推しの子×俺ガイル 〜愛のある世界〜   作:なさちら

3 / 4
おじさん

 

 休日の昼。

 

 窓から差し込む陽射しは穏やかで、平日の慌ただしさが嘘のように、家の中にはゆったりとした時間が流れていた。

 時計の針は正午を少し回ったところ。

 

 テレビからは、休日の昼らしい明るい番組の音が小さく聞こえている。

 俺はリビングのソファに腰を下ろし、職場から持ち帰った資料を眺めていた。

 

 紙をめくる音。

 ペン先が机を軽く叩く音。

 時折、テレビから聞こえてくる笑い声。

 そんな何気ない生活音に囲まれながら、俺は資料へ目を落とす。

 

 産業カウンセラーとして働き始めてから、それなりに時間が経った。

 

 大学で学んだ心理学。

 そこから得た知識や経験。

 そして、自分自身がこれまでに見てきた人間の感情。

 それらを使って、俺は今、誰かの心に向き合う仕事をしている。

 

 皮肉なものだ。

 

 昔の俺は、人付き合いなんて面倒で。

 他人の感情なんて、できるだけ考えたくなくて。

 人間関係そのものを避けて生きていた。

 

 そんな人間が。

 今では、人の悩みを聞く仕事をしている。

 人生とは分からないものだ。

 

 ……まあ。

 自分自身のメンタルケアだけは、未だに専門外なのだが。

 

 人の相談には偉そうに助言できるくせに、自分のことになると途端に判断力が落ちる。

 我ながら、なかなかに救いがない。

 

 それでも。

 この仕事を選んだことを後悔したことはない。

 特に俺が関わることの多い芸能界は、一般的な社会とは少し違う。

 

 表向きは華やかだ。

 

 ステージの上では眩しい照明が輝き。

 観客からは大きな歓声が上がる。

 テレビや雑誌には、笑顔の人間ばかりが映る。

 

 けれど。

 その華やかさの裏側には。

 

 人間関係。

 プレッシャー。

 誹謗中傷。

 期待。

 競争。

 失敗への恐怖。

 人気を失うことへの不安。

 心をすり減らす要素には事欠かない。

 

 だからこそ。

 心理学を学んだことは、無駄ではなかったと思っている。

 

 誰かの人生を直接変えることはできなくても。

 その人が一人で壊れてしまう前に。

 少しだけ隣に立つことくらいはできる。

 そんな仕事だ。

 

 俺が資料を一枚めくった、その時。

 

「パパー!」

「ん?」

 

 階段の方から、元気な声が響いた。

 次いで、ぱたぱたという軽快な足音が近づいてくる。

 そして、階段を駆け下りてきたルビーが、その勢いのまま俺へ飛びついてきた。

 

「パパー!」

「おっと」

 

 反射的に腕を伸ばして受け止める。

 細い体が、そのまま俺の胸へ収まった。

 

「どうした?」

「今日、輝おじさん来るんだよね!」

「ああ」

 

 答えると、ルビーの顔がぱっと明るくなる。

 

「何時!?」

「知らん」

「えー!」

 

 が、再度俺の答えを聞いた瞬間に、その顔が落胆に変わる。

 

「俺が予定を管理してると思うか?」

「パパならしてそう」

「しない」

「絶対してると思ったのに」

 

「俺を何だと思ってるんだ」

 

 少し呆れながら俺は言う。

 

「何でも知ってるパパ?」

「買い被りすぎだ」

 

 ルビーが楽しそうに笑う。

 

 ……そう。

 今日はあいつが来る日だ。

 

 神木輝。

 

 昔は、俺のところへ相談しに来ることが多かった。

 

 芸能界という特殊な場所で、人を愛すること。

 誰かに期待されること。

 自分の感情をどう扱えばいいのか。

 自分自身をどう受け入れるのか。

 色々な話をした。

 

 当時のあいつは、今よりずっと危うかった。

 

 自分の中にあるものを持て余していて。

 それを誰にも見せないようにして。

 それでも、どこかで誰かに分かってほしいと思っていた。

 そんな人間だった。

 

 俺も似たようなものだったから。

 

 だから話を聞いた。

 

 今となっては。

 そんな過去が嘘みたいに、家族ぐるみの付き合いになっている。

 

 しかし。

 あいつには一つ、困った特徴がある。

 

 ――子供に甘すぎる。

 

 特に、うちの子供たちには。

 

「姉さん、朝からうるさい」

 

