「…………」
「うふふっ♪」
おっかしいなぁ。
死んだはずの母さんがまた出て来たぞ。
それも楽しそうにずーっと俺の顔を眺めている。非常にご機嫌そうにニコニコしながらずっとだ。
「えと……母さん?」
「まあ! またお母さんって呼んでくれるのね! 本当に嬉しい……」
「いや喜んでくれるのは別にいいんだけど……」
ダメだ、この人俺が何しても嬉しそうにして話が進まねえ。
さっきまたこの
しかし、いい加減説明してもらわないと困る。俺は覚えてるんだからな、前回の別れ際に「話したい事はまだある」「でもまた会える」って言ってほとんど何も聞かされてない事を。
「……そろそろ聞かせてくれよ、全部」
「全部?」
「そ、全部。ここは何なのかとか、あの力は何なんだよとか、あとはその……アンタは本当に母さんなのかとか」
最後の質問だけ少し言い淀む。
俺がこう言って目の前の人を悲しませてしまったらどうしようって考えていたからだ。
おかしな話だ、そもそもちゃんと人かすらもわかってないのに。
「もう、せっかちなんだから。もっともっとゆっくりしなきゃダメなのよ?」
「だからそんな事言ってらんねえんだって。前にも言ったろ、俺の事待ってる奴らが居るって」
前回と違って、今回はちゃんと記憶がある。
レイ、ヒナ、紗霧ちゃんと一緒に
「話さねえってんなら、俺はもう行くぞ。母さんと居るのが嫌って訳じゃねえけど、もっと一緒に居たい奴らが俺には……」
「それはだめ」
「はぁっ!?」
痺れを切らした俺は立ち上がってこの家を出ようとしたのだが、母さんがキッパリと俺の行動を阻止した。
「前回は外が大変だったから送り出してあげたけど、今回は絶対だめ。行かないで」
「何でだよ」
「カイトの命にかかわるからよ」
「…………はぁ~~~~っ」
訳が分からなかったし無視しても良かった。だけどニコニコしていた母さんが急に真剣な顔をするもんだから、無駄に反抗する気も起きなくなってしまった。
俺は大きなため息をついて再度椅子に座った。
不機嫌そうに頬杖をついて母さんを睨むと、母さんは再びニコニコし始めた。
「それなら余計説明してくれよ。とりあえず、話が終わるまではこうやって黙って聞いてるからさ」
「……ふふ、そうねぇ……そこまで言うなら仕方ないか。本当は余計な事なんて知らず気付かず、平和な一人の男の子として生きてほしかったんだけど」
俺と入れ替わりになる様に母さんは立ち上がり、キッチンに向かってカップを二つ用意した。
「コーヒーでも飲みながら話しましょうか。カイトも好きよね、コーヒー」
「……ん」
小さく頷くと、母さんはまたニコニコ。
俺を産んで死んだはずの母さんがなんで俺の好み知ってんだよ。
その辺も込みで全部話してもらうからな。
◇
「それじゃあ、何から聞きたい?」
俺と自分の前にコーヒーカップを置いた母さんは、俺にそう訊ねた。
少し思案しながらカップを手に取り一口含む。好みの苦さだ、どういう事だよ。
そうだな、最初の質問はこれにするか。
「……アンタは本当に俺の母さんなのか?」
「もちろん。お腹を痛めてカイトを産んだ、正真正銘お母さんよ」
母さんは自分の腹をさすりながらそう答えた。淀みもない、思考時間もない、何の躊躇いもなくそう答えた。
「でもよ、母さんは俺を産んですぐに死んだんだろ? ここが現実じゃねえってのは何となくわかるけど、なんで母さんとこうして話せてるんだよ」
「それなら、ここの部屋の説明からかしらね」
母さんは部屋の中を見渡しながら、ゆっくりと言葉を並べていった。
「まずここはカイトの心の中よ。ほら、ゲームやアニメでよくあるじゃない、主人公が自分の精神世界で誰かと会話するシーン」
「随分サブカルにも詳しいんだな……」
「カイトが遊んでるのを見てたからね」
そう言われ、自分がやっていたゲームや見たアニメ、マンガを軽く思い出す。確かにいくつか思い当たる作品があった。
「でもさぁ、そんなもんホイホイ信じろって言われても……」
「あら? チカゲちゃんの記憶操作は信じたのに、こうして話してる私の言葉は信じてくれないの? 現にこうしてカイトも居る場所なのに」
「……………………ほんとどこまで知ってんだよ」
俺の精神世界だなんて話、ファンタジーすぎて受け入れられなかった。それこそ俺の知ってるゲームもなんたらファンタジーだったし。
とはいえチカゲの記憶操作の説明を引き合いに出されると弱いんだよな。ありえないものは信じないけど、目の前でありえてしまったら信じざるを得ないというか。
「安心して、普通の人にとっては起こる訳もない、ファンタジーみたいな力なのは否定しないわ」
「……って言うと、やっぱり吸血霊鬼絡みなのか?」
「うん、半分正解」
母さんは指をピースさせながらそう答えた。
「半分?」
「由来は吸血霊鬼の力だろうけど、これが吸血霊鬼にとって一般的な力じゃないからかな。だってお母さん、誰かからこんな事出来るって聞いた事無いもの……あっ! お母さんが吸血霊鬼だって言うのは……」
「大丈夫だ、とっくに気付いてたよ」
「そっか。なら詳細は後でいいわね」
