白雪がリンに心を開き、兄という体を受け入れたのにも、リンが上からものを言わない。ありのままの自分を見て、型にはめようとしなかったのが理由にあります。
赤い髪を揶揄われた時、守ってくれたのも大きなポイントです。
祖父母の没後、白雪は一人でした。誰かに守られず、一人で生きてきた白雪にとって、何一つ見返りを求めず、庇ってくれたリンの姿は、生きていると知っていても会えない父親の姿を連想させました。
そして母親譲りの自分の赤い髪……それと同じ赤い髪のリンに、白雪は轢かれました。(恋愛的な意味ではない)
こういった経緯もあり、白雪はリンと兄妹になりました。
それでは6話、タンバルン王国編のラストです。
どうぞ。
「それにしても、ゼンたちは早かったな……俺は森を走ってきたから、かなり時間がかかったのに」
俺は白雪に左手の傷を手際よく包帯で巻かれながら、ゼンたちに声をかけた。
いまだにラジ王子の部屋に集結している異様な状況だ。
部屋の隅では、一国の王子であるはずのラジがガタガタと震えているが、もはや誰も彼のことなど視界に入れていない。
「ああ。俺たちはゼンを馬車に乗せて、正規の関所を通って真っ直ぐ来たからな。森を突き切って走るより断然速いんだよ」
ゼンの代わりに、ミツヒデが呆れたように肩をすくめて答えた。
「……置いていかずに、待っててくれてもよかったのに」
俺が小さく愚痴をこぼすと、今度は木々がクスリと笑みを漏らした。
「ゼンの解毒が必要だったからね。待っている暇がなかったの」
「解毒……? ゼン、何かあったのか?」
「……お前、まさか何も知らずにここまで乗り込んできたのか……?」
「あはは……白雪のことで頭がいっぱいで……」
ゼンは「参った」というように呆れた顔で額を押さえた。
「ミツヒデなんて、『ゼンに何かあったら…!』ってボロボロ泣き出す始末で……」
「だーっ! 泣いてないと言っているだろ!」
木々の暴露に必死で顔を赤くして反論するミツヒデ。
「ゼン、何か毒でも盛られたのか?」
「ああ、リンゴに毒が仕込まれていてな。だがもう大丈夫だ、解毒薬を飲んだから」
あー……そう言えば、空き家に残されていた手紙にそんなことが書かれていたような気がする。白雪のことで頭がいっぱいになっていて、手紙の最初の『居場所』の一文しか読んでいなかったな。
「ああ、なら俺が空き家で食べたあのリンゴも毒リンゴだったんだな。通りで、さっきから体がピリピリ痺れてるわけだ」
何気なく呟いた俺の一言が、一瞬で部屋の空気を氷点下まで凍り付かせた。
「…………は?」
「えっ……?」
ゼンが言葉を失うと同時に、白雪の金切り声のような悲鳴が重なった。
「兄さん、あのリンゴを食べたの!?」
「ひっ……! あ、いや……その……」
「答えて!!!」
「あ、はい……丸々一つ、残さず食べました……はい……」
白雪に凄まじい気迫で詰め寄られ、俺は思わず首をすくめて小さくなった。
「おい! 解毒薬は! もう無いのか!?」
ゼンが部屋の隅で丸くなっていたラジ王子に詰め寄り、襟首を掴んで問いただす。
「あ、あれ一つだけだ……! もう無い……!」
「くそっ……!」
ラジの答えにゼンが頭を抱えるが、解毒薬を飲んだばかりで毒が抜けきっていない体勢がぐらりと揺れた。
「ゼン!」
すかさずミツヒデが駆け寄り、その身体を支える。
そんな混乱の中、白雪に詰められてすっかり小さくなった俺は、彼女の怒り心頭の顔色を伺いながら恐る恐る口を開いた。
「ほ、ほら……昔さ、毒キノコを間違えて食べたことあったろ? あの時に耐性が……たぶんついたから大丈夫だよ! だからさ、白雪……お、怒らないでくれ……」
「大丈夫なわけないでしょ!!!」
「うっ……!?」
「一口食べただけで昏倒するような毒リンゴを、丸々一個食べたんだよ!?」
「で、でも今こうして立ってるし……な?」
「毒には種類があるの! 兄さんだってそれくらい知ってるでしょ!?」
「は、はい……」
剣を素手で止め、眉一つ動かさずに相手を恐怖させた男の面影など、どこにもなかった。
俺にとって、白雪の怒った声はどんな刃よりも鋭く胸に突き刺さり、どんな猛毒よりも惨めに心を蝕むのだ。