 声がして、俺が顔を向ける。

 階段を下りてきたアクアが、眠そうな顔をしながらこちらへ歩いてきた。

 

「だって輝おじさん来るんだよ!」

「……まあ、僕も楽しみだけど」

「ほら!」

「何が『ほら』なんだ」

「アクアも楽しみじゃん!」

「それと姉さんが朝から騒ぐことは別だろ」

「むー」

 

 ルビーが頬を膨らませる。

 

 俺はそんな二人を眺めながら、少しだけ笑った。

 

「そんなに楽しみか?」

「うん!」

「まあ...うん」

 

 二人とも、ほとんど同時に頷いた。

 

「……そうか」

 

 それだけ答える。

 

 けれど。

 胸の奥には、少しだけ温かなものが広がっていた。

 こういう光景を見るのは。

 悪くない。

 

⸻

 

 それからしばらくして。

 家の中に、インターホンの音が響いた。

 

 ピンポーン。

 

「あっ!」

 

 ルビーの顔が輝く。

 

「来た!」

 

 次の瞬間。

 玄関へ向かって、弾丸のように走っていく。

 

「おい、廊下走るな」

 

 俺の注意は、すでに遅かった。

 

「輝おじさーん!」

 

 玄関から、元気な声が聞こえてくる。

 

「おおおお! ルビーちゃん!」

 

 それに負けないくらい大きな声が返ってきた。

 

「大きくなったねぇ!」

「先週も会ったよ?」

「先週より大きくなってる!」

 

「そんなわけないでしょ」

 

 アクアが冷静に突っ込む。

 玄関の方から、楽しそうな笑い声が聞こえた。

 

 やがて。

 

「アクア君!」

「こんにちは、輝さん」

「偉い!今日も可愛い!」

「僕、男なんだけど」

「可愛い!」

「…………」

 

 アクアが黙った。

 その表情を想像する。

 

 たぶん。

 俺も今、同じ顔をしている。

 

 呆れ。

 諦め。

 そして、ほんの少しの照れ。

 

 あいつは本当に。

 子供相手になると、途端に甘くなる。

 

 やがて、輝が大きな紙袋を抱えてリビングへ入ってきた。

 

「はい! これ!」

「わぁ!」

 

 ルビーの目が輝く。

 紙袋を受け取るなり、中を覗き込む。

 

「お菓子いっぱい!」

「好きなの選んでいいよ!」

「全部!」

「もちろん!」

 

「ダメ」

 

 俺が即座に遮った。

 

「なんで!?」

「全部食ったら夕飯入らなくなるだろ」

「パパのケチ!」

「親として当然だ」

 

「八幡さん、子供に厳しくないですか?」

 

 輝までこちらへ加勢してくる。

 

「お前が甘すぎるんだよ」

「だって可愛いんだから仕方ないじゃん!」

 

「……輝さん」

 

 アクアが呆れたような顔で言う。

 

「姉さんに甘すぎると、父さんに怒られるよ」

 

 そんなアクアに対し、ヒカルはニヤけながらも何かを渡そうする。

 

「ふっふーん、これを見たらアクア君もそんなこと言ってられないよ?」

「......?」

 

 輝が別の袋を取り出す。

 取り出された袋を見て、アクアが少しだけ首を傾げる。

 

「……何?」

「本」

「……!」

 

 その瞬間。

 アクアの瞳が、ほんの少しだけ輝いた。

 

 分かりやすい。

 ルビーとは別方向に、こいつも十分子供だ。

 

「心理学関係の本。前に興味あるって言ってただろ?」

「......ありがとう」

 

 アクアが本を受け取る。

 表紙を確認する目が、明らかに嬉しそうだった。

 

「あと、これ」

「……何?」

「映画の資料。五反田さんから貰った」

「!」

 

 今度こそ、アクアの表情が明確に変わった。

 

「本当に?」

「ああ。役者やるなら勉強になるぞ」

「ありがとう」

 

 アクアは大切そうに資料を受け取った。

 

 ……なるほど。

 俺にはお菓子。

 アクアには本と映画資料。

 

 ちゃんと、それぞれの好みを把握している。

 単純に子供に甘いだけではないらしい。

 

 まあ。

 甘いことに変わりはないが。

 

「輝おじさん!」

「ん?」

「私にも何かない?」

「もちろんあるよ!」

「やった!」

 

 ……ほら来た。

 

 輝が、もう一つ袋を取り出す。

 その顔には妙な得意げさがあった。

 