母さんの目はレイと同じ目をしてる。それは吸血霊鬼の特徴だとチカゲに教わった。
紗霧ちゃんやメアリ、なんならあの【銀血】だって同じ目をしてたんだから確定でいいだろう。
「それでこの空間だけど、もしかしたら一人の心の中に別の心が入り込むと、その二つの心がこうしてお話できるように自然と出来上がっていくんじゃないかなあって思うの」
「曖昧だなぁ」
「しょうがないでしょ、さっきも言った通り今まで聞いた事なんて無いんだから」
そりゃ前例が無いものをルール付けするのはどの時代も大変だろうけど。
こればっかりは母さんの仮定をそのまま受け取るしかないか。
「そんじゃ、なんで俺の中に母さんの心が入り込んだんだよ」
「え~? カイトはお母さんと一緒じゃ嫌?」
「嫌だね。思春期男子のプライベートを母親に覗かれてるなんて死活問題だぜ」
「や~ん! お母さん悲しい♪」
母さんは身体をくねらせて悲しむふりをしていた。
俺もそれを見てクスッと笑う。別に本気で嫌がってる訳じゃないさ、こうして母さんと会話できるなんて夢にも思わなかったんだから。
「……そうねぇ、これもやっぱり聞いた事がないから断言はできないけれど、あれが原因かもなぁって言うのはちょっとあるの」
遠い昔を思い返す様に、遠い目をした母さんは自分の腹をさすった。
「カイトが難産だったのは……お母さんのその後を考えればすぐわかるわよね」
「……ああ」
「でもね、出産って言うのは母親だけが大変なんじゃないの。カイトもすごく大変だったのよ」
「……と言うと?」
「あの時は本当に生きた心地がしなかったな……まあすぐ死んじゃったんだけど」
とんでもない事を口走ってウィンクをかます母さん。
笑えないブラックジョークはよしてくれないか。どんな顔をして聞けばいいんだ。
「生まれてすぐのカイトはね、息をしてなかったの。普通は生まれるのと同時に産声が聞こえるでしょ? カイトはそれが無かった。身体は軽くなったのに、痛みも引いていくのに、いつまで経ってもあなたの声だけが聞こえなかった」
「……そうだったのか」
俺は医者じゃないけど、生まれたばかりの赤ん坊が泣かないのにはいくつか理由があると思う。まだ肺に水が溜まってるとか、意識がはっきりして無いとか……生まれてくる事が出来なかったとか。
決死の思いで産んだ子が声を上げない。それは母親にとってどれだけ絶望的な事なのだろうか。
「お医者さんがカイトをひっくり返したり、背中を叩いたり色々したんだけど、カイトの顔はどんどん青くなっていってね。みんな大慌てだった。そこで一人のお医者さんが「とにかくお母さんの隣に」って言って、対策を考えている間私の傍にカイトを寝かせてくれたの」
母さんは俺を見て、すごく優しい顔で微笑んだ。
レイの部屋に置いてあった母さんの絵と同じ様な顔で。
「泣いてなくても、青ざめてても、とっても可愛かった……私の赤ちゃん、生まれて来てくれたんだって」
「…………」
「嬉しいのと同時に、絶対に死なせないって思った」
母さんは自分の口に手を当て、指で口角をニッと上げた。
唇の奥には鋭く尖った二つの牙が見えた。
「考える前に身体が動いてた。私はカイトの口に再生液を流し込んだわ」
「っ……それって!?」
驚く俺に、母さんは微笑んだままだった。
吸血霊鬼の再生液。それがどういうものなのかは誰よりも知っているし、作りすぎるとどうなるのかもつい最近知った。
俺を助ける為にあそこまで疲弊したレイを見ればそれ以上の言葉は要らない。
それを出産直後の、それも身体が弱かった母さんが無理に行えばどうなるか。
「しばらくして身体が灰になり始めた。本当に限界だったんでしょうけど、それでも私はあなたを離さなかった。必死に抱き締めて、再生液を作り続けて、私の身体はどんどん灰になっていって…………」
なんて重い内容なのか。
そんな重い話をしながらも、母さんはずっと笑顔で幸せそうに俺を見ていた。
「意識も朦朧とし始めた時、ようやくあなたの声が聞けたの。おぎゃあ、おぎゃあって。それで私はようやく安心できたの」
「母さん…………」
「そこで私の意識は途切れたわ。残されたのは私の灰と、大切なカイト」
母さんは少しテーブルに身を乗り出して、俺の頭を撫でた。
「……こうしてあなたが大きく成長してくれて、本当によかったわ」
母親って言うのは、みんなこんなに強いのかな。
俺は子供だし、男だし、全然想像がつかねえや。
すげえなぁ、母親って。
◇
「それでね、命を削りながら作った再生液が原因じゃないかなって私は思うの」
座り直した母さんは再び仮説を提唱した。
「どうしてそう思うんだ?」
「覚えてる? レイカちゃんがカイトの為に必死に再生液を与えてくれていたの」
「もちろん覚えてるけど」
「あの時、ここまでレイカちゃんの声が聞こえてたんでしょう?」
「…………ああ」
母さんの言う通り、俺はずっとレイの声が聞こえてた。
レイとの記憶を思い出しただけじゃない、レイが必死に俺に語り掛ける声が届いていたんだ。
考えてみれば、俺に再生液を与えてるって事はレイは喋れないよな。じゃああれは本当の声じゃないって事か。
レイの心があの時だけ俺と繋がってたって事か?
