吸血霊鬼のレイカさん   作:ラティーシャ

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第六十話【白銀色の陽に向かって】

 

 

 カイトが倒れて一ヶ月が経過した。

 逆月先生がカイトの治療法を考え、三人で相談してからも早二週間、カイトは一度も目覚めていない。

 

「━━ガチャン」

 

 放課後、私は毎日カイトの家に足を運んでいる。私の血をカイトに与える為に。

 一応逆月先生がもしもの時の為にって言って、私以外の高品質な血液が入った輸血パックを少量だけど確保してくれている。

 それでも私は一日たりともこの日課を欠かしたくなかった。

 もし私が甘えた事でカイトの回復が遅れたら、回復しなくなってしまったら、考えただけでも震えが止まらなかったからだ。

 

「…………あれ?」

 

 いつも通りにカイトの部屋へまっすぐ進むが、レイカの姿が見えない。

 カイトの部屋にはベッドに横たわるカイト一人。

 

「どこ行ったのよあの子。っていうか一人で出掛けるんだ……」

 

 どこかに書置きでも残されていないかと家の中をうろうろしていると、リビングのテーブルに一枚のメモが。レイカはちゃんと書置きを残していた。

 

「何々……「紗霧ちゃんの所に輸血パックを貰いに行ってきます。待ってて」……逆月先生って事は学校? 何よ、入れ違いになっちゃったじゃない」

 

 レイカの行き先は学校だった。それならどこかですれ違ってもいいのではと思うが、あの子の事だから姿を消して空でも飛んでいたんだろう。

 

「こういう時、空を飛べるって便利ね。どこでも直線距離で進めるんだから」

 

 私はメモをポケットにしまうと、すたすたとカイトの部屋へ向かった。

 

「別にレイカを待たなくたって、ちょっと痛い程度の事よ」

 

 カイトに血を与える時、いつもレイカに丁寧に麻酔からかけてもらっている。その為痛みも傷跡も残らず安全に血を与えられていた。

 だが別にレイカが居ないと血を流せない訳ではない。私は退魔師として常に杭を何本が持ち歩いているのだからそれで軽く傷を付ければいい。傷跡はレイカが帰ってきてから診て貰えばいいだろう。

 

「━━つぷっ……」

 

 いつもの場所に杭を軽く突き刺す。以前慌てて傷を付けた時よりも感じる痛みが少なかった。麻酔ありとは言え何度も傷付けたから首筋の痛覚が弱くなっているのだろうか。

 

「……よし、こんなものでいいかな」

 

 私は杭と、師匠に貰った指輪、いつも身に付けていた十字架(ロザリオ)を全て外し、カイトのベッドに乗った。

 どんな些細な銀製品でもカイトにどんな影響があるかわからないから。

 

「さ、おいで。カイト……」

 

 いつもの様にカイトの身体を起こし、口に血が入るよう抱き締める。

 カイトの身体は流し込まれた私の血を飲み込み始めた。

 それを確認した私は、カイトの耳に顔を近付け、小声で囁いた。

 

 

 

「…………ねえカイト、少し話さない?」

 

 

 

 レイカが居ないのにも関わらず血を与え始めたのには理由があった。無茶して突っ走ろうとしていた訳じゃない。

 ただ、レイカが居る前ではちょっと恥ずかしい様な昔の話をカイトとしたかったのだ。

 と言ってもカイトからの返事はないだろうけど。

 

「私はね、カイトの事が好き。でもいつから好きなんだろうって、最近よく考えてたんだ」

 

 ずっと前からそうなのかもしれないって自覚はあった。それが確信に変わったのはカイトに告白したあの日。雨の中、いつもの場所にカイトが迎えに来てくれた日。

 でも、その思いがいつ始まったのかはまだぼんやりしていたのだ。

 

「それで思ったんだ。きっとそれはちっちゃい頃、やっぱりあの公園の遊具でだと思うの」

 

 まだ小学生の頃。私は悲しい事があるといつも決まってあの公園の遊具に逃げ込んだ。

 カイトと喧嘩した時とか、学校でいじめられた時とか……お母さんが吸血霊鬼に襲われた時とか。

 決まってカイトが私を迎えに来てくれるんだけど、その中でも一番カイトが優しいなあって思ったのは、やっぱりお母さんが目を覚まさなかった時だ。

 あの時も今のカイトみたいに、お母さんは何日も意識が戻らなくて。死んじゃうかもって本気で思ってた。そう思ったら怖くて怖くて、気付いたらあの遊具に居たんだ。

 

「……カイトはいつでも来てくれた。お母さんは大丈夫だって励ましてくれたし、ずっと一緒に居てくれるって言ってくれた」

 

 小さな子供にとって母親が居なくなるかもしれない。それはどれだけの恐怖だっただろう。世界が壊れてしまう様に感じていたかもしれない。

 それでも私に寄り添ってくれて、世界を繋ぎとめてくれていたのはいつだってカイトだったんだ。

 

「お母さんが入院してる間も、カイトはこうやって私の頭をいつも撫でてくれてたっけ」

 

