私の怪我は元々大した事もなく、二日も経てば普通に登校していた。
レイカの体調もすっかり良くなったみたいだし、逆月先生も保健室に復帰していた。
皆それぞれの日常へ戻り始めていた。
ただひとつ、カイトが目を覚まさない事を除いて。
◇
「……お邪魔します」
手慣れた手つきでカイトの家の鍵を開け、中へ入る。ここ毎日の日課だった。
靴を脱ぎ、部屋に上がり、カイトの部屋の扉を開く。
「あ、ヒナちゃんいらっしゃい」
「……ええ」
カイトの部屋では当然の様にレイカがカイトに寄り添っていた。
平常時なら小言の一つも飛び出すところだが、今はレイカを咎められる理由がない。
誰だって、家族が眠ったままだったら心配になって当然なのだから。
「……………………」
ベッドに目をやる、カイトは今日も眠ったまま動かない。
顔を近付けるとほんのわずかに胸部が上下している。浅くはあるがちゃんと呼吸はしているみたいだ。
その程度じゃ何も安心できなかったけれど。
「毎日ありがとねヒナちゃん」
「当然の事をしてるだけよ」
私が毎日ここへ足を運んでいるのはカイトに血を与える為だ。
赫黒く変色した髪、発達した牙。目を開いていた時は右目が深紅の瞳に変化していた。
理由はわからないが、カイトは吸血霊鬼になった。
そして今カイトは飢餓状態に陥っている。だからカイトには血が必要なのだ。
だと言うのに、もう一週間以上毎日血を与えているのに一向に目を覚まさない。
カイトの家に通う事も血を与える事も苦ではない。
一番苦しいのは、カイトの声が聞けない事だから。
「じゃ、くすぐったいの行くよ」
「ん、お願い……」
レイカは毎回私の肩に麻酔をかけてくれる。
私は毎回雑に杭を刺しても構わないと思っていたのだけれど「痕が残っちゃうでしょ!!」とレイカに激怒されて以来、血を流すところまではレイカに頼むようにしているのだ。
終わった後も丁寧に再生液を与えてくれるおかげで私の肩は今日も綺麗なままだ。
「はい、できたよ」
「ありがとう、レイカ」
レイカのおかげで痛み無く肩から血を出せた私は、カイトを抱き上げて口を私の肩にあてがった。
「……ねえヒナちゃん。肩じゃないとダメなの?」
「ダメよ」
「指先とか手首でも良くない?」
「ダメったら」
毎日カイトを抱き締めてる私を見てレイカが酷い事を言う。
これは治療に必要な行為なの、邪な気持ちは一切ないのよ。
「…………抱き締めないと、わからないじゃない」
「何が?」
「……カイトの心臓が、ちゃんと動いてるか」
本当は少し茶化そうとも思ったが、やはりカイトが無事じゃないとそんな気になれなかった。
私は素直な気持ちをレイカに教えてあげた。
「こうやってカイトの鼓動を感じていないと、不安なのよ。カイトが生きてる証を感じてないと……」
「……そっか」
レイカは何も言わなかった。
カイトは今、かなり体温が下がっている。低体温症ではない、吸血霊鬼として平熱が低くなっているのだ。
だから今のカイトに触れてもあまりぬくもりを感じられない。カイトの生きてるという証は心臓の鼓動でしか確認できないのだ。
「……いつまで寝てるのよ、カイト」
私の知ってるカイトは人間だ。だからって、もしカイトが人間でなくなっても私の気持ちは変わらない。
あの時【銀血】から私を庇ってくれたのは間違いなく私の知ってるカイトだったから。
私はどんなカイトでも受け入れる。どんな姿でも恐れたりしない。だから。
「……早く起きなさいよ」
震える声で、カイトの耳元に囁いた。
◇
「はい、今日は終わり!」
「…………ふぅ」
今日もカイトは起きなかった。
いつもレイカが今日はここまでと私を止める。と言うのも初日に私が無理して血を与え過ぎたせいでふらふらになったからだ。
わかっている、私が焦りすぎているというのは。そのせいで自分の体調を省みないでカイトに血を与えてしまう事も。
だからこうしてストッパーになってくれるレイカはありがたかった。
「ほうら、肩を見せるといい。お姉さんが治してあげよう。
「ええ、ありがとう……」
私はいつも通り私の傷口を塞いでくれるレイカに肩を向けて……。
「ウワ゚ーーーッ!!?」
呼んだ覚えのない人が目の前に居て汚い悲鳴を上げてしまった。
「さささ、逆月先生!?」
「あー、紗霧ちゃんだ」
「うむうむ、みんなのアイドル紗霧ちゃんだとも」
「何やってるんですか!!」
疑問をぶつける私を無視して逆月先生は舌を見せながら私の肩に近寄る。
「まあまあ、まずは止血しないとじゃないかぁ……ほうら、お姉さんに傷口見せてごらぁん?」
