「お兄ちゃん、ありがとう!」
「おう、薬飲み忘れるなよ〜」
タンバルン王国の城下町にあるこの薬剤屋は、今日も今日とて繁盛している。薬を求め、そして何より店主である白雪の人柄に惹かれてやってくる客が多い。
薬を受け取った子供が駆け足で店から出ていく姿を、俺は手を振って見送った。
店の奥では、白雪が別の客の相手をしている。
「それじゃあ、白雪ちゃん」
「ヨシさん、お大事に」
白雪が年配のおじいさんを笑顔で見送る。
「お待たせしました。次はキノさんのお薬ですね」
「いいのいいの。私はただ……白雪ちゃんのその綺麗な髪を見て、目の保養をしに来てるだけだからねぇ」
椅子に腰掛けたおばあさんはそう言って、せっせと働く白雪の後ろ姿を愛おしそうに追っている。
「ふふ……ありがとうございます。でもせっかくだから、追加のお薬を調合しますね。良い薬草が手に入ったんですよ」
白雪の優しい言葉に、キノさんは急に目頭を押さえ出した。
「グスン……あなた、もう立派な薬剤師さんねぇ……亡くなったおじいさんやおばあさんにも見せてあげたいわ……」
わんわん泣き出すこのキノさんというおばあさん……実は三年前に俺と白雪が『偽りの兄妹』を演じるきっかけを作ったご近所さんだ。
あの時は本当に大変だった。「白雪ちゃんの生き別れのお兄さんが帰ってきたわ!」と、キノさんが近所中に言いふらして大騒ぎになり、俺の髪色と目の色で必死に誤魔化し倒して乗り切ったのだ。
まあ、悪い人じゃない。ただ感情が豊かすぎるのと、お喋りが大好きな陽気なおばあさんなのだ。
「お兄さんとも再会できて……本当によかったわねぇ、白雪ちゃん……おじいさんたちに先立たれて心配してたのよ……」
キノさんはハンカチで涙を拭いながら言葉を続ける。
「きっと、おじいさんが会わせてくれたのねぇ……」
「……そう、かもしれませんね」
少し言葉に詰まりながらも、優しく答える白雪。
そういえば、俺が白雪と出会ったのは、彼女のおじいさんが先立ってすぐのことだったらしい。街で酒場を営んでいた白雪のおじいさんが他界し、それと入れ替わるようにして、異世界から俺が現れたのだ。
(白雪のおじいさんか……どんな人だったんだろうな。会ってみたかったな……。この世界、写真とかないもんな)
便利なツールがない不便さを、こうした瞬間にふと感じる。
「ところで、お兄さん、お兄さん」
「はい?」
「お兄さんは白雪ちゃんと再会するまで、どこで何をしていたの?」
ギクッ!
(やっべー! そのあたりの設定、深く考えてなかった……! アドリブで誤魔化すしかないけど、変なこと言うわけにはいかないぞ……!)
妙な嘘をついたら、今度は何を街中に言いふらされるかわかったものではない。ここは慎重に言葉を選ばなくては。
「えーっと、ですね……俺は……し、白雪を探してました。ずっと、いろんな国を旅してました!」
これが一番無難だろう。生き別れの妹を探して三千里的なやつだ。
「まあ、そうだったのねぇ。お兄さんも苦労したのね……グスン……!」
「ハ、ハハ……ソウデスネー」
そんな話をしている間も、キノさんはハンカチを手放さずに泣いている。……と思っていたのだが。
「あ〜! いけない! お鍋を火にかけっぱなしだったわ! それじゃあ白雪ちゃん、お兄さんもね!」
急にハッとしたキノさんは、嵐のように店を飛び出していってしまった。まったく、相変わらず騒がしい人だ。
「……キノさん、薬を持って行ってないな。調合が終わったら俺が届けてくるよ」
「うん、ありがとう。兄さん」
それから、俺がモップで床掃除をはじめ、白雪が薬草棚の整理をしていた時のことだ。
「ねえ、兄さん」
「ん? どうした?」
「キノさんは私の髪が綺麗だって言ってくれたけどさ……兄さんは、どう思う?」