 あの時の事を思い出しながら、同じ様に肩に置かれたカイトの頭をそっと撫でる。

 

「でさ、私がカイトに告白してからも色んな事があったよね」

 

 私は順に記憶を辿り、様々な光景を思い出していた。

 

「カイトは私が貰うってレイカに宣戦布告したり、お弁当作ったり、デートしたり旅行したり。良い事ばっかりじゃなかったけど、それでもやっぱり楽しかった。それも全部、カイトが居てくれたからだよ?」

 

 カイトの為に何かをするのがすごく楽しかった。

 カイトが私に何かをしてくれるのが凄く嬉しかった。

 カイトが私にときめいてくれるのがたまらなくて。

 カイトがレイカに取られるのがとても恐ろしかった。

 

「まあでも、最初は邪魔者だったレイカや逆月先生も、今ならちょっとくらいは感謝しても良いのかもね」

 

 レイカの過去について考える事で、間接的にカイトとより親密になった。

 レイカと胸の内をさらけ出して話した事で、家族の様な仲になれた。

 逆月先生と力を合わせて、小さい頃の因縁に決着をつける事が出来た。

 あんな変な先生だけど、カイトを助ける為にボロボロの身体であちこち調べ回ってくれて。

 

「……カイト、みんなカイトの為に必死に頑張ってるんだよ」

 

 私はこうして毎日血を与えて、レイカもきっと二十四時間カイトに付きっきりで、逆月先生も自分の持てる知識と人脈を総動員してくれている。

 それは全部、命を賭けて私達を守ってくれたカイトを救う為に。

 

「だから……だからね……?」

 

 無意識の内に、私の頬を涙が伝う。

 ぽたぽたと零れ落ち、カイトの肩を濡らしていく。

 気付けば私はカイトの身体をより強く抱き締めていた。

 

 

 

「早く起きてよ、かいとぉ…………」

 

 震える腕で、カイトの目覚めを希っていた。

 

 

 ◇

 

 

「…………ぅ」

 

 しばらくそうしていると、ふらっと眩暈がした。

 やはりいつもストッパーのレイカに頼っていたからだろうか、自分だけだとついやりすぎてしまうみたいだ。

 

「そろそろやめないと……」

 

 また無茶したらみんなに叱られてしまう、そんなのはごめんだ。

 私はカイトの身体を離してベッドに横たわらせようと、カイトの肩に手をついた。

 

「…………けほっ」

「えっ?」

 

 その時だった。

 カイトが小さく咳き込んだのだ。

 

「けほっ、ごほっ……」

 

 一回だけではない、何回も。

 今まで何の反応も見せてなかったカイトの身体が、覚醒の兆候を見せ始めたのだ。

 

「カイト!? 大丈夫? 落ち着いて、ゆっくり息をして!」

 

 カイトの背中をさする為に、カイトの隣に座る。

 カイトに語り掛けながら、咳き込み続けるカイトの背中をさすり続けた。

 

「ゲホッ…………ぅ、あ……」

 

 咳が落ち着くと、カイトは小さくうめき声を上げた。

 

「か、かいと…………よかった」

 

 カイトがようやく目を覚ました。私は安心してほっと胸をなでおろした。

 

「あぁ……うぁ」

「…………カイト?」

 

 

 

 しかし、それは間違いだった。

 この時の私が取るべきだった行動は「今すぐカイトから離れる」だった。

 

 

 

「……ッガァァッ!!」

「きゃっ!?」

 

 突如振り回されたカイトの腕に突き飛ばされ、私はベッドから落とされた。

 床に転がり悶える私にカイトが覆い被さって来た。

 

「かいと……っ!?」

 

 カイトが私を求めている。そんな甘い考えが出来る程今の状況は優しくなかった。

 

「ふーっ、ふーっ…………」

 

 カイトは口から咳き込んだ私の血を流し、大きく口を開いて牙を剥いていた。

 そしてその右目には深紅の瞳と縦長の瞳孔。それをまっすぐ私に向けていた。

 

「そっか、飢餓状態……」

 

 カイトが重度の飢餓状態によって昏睡していたとなると、そこから回復した先は通常の飢餓状態だ。

 なんて事だ。普段はそれも見越してレイカについていてもらったと言うのに、居ない時に限ってこうなってしまうなんて。

 

「うっ……ぁ、ヒ……ナ……」

「えっ!? 今……」

 

 飢餓状態は自分の意思ではどうにもならない。そしてこうなってしまっては私はただの人間だ、血も減っているし十字架もない。今のカイトに対抗する術はない。

 それなのにカイトは今、確かに私の名前を呼んだ。

 

「あぐっ……お、ぉっ……!!」

「今なら……」

 

 どうしてかはわからないが、カイトは今飢餓状態にもかかわらず自分を抑えようとしてくれている。

 この隙に手を伸ばせば、先程外していた十字架に手が届く。

 私は十字架が置いてある場所を目で確認し、手を伸ばした。

 

「……………………」

 

 そして、手を伸ばすのをやめた。

 そのまま両手をカイトの背中に伸ばし、そっと抱き寄せた。

 