「……毒の成分を知っている人は!? その薬を調合した人はどこ!?」
今度は白雪が鋭い眼光でラジを問い詰めた。
「お、王城の宮廷薬剤師で……今この街にはいない……!」
「——だったら、私が毒消しを調合する!」
薬がないなら、自分で作ればいい。
腹を括った白雪の動きは素早かった。
「木々さん! ミツヒデさん! 今から言う薬草と道具を揃えてきてください。お願いします!」
「えっ、あ、ああ……」
突拍子もないお願いに一瞬戸惑った二人だったが、ゼンが「行ってやってくれ」と強く頷くのを見て、即座に「了解だ!」と顔を引き締めた。
白雪が矢継ぎ早に必要な材料を伝えると、二人は風のような速さで部屋を飛び出し、それぞれ街の薬種屋と近くの森へと駆け出していった。
「な、なら俺も手伝いに行くよ。自分の体ことだしさ——」
「兄さんは大人しく座ってて!!!」
「はい…………」
俺は何があっても、白雪にだけは一生勝てないんだろうな……。
視界の隅で怒りながら手際よく準備を進める白雪を見つめながら、俺は色々と悟り、大物のように(実際はただの怒られた兄として)大人しくソファに深く腰掛けたのだった。
♢♢♢
邸宅の使用人たちが青ざめた顔で部屋を頻繁に出入りし、白雪の指示通りに次々と様々な道具やお湯を運んでくる。
それもこれも、全てはラジ王子の命によるものだ。
……もっとも、その実態は、ゼンの存在感と眼光に圧されたラジ王子が、ただ怯えて従うことしかできないからなのだが。
俺が森を命がけで駆け抜けてここへ辿り着く前に、先んじて乗り込んでいたゼンとラジ王子の間で「様々な交渉」があったのだと、ゼン本人の口から直接聞かされた。
『今回の愚行を公にされたくなければ、二度と白雪とリンに関わらないこと。そして、その口で二人の名を軽々と呼ぶことも二度と許さないと誓え』
クラリネス王国の第二王子——その圧倒的な威厳をもって、ゼンはラジ王子にそう誓わせたのだという。
それを聞いた時、俺の胸には深い安堵が広がった。
これで……これでまた、白雪との温かく平和な日常に戻ることができる。これまでの形とは少し変わってしまうかもしれないけれど、俺たちの帰るべき「日常」へ戻れるのだと。
ゼンが全ての退路と手筈を整えてくれた。そして俺自身も、ラジ王子に対して言いたいことは壁ごと叩き込んでやった。だからこそ、俺からこれ以上言うべきことは何一つなかった。
——俺は今、部屋の中を忙しなく動き回る白雪の背中を、静かに目で追っていた。
この邸宅の使用人たちを指示し、お湯や綺麗な布、調合のための道具を手際よく準備していく白雪。
「…………」
この世界に来てから、ずっと見慣れてきたはずの彼女の後ろ姿。
けれど……かつて腰まで伸びていたはずのあの美しい赤髪は、今は肩の上で短く切り揃えられ、様変わりしてしまっていた。
(……そうだ。白雪は、バカ王子のせいで……大切な髪を切らざるを得なかったんだ……)
その事実を不意に思い出し、一度は収まったはずの怒りの残り火が、胸の奥でフツフツと再燃した。
俺は部屋の隅で未だにガタガタと震えているラジ王子を、一瞬だけ冷ややかな眼光で睨みつける。視線に気づいたラジ王子は「ひっ……!」と引きつった悲鳴を上げ、さらに身を縮こませ、ついに限界が来たのか、白目をむいて失神した。
だが、そんな男など俺にはどうでもよかった。すぐに思考を切り替え、再び白雪へと意識を戻す。
……だって、目の前で背中を向けている白雪が。
その小さく震える後ろ姿が、どこか酷く悲しんでいるように見えたからだ。
「……白雪」
ソファに深く腰掛けていた俺はゆっくりと立ち上がり、白雪の元へと足を向けた。
「兄さん、ダメでしょ! 毒が回るから大人しく座ってなきゃ……!」
「……自分のせいだって、思ってる?」
「っ……!」
振り返りざまに俺を制止しようとした白雪の言葉が、ぴたりと止まった。
その大きな瞳が揺れ、隠しきれない動揺が浮かび上がる。
「……白雪は、何一つ悪くないよ。俺やゼンがこんな毒を食らってしまったのは……絶対に、白雪のせいなんかじゃないんだから」
