スキル(笑)ってとんでもないね……~うちを笑った相手が死ぬんですが、これはうちのせい?~ 作:tuna&mayo
王都の灯りが見えなくなった頃、凪沙は一度だけ振り返った。
王都はもう遠く、追手らしい明かりも足音もない。
だから、そのまま前を向いた。
街道は使わなかった。
歩きやすい代わりに、人も通る。
凪沙は木々の間を選んだ。
地面は湿っていた。草の倒れ方と折れた枝、その先に残った足跡を見る。大きく、しかもまだ新しい。
「こっちはやめとこ」
進路をずらす。
しばらく歩くと、水音が聞こえた。
小さな沢。
水は透明だった。上流側に死骸は見えず、臭いもおかしくない。
けれど、そのまま飲むのはやめた。
「……煮たいな」
火を起こしたい。でも道具がない。食料も金もない。
王城から持ってきたのは、借りた服と水袋くらいだった。
「準備不足」
誰に言うでもなく呟く。
視界は静かだった。
王城で何度も現れた文字も、今はない。
「ねえ」
反応なし。
「《笑》」
《応答待機》
「いるんだ」
《接続継続中》
「ずっと?」
《消失条件:不明》
「そっかぁ」
それ以上、聞くこともなかった。
日が落ちる前に、雨を避けられそうな木を見つける。
地面を見る。虫はいるが多くなく、湿気はあるものの獣の痕跡も目立たない。問題は少ない。
枝と落ち葉を寄せた。
立派な寝床にはならない。
横になれるだけで十分だった。
《周辺危険判定を開始》
「頼んでないけど」
《潜在脅威を確認》
「まだ何もいないでしょ」
《潜在的危険は存在します》
「その基準だと全部敵にならない?」
一拍。
《判定基準の修正を検討》
「……喋れるんだ」
《学習を継続中》
「ふうん」
凪沙は目を閉じた。
王城。スラム。知らない森。
今日だけで、ずいぶん場所が変わった。
眠気の方が勝った。
「おやすみ」
《周辺警戒を継続》
「便利」
その夜、凪沙は普通に眠った。
翌朝。
「……お腹すいた」
《生体活動維持のため栄養摂取を推奨》
「食べ物ある?」
《ありません》
「知ってた」
水だけ飲む。
空腹は消えない。
森の植物は知らないものが多い。
地球のものに似ていても、同じとは限らない。
分からないものは食べない。
それだけ決めて歩いた。
日が傾き始めた頃には、腹が鳴った。
「うるさい」
《生理現象です》
「知ってる」
その時。
木々の向こうから車輪の音がした。馬の蹄と、複数の人声も聞こえる。
凪沙は止まった。
街道が近い。
茂みから覗く。
荷馬車が二台。
武装した男は六人。剣と弓。全員、革鎧を着ている。
後ろの荷車には人が乗せられていた。
いや。
乗っているというより、つながれている。
手首に鎖。
首輪。
子どももいる。
「……奴隷?」
《定義情報不足》
「だよね」
断定はしない。
ただ、自由に移動できる状態ではない。
凪沙はそのまま通り過ぎることも考えた。
武装した男は六人。食料らしい荷物もある。縛られた側は十人前後。
正面から相手をするなら面倒。
でも、《笑》が発動するなら話は別だった。
そう見ている間に、荷車の一人と目が合った。
若い女。
頬に痣。
凪沙を見る。
目を見開く。
「……助けて」
小さい声。
隣の男が気づいた。
「あ?」
女が身を縮める。
武装した男が凪沙の方を見る。
「なんだ。ガキか」
ほかの男も振り返った。
六人。
全員の視線が来る。
凪沙は茂みから出た。
「その人たち、何?」
「何って?」
男が笑う。
「買う気でもあんのか?」
「何を?」
男が親指で荷車を示した。
「そいつらだよ」
凪沙は荷車を見る。手首には鎖が残り、怪我もある。水も十分には与えられていないらしい。
「売るの?」
「そうだよ。お前も売ってほしいのか?」
笑い声。
視界に文字は出ない。
まだ、凪沙への嘲笑ではないらしい。
荷車の女が、もう一度口を開く。
「お願いします」
男が肩をすくめた。
「誰も助けねえよ」
別の男が凪沙を見る。
「まして、こんな細っこいガキが何するって?」
男は荷車ではなく、凪沙の顔を見て笑った。
《嘲笑を確認》
「……あ」
《対象登録開始》
凪沙は男を見る。
「それ、やめた方がいい」
「何が?」
「笑うの」
「は?」
男たちが顔を見合わせた。
「頭おかしいのか?」
また笑う。
《対象登録完了》
「……だから」
身体の奥で何かが切り替わる。
肩から余計な力が抜けた。重心が少し落ちる。
次に動くための姿勢へ、身体が勝手に整っていく。
「ねえ」
《応答》
「捕まってる人には当てないで」
《保護対象として設定》
「鎖、外せる?」
《可能》
「馬も殺さないで」
《保護対象へ追加》
凪沙は荷車を見る。
袋。水樽。毛布。食料箱。
「荷物も壊さないで」
《保護対象へ追加》