「なんだよ、藪から棒に……前にも言った通り、俺も綺麗だと思うよ」
俺は白雪の、りんごのように鮮やかな赤髪を見て迷わず答えた。
俺と白雪はなぜか髪や目の色が似ている。まあ、白雪の髪の方がずっと色鮮やかで綺麗だが。
「私の髪がバカにされた時の話、覚えてる?」
「ああ、覚えてる」
俺がこの世界に来て間もない頃のことだ。
近所の白雪と同年代の少年連中が入店するなり、複数人で白雪の髪を嘲笑っていた。世界が変わろうが常識が変わろうが、心無い輩はどこにでもいる……そう実感した出来事だ。
「まさか、店から強引に追い出すとは思わなかった」
「口で言ってやめるなら、俺だって乱暴はしないさ。暴力とか……好きじゃないから。でもあれは、文句の域を超えてただの侮辱だったからな」
『バカに付ける薬は売ってない』と言い捨てて、まとめて叩き出したのを覚えている。
その後、頭に巨大なタンコブを作った少年たちが、激怒した母親たちに首根っこを掴まれて謝罪しに来た。平謝りする親と涙目な少年たちの姿に免じて、もう二度と同じ事はしないと約束させ、水に流したのだった。
「追い出して当然だよ」
そう言う俺の言葉に白雪はふっと目を伏せ、俺の知らない過去を静かに語り始めた。
「昔……この髪を理由に揶揄われたり、嫌な思いをしたこと、結構たくさんあったんだ」
「……」
白雪の言葉に、複雑な感情が胸を突く。俺も、白雪と似たこの「赤」の髪色が嫌いな時期があった。だからこそ、白雪の辛い経験や思いが痛いほどよく分かる……そんな気がした。
白雪の横顔を見つめながら、俺はぽつりと呟いていた。
「好きだよ。俺は」
心の声をそのまま口に出してしまった。決定的な主語を置き忘れたままで。
それを聞いた白雪は、一瞬で顔を真っ赤に染めた。
その反応を見て、俺はここでようやく自分の口滑りに気づく。
「えっ!? あ、違う違う! 髪! 髪の話だからね!?」
「えっ! あ、ああ……そうだよね! うん、わかってる、わかってるから!」
白雪は慌ててくるりと背を向け、棚に向かい直してしまった。顔を隠すようにして、絶対にこちらを見てくれない。
けれど、俺は誤魔化さずに言葉を続けた。
「俺は好きだよ。白雪の髪が。俺も……似たような経験はあるんだ。俺の過ごした国でもこの髪色ってかなり珍しい部類だったから……小さい頃はよく揶揄われた」
施設での出来事を思い出して苦笑しながら、俺は言葉を紡ぐ。
「でも、今の俺にとっては幸運の『赤』かな。ほら、運命の赤い糸、とか言うでしょ?それと一緒だよ。この髪のおかげで白雪に出会えたのかな、なんて思ってる。昔はどうであれ……今は素直に感謝してるんだ。だからさ、白雪にも自分の髪を嫌いにならず、好きでいてほしい。それが他でもない、白雪自身なんだから」
一気に語ってから、真剣な目で見つめてくる白雪の顔を見て、俺はふと照れくさくなった。
「……俺、答えらしい答えちゃんと言えたかな? 昔から気の利いたこと言うのは苦手でさ……」
「ううん。ありがとう……兄さん」
白雪は、心の底からの笑顔を見せてくれた。
その眩しさが、何よりも俺の心を満たしていく。
「兄さん、夜は何が食べたい?」
「白雪が作るものならなんでも。俺が作ってもいいけど?」
「ふふ、今日は私に作らせて」
白雪の声はどこか弾んでいた。心底嬉しそうだ。
「そっか。なら焼きリンゴのパイかな」
穏やかで温かい、幸せな時間が流れる。
昼間はこうして白雪の薬剤屋を手伝うのが、タンバルンでの日常だ。
早朝の薬草採取への同行、店の手伝い、落ち着けば近所の悩み相談や手伝いまで。何でも屋のような生活だが、忙しくも愛おしい時間が過ぎていく。
店内を包む、二人だけの優しい空気。
まさに、その時だった。
——望まぬ客が、その静寂を破ってやってきた。
ドンドン!