「……」

 

 俺は嫌な予感がした。

 

「アイドルのライブチケット」

 

「えっ!?」

 

 ルビーの目が、これ以上ないくらい大きくなる。

 

「今度のライブ、一緒に行こう」

「行く!!」

 

 即答だった。

 

「お前、仕事は?」

「休み取った!」

「早いな」

 

 思わず頭を抱える。

 

 仕事より早い。

 さすが芸能界の人間。

 

 ……いや、褒めている場合じゃない。

 

「……輝」

「何です?」

「娘を甘やかすなとは言わんが」

「はい」

「限度ってものをだな」

 

 俺の話を遮って、ヒカルが言う。

 

「八幡さん」

 

「......何だ」

 

 輝は少しだけ笑った。

 

「ルビーちゃんが笑ってる」

「……」

「それで良くないですか?」

「…………」

 

 ぐうの音も出ない。

 いや、反論しようと思えばできる。

 

 健康管理だとか。

 教育だとか。

 予定だとか。

 親としての責任だとか。

 いくらでも言える。

 

 でも。

 ルビーを見る。

 

 満面の笑顔。

 目を輝かせて。

 両手でチケットを大事そうに握っている。

 

「パパ!」

「何だ?」

「パパも一緒に行こうよ!」

「俺も?」

「うん!」

 

「良いね!八幡さんも行こう!」

「俺まで巻き込むな」

「でも、行くなら家族も一緒の方が楽しいですよ?」

 

「……」

 

 そう言われると弱い。

 俺は小さく息を吐いた。

 

「……分かったよ」

「やったー!」

 

 ルビーがその場で飛び跳ねる。

 アクアも、そんな姉の姿を見ながら少し笑っていた。

 

 ……まあ。

 悪くないか。

 

⸻

 

「みんなー?」

 

 その時。

 リビングの入り口から、聞き慣れた声がした。

 振り返る。

 

「輝くん!」

「アイちゃん!」

 

 アイが嬉しそうに笑う。

 

「久しぶり!また綺麗になったね!」

「先週会ったよ?」

「先週よりも綺麗になってる!」

 

「母さんにもルビーと似たようなこと言ってる……」

 

 アクアが呆れながら言い、それを聞いたアイは苦笑する。

 

 

 輝は昔から。

 アイに対しても、どこか遠慮がない。

 昔のような複雑な感情が、今も残っているわけではない。

 

 今の二人は。

 ただの友人。

 そして。

 家族同然の付き合いをしている友人同士だ。

 

「八幡(パパ)、今日何か予定あった?」

「特には」

「じゃあ、みんなでお昼食べよっか」

「賛成!」

「僕も」

「俺も」

 

「じゃあ決まり!」

 

 アイが手を叩く。

 

 その明るい声につられるように。

 家の空気がさらに柔らかくなる。

 

 四人。

 いや。

 今日は五人。

 テーブルを囲む。

 

 ただの昼食。

 特別な料理が並んでいるわけでもない。

 高級な店でもない。

 

 けれど。

 その時間は、妙に穏やかだった。

 

 ルビーは輝に今日学校であったことを楽しそうに話している。

 アクアは最近読んだ本について話している。

 アイは仕事であった出来事や、スタッフへの愚痴をこぼしている。

 

 俺はそれを聞いて。

 輝は全員に相槌を打って。

 時々。

 

「ルビーちゃん、これ食べる?」

 

 などと言いながら、お菓子を追加しようとして。

 

「食事中だぞ」

 

 俺に止められる。

 

「じゃあ食後に」

「夕飯前に食わせるな」

「八幡さん、厳しいなぁ」

「お前が甘すぎるだけだ」

「でもルビーちゃん、食べたいって」

 

 それを聞いてルビーが立ち上がる。

 

「パパ!」

 

「ダメだ」

 

 しかし、ルビーが何を言うまでもなく、俺は拒否する。

 

「ケチ!」

 

「親だからな」

 

 そんなやり取りする。

 

 どこにでもあるような。

 

 そんな、何でもない家族での昼食。

 

⸻

 

 食後。

 

 少し時間が経った頃。

 

 俺は輝と二人でベランダへ出た。

 昼下がりの風が、頬を軽く撫でる。

 遠くに見える街は、休日らしい穏やかな空気に包まれていた。

 

 俺は手すりに軽く寄りかかる。

 輝も隣に立った。

 しばらく、二人とも何も言わなかった。

 