「私は……ゼンの毒にしかならなかった。兄さんにも、こんな酷い怪我をさせて……。こんなことになるなら……こんな髪、最初からなかったらよかったのに……!」
くしゃりと、白雪は自らの短くなった赤髪を、握り潰すかのように強く掴んだ。
胸を刺すような悔しさと悲しみに顔を歪め、ボロボロと溢れ出そうになる涙を必死に耐えるように俯いている。
「白雪。俺、言ったよね。白雪のその髪が好きだって。……だから白雪自身にも、自分の髪を嫌いにならず、好きでいてほしいって。その綺麗な髪も、優しさも……他の誰でもない、白雪自身なんだからさ」
「でも……っ」
白雪はなおも深く心を痛めていた。
自分の存在が大切な人たちを傷つけたのだと、今も自分自身を強く責め立てている。
もっと優しい声をかけてあげたい。もっと俺自身の手で抱きしめて、白雪の傷ついた心に寄り添ってあげたい。
……けれど、今の彼女の心を本当に救うことができるのは、きっと俺の役目じゃないのだ。
俺じゃダメなんだ。今の白雪に必要なのは——ゼンなんだ。
「それにさ、俺に至っては……ただの食い意地で、小腹が空いてリンゴを食べただけだから。怪我をしたのも俺の不注意! な? ゼン」
俺はそれだけ言い捨てると、あえて一歩後ろへ下がり、後をゼンに譲った。
「……リンの言う通りだ。俺も一国の王子として警戒心が甘かった。警護としてミツヒデや木々も配慮が足りなかった。それだけの話だ。毒リンゴを食べたのは俺たちの落ち度であり不注意であって、白雪が気に病む必要なんてどこにもない」
ゼンは白雪の正面に立ち、その瞳を真っ直ぐに見つめて告げた。
「それに……リンにも前に言ったことだが、赤ってのは『運命の色』だってな。俺としちゃ、お前たち兄妹と出会えたこと、そして今こうしてお前と一緒にいられることは……『運命』の巡り合わせだと思えると嬉しいんだが?」
おーおー……この王子、兄の目の前で堂々と妹を口説き始めたぞ。
「生まれ育った国を出て、その先の森で俺たちと出会い、関わりを持った。それが単なる毒で終わるのか、これからの人生を彩る繋がりになるのか……それは、白雪自身が決めればいい」
「それは……私が決めていいことなの?」
「当然だ! 自分自身の人生で、運命なんだからな。他の誰でもない、白雪自身の手で決めて進んでいけばいい。まあ、その道を進めるか否かは……自分次第だけどな」
ゼンの真っ直ぐな言葉に、白雪の唇から小さな笑みが零れ落ちた。
涙を払うようにして浮かべたその笑顔は、俺の目にはあまりにも眩しく、そして美しく映った。
「ゼンって……すごい考え方をするんだね」
「考え方じゃない。これが俺の生き方だ」
白雪の顔に、いつもの温かく芯のある笑顔が戻った。
妹が笑顔を取り戻してくれたことが、俺は何よりも嬉しかった。
……けれど。
同時に、胸の奥底で名付けようのない、不自然なほど冷たい「寂しさ」が小さく渦巻いた。
決して口にしてはいけない、どう言葉にして伝えればいいのかも分からない、甘く切ない寂寥感。
(……白雪が、元気に笑ってくれたんなら……それでいい)
そう、それで良いのだ。
白雪が自分の意思で笑ってさえいてくれたら、俺の気持ちなんてどこだっていい。
ふと、白雪が俺の方へと向き直った。
「兄さん、私ね」
「うん……」
「……クラリネス王国に行きたい」
白雪は今、誰に強いられるでもなく、自らの足で歩む道を決めた。
自分の物語を自分自身の筆で紡ぎ、新たな頁(ページ)の扉を開いたのだ。
「兄さんも……一緒についてきてくれる?」
「……もちろん。白雪が望んでくれるなら、俺はどこまでも一緒に行くよ」
——そんなこんなで様々な騒動があったものの、結局タンバルンの城下町へ戻ることはせず、俺と白雪はゼンたちと共にクラリネス王国を目指すことになった。
今度はもう、身を隠すような密入国ではない。
正規の国境を通り、正々堂々と胸を張って、俺たちは未知なるクラリネス王国への一歩を踏み出したのだった。
そして、現在は宿の一室にいる。
怒涛の如く過ぎ去った一日が、ようやく終わりを告げようとしていた。
夜の静寂に包まれた宿屋のベッドに倒れ込み、俺はぼんやりと天井を見上げる。
「……色々、ありすぎたな。流石に疲れたよ……」