「うぅっ……きも」
「きも!?」
しまった、咄嗟に本音が漏れてしまった。
仕方ないじゃないか、気持ち悪かったのだから。
「レイカ君に輸血パックを届けるついでに神上生徒の様子を見に来たのだが、鍵が開いていたようだったから勝手にお邪魔させてもらったよ」
「あ……忘れてた」
「神上生徒の事が気がかりなのは無理もないが、人の家の鍵くらいちゃんと閉めないとねぇ……よし、終わったよ」
気付かないうちに私の肩を治していた逆月先生。
「……なんか嬉しそうですね」
「え!? いやいやそんな、たまたま美味しい血を味わえてラッキーだなんて思ってないよ!?」
「はぁ…………」
逆月先生は前にも私を治療してくれた事がある。その時もこうしてどさくさに紛れて私の血を舐めていた。
まあ私も助かるし、どうあったって多少は口に入る物だろうから構わないけれど。
私はシャツの首元を直し、制服をきちんと着直してから逆月先生に色々と質問を投げかけた。
「……先生、身体はもう大丈夫なんですか?」
「無論、見ての通りさ!」
「……だから聞いてるんですけど?」
逆月先生は元気よく私に両手を見せた。
包帯と湿布まみれ、どう考えても無事じゃない。それは普通無事をアピールする時の動きだろう。
「……日常生活に支障は無いよ。ただ、あの時の様に全力で戦ったり振り回したりはもう出来ないだろうね」
「そうですか……」
「そんな顔しないでくれたまえ! どうせもう【銀血】は居ないんだ、私がそんなに必死に戦う必要も無い。後は現代の退魔師たちに任せるさ。あっ、余った退魔用の武器、
「わかりました。時間が出来たら伺います」
あの
それに逆月先生は誰よりも頑張ってくれた、それぐらいの頼みならやってあげるべきだ。
「私の事よりも、今はもっと気にしないといけない子が居るだろう?」
「そうですね……カイトもまだ目を覚まさないですし」
「神上生徒もだが……キミもだぞ、レイカ君」
「へっ、あ、あたし!?」
逆月先生は視線を私からレイカに向け、その両手に輸血パックの入った袋をぽんと置いた。
「ちゃんと血は飲んでいるのかい? 見るからに痩せこけているじゃないか」
「……あ、あはは」
逆月先生の言う通り、レイカの顔色は私も気になっていた。
元々やせ型だったレイカはさらに細くなり、顔色だってどこか青ざめている。
栄養か血液、どちらかが足りていないのは明らかだった。
「あたしもね、ちゃんと飲まなきゃって思ってはいるんだけど……カイト以外の血だとどうしても手が進まなくて……」
レイカはそう言って視線をカイトに向けた。
無理もない、レイカは今までカイトの血だけを飲んで過ごしてきたのだ。それも吸血と言う行為に血の味以上の物をカイトに求めて。
流石に今のカイトから血を貰う訳にはいかないだろうけど、そう簡単に割り切れる者でも無いんだろう。
「気持ちはわかってやれないでもないがね、最悪なのは彼だけでなくレイカ君まで体調を崩してしまう事だよ。彼の事を思うのであれば、彼が起きた時にいつでも元気な顔を見せてやれるようにしっかり血を飲む事。いいね?」
「…………うん」
「よろしい」
レイカが小さく頷くと、逆月先生は微笑みながらレイカの頭を撫でた。
カイトが動けない今、逆月先生はレイカの保護者代わりのつもりなのだろうか。
だとすればありがたい話だ。私はレイカの友人や家族にはなれても保護者とはやはり違うから。
「さて、それでは私は退散……と言いたいんだが、君達二人にもう少し話があるんだ。レイカ君、リビングを借りてもいいかな?」
「え? うん、いいけど……ここじゃダメなの?」
「少し長くなりそうだからね、立ち話もなんだろう」
逆月先生はそう言ってカイトの部屋を出てリビングに向かった。
私とレイカも先生に続いた。
「……またね、カイト」
返事のないカイトに、小声で別れを告げた。
◇
「それで話って言うのは……?」
リビングに移動し、私とレイカはテーブルを挟んで逆月先生の反対側に座っていた。
「無論神上生徒の事だ」
先生はそう言って手帳を取り出し、ペラペラとページをめくった。
器用にめくるので本当にあのボロボロの手でも生活できているんだと少しだけ安心した。
「白銀生徒、レイカ君。君達の記憶、あるいは知識の中に「神上
「……?」
聞いた事の無い名前だった。首をかしげて返事をする。
神上露美愛? 話の流れ的にカイトの関係者だろうか。
どちらにせよ私の頭の中にその名前は無い。レイカはどうだろうと思い隣を向いた。
「あっ……」
「おや?」
