「うにゃ〜ん♡ うにゃにゃ〜〜ん♡」
ソファの上で、ディニーを愛おしそうに抱きしめているピンク毛の猫。
その姿を、俺は部屋の隅からじっと見つめていた。
あのディニーに手を伸ばそうものなら、腕が蜂の巣にされてしまう。
故に、俺にできることは遠くから見守ることだけだった。
……なんで俺のディニーを奪った猫を、俺が遠くから眺めているんだろう。
俺はディニーを銀行に預けるのではなく、部屋の中に隠して貯金するタイプの人間だった。
しかし、この猫が住み着いたせいで、今では銀行にディニーを預けざるを得なくなってしまった。
その証拠に、俺が部屋の中に貯め込んでいたディニーたちは、ほぼ全てピンク毛の猫に奪われてしまった。
さらに、部屋の中でディニーを落とそうものなら——
「にゃっ!」
電光石火の如き速さで駆け寄り、そのディニーを掻っ攫っていく。
猫のくせに、ディニーを見つける嗅覚だけは異常に鋭い。
加えて、このピンク毛の猫の餌代や遊具、ベッドなども、全て俺のディニーから出ている。
それだけ俺からディニーを奪っておきながら、自分は1ディニーたりとも出さない。
どんだけディニーに図太いんだ、こいつ。
こんな人間が存在していたら、絶対に近づきたくない。
……いや、そもそも猫なんだから、ディニーを出すとかありえないか。
俺、猫飼ったことないから分かんないんだよな。
そんなことを考えながら、俺は改めてソファの上でディニーを抱きしめているピンク毛の猫へ視線を向ける。
「うにゃ〜♡」
「…………」
あのディニー、元々俺のなんだけどなぁ。
そんな言葉を口にする勇気はない。
何故なら、以前それを口にした結果、俺の腕が蜂の巣になりかけたからだ。
俺はため息を吐きながら、ピンク毛の猫を見つめる。
そして、ふと、この猫を拾った時のことを思い出し始める。
空と地上の共存の第一歩という名目で、逃げるように地上へやってきた俺は、六分街でアルバイトを掛け持ちしながらなんとか生活していた。
特に雑貨屋やカスタムショップTURBOでの仕事は楽しく、空で培った知識を存分に活かすことができたため、かなり充実している。
仕事終わりにはチョップ大将のラーメンを食べられるし、CDショップやホビーショップ、最近ではライブハウス404まで営業を再開している。
おかげで、地上に来てからの生活は思っていた以上に快適だった。
ちなみに、レンタルビデオ屋のRandom Playに関しては、いつの間にか最上位クラスの会員にまでなってしまっている。
時には大変な仕事もある。
けれど、それでも空に比べれば生ぬるい。
消えることなく、むしろ増え続けていく書類や始末書。
幼馴染に無理やり出席させられる、お偉いさん方との会食。
「これも全てボンプのためなのだー!」とか言いながら、俺を毎日のように連れ回すガキンチョの世話。
ツンデレパツキン吸血鬼女とその従者に振り回される毎日。
さらには、3人の局長の補佐までやらされる始末。
あの頃の毎日は、本当に地獄のようだった。
それらの日々に比べれば、チャラチャラへっちゃら。
それに、六分街の人々はみんな家族のように優しく、温かい。
大変なことはあっても、ストレスは全くたまらない。
控えめに言って、最高の環境だ。
逃げてきて正解だったと、つくづく思う。
そんなこんなで六分街での生活を満喫していた俺は、その日もバイト帰りに自販機で飲み物を買おうとしていた。
雑貨屋で買ったほうがお得ではある。
しかし、自販機で買う飲み物からでしか味わえない幸福感というものがあるのだ。
特に缶の飲み物がそうだ。
キンキンに冷えた缶。
あの、プシュッと開けた瞬間の感覚。
あれがいい。
それに、時刻は夜。
雑貨屋は営業時間外なのだから、そもそも選択肢に入らない。
かといって、何も気にせず飲み物を買うわけにもいかない。
俺は周囲を十分に警戒してから、自販機の前へと立った。
なぜなら以前、同じように自販機で飲み物を買おうとした際、自販機乞食に遭遇してしまったからだ。
あの乞食は、俺がディニーを投入した瞬間、背後から颯爽と現れた。
そして俺の肩にぶつかりながら、勝手に自販機のボタンを押したのである。
「いったーい!! ちょっとアンタ、どこに目をつけてんのよっ!!」
「えっ、あっ、ごめん」
「全く、ぶつかったのがアタシだったから良いものの……他の不良やギャングだったらアンタ大変な目にあってたわよ?」
「あー……ありがとう、ございます?」