「お母さんも最近までぼんやりとしか考えてなかったけど、レイカちゃんの時に似たような事が起きたって事はそう考えていいんじゃないかな」
「……それも気になってんだけどさ」
「なあに?」
母さんがさっきから当然の様に俺の経験したことをしゃべるから聞きそびれていたが、いい加減この辺りで聞いておくべきか。
「その、母さんは俺の事……っつーか俺が見て聞いたもの、どんくらい知ってんだよ」
「あらあら…………うふふふふふふふ」
俺の聞き辛そうな顔を見て母さんは嫌な笑い声を溢す。
こういう人をからかって喜びそうな顔、紗霧ちゃんみてえだな。
「カイトはどのくらいであってほしい?」
「…………数か月に一度とか、数年に一度とか」
会話の流れ的に絶対そんな訳ないのに、縋る思いでそう口にしてしまった。
意地悪な顔を浮かべる母さんはニンマリと口を開け、楽しそうに言った。
「ぜ・ん・ぶ♪」
「オァーーーーーッ!!!」
俺は横転した。
椅子から転げ落ちて床に膝をついた。
俺は泣いた。悲しくて悲しくて、俺は泣いた。
さっきは母さんと話せたから許すと言ったが前言撤回だ! 全部見てんのは話が違うだろ!!
「嫌だァァァァッッ!!!」
「どうしてよ~? お母さんがいつでも見守ってあげてるのよ?」
「息子だぞ!? 思春期男子だぞ!? 母親に四六時中監視されて嬉しい訳ねえだろオァァァァッ!!!」
泣き叫ぶ俺を見て母さんはケラケラ笑っていた。
やっぱりこの人、今までの話の内容が重い物ばっかりだったからわからなかったけど、本質的には紗霧ちゃんみたいに人をからかって楽しむタイプだ。
ちくしょう、母親がどういうものかようやく実感できたと思ったのに、こんな事まで実感させなくていいんだよ。
「ふふふ……でも安心していいわ。見ていたといいても私の意識がずっとあった訳じゃないし、きっとカイトと顔を合わせられるのもこれが最後……と言うか最後であってほしいし」
「あ……えっ?」
笑っていたかと思ったら、今度は切なそうな顔で俺を見つめるものだから調子が狂ってしまう。
「どういう事だ?」
「なんて言うのかな……私はいつも夢を見ているみたいって言うか、意識もずっとぼんやりしてるのよ。カイトを見ていたって言うのも、私が夢として経験してるみたいな感じって言うか。例えば、レイカちゃんに膝枕されてるカイトを見て、私も生きてたらカイトにこうやってしてあげたのかなぁとか……」
「…………」
そうだよな、おかしいと思ってたんだ。俺の中に母さんの膝枕の記憶があるの。
母さんが膝枕の夢を見て、それが俺の意識とほんの少しだけ混ざったって事か。
「それにね、こうやってカイトの意識が私を認識できてるって事は、死にかけてたり危険な状態って事でしょう? そんな事はもう二度とない方がいいじゃない」
「……まあ」
母親からしてみれば、いくら息子と会えるって言ったってその度に死にかけてもらっては心臓がいくらあっても足りないか。
いや、もう心臓ねえんだけどさこの人。
「だからね、本当に天国から見守ってる程度に思ってくれていいわ」
「……そっか」
これが母さんと会える最後の機会か。
俺だって何度も死ぬような目に遭うのはごめんだからな。
でもこれが最後だと思ったら、なんか身体が勝手に動いてしまった。
「……カイト?」
俺は母さんの目の前に立ち、黙って抱き締めた。
「どうしたの? 寂しくなっちゃった?」
「…………そうかもな」
俺は最近自覚した、結構な寂しがり屋である事を。
顔も知らないし二度と会えないと思っていたから会いたいと思う事も無かった母さん。
だけどこうして顔を合わせて会話して、これが最後だなんて言われたら離れ辛くもなる。
「安心しろ。もう二度とここには来ねえよ」
「うん、ぜひそうしてね」