私と違い、レイカはなにやらハッとした顔を浮かべていた。
その人の名前にピンとくるものがあったのだろう。
「レイカ君は聞いた事があるようだね」
「うん、カイトから聞いた……カイトのお母さんの名前だよ」
「えっ!?」
レイカの口から驚くべき情報が投下された。
カイトのお母さんの名前、聞いた事無かった。と言うかカイトは生まれた時から母親が居ないと言っていたし、話題にもほとんど上がった事がない。
それをレイカが知っているというのは非常に驚いた。
「なるほど……やはりか。その一言が聞けただけで充分だよ」
逆月先生はそう言ってまた手帳を数枚めくり、そこに書いてあるらしい情報を見ながら私達に説明してくれた。
「神上露美愛。とある病院で子供を、つまり神上生徒を出産後まもなくこの世を去った……
「…………ん」
「驚かないのかい?」
「……予想はしてましたから」
私もレイカも、黙って話を聞いていた。
カイトは今吸血霊鬼になっている。ならその血筋のどこかに吸血霊鬼が居たかもしれないというのは想像に難くない。
この半月の間何度も思い至った結論だ
「むしろ先生がどこからそんな情報拾ってきたかって方が不思議ですよ」
「いや~、お姉さんはこのウン百年の間に各地の医療機関と仲良しになったからねぇ」
先生はそう言ってポケットから輸血パックを取り出してちゅーっと吸った。
そりゃこれだけ自由に輸血パックを仕入れ、個人の裁量で各地の学校の保険医になれる時点で普通じゃないとは思っていたけれど。
まあそれも千年以上を生きた元大魔族と考えれば、多少の人脈は持っていない方が不自然か。
「それで、問題はここからだ」
先生は手帳をパタンと閉じ、指先でテーブルをなぞりながら語り出した。
「白銀生徒に質問だ。人間と吸血霊鬼の間に子供が出来たら、その子供はどうなる?」
「それはもちろん混血が生まれてきますよね?」
「そうだ。混血の
先生は質問と言ったが、これはきっと私の中の常識を確認したのだろう。
当然知っている。退魔師としてと言う訳ではないが、むしろ現在はレイカの様な純血より混血の方がメジャーだと言う事も知っている。
「それでは重ねて質問だ。その混血の吸血霊鬼と人間が子を生んだらどうなる?」
「えっ? えっと…………?」
今度の問いには即座に応える事が出来なかった。
普通に考えれば吸血霊鬼のクォーターが生まれてくると想像できるのだが、その存在を一度も認識した事が無かったからだ。
「知らなくて当然だ。これは昨今になってようやく規則性が解明されたのだけれどね、吸血霊鬼は
クォーター。ハーフが半分ならクォーターは四分の一。国際結婚した家庭とかでもよく聞く単語だろう。
だが何故だ、吸血霊鬼にもハーフと言う概念があるのなら同じ様にクォーターがあってしかるべきなのに。
「えっ……でも混血と人の間に生まれた人だって居ますよね?」
「当然居る。だがね、そうして生まれてきた人間は
そうか、おそらく吸血霊鬼の血が表に出てくるのは半分まで。それ以上薄まるとその血が発現しないんだ。
だが私は聞き逃さなかった。先生が今とある前提を置いたのを。
「……待ってください。今、原則としてって言いました?」
「ああ」
「それはつまり……例外も居たと言う事ですか?」
「ふふっ、私の戦友殿は頼もしいね」
お褒めに預かり光栄。でもそれはカイトの為だからだ。
先生は再び手帳をめくり、かなり後ろの方のページを開いた。
「調べるのは苦労したが、それでも確かに存在していたよ。四
先生は手帳の内容を読み上げる様にして私達に語る。
「吸血霊鬼のクォーターとして生まれて来た人間が病や外傷によって生命の危機にさらされた時、稀に生存本能が吸血霊鬼の血を叩き起こし、傷や病を治したという記録が何件か残されていたんだ」
「それって……!?」
「そう、神上生徒の時と似ているだろう?」
カイトは【銀血】によって心臓を潰された。
先生の情報を聞いたうえで考えると、レイカの再生液に重ねてその生存本能に呼び起された吸血霊鬼の血がカイトの身体を修復したと言う事だろうか。
「それじゃあ、どうしてカイトは目覚めないんですか? 吸血霊鬼の血は傷を治してくれるんですよね?」
「…………その通りだ。だがこの話には続きがある」
カイトの回復にも希望が見えて来た。そう思った矢先に先生の表情が曇った。
その続きとやらに理由があるのだろうか。
「重傷を負ったクォーターが吸血霊鬼の治癒能力によって回復した場合、一時的には元通りになる。しかしその後、確認されている全ての症例で再び昏睡状態に陥っているんだ」