「そうそう、それで良いわ♪ 寛大なアタシに感謝しなさい♪ ってことで、このジュースは慰謝料ってことで貰ってあげるわね♪ それじゃあ♪♪」
「えぇ……??」
それが始まりだった。
それからというもの、その乞食は何かと俺にちょっかいをかけては、飲み物をたかるようになった。
「あら、奇遇ね。今日も自販機で買い物かしら? 前にも言ったけど、自販機で買うより雑貨屋で買い溜めしたほうがお得よ? この缶コーヒーなんか、この前雑貨屋で90ディニーで売ってたんだから。ということで、これは情報代ね♪♪」ガシャン
「見なさいアンタ! 六分街で悪さをしていたギャングたちをとっちめてやったわ! これはその報酬、20万ディニーよ♪♪ このアタシのおかげで六分街は再び平和になったってわけ♪♪ 感謝しなさい♪♪ ということで、これは報酬代ね♪♪」ガシャン
「ちょっとアンタ、困ってることはないの? この邪兎屋のニコ様がアンタの悩みをズバッと解決してあげるわ!! もちろん、それ相応の代金はいただくから♪♪ ということで、これは紹介代ね♪♪」
……という感じだ。
何が「情報代」なのか。
何が「報酬代」なのか。
何が「紹介代」なのか。
そもそも、俺は何も頼んでいない。
しかし、あの女にそんな正論をぶつけたところで、どうせ「そんな細かいことを気にしてるとモテないわよ?」と一蹴される。
だから俺は学習した。
自販機で飲み物を買う時は、あの自販機乞食が周囲にいないことを確認してから買う。
これが、俺が地上で身につけた大切な生活の知恵の1つである。
……とはいえ、何故かここ数日は現れない。
どうせ、良さげな仕事でも見つかったのだろう。
それならそれで、俺としては非常に助かる。
とはいえ、油断していると足元を掬われてしまう。空での経験談だ。
だからこそ、決して警戒は怠らない。
「右よし、左よし、後ろよし。……全部よしっ! (現場ネコ感)」
安全確認を終えた俺は、ようやく財布へと手を伸ばした。
今日こそは、誰にも邪魔されずに缶ジュースを買える。
そう思いながら、財布からディニーを取り出した。
すると、乞食連続非遭遇回数が3回に達したことに、妙な喜びを覚えてしまったからか、財布からディニーがこぼれ落ちてしまった。
ディニーが地面とぶつかり、チリン、と心地の良い音が鳴り響く。
その瞬間——
シュバッ!!
自販機の下からピンク色の残像が横切り、ディニーを掻っ攫っていった。
「まさかの下っ!?!?」
想像を軽々と超えてくる乞食の執念に、思わず感心すら覚えながら、俺はいつものように乞食へ声を上げる。
「この乞食野郎がっ! ついに飲み物だけでなくディニーにまで手を出しやがったなこん畜生っ!! ……って、あれ?」
視線を向けた先に、いつもの乞食はいなかった。
代わりにいたのは——
「にゃあ〜♡」
「——猫?」
ピンクの毛をした猫が、俺の落としたディニーを大切そうに抱えながら、甘い声を漏らしていた。
なんで猫が?
というか、何この毛色?
ピンク?
特異個体?
特殊許可クエスト券いるの?
HR上げないと受注できないの?
頭の中で、そんな疑問がぐるぐると渦巻いていく。
しかし、いくら考えても納得できる答えは出てこない。
むしろ考えれば考えるほど頭が痛くなってきた。
「……って、考えてる場合じゃない。ほ〜ら、猫ちゃ〜ん♪ それは俺のディニーだからね〜♪ いい子だから俺に返して……」
「シャーーーー!!!!」
「ぐわあああああああっ!?!? 目があぁぁぁぁぁぁぁ!?!?」
ピンク毛の猫に手を伸ばした瞬間、猫は爪を立て、俺の顔面を思いっきり引っ掻いた。
想像を絶する痛みに悶絶し、その場に転げ回る俺。
しかし、そんな俺のことなど知ったことかと言わんばかりに、ピンク毛の猫は俺から奪ったディニーをぺろぺろと愛おしそうに舐めている。
「痛ぇ……痛ぇよぉ……。子供の頃に飼ってた犬に噛まれたことはあったけど、ここまで痛くはなかったぞ、おい……」
幸いなことに血は出ていない。
だが、引っ掻かれた場所はジンジンと痛みを発している。
痛みに耐えながらピンク毛の猫へ視線を向けるが、ディニーを返す様子は一切ない。
むしろ、『これはアタシが拾ったディニーなんだから、アタシのものよっ!!』とでも言わんばかりに、こちらを睨みつけている。
「はぁ……。分かった。そのディニーはやるよ」
「にゃにゃあ〜ん♡」
「聞いてねぇし」
大きなため息を吐きながら、俺は再び財布へ手を伸ばす。
——その瞬間。
ドンッ!!