薬剤屋のドアが、ノックというにはあまりに粗暴な音を立てて叩かれた。
普段訪れる客の音とは明らかに違うその響きに、脊髄が逆立つのを俺は感じた。
押し開けられた扉の向こうに立っていたのは、やたらと目が濁ったオールバックの男。タンバルン王国の王兵の制服を身に纏い、その背後には数人の兵士が不穏な気配を漂わせながら控えていた。
タンバルン城の使者——ラジ王子の使いだ。
「赤い髪……あなたが白雪さんですね?」
口調こそ丁寧ぶってはいるものの、濁った眼光の男は横柄な態度で店内に踏み入ってきた。
白雪の髪を一瞥するなり、下品に口元を歪める。
俺は一瞬の迷いもなく、白雪を背中に庇うようにして前に立った。
「……なんなんですか、あなたたちは」
「我々はその白雪さんに用があって参ったのです」
「用? いきなり土足で踏み込んでおいて、勝手じゃないですか」
俺の言葉など端から視界に入っていないかのように、男はせせら笑いを浮かべながら言葉を続ける。
「ラジ殿下よりのお言い渡しです。白雪さんを『愛妾として城に召し出す』とのこと。光栄に思い、今すぐ支度をして城へとお越しください」
愛妾——つまりは側室。
その言葉が頭に染み込んだ瞬間、脳内で何かがブチリと弾け飛ぶ音がした。
話し合いで済む相手じゃなさそうだ。そう直感した。
「……ちょっと、それはいきなりじゃないですか?」
気づけば俺は、白雪を完全に背後に隠し、一歩前へ踏み出していた。
冷え切った、低い声が出た。目の前の男の不快な笑い顔が頭に響き、嫌になるほどの怒りが胃の底から湧き上がる。
「あなたは? その似た髪色は親族の方ですか? まあ結構……了承を求めているわけではありませんのでね。これは『国命』です」
「勝手すぎるって言ってるんですよ。白雪にだって生活が、日常があるんだ。王子だからって、それを一方的に壊す権利なんてないでしょう!」
言葉に、そして何より拳に力がこもる。
暴力なんて振るいたくない。でも……時には振るわなきゃ、大切なものは守れない。ただ状況に納得して「はい、分かりました」と従っていたら、全てを奪われる。俺はその理不尽さを、嫌というほど知っているのだ。
俺の頭脳は既に、目の前の男たちを『俺たちの居場所を侵す敵』と認識していた。
やっと手に入れた居場所なんだ……! そう思えば思うほど、右手に力が入る。爪が手のひらに深く食い込み、肉を裂く感触すら気にならないほどに。
いつでも目の前の男の鼻柱に拳を叩き込めるよう、軸足を沈める。そしていざという時には、全身で白雪を庇える位置へ。
ただならぬ気迫に気づいたのか、男の背後に控えていた兵士たちが、引きつった顔で剣の柄に手をかけた。
「国命だかなんだか知らない。けど、白雪は……俺の妹は、誰の道具でもない。今すぐ帰ってください。帰らないなら……こっちだって、もう容赦しない」
「ほう……王子の命に逆らうと? ならば兵たちよ、この無礼者を——!」
一触即発の空気が店内を満たし、俺が前へ躍り出ようとした、その時。
「——待って、兄さん!」
後ろから服の袖を強く引っ張られた。
振り返ると、白雪が俺の腕を両手で必死に抱え込み、蒼白な顔で首を振っていた。
「ダメだよ、兄さん……! お城の人に手を上げたら、兄さんが罪人になっちゃう……!」
「白雪、でも……!」
「分かってる、分かってるから……! お願いだから、落ち着いて兄さん!」
白雪の必死な叫びに、沸騰していた頭が少しずつ冷やされていく。ここで俺が騒動を起こせば、白雪を守るどころか、彼女を罪人の身内にしてしまうのだ。悔しさに歯を食いしばりながらも、俺は振り上げた拳をどうにか収めた。
白雪は使者に向き直ると、静かに、けれど毅然とした声で言い放った。
「……急なことで、心の準備ができません。明日の朝まで、お時間をいただけますか」
「ふむ……まあ良いでしょう。ですが、逃げ出そうなどとは考えないことです。明日、また迎えに訪れます」
ラジ王子の使いは吐き捨てるように言うと、横柄な足取りで店を後にしていった。
静まり返った店内に、奴らが土足で残した汚れだけが虚しく残る。
張り詰めていた緊張が解けた瞬間、手元からぽたり、と赤い雫が床へ落ちた。
「兄さん、手! 血が出てる……!」
白雪がハッとして俺の手を両手で包み込み、心配そうに掌を開かせた。
力任せに握りしめていた右手の掌には、自身の爪が深々と食い込み、痛々しい赤が滲んでいた。せっかく綺麗にモップをかけたばかりの床に、俺の血が小さな赤黒いシミを作っていく。
「え……あ、これくらい大丈夫だよ」
「大丈夫なわけないでしょ! 切り傷用の薬草塗るから、こっち来て!」
強がる俺の手を固く引いて、白雪が奥の薬棚へと急ぐ。
