スキル(笑)ってとんでもないね……~うちを笑った相手が死ぬんですが、これはうちのせい?~ 作:tuna&mayo
最初に笑った男子まで、三歩もなかった。
前へ流れる視界の中で、男子の顔が近づく。
瞳が大きくなり、笑っていた口が閉じ、首がわずかに後ろへ逃げようとする。
そこまで見えた。
なのに、右腕だけが止まらない。
いや。
間に合わなかったのは、凪沙の意思の方だった。
「え」
拳が頬へ触れ、骨へ衝撃が伝わった。
男子の身体が横へ飛び、石床へ肩から落ちる。
凪沙の身体は、その結果を確かめるより先に次へ向いた。
「……待って」
《敵性対象:残存5》
五人。
さっき笑っていた人数と一致する。
最初の男子。
もう一人のクラスメイト。
若い貴族。
兵士二人。
凪沙は視界の表示と顔を順番に照合した。
「笑った人?」
《肯定》
「……それで殴るの?」
《敵性行動を開始》
「笑っただけだけど」
返答はない。
凪沙の身体が低く沈んだ。
右。
若い貴族が後ずさる。
「な、なんだ……!」
その前にいた兵士が槍を構えた。
槍先、右肩、踏み込む足。予備動作から突きまで、速い。
けれど、見えないほどではない。
身体が半歩横へ滑った。
槍が脇を通る。
同時に凪沙の左手が柄を掴んだ。
《槍術を使用》
「……借りたやつか」
引く。
兵士の重心が前へ崩れたところへ、凪沙の右脚が入る。
身体がくの字に折れ、肺から空気が抜ける音がした。
槍が手から離れる。
凪沙の身体は拾わない。
そのまま兵士を越えた。
笑っていたもう一人の兵士。
「止まれ!」
剣。
右上から斜め。
凪沙の身体が下へ潜る。
《剣術を使用》
誰の剣術かは分からない。
けれど動きだけは妙に滑らかだった。
兵士の手首を掴んで捻る。落ちた剣をそのまま拾い上げ、一閃。
血が飛んだ。
「……え」
首ではない。
肩口。
深い。
兵士が倒れる。
赤いものが床へ広がっていく。
胸は動いている。
呼吸あり。
「殺してない?」
《対象戦闘能力:低下》
「そういう感じ?」
次の瞬間。
背後から炎。
視界の端が赤く染まった。
《火球を検知》
身体が勝手に振り返る。
手が上がる。
《結界》
透明な膜。
火球がぶつかり、弾けた。
熱風。
ローブ姿の男が杖を構えている。
笑っていた人物ではない。
「……あれ?」
《新規敵性対象を確認》
「増えるんだ」
ローブの男は青ざめていた。
「捕らえろ!」
声が響いた。
王太子だった。
笑ってはいない。
さっきまでの余裕も消えている。
「これ以上、好きにさせるな!」
兵士たちが動いた。
凪沙を囲む。
槍。
剣。
盾。
笑っている者はいない。
凪沙を殺そうとしているというより、止めようとしているように見えた。
「……まあ、そうなるよね」
《敵性対象:追加》
「追加しなくていいんだけど」
《攻撃を検知》
「聞いてないなぁ」
三本の槍。
一斉。
凪沙の身体が跳んだ。
頭上。
高い。
人間の跳躍じゃない。
《身体強化》
《加速》
加算された能力。
誰かの筋力。
誰かの速度。
誰かの身体強化。
重なっている。
天井近くまで上がった視界から、広間全体が見えた。
兵士。
王。
王太子。
アリシア。
クラスメイト。
逃げる者。
伏せる者。
動けない者。
凪沙だけが空中にいる。
「……高」
落ちる。
いや、落下ではない。
身体が狙いをつけている。
王太子。
「そこは違うでしょ」
《敵性対象》
「止めようとしてるだけじゃん」
《敵性対象》
「融通きかないなぁ」
返事なし。
王太子が剣を抜いた。
逃げない。
凪沙を見上げる。
「来い!」
声は震えていなかった。
剣に光が集まる。