 家の中から、ルビーとアイの明るい声が聞こえる。

 そして、ページをめくるアクアの小さな物音。

 

 その音を聞きながら。

 俺がぽつりと口を開いた。

 

「……楽しそうだな」

 

「はい」

 

 輝が家の中を見る。

 

 そこではアイとルビーが何か話していて。

 アクアは少し離れた場所で、さっき渡した本を読んでいる。

 その光景を見つめる輝の横顔は、穏やかだった。

 

「八幡さん」

「ん?」

「俺」

 

 声の調子が少し変わる。

 さっきまでの軽い雰囲気とは違う。

 

「昔、あなたに相談してたことありましたよね」

「ああ」

「もしあの時、あなたが俺の話を聞いてくれてなかったら」

 

 輝は遠くへ視線を向ける。

 風が吹く。

 その横顔に、ほんの一瞬だけ昔の影が見えた気がした。

 

「俺はもっと酷い人間になってたかもしれない」

「……」

 

 俺は何も言わなかった。

 あの頃の話を、俺たちは何度もした。

 

 だから。

 今さら否定する必要もない。

 

「だから」

 

 輝がこちらを見る。

 そして。

 穏やかに笑った。

 

「今度は俺が、あなたの家族を守る側になりたい」

 

「……十分助かってるよ」

 

「そうですか?」

 

「ああ」

 

 俺は肩をすくめる。

 

「何より、子供たちが楽しそうだからな」

 

 輝は、もう一度家の中を見る。

 そこには。

 ルビーがいて

 アクアがいて

 アイがいた。

 

「それが一番だ」

 

 輝が笑った。

 

 その笑顔には。

 昔のような危うさはなかった。

 何かに追い詰められたような影も。

 自分自身を持て余すような苦しさも。

 そこにはない。

 

 今の輝の顔にあるのは。

 ただ、誰かを大切にしたいと思っている人間の顔だった。

 

 それを見て。

 俺は少しだけ思う。

 

 人は。

 変われるのかもしれない。

 過去を消すことはできない。

 やってしまったことを、なかったことにもできない。

 

 それでも。

 今、誰かを大切にすることはできる。

 そして、それを積み重ねていけば。

 いつか。

 過去とは違う人間になれるのかもしれない。

 

 ……まあ。

 俺がそんなことを考えるようになった時点で、相当変わったんだろうけどな。

 

⸻

 

「おじさーん!」

 

 家の中から、突然ルビーの声が響いた。

 

「どうしたー?」

「アイス食べたい!」

「すぐに買ってくるよ!」

 

「待て」

 

 俺が即座に止める。

 

「夕飯前だ」

 

「えー!」

 

 ルビーの不満そうな声が中から聞こえた。

 

「輝おじさーん!」

「八幡さん!少しくらい良いじゃないですか!」

 

 俺は呆れながら輝に言う。

 

「......輝」

「何ですか?」

「……お前本当に甘いな」

「だって可愛いからしょうがない!」

 

「……」

 

 俺は深いため息を吐いた。

 何度目だ、これ。

 この男。

 完全に孫を甘やかす祖父のそれである。

 

 ……いや。

 実際には甥や姪ですらないのだが。

 そのくらいの勢いで甘い。

 

「パパ!」

 

「何だ?」

 

 ルビーがベランダまでやってくる。

 

「アイス食べたい!」

「だから夕飯前だって」

「輝おじさん!」

「八幡さん!」

「うるさい」

 

 むくれた顔をして、ルビーが言う。

 

「パパのケチ!輝おじさんお願い!」

「任せてルビーちゃん!俺が説得する!」

「輝おじさん優しい!」

「そうだろ!」

「調子に乗るな」

 

 家の中まで俺たちの声が響く。

 

 アイはリビングから顔を出して、楽しそうに笑っている。

 アクアも本から顔を上げて、呆れたような、それでいてどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。

 

 そんな光景を見て、おれは呆れながらも思わずニヤけてしまう。

 

 家族が笑って。

 友人が遊びに来て。

 子供たちが誰かに甘えて。

 俺がそれを呆れながら眺める。

 

 そんな未来なんて。

 あの頃の俺には想像すらできなかった。

 考えたことすらなかった。

 

 ――神木輝。

 

 本来なら。

 未来を壊す存在として恐れられていたかもしれない男。

 

 けれど。

 この世界のこいつは。

 ただの子供たちに甘すぎる――

 

 うちの家族の「おじさん」だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。