「だから母さんもまあ……安心して俺の中で寝てろ」
「ふふっ、母親想いのいい子に育って、お母さん嬉しいなぁ……」
そう呟く母さんの声は心底嬉しそうで、優しくて。
ほんの少しだけ涙ぐんでいたような気がした。
◇
「んでさ、結局俺はいつになったら帰れんだよ」
元の位置に座り直して、再び母さんに訊ねてみる。
「わからないわ。でも今じゃないって事は確か」
「曖昧だな……」
「当然でしょう? こうしてここに居るって事はまだ昏睡状態って事だし、カイトに異変が無いって事は起きそうな気配もないって事。それにカイトの意識がない間はお母さんも外の事わからないもの」
「そりゃそうか……」
母さんが知っているのはあくまで俺が見て聞いたものだけだ。俺が見ても聞いても居ないんだから外の状況教えろって方が酷な話か。
「でもね、少なくとも悪い状況じゃないと思うな」
「どうしてだよ」
「カイトが命を繋ぎとめてるって事は、誰かがカイトの為に頑張ってるって事だもん」
母さんは冷めて湯気もなくなったコーヒーカップを覗き込み、水面に映った自分の顔を見つめていた。
「カイトは多分、吸血霊鬼の飢餓状態みたいなものだと思うの。どうしてカイトがそうなったのかまでは私もわからないんだけど……」
「まあなんとなくわかるよ。あの時の俺は明らかに吸血霊鬼だったし、全部終わってからめちゃくちゃ渇いたのを覚えてる」
そう、俺はあの時渇いていた。
それが正しい表現かはわからない。喉が渇いたとも言えるし、何かを渇望していたとも言える。
俺の身体に必要な何かが根こそぎ枯れ果てていたような、そんな感覚。
「でね、そのカイトが生きてるって事は、誰かが貴重な血をたくさん分けてくれてるって事なんじゃないかな」
「貴重な血……」
「飢餓状態からの回復って、美味しい血かたくさんの血、もしくはその両方が必要だから」
「……っ!?」
貴重な血。それを聞いて真っ先に思いついた奴がいた。
「ヒナ……」
「うん、お母さんもそう思う」
俺の周りで純粋な人間で、俺に血を分けてくれそうで、上質な血を持ってる奴。
そんなの一人しか思い浮かばなかった。
「あいつ、無理してねえかな……」
「しちゃうかもね。ヒナタちゃん、カイトの事本当に大好きみたいだから」
俺が目覚めた時、レイは相当疲弊してた。
再生液になってるかはわからなかったけど、見よう見まねで俺の唾液をレイに流し込んでからはある程度身体が楽になってそうだった。逆に言えばそれまでのレイは本当に辛そうだった。
もしヒナもあの時のレイみたいに無茶してたらと思うと気が気じゃなかった。
「でも、もしカイトが目覚めそうになったら、今度は誰の声を頼りに帰るかは迷わなくて良さそうね」
「……ああ」
ヒナはきっと、俺の事を必死で助けようとしてくれてる。
ヒナだけじゃない、レイも、もしかしたら紗霧ちゃんも。
「カイト、あなたは頑張ったわ。だから今は、みんなの事を信じてゆっくりしてなさい」
「…………そうだな」
どのみち俺に出来る事はない。
皆を信じて待てと言うならそうしようじゃないか。
「…………さて! それじゃあ晩御飯の用意しましょうか! カイトの誕生日祝いに何でも作ってあげるわよ!」
「いや、またここのカレンダー俺の誕生日なのかよ!? ずっとそうじゃねえか!!」
「お母さんはカイトの生まれた日しかカイトと会ってなかったのよ? 私達の空間がその日付しかイメージできないのは仕方ないでしょう!」
「そうか……そうか?」
母さんの強引な理論に俺は食卓につかされ、晩飯の完成を待機させられた。
「……しょーがねえな、母さんが祝えなかった十六回分、素直に祝われてやるよ」
「……うん! お母さんに任せなさい!!」
張り切る母さんを前に観念した俺は、何度目かわからない母さんからのお祝いメニューを平らげるのだった。