王太子の剣へ、魔力が層になって重なっていく。剣術と魔法を同時に使う攻撃。
「……魔法剣、かな」
王太子が剣を振るう。光の刃を、凪沙の身体は空中で捻れてかわした。
頬を掠めた光が熱い。着地した床が割れ、その瞬間にはもう王太子が踏み込んでいた。
速い。さっきの兵士よりずっと。
一撃目を避け、二撃目を拾った剣で受ける。刃が軋む。
三撃目。王太子の右肩が沈み、腰がわずかに回る。剣を戻す位置と踏み込む足まで見えた。
次が分かった。
「右」
口に出した直後。
本当に右から来た。
自分で避けたわけではない。
身体はまだ勝手に動いている。
それでも、来ること自体は身体より先に分かっていた。
凪沙の身体が左へ抜ける。
腹部が空く。
剣が入った。
「あ」
王太子の身体が止まった。
剣先は腹を貫いている。
凪沙が止めたわけではない。
抜く。
血。
王太子が膝をついた。
王太子の胸は、もう動いていなかった。
「兄様!」
アリシアの声。
凪沙の視線がそちらへ動く。
アリシアは笑っていない。
武器も持っていない。
《非対象》
身体は向かわない。
アリシアは王太子へ駆け寄った。
「兄様!」
凪沙はその背中を見る。
「……やっぱ笑ったかどうかは関係あるんだ」
《肯定》
「でも、攻撃されたら増やす」
《自己防衛》
「過剰じゃない?」
《否定》
「そ」
王が立ち上がった。
「衛兵!」
声が広間を打つ。
「娘を下がらせろ! 全員で止めよ!」
王は逃げない。
アリシアの肩を兵士へ押しやる。
「お父様!」
「下がれ!」
王の手には杖。
王冠の下、顔色は悪い。
それでも凪沙から目を逸らさない。
「そなたが望んでこうなったのではないのかもしれん」
凪沙は瞬きをした。
王は続ける。
「だが、これ以上我が民を傷つけさせるわけにはいかぬ!」
「うん」
それはそうだと思う。
凪沙自身も止まってほしい。
「うちも、止まりたいんだけど」
王の表情がわずかに変わった。
「ならば止まれ!」
「できない」
答えた瞬間、左右から光と風、鎖の魔法が飛んだ。
凪沙の身体が反応する。
《結界》
《加速》
《剣術》
《火球》
同時。
「……忙しいなぁ」
光を弾き、鎖を避け、風を切って火球を返す。
返された炎が柱へ当たって爆発し、石片と悲鳴が広間へ散った。その間を凪沙の身体が走る。
王の前へ出る直前、杖を上げた王との間へ兵士が次々に入った。
一人を斬り、次を避け、蹴り、突く。
視界の端では、最初に笑った者も、後から武器を向けた者も、同じ表示になっていた。
《敵性対象》
凪沙の前で、人が倒れていく。
自分の手で。
自分の脚で。
自分の身体で。
でも、選んでいない。
そのうち一人が、床へ仰向けに倒れた。
胸が動かない。
首筋にも動きがない。
凪沙は横を通り過ぎながら、それを見た。
死んでいる。
「……死んだ」
《敵性対象:減少》
それだけだった。
目の前の人間が怖がっているのは分かる。
死にたくないのも分かる。
なのに、胸の奥は妙に静かだった。
「……普通、もっと怖いのかな」
《質問意図不明》
「聞いてない」
王の魔法が来る。
青白い光。
凪沙の身体が避ける。
王へ接近。
杖を払う。
王がよろめく。
次の一撃。
胸。
剣が入る。
深い。
王が息を吐く。
「……アリ、シア」
崩れる。
王の胸も、二度とは動かなかった。
「お父様!」
アリシアの声。
凪沙は振り返らなかった。
身体が次へ向かう。
「もういないでしょ」
《敵性対象:残存4》
「まだいるんだ」
奥。
逃げている兵士。
ローブ姿の魔術師。
若い貴族。
最初に笑った、もう一人のクラスメイト。
「……あ」
最後の一人を見た瞬間だけ、凪沙の思考が止まった。
