一週間の領内視察を終えたマケドニア国王オズモンドは、城に到着するなり旅装を解かぬまま真っすぐ王族の居住区画へと向かった。
「ただいまーっ!! おお、皆ここにいたのだな。一週間ぶりに我が家(城)に帰ってきたよ! さあ儂の可愛い天使たちよ、父にハグとキスをしておくれ!」
リビングで寛ぐ我が子たちを見つけ、両手を大きく広げて感動の再会を求める王の姿に、娘二人はそれぞれの反応を見せる。
「おかえりなさい、お父様!」
8歳の末娘マリアがトコトコと駆け寄り、オズモンドの胸に飛び込んで頬にチュッとキスを送る。
「父上……私はもう15だというのに……」
15歳の長女ミネルバは少し呆れたように苦笑しつつも、素直に近づいて父と軽いハグを交わし、彼の頬に唇を掠めさせた。
「おおお……マリア、ミネルバ! 儂の愛しい天使たちよ……! 視察の疲れが一瞬で吹き飛ぶようだぞ!」
二人の娘を抱きしめて目頭を熱くするオズモンド。だが部屋の隅に目を遣った途端、満足感に満ちていた表情が俄かに曇った。
「……もう一人の天使の出迎えがないようだが……」
いつの間にかソファから部屋の隅に移動し、腕を組んで壁にもたれかかっていた第一王子ミシェイルは、心底嫌そうな顔で無言のまま距離を保っていた。一歩も父親に近づく気配がない。
「親父! 俺はもう17だ! 天使だなどと、気持ち悪い!
『視察から無事にお戻りになられて何よりです』
これでいいだろう!?」
「ミシェイル……」
息子の容赦なさすぎる塩対応に、オズモンドの目がうるうると涙で潤み始める。それを見てミシェイルは更にドン引きした。
「そんな寂しいことを言うな……幼い頃は『おとうさま、だっこ!』と言って、儂の膝に登ってきたものを……あの愛らしかったミシェイルはどこへ行ってしまったのだ……!」
「いつの話をしている! 10年以上前の記憶を掘り返すな!」
必死に拒絶する長男と、めげずに距離を詰めようとする父親。そんな二人のやり取りに、ミネルバはどこか遠い目をして呟いた。
「ふむ……父上の過剰なまでの溺愛と、それに反発する長男の相克。ここから愛憎が歪み、やがてクーデターへと発展するシナリオが……?」
「ミネルバ、縁起でもない! 物騒な分析をするな!」
妹の呟きを耳に拾ったミシェイルが振り返り叫んだとき、
「陛下。グルニアからカミュ殿がお見えになりました」
と兵士が伝えに来たため、オズモンド王は渋々、謁見の間に向かったのだった。
グルニア王国の名将と誉れ高い黒騎士カミュ。過去に使者の一人としてマケドニアを訪れたことのある彼だったが今日は一人で、オズモンドが謁見の間に入ると、玉座から伸びる緋色の絨毯に礼儀正しく片膝をついていた。
「待たせたな。何用であるか?」
玉座に鎮座したオズモンドが尋ねる。
「オズモンド王におかれましてはご機嫌麗しく……」
用件に入る前にカミュはとりあえず形式的にそう口にしたのだが、
「ちっとも『ご機嫌麗しく』なんぞないわ!」
彼の挨拶の途中で、オズモンド王はフン! と鼻を鳴らして豪快に玉座でふんぞり返った。
「いかがされましたか?」
「先ほどようやく一週間の視察を終えて帰城したというに、儂の天使の一人が“おかえり”のハグもチューもしてくれなかったのじゃ!」
カミュが顔を上げ眉をひそめて尋ねると、王は豪奢な髭を蓄えた厳めしい顔を不機嫌そうに歪め、叫んだ。
――……ミネルバ王女のことか?
カミュの頭に、面識のある真面目で凛々しい15歳の王女、ミネルバの姿が浮かんだ。年頃の姫君であれば、父親と一定の距離を置きたくなるのもごく自然な心理である。
カミュは穏やかな苦笑を浮かべ、王を宥めるように言葉を紡いだ。
「王よ。ですが年頃になればそれも仕方のないこと……」
「納得できるか! 儂ぁ寂しくて死にそうじゃ!」
オズモンドが駄々をこねるように足をばたばたさせる。そして更に、
「ミシェイルはここ最近、儂に『キモい!』だの『俺に近づくな!』だの……! ああ、幼い頃は自分から抱きついて頬ずりしてきたというのに……っ!」
「………………」
カミュは続いた王の言葉に凍り付いた。
――……いま、何と? ミシェイル……王子……?
もちろんカミュはミシェイル王子とも面識がある。頭の中で17歳の第一王子ミシェイルの冷徹で誇り高い姿と、“おかえり”のハグとチューという言葉が結びつかず、暫し呆然とした。
その後、我に返ったカミュはオズモンド王に用件を話して目的を果たしたものの、衝撃を受けた彼はやや覚束ない足取りで城門へと歩いていた。
そのとき偶然にも書類の束を手にしたミシェイル王子が通りかかった。冷徹な美貌に、鋭い眼光。まさに“アイオテの再来”と噂される若き王子である。
ミシェイルはカミュに気づくと、気さくに話しかけた。
「遠路はるばるご苦労なことだ。……してカミュ殿、なぜそのような、ショックを受けた顔をしているのだ?」
「………………」
『“おかえり”のハグもチューも』
カミュの頭に先ほどのオズモンド王の言葉がリフレインする。そして、カミュは深く溜息を吐いた。
「……ミシェイル王子。……苦労しているのだな」
「は? な、なんだカミュ殿。突然どうしたというのだ」
「いや……何でもない。ただ、あなたの心中をお察しする。……あなたの背負う重圧は、私などの想像を絶するもののようだ」
意味が分からず困惑するミシェイルにカミュは静かに首を横に振り、いとまの挨拶を告げると去って行ったのだった。