ぽろりと、弱音混じりの愚痴が口から溢れ出た。
昨晩、白雪と共に故郷の薬屋を出て、夜の森を歩き、ゼンたちと出会い、荒事とか、毒とか、本当に、生涯で一番密度の濃い大変な一日だった。
今の俺の体はといえば、左手には重々しく包帯が巻かれ、体に刻まれた無数の切り傷や打撲には白雪お手製の薬がたっぷりと塗られ、どこからどう見ても重症者扱いだ。
俺の身体を蝕んでいたリンゴの毒は、あの場で白雪が素早く調合してくれた解毒薬のおかげで無事に治まった。今はもう体のピリピリとした痺れもない。だが、「しばらくの間は絶対安静! いいね!?」と白雪から強く釘を刺されてしまった。
……もしこの言いつけを破ったりすれば、一体どんなお説教が待っているか分かったものではない。何かが起こらない限り、大人しく命に従っておくのが一番の身の安全だ。
「……本当にそうだね。本当に、色々あった……」
ベッドの端に静かに腰を落とした白雪も、今日というかつてない波乱の一日をそっと思い返しているようだった。
本当は二部屋借りられれば良かったのだが、あいにく空いていたのはこの一部屋だけだった。
……まあ、同じ屋根の下で家族として暮らして三年。今更変に気取るような間柄でもない。
「明日も早いし……今日はもう寝よう?」
「うん。そうだね」
俺の言葉に頷き、白雪が静かに布団の中へと潜り込んでくる。
部屋の明かりを消すと、暗闇の中で適切な距離を保ちながら、二人並んで真っ暗な天井を見上げた。
「……白雪がそばにいてくれれば、俺の傷の治りも早いからさ」
「うん、治すよ。絶対に治してみせるから」
「あはは……そういう意味じゃないんだけどなー」
「え?」
白雪が近くにいてくれること。
それだけで、この世に存在するどんな薬草や特効薬よりも、俺の心と体には効き目があるんだ——なんて気恥ずかしい言葉は、胸の奥にそっと仕舞い込んだ。
そんな他愛のない会話を交わしていると、いつの間にか白雪の規則正しく、可愛らしい寝息が聞こえ始めていた。
無理もない。慣れない環境で心を痛め、必死に薬を調合して……一番疲れていたのは白雪なのだから。
「……おやすみ、白雪。良い夢を……」
暗闇の中、囁くような小さな声で告げながら、俺は布団から覗く白雪のリンゴのように赤い、美しい髪にそっと手を伸ばし、優しく撫で下ろした。
(白雪……)
笑っていてくれさえすればいい。
ただ健やかに、幸せに毎日を生きていてくれさえすれば、俺はそれだけでいいんだ。
そのためなら、俺はどんなことだってできる。
白雪の笑顔を守れるなら、なんだって犠牲にできる。
彼女が歩んでいく道、彼女自身の物語、その頁(ページ)をめくる小さな手や指を、全て守り抜けるのなら——この身を捨てたって、何一つ惜しいとは思わない。
それが……例え、自分自身だとしても。俺は迷わず、すべてを投げ出せるのだから。
タンバルン王国編 END
リンが毒リンゴを食べたと知ったゼンは心配と同時に「こいつ、毒リンゴを丸々一個食べて気を失わず動き回ってたの?化け物かよ」と内心驚愕していました。ミツヒデも木々も同様です。
そして、この話にはIFルートがあります。
それはゼンではなく、白雪が毒リンゴを口にしたルートです。
そのルートでは、リンは白雪を連れ戻しに来たラジ王子の使いを半殺しにします。
それから、ゼンたちをこの場に残し、単身で近くの街の別荘まで来ていたラジ王子の元に乗り込み、兵たちを蹴散らし、ラジ王子の胸ぐらを掴み上げて解毒薬を奪い、口に毒リンゴを詰め込み、白雪の傷みを身を持って味合わせます。その後しっかり殴り飛ばし、白雪を連れてきたゼンたちと合流…白雪を解毒します。
そしてリンがタンバルン王国のラジ王子、王族に手を上げたため、お尋ね者となり、もう白雪の元にいられないと、姿を消そうとします。が、白雪は血の繋がりななくとも、兄のリンと共に行く決断をし、ゼンとは別れるルートに分岐します。白雪が善に惹かれる展開がなくなるので、クラリネス王国へは行きませんし、ラジ王子との和解もありません。
そして、その後の二人は紆余曲折ありながらも、タンバルン王国内にて、白雪は父親の武風と再会、二人は武風の元に身を寄せます。