同じ制服。
教室で何度か話したことがある。
名前も知っている。
男子は尻もちをついていた。
「佐倉」
声が震えている。
「待って」
身体は止まらない。
「俺、悪かったって」
「ん」
「笑ったの謝るから!」
「うん」
「だから……!」
凪沙は自分の右腕を見る。
剣。
上がる。
「止まって」
止まらない。
「ねえ」
《敵性対象》
「もう笑ってないよ」
《登録済み》
凪沙は視界の文字を見る。
男子を見る。
口元はもう笑っていない。
顔色は白い。
目には涙が浮いている。
それでも表示は変わらない。
「……解除できない?」
《排除完了まで継続》
「もう敵じゃないでしょ」
《登録済み》
男子が後ろへ下がる。
石床に手をつく。
「佐倉、頼む」
右腕は上がったまま。
凪沙には、剣の刃まで見えている。
照明を反射する白い線。
男子の喉が動く。
息を吸った。
そこまで見えた。
なのに。
凪沙の意思だけが、やっぱり間に合わない。
「……ごめん」
剣が落ちた。
音。
赤。
男子の身体が床へ崩れる。
凪沙は最後まで見ていた。
胸が動かなくなるところまで。
《敵性対象:残存3》
「……そっか」
それからは早かった。
三人。
二人。
一人。
ゼロ。
最後の対象が倒れた瞬間。
身体から力が抜けた。
「わ」
凪沙は一歩よろけた。
急に身体が軽い。
いや。
元に戻っただけだ。
加算されていた力が消えた。
剣が手から落ちる。
金属音。
広間は静かだった。
火の音。
呻き声。
遠くで誰かが泣いている。
《敵性対象:残存なし》
《処理終了》
凪沙は自分の手を見た。
血。
「……これ」
一度、言葉を止める。
「うちがやったことになる?」
《身体使用者:佐倉凪沙》
「そういう意味じゃないんだけどなぁ」
殺そうと選んだのは凪沙ではない。
身体を使われたのは凪沙だった。
そして、目の前の死者は消えない。
三つは同じではない。
どれか一つだけにして考えることもできなかった。
返答はなかった。
凪沙は周囲を見る。
生きている者はいる。
一緒に召喚された十一人のうち、生きているのは四人。
例のオタク男子も、柱の陰で座り込んでいた。
顔色は真っ青だった。
凪沙と目が合う。
「…………」
「…………」
オタク男子の口が動く。
「ほら……」
声が掠れた。
「だから言ったじゃん……」
「うん」
「笑うなって……」
「詳しいね」
「今それ言う!?」
叫んだ直後、自分で口を塞いだ。
凪沙は少し考える。
「笑ってないから大丈夫だと思う」
「そういう問題!?」
アリシアは床に膝をついていた。
王太子の傍。
王も少し離れた場所に倒れている。
王太子の胸は動いていない。
王も同じだった。
アリシアは一度に、父と兄を失っていた。
アリシアは凪沙を見た。
泣いている。
でも笑っていない。
当然だった。
凪沙は何か言おうとした。
何を言えばいいのか分からない。
謝る。
たぶん、こういう時はそれが正しい。
「……ごめん」
アリシアは答えなかった。
凪沙も、それ以上は言わなかった。
左側の扉の向こうから足音が増えている。
増援。
この場に残れば、また攻撃される。
そうなれば、今の何かがまた動くかもしれない。
「……それは面倒だなぁ」
凪沙は壁際へ目を向けた。
外套と使用人らしい服。出口。生き残っているクラスメイト。アリシアと、倒れた人間。
順番に見て、今度は自分で動いた。
「佐倉?」
オタク男子が呼ぶ。
「どこ行くんだよ」
「逃げる」
「逃げるって……!」
「また来たら動くかもしれないし」
男子が黙った。
凪沙は血のついた制服を見る。
「目立つなぁ」
それが最初の問題だった。