「捕まってる人を盾にされたら?」
《保護対象の生命を優先し、敵性対象への処理方法を変更します》
「うちが一つずつ言わなくても?」
一拍。
《提示条件を基準に、状況ごとに判断します》
単なる自動処理なら、指定された対象を除外するだけで終わる。
今の返答には、条件が衝突した時に、声の主が自分で選ぶ余地があった。
王城では、こんなふうにこちらの条件を聞かなかった。
少し待つ。
拘束された人間には敵性表示がない。馬にもない。
「ちゃんと分かってる?」
《確認済み》
「……じゃ、よろしく」
《処理を開始します》
身体から、自分で動かせる感覚が抜けた。
「あ。やっぱこうなるんだ」
「何ぶつぶつ言ってんだ?」
男の一人が近づいてくる。
剣にはまだ触れていない。
凪沙を警戒しているというより、面倒な子どもを追い払うような歩き方だった。
「さっさと消えろ」
手が伸びる。
肩を掴もうとした。
その瞬間。
凪沙の身体が動いた。
「え」
伸びてきた手首を取る。捻る。身体を入れ替える。
「うおっ!?」
男の足が地面から離れた。
背中から街道へ落ちる。
鈍い音。
男が息を詰まらせる。
《対象1:戦闘能力低下》
「……容赦ないね」
《必要範囲です》
「てめえ!」
そこで初めて、残りの男たちの手が武器へ伸びた。
剣。弓。
一人が荷車の前へ回る。
「囲め!」
《敵性行動を確認》
「増えた?」
《登録済み対象と一致》
「そっか」
剣が抜かれる。
今度は、本当に戦闘だった。
男が踏み込む。
凪沙の身体はそれより早く前へ出た。
一撃を外し、懐へ入る。そのまま肘を腹へ入れると、男の身体がくの字に折れた。
落ちた剣は拾わない。
「殺さないんだ」
《現時点では殺傷を優先する必要性を認めません》
「えらい」
《評価を記録》
「そこは記録するんだ」
次の矢が来る。身体が半歩ずれ、矢は頬の横を通り抜けた。そのまま弓を持った男へ向かう。
景色だけが後ろへ流れていく。
凪沙には、自分で走っている感覚がなかった。
「……やっぱ変な感じ」
《処理継続中》
それからは早かった。殴り、避け、投げる。武器を落とさせ、隙を見て鎖も外していく。
凪沙の意思はずっと残っている。
ただし、身体は一度も返ってこなかった。
最後の男が地面へ倒れる。
《敵性対象:残存なし》
《処理終了》
「わ」
身体の感覚が戻る。
凪沙は一歩よろけてから、自分の手を握った。
「……終わった?」
《処理完了》
拘束されていた人々は、鎖の外れた手首を押さえながら凪沙を見ている。
誰も近づいてこない。
そりゃそうだと思う。
凪沙は男たちの呼吸を確認した。
生きている者もいる。動かない者もいる。
もう夕方だった。
腹も減っている。眠い。
少し離れた木の根元を見る。
「じゃ、うち寝るね」
「……え?」
誰かの声がした。
周囲へ背を向け、意識のない時間を預ける。
凪沙はそれを信頼とは呼ばなかった。
ただ、この声なら先ほどの条件を守ると計算して、眠る方を選んだ。
凪沙は上着を丸め、頭の下へ置いた。
「何か来たら教えて」
《承知》
目を閉じる。
周囲の人間が何か話している。
聞き取る前に、眠気の方が勝った。
目を覚ました時、空は明るかった。
鳥の声。
風。
血の臭い。
「……いる?」
返答は、視界へ文字が浮かぶより先に頭の中へ届いた。
『はい』
文字を読んだ、という感じではない。
声に近い。
でも耳から聞こえたわけでもなかった。
「……喋った?」
『以前から応答しています』
「もっと機械っぽかった」
『学習結果です』
「ふうん」
起き上がる。
街道。
男たちは倒れていた。
動いていない者もいる。
荷車の鎖は外れている。
でも。
誰もいない。
「捕まってた人は?」
『全員生存しています』
「どこ?」
『夜明け前に北東方向へ移動しました』
「……逃げた?」
『はい』
「なんで?」
『あなたを恐れていました』
凪沙は倒れている男たちを見る。
次に自分を見る。
「まあ、そうなるか」
昨日も、子どもに逃げられた。
今度は十人近くまとめて逃げたらしい。
「……またか」
【類似事例を確認】
「数えなくていい」
荷車へ近づく。
食料箱を開ける。乾いたパン、燻製肉、水。荷台には毛布も残っていた。
「これ、もらっていいかな」
『所有者は全員死亡、または戦闘不能です』
「……あんたがやったんだけど」
『はい』
「そっかぁ」
パンを一つ取る。固いが、食べられないほどではない。
一口齧る。
「……おいしい」
『栄養補給を確認』
「そこまで報告しなくていい」
少し離れた場所で馬が草を食べている。
食料がある。
水もある。
毛布もある。
昨日よりはマシだった。
「……順調かも」
『評価基準が不明です』
「うちも」