「それは……カイトと同じ様に?」
「そう。そしてこれはあくまで現時点で、と言う話だから落ち着いて聞いてほしいのだが……」
先生はそこで一度口を閉じ、言うべきか悩んだ後、ゆっくりと口を開けた。
「…………その昏睡状態から目覚めた者は、誰も居ないらしい」
「…………」
「そっ…………」
そんな事があって良いわけがない。
そんな縋るような言葉すら出てこなかった。
レイカも、私も。ただ目を見開いて受け入れがたい現実を受け止める事しか出来なかった。
◇
「……さて、脅すのはここまでにしようか」
黙ってテーブルを見つめる私達を前に、逆月先生は手帳を閉じてポケットにしまった。
その先生の口調は、先程までよりどこか明るかった。
「安心したまえ二人共、今語ったのはあくまで現時点でと言う話だ。だが神上生徒はまだ生きている。そして私は、彼は助かると見込んでいる」
「っ!?」
先生の言葉に咄嗟に顔を上げる。
「なぜ今までのクォーター達が助からなかったか。私はこれを、血液の質が原因だと踏んでいる」
「どういうことですか?」
「先程神上生徒の母君が出産と共に亡くなったという話はしたね。実は混血と言うのは純血よりも能力を行使する為の
「燃費って……具体的にはどういう」
「同じ大きさの傷だとしても、治すのに必要なエネルギーが純血と混血では違う。また必要量だけでなく、要求される質も高くなる。つまり混血の治療には上質な血液が多く必要になるという訳だ」
先生から伝えられた情報はどれも初めて聞いたものばかりだった。退魔師として勉強していた時だってこんな情報なかった。
これは吸血霊鬼でありながら人間の医療機関と関わりのある逆月先生だからこそ知り得た情報なのだろうか。
「それで私はとある仮説を提示したい。クォーターは混血よりも傷を治す燃費が悪く、またクォーターは混血よりも更に質の高い血液を、混血よりもたくさん要求するのではないだろうか、と」
「先生、それって……」
「ああ、しかし困った!! それではクォーターの近くにたまたま最上級の血液を持った人間がいなければ治療に当たる事は出来ないではないか!! ああ困った困った……んん? おや? おやおや??」
先生は頭を抱えて大変困った様子の演技をした後に、わざとらしく私の顔を覗き込んだ。
そしてニヤリと笑顔を浮かべ、両手で私を指差した。
「なんと! ここにいるではないか!! かの大魔族
「私……カイトを助けられる?」
「かいと……助かるの!?」
おちゃらけて空気を和ませる逆月先生の、おちゃらけている癖に内容には納得のいく説明を受け、私とレイカの顔が徐々に明るくなっていった。
「あくまで私の希望的観測が多分に含まれた持論だが、的外れな事を言っているつもりも無いよ。助かった前例がなかったのはそこまでのレベルの輸血パックを用意出来なかったからだろう。しかし神上生徒が命がけて守った君こそ、その条件を余裕で満たせるほどの血の持ち主だった訳だ」
自分の胸に手を当てて、高鳴る鼓動を感じる。
私の血が、カイトの役に立てる。
今まで何度も吸血霊鬼に狙われ、何一ついい事なんて無かった私の血。
お母さんを巻き込んで、カイトを巻き込んで、私が居なければって思った程だったこの血が、カイトを助ける突破口になる。
「私……続けます。カイトの治療」
「ああ。とは言え今まで通り、無理は禁物だよ? 半月与えてもまだ回復しないんだ、長期戦は覚悟した方がいい。特に焦るのはダメだ。君に何かあれば君だけでなく神上生徒の命も危うくなるからね」
「わかりました……任せてください」
初めて自分の血の事を好きになれた。
大好きな人を助けられるかもしれないんだ。
「レイカ君。今まで通り、白銀生徒が無茶しない様見張っていてくれ」
「わかった!」
「それと、レイカ君もちゃんと血を飲む事。好き嫌いは良くないぞ!」
「わ……わかった」
先生に釘を刺され、複雑な表情をするレイカ。
でもこれできっとレイカもちゃんと血を飲むだろう。
自分が居なければ私が無茶するかもしれない。それだと二人とも危ないかもしれない。そんな図式がレイカの中で組み上がっているかもしれない。
私だって自分の身をちゃんと大事にしなければ。今、この身体は私だけの物じゃないんだ。
「必ず神上生徒を叩き起こすぞ。そしてありったけの感謝をぶつけてやろうじゃないか」
「うん!!」
「はいっ!!」
私達はみんなカイトに助けられたんだ。
だから今度は私達全員でカイトを助ける。
私、いつまでも待ってるから。早く起きてね、カイト。