位置は変わらないな』
「うん」
『もう一度確認してから停止だ』
「了解」
サカキは表示を読み直し、レバーへ手を掛けた。
「じゃあ止めるよ」
『ああ』
レバーを下ろす。
制御室の駆動音が低くなった。
表示板に重なっていた人型の印が、一つずつ消えていく。
廊下のニムラたちも、時間差で輪郭を失った。
「停止だ」
「停止」
「止だ」
「だ」
声だけを残し、順番に消えていく。
やがて、人型の印が五人だけになった。
《経路再配置を停止しました》
『位置反応、固定されました。新しい反応もありません』
『サカキたちは』
『班長の右手側です。一つ前の角でつながっています』
『了解』
ニムラは縄を確かめ、イチノセの誘導に従って戻った。
角を曲がると、倒れた赤い扉の向こうにサカキたちがいる。
「ニムラ?」
「本物だ。イチノセ」
『班長の反応、一つです。内部も五名に戻りました!』
「良かった」
ニムラは腰から伸びる縄を持ち上げた。
「何が」
「意外と多いからな、ニムラ」
「ずっと一人だ」
「これをたどる。全員、離れるな」
一行は一本の縄に沿って進んだ。
今度は位置が飛ぶことも、廊下が変わることもなかった。
やがて入口の明かりが見える。
『こちらからも確認できました!』
五人が病棟を出る。
「五人、確認しました」
イチノセが端末に記録した。
カップルは簡易柵の前へ座り込んだ。
「あの、ありがとうございました」
「後日、確認書類への記入をお願いします」
管理人が作業着の埃を払う。
「いやあ、怖かったですねえ」
女がゆっくりと管理人を見た。
「最初、わざと怖がらせてましたよね」
「……暗かったですからね」
「答えになってませんよ」
ニムラは入口へ続いていた縄を外した。
「管理人」
「はい」
「次から侵入者を見つけたら、すぐ外へ出してください」
「はい。もちろんでございます」
「見守ったりせずに」
管理人は黙った。
カップルが同時に見る。
「……はい」
ニムラは旧第七病棟を見上げた。
内部反応はゼロ。経路の再配置も始まっていない。
「救助完了」
「了解しました」
第七病棟の前に、静かな夜が戻っていた。
◇
マミヤが詰所へ来ると、ニムラは事件報告書を開いた。
サカキは机へ突っ伏し、イチノセは回収した記録を整理している。
「おはよう、お疲れさま。原因分かった?」
「第七病棟の非常避難経路展開装置です」
「うん? 全然わかんなかった」
「避難者を空いている通路に振り分ける装置ですね」
「それで、大量ニムラくんが生まれたの?」
「……はい。それを繰り返して、写し身が増えました」
「なるほどねえ。大量ニムラ集団による出口占拠事件かあ」
「違います」
「魔物化はしてなかったのね」
「はい。自己保存は確認されていません」
「じゃあ、自己調整が暴走しただけか」
マミヤは画面を下へ送った。
「赤い扉は?」
「制御室の扉です。最初の警告も、避難者を近づけないための表示です」
「制御室ってよくわかったねえ」
「改修前の図面と一致しました。一〇八号室の隣が制御室だったので」
「それで蹴らせたの?」
「鍵でも開かなかったので」
「へー」
「あと、靴を履いていたので」
「なら問題ないか」
サカキが机へ突っ伏したまま、片手だけ上げた。
「ルールは守るべきじゃないかなあ」
「開いたんで」
「うん、昔のルールだしね」
「鏡は?」
「傷です」
サカキが顔を上げずに答えた。
「傷があっただけでしたー」
「それも良かったねえ」
マミヤの指が止まった。
「これは?」
画面には、カップルが撮影した写真が表示されている。
《管理人を信用するな》
「登録された文章ではありません」
ニムラが答えた。
「外部からの入力記録もなし。案内板には、文章を自動生成する機能もないそうです」
「……じゃあ、これはまだ分からない?」
「それだけ、まだ分からないんです」
イチノセが答え、ニムラは報告書に一行追加した。
「ええ、だから本物です」
《当該表示器は、避難設備とは別件として回収する。》
イチノセが嫌そうに顔を上げる。
「やめてくださいよ」
「……こわあ」
マミヤが画面を閉じた。
「ん。じゃあそれ出したら、今日はもう帰っていいよー。朝までありがとね」
「はい」
ニムラは報告書を提出し、椅子へ深く座った。
両腕を上げ、大きく伸びをする。
「やっと終わった……」
サカキが顔を上げる。
「飯の時間だ」
ニムラは伸びをしたまま、サカキを見た。
「はい。肉の時間です」
そのままイチノセへ視線を移す。
イチノセは不思議そうな顔をした。
「あ、僕も行きます!」
「よし」
ニムラは頷いた。
◇
駅前の二十四時間営業の焼肉店には、朝の早い時間にも何組か客がいた。
店先でニムラは、顔の前へ流れてきた煙を魔法で軽く散らした。
「なんか、煙たいですね」
「肉屋だからな」
サカキが答えた。
後ろを、イチノセがついてきていた。
「その、酒とか飲んじゃっていいんですかね?」
「ああ、今日はもうない。あったとしても第4か第5に回される」
ニムラはそう言ってから、店の中へ入った。
四人用の席に通される。サカキは座るなりメニューを開いた。メニューを見たイチノセが呟いた。
「おおお、結構高いですね……」
「ニムラが全部払ってくれるさ、なあ?」
「払いません。自分の分は払ってください。イチノセはいけるか?」
「あ、まあ」
ニムラは注文用の端末を取った。
「よし、何飲みます?」
「いつもの」
「イチノセは?」
「え、えっと……ハイボールで」
「肉は適当に頼むから、あとは好きに頼んで」
ニムラは画面を操作し始めた。サカキが横から覗き込む。
「手慣れてんな」
「一人で来ることもありますからね」
「へえ」
「何ですか」
「いや。家で適当なもの作ってんのかと思ってた」
「肉、美味いですから。作るのも面倒だし」
イチノセがボソリと言う。
「リッチだな……」
注文を終えると、サカキが網の下を覗き込み、指先を近づける。
小さな火が灯り、炭へ燃え移った。
「そんな面倒なことしなくても」
「炎使いはかっこいいだろ」
「……一理ありますね」
サカキは満足そうに手を引いた。
イチノセが箸袋を指でいじる。
「今日の現場、その、結構怖かったです」
「どの辺? 管理人が二人いたところ?」
「班長が大量に出てきたところです」
「ああ、あれは俺も怖かった」
「ちょっと焦っちゃって、すみません」
「いいよ、別に」
ニムラはテーブルの端に置いた端末を、脇へ寄せた。
「……幽霊、出てきたら良かったのに」
「えぇ」
最初の皿が運ばれてきた。
サカキが箸を取るより先に、ニムラが網へ肉を置く。
「イチノセ」
「はい」
「次に緊急が来ても、『三十秒後くらいに出れます』は送らなくていい」
イチノセの手が止まった。
「すみません」
「いい。『あ』で済ませる人もいるんだ」
「ふっ、あ、はい!」
サカキが焼けた肉をひっくり返した。
「起きてるって分かれば充分だろ」
ニムラはサカキが焼いている肉へ箸を伸ばして取った。
「あ、俺が育ててたやつ!」
「関係ないでしょ」
「僕ですよ、それ頼んだの」
第一章 完