自分の指先の痛みなんてどうでもよかった。目の前で必死に手当てをしてくれる白雪の横顔を見つめながら、俺の胸には冷たい焦燥感が広がっていく。
静かだった三年の日常が。
俺たちの大切な居場所が。
確かな音を立ててひび割れ、崩れ去っていくのを、俺はただじっと感じていた。
♢♢♢
その夜。
静まり返った薬剤屋の中で、ランプの光だけが静かに揺れていた。
「……ごめん、白雪。力になれなかった……」
机に肘をつき、頭を抱える俺に、白雪は優しく温かいお茶を差し出してくれた。
「兄さんが謝ることなんてないよ。私のために怒ってくれて、嬉しかった」
「だけど……明日になれば、またあいつらが来る」
今夜のうちにバカ王子に文句でも言いに行ってやりたい。でも、それで解決する問題じゃないのも分かっている。
何をしてでも白雪を守る——俺の頭の中は、その考えだけで埋め尽くされていた。
相手は一国の王子。どうすべきかと思考を巡らせていた俺の前で、白雪は静かに鋏(はさみ)を取り出した。
「白雪……?」
彼女は迷いのない手つきで己の長かった髪を束ねると——ザクッと、心地よい音を立てて鋏を入れた。
「なっ……!?」
床に落ちていく、燃えるような鮮やかな赤髪。
月光を浴びてキラキラと光るそれを呆然と見つめる俺の前で、白雪は短くなった髪をサッと手で払い、振り返った。
そこにあったのは、悲壮感など微塵もない、凛とした少女の強い瞳だった。
「この髪が理由なら、ここに置いていく。……私は、自分の道は自分で決めるよ。他人の筆で私の人生を描かれたくないから」
切り揃えられた赤髪は、机の上に一束、綺麗に残されていた。
王子の理不尽な要求に対する、彼女なりの最大の拒絶とプライドの証。
「私、この国を出る」
凛とした声で、白雪は決意を述べた。
「兄さんは……」
「ついて行くよ」
白雪が言い終わるよりも早く、俺は答えていた。
「俺の居場所は『この店』じゃなくて、『白雪がいる場所』だから」
「ごめんね、兄さん……付き合わせて……」
謝る白雪を、気が付けば俺は強く抱きしめていた。
「に、兄さん……?」
「ごめん……髪を切らせて……俺がもっとしっかりしていれば……こんなことには……ごめん……!」
髪は女の命だと、前の世界で聞いたことがある。それに、俺が『好きだ』と言った白雪の髪を、彼女自身に切り落とさせてしまった。
溢れ出していくのは、感じたくもなかった無力感。白雪にこんな悲壮な覚悟をさせた自分が、昔と何も変わっていない無力な自分が、憎くて憎くて仕方なかった。
「ううん。兄さんは悪くないよ」
そう言う白雪の手が、そっと俺の背中に回される。
「何があっても、俺が守るから」
「ふふ、守られてばっかりなのは嫌かな。だから、私も一緒に全部乗り越える。だって自分の人生だから」
芯のある、力強い言葉だ。
不安がないはずがないのに、白雪は前を向いている。
「……わかった。一緒に行こう」
それでも——必ず、俺が守ってみせる。もう、二度と大切なものを失いたくないから。
俺の言葉に、白雪はどこか悪戯っぽく笑った。
「ふふ、兄さん……と言っても“そういう体(てい)”だけどね!」
「……痛いところをつくなぁ」
少し離れて軽口を叩き合い、いつもの空気がほんの少しだけ戻った。
それからは誰かに悟られぬよう、音を立てずに手早く手荷物をまとめた。
荷造りをあらかた終え、ふと俺は、毎日の店番でよく手を置いていた使い込まれた机に目を向けた。三年間慣れ親しんだ木肌を撫で、心の中で無言の感謝を告げる。
それから最後に、窓の外へ目をやった。
白雪と共に過ごしたこの薬剤屋の窓から眺める、何気ない街の景色が好きだった。闇夜に溶けていくこの静寂も、今夜で見納めになる。
思い残す事はない……そう言えば嘘になる。だけど、それは俺が口にしていい言葉じゃない。
ここは俺にとっては『三年過ごした場所』だが、白雪にとっては生まれ育ったかけがえのない故郷なのだから。
そこを捨てて旅立つ彼女の覚悟は、並々ならぬものに違いない。白雪が未練を口にしないのなら、俺も絶対に口にしない。
それが、俺なりの決意と無言の意思表示だった。
(この白雪の覚悟を、絶対に無駄にしない)
そして、何があってもこの手で守り抜く。
「兄さん、準備できたよ」
「ああ、行こう」
置き土産として机に残した、切り落とされた赤髪。
それから、常連のお客さんたちへ宛てた丁寧な書置きと、調合しておいた薬。
それらを静かに残し、俺たちは夜陰に紛れて思い出の薬剤屋を後にした。
白雪は短くなった赤髪を白いフードで深く隠し、俺はそんな彼女の小さな背中に寄り添うように立ち並びながら——隣国クラリネス王国へと続く、闇夜の森へ消えていった。