スキル(笑)ってとんでもないね……~うちを笑った相手が死ぬんですが、これはうちのせい?~ 作:tuna&mayo
安全な切断窓が閉じるまで、数時間。
その時間を使うため、凪沙たちはいつもの部屋へ戻った。
いつもと違うのは、ココが喋らないことだった。
いつもの場所へ座り、両手を膝に置いている。
凪沙も向かいへ座った。
「希望から」
ココが顔を上げる。
「さっき、別々に考えるって言ったから」
「……はい」
「ココは?」
聞かれて、ココはすぐには答えなかった。
「マスターに生きてほしいです」
「それは希望じゃなくて、目的」
「では」
ココは膝の上で指を握る。
「一緒にいたいです」
声が少しだけ震えた。
「ダンジョンをもっと大きくしたいです。罠も増やしたいですし、次こそ威厳ある玉座も置きたいです」
「玉座はいらない」
「そう言うと思いました!」
少しだけ、いつもの声が戻る。
「でも、それでマスターが壊れるなら、切ってほしいです」
希望と判断が、同じではない。
凪沙はそれをそのまま受け取った。
「エミは」
『私は三者の生存を希望します』
「できる?」
『現時点では、保証できません』
「うちが帰るなら?」
返答まで、わずかに間があった。
『帰還のための切断を補助します』
「エミも離れるかもしれないのに」
『はい』
「嫌じゃない?」
『嫌悪という語が適切かは不明です。ただし、その結果を望んではいません』
エミは凪沙の代わりに結論を出さない。
凪沙が選ばない答えまで、残している。
ココが棚から、あの石板を取った。
エミが自分の判断を残すために選び、三人で使い始めた板だ。
「何を書くの」
「念のためです」
ココは痛む手をゆっくり動かした。
管理者応答が消えた時の停止箇所。コア出力を最低まで落とす順番。外から開けられる扉。
次に並んだのは、食料庫の場所と、飲み水を得られる区画だった。
『第三項を訂正してください。排水路の停止より先に、換気経路を開放する必要があります』
「わたくしがいなくなった後の話に、細かいです」
『いないことと、誤記を許容することは別問題です』
「では、エミさんも書いてください」
板の下半分へ、光の文字が現れる。
凪沙の呼吸と体温に異常がある時の優先順位。救助を求めるまでの条件。判断できない場合は、不明のまま伝えること。
ココが、その最後だけ二度読んだ。
「エミさんがいなくなったら、わたくしが同じ判断をすればいいですか」
『いいえ。私の代わりをする必要はありません』
「できませんし、しません。わたくしはわたくしですので」
『その回答を推奨します』
エミはココに自分の判断を真似させず、ココも「わたくしはわたくしです」と返した。
凪沙はココから記録板を受け取った。
「一行、足す」
空いている場所へ書く。
――三人分を、一人で決めない。
「マスター。字が曲がっています」
「ココの板が傾いてるから」
「板の責任にしないでください!」
『記録内容は判読可能です』
「エミさんは字の美しさも評価してください!」
声が重なった。
凪沙は板を消さず、いつもの棚へ戻した。
◇
帰還の選択肢は本物だった。
生存していた四人は、すでに元の世界へ戻っている。
切断に成功し、帰還儀式の準備をすれば、凪沙も戻れる可能性が高い。
帰れないから、ここにいるしかない。
その逃げ道は、もう使えない。
凪沙は部屋を出た。
考える時は、一人の方が速い。
エミも、呼ぶまで話しかけてこなかった。
廊下には、昨日ココが置き忘れた工具がある。
右の壁には、初心者用の罠へ変更した時の継ぎ目。
食料庫には、エミとココが勝手に分けた棚がある。凪沙用、ココ用、緊急用。
区分名だけはエミが決めた。
帰った後の朝を想像する。
静かな部屋。
誰にも話しかけられない。
好きな時間に起きて、好きなものを食べる。
たぶん、生きるだけなら困らない。
凪沙は元々、一人で生きられる。
罠の相談はない。
費用を巡る言い合いもない。
眠りすぎだと記録されることもない。
効率だけなら、悪くない。
「……嫌だな」
廊下で、凪沙は自分の声を聞いた。
静かなことが嫌なのではない。
この二つの声がなくなることが嫌だった。
◇
ココの顔立ちが、昔の誰かに少し似ていると思ったことがある。
最初は、それが目に留まった理由だったかもしれない。
でも、似ているだけだった。
昔の誰かは、ダンジョンポイントで髪留めを買おうとはしない。
罠の威厳について一時間も主張しない。
転んだ直後に床の設計へ抗議もしない。
今、失いたくないのは、記憶の中の誰かではない。
今日まで隣にいた、ココだった。
エミも同じだった。
便利だからではない。
命令と違う答えを返し、不明を不明と言い、たまに記録の削除を拒む存在。
戻る世界に、その二人はいない。
凪沙は部屋へ戻った。
◇
レオンたちも来ていた。
セシリアは切断術式を準備している。
クロエは三本の杭を、いつでも抜ける角度へ直していた。
全員、凪沙の答えを急かさない。
「決めた」
レオンが顔を上げる。
「聞かせてくれ」
「帰還は、今は選ばない」
ココが立ち上がりかけ、痛みに顔を歪めた。
凪沙は先に肩を押さえる。
「座って」
「ですが、マスター」
「帰れないからじゃない」
凪沙はココと、エミの声がする場所を順に見る。
「二人との時間を、なくしたくないから」
ココは唇を結んだ。
泣きそうな顔をしたが、凪沙へ抱きつきはしなかった。
「わたくしも、一緒にいたいです」
『私も、関係の継続を希望します』
同じ返答が記録板にも浮かぶ。
「でも」
凪沙は続ける。
「同じ答えにしろ、とは言わない。切る方がいいと思うなら、それも聞く」
『私は正規経路の探索を継続します。切断期限までに発見できない場合、再判断を提案します』
エミの答えは、凪沙の希望へ迎合しなかった。
「それでいい」
レオンがゆっくり息を吐く。
「残る選択は受け取った。ただ、危機は別だ」
「分かってる」
「帰還しないと決めたから、接続が安全になるわけじゃない」
「うん」
凪沙は、帰還とは別に危機へ向き直った。
その瞬間。
コアルームの光がすべて消えた。
◇
「ココ」
返事がない。
一拍遅れて、床の奥から悲鳴が上がった。
「ぁ――っ」
凪沙の視界へ、知らない記憶が流れ込む。
暗い洞窟。
初めて侵入者を待っていた、誰もいない時間。
ココの記憶だ。
同時に、ココが凪沙を見る。
「マスターの、部屋……?」
凪沙の記憶も、向こうへ漏れている。
【本固定波を検出】
【予測最短値より早く到達】
エミの声にも雑音が混じった。
レオンたちは、凪沙の選択が原因だとは言わなかった。
すでに進んでいた時間が、ただ尽きた。
「セシリア」
「安全切断窓が閉じ始めています!」
レオンが剣へ手をかける。
ココは床へ手をついたまま、凪沙を見た。
「切って、ください」
今度の声は、小さくてもはっきりしていた。