足元に衝撃が走り、俺は思わず姿勢を崩してしまう。
その拍子に、財布の中に入っていたディニーが再びこぼれ落ち、地面へと落ちていく。
シュバッ!!
ジュババババッ!!
そして先ほどと同じようにピンク色の残像が現れ、落ちたディニーを瞬く間に全て回収していく。
「にゃあ〜♡」スリスリ
拾ったディニーに頬を擦り付けるピンク毛の猫。
その姿を見ながら、俺は声を震わせて言った。
「……お前、今、俺の足にタックルしたよな?」
「にゃあ〜?」
「にゃあ〜? じゃねぇよ。財布に手をかけた瞬間を狙って俺の姿勢を崩しただろ。俺の財布のディニーを狙ってただろ?」
「にゃにゃにゃあ〜♪♪」
「こいつ……っ!! 惚けた顔をしやがって……っ!!」
ジワジワと怒りが込み上げ、額に血管が浮き上がっていくのを感じる。
「っ……!! っっっ!!! ……はぁ、アンガーマネジメント、アンガーマネジメント……。空での経験を活かせ」
大きく深呼吸を繰り返し、昂ぶった怒りを落ち着かせる。
そう。
所詮、相手は野良猫。
しかも、あの自販機乞食と同じ、愛嬌0のクソッタレだ。
こんな相手に本気で腹を立てるだけ、バカを見る。
そう自分に言い聞かせ、なんとか気持ちを落ち着かせた俺は、再び財布へ手を伸ばした。
「……にゃあ」
ピタッ。
俺の手が止まる。
そして、チラリと横を見る。
視線の先には、いつでもその瞬間を見逃さないとばかりに鋭い視線を向け、今にも飛びかかれるよう姿勢を低くしているピンク毛の猫がいた。
「てめぇ……っ」
まだ俺のディニーを狙ってやがる。
しかも今度は、財布そのものに直接突撃するつもりらしい。
再び怒りが込み上げてきた。
だが、猫が人間様に勝てる道理などない。
空で鍛え上げた経験をフルに活用し、俺は1つの解決策を思いついた。
それは——
「さらば俺の食事代ッ!!!!」
俺は財布に残っているありったけのディニーを、路地裏へ向かって投げつけた。
月夜に反射したディニーの光がキラリと宙を舞い、幻想的な光景を生み出す。
まるで夜空に舞う星々のようだ。
「にゃにゃにゃぁ〜〜〜〜♡♡♡」
作戦通り。
撒き餌ならぬ、撒きディニーに釣られたピンク毛の猫が、路地裏へ向かって一目散に駆け出していく。
「今だッ!!」
その隙に俺は、隠し持っていたなけなしのディニーを自販機へ押し込み、ボタンを押す。
ガコンッ!
自販機から吐き出された飲み物を素早くポケットへ突っ込み、そのまま全力疾走。
アイシールド21もびっくりの走りで、自宅へと駆けていく。
「はぁ、はぁ……なんだったんだ、あの猫は……」
そして、死に物狂いで家へたどり着いた俺は、そのまま力尽きるようにベッドへ倒れ込んだ。
「自販機乞食の次は、ディニー乞食猫かよ……不幸だ……」
息を整えながらそう呟き、俺は買った飲み物をポケットから取り出す。
「…………買うもの間違えた」
俺が買おうとしていたのは、微糖コーヒー。
しかし、ポケットから出てきたのは『イチゴショート風おでん』。
超絶ゲテモノドリンクだった。
「…………」
俺は無言でそれを見つめる。
どうしてこうなった。
猫から逃げることに必死すぎて、何を買ったのか確認する余裕すらなかったらしい。
その瞬間。
プツン。
何かが、俺の中で静かに切れた。
「…………寝よう」
もう何もかもが嫌になった。
現実逃避するように目を閉じる。
今度からは、下も警戒しなければならない。
そう心に刻みながら、ゆっくりと眠りにつくのだった。
「にゃあ……」スヤスヤ
「…………上にも目をつけるんだってか? ハハっ、ウケる(ウケない)」
目を覚ますと、俺の胸の上でスヤスヤと眠る、昨日のピンク毛の猫がいた。
猫、拾いました(拾ってない)