「っあ…………?」

「大丈夫……怖くないよ」

 

 ようやく通常の飢餓状態まで回復したカイト。そんな相手に十字架を構えたらどうなるのかなんて考えたくなかった。

 それに飢餓状態のまま自分の本能を抑え込もうとするなんて、どれ程の苦痛か想像も出来なかった。

 今、私はかなり血が減っている状態だ。この状態で血を吸われたら本当に危ないかもしれない。

 それでも私はカイトを離さなかった。

 

「カイトの事信じてるから、怖くない」

 

 カイトなら私を死なせない。

 自己犠牲の気持ちじゃない、それはカイトにまた怒られてしまうから。

 カイトはいつだって私の事を守ってくれたから、もう一回信じるだけ。

 私が血を失って死ぬ前に、カイトは戻ってきてくれるって。

 

「苦しいよね、辛いよね」

 

 震えながら牙を剥くカイトの頭を優しく撫でる。

 そしてゆっくりと、止血されていない私の首筋に近付けた。

 

「だから、いいよ。私の血を飲んで」

「ッあぁ……ガァ……!!」

「あぐっ…………」

 

 最後の理性の糸が切れたのか、カイトの牙が勢いよく私の首筋に突き刺さる。

 鋭い痛みと共に、急速に私の中の血が減っていくのが分かった。

 

「かい……と…………」

 

 元々眩暈を起こしていた身体は、あっという間に私の意識を遠ざけていった。

 それでも私はカイトの身体を離さなかった。

 

 

 

「…………あいしてる」

 

 そのたった一つの理由を呟いて、私の意識は途絶えた。

 

 

 ◇

 

 

「ッ!? ヒナ……!?」

 

 突然ヒナの声が聞こえたような気がして辺りを見渡す。

 当然ここには俺と母さんしか居ない。しかしこの場所の特性上空耳と言う訳では断じてないだろう。

 

「カイト、どうしたの?」

「ヒナの声が聞こえたんだ。俺に優しく話しかけてて、でも辛そうな声で……」

「そっか……なら急がないとかも」

 

 母さんは俺の言葉を聞くとすぐに立ち上がり、玄関まで俺を案内した。

 

「声が聞こえたって事は、カイトの意識が目覚めかけてるって事。でもそれはきっと飢餓状態、目の前のヒナタちゃんに襲い掛かってるかもしれない」

「そんな……俺、どうすればいい!?」

「大丈夫よ。前回と同じ、カイトは大切な人の声を辿っていけばいい」

 

 母さんはそう言って玄関を開いた。

 玄関の先は真っ暗闇で、なんの道標も無かった。

 

「…………でも、カイト」

「な、なんだよ?」

「最後に一つだけ謝らせて」

 

 どこまでも真っ暗な闇を前に立ち尽くしていると、背後から母さんの切実な声が聞こえて来た。

 振り向くと母さんは、すごく辛そうな顔をしていた。

 

「……あなたをちゃんとした子に産んであげられなくてごめんなさい。私が人間だったら、せめて純血の吸血霊鬼だったら、カイトの事をこんな危険な目に遭わせる事も無かったのに」

 

 母さんは深く頭を下げていた。

 十六年間ずっと悔やんでいた事を吐露する様に。

 

「…………顔上げてくれよ」

「……カイト?」

「━━こつん」

「いたっ!?」

 

 俺は情けない顔をしている母さんの額に思い切りデコピンしてやった。

 

「な、なによぅ……」

「謝る事なんか何もねえんだよ」

 

 俺は今まであった事を思い返しながら、胸の内を正直に明かした。

 

「……もし俺が混血でも吸血霊鬼だったらきっとレイともヒナとも会ってなかったし、もし俺がただの人間だったらみんなを助けられなかった。四分の一だったから、母さんが混血だったから俺はあいつらと出会い、守れたんだ」

「カイト……」

「それに最後だからな……はっきり伝えておく」

 

 俺は胸を張って母さんと向き合った。

 これまで生きてきた全てに、その全てをくれた母さんに感謝を込めて。

 

 

 

「俺は、母さんの息子で良かった」

 

 

 

「…………そっか。そっかぁ……っ」

 

 母さんはうつむいて、目を擦り始めてしまった。

 

「おかしいなぁ。もうカイトと会えないって思って、寂しいなあって思う気持ちもあったのに……そんな未練、きれいさっぱり無くなっちゃった」

 

 顔を上げた母さんは、目尻に涙を溜めながらにっこりと微笑んでいた。

 

「……そうかよ」

 

 伝えたい事は伝えた。母さんの笑顔も見る事が出来た。

 満足だ、心残りはもうない。

 

「それじゃあな、母さん」

 

 母さんに背を向けて、玄関の方へ向き直す。

 一切光が差し込まない暗闇。そう思っていた闇の彼方にほんの一筋、白銀色の光が輝いていた。

 これだけ啖呵を切ったんだ、母さんの前でみっともない姿は見せられない。

 俺の事を待ってくれてる奴も居るのだから。

 

 

 

「……いってきます」

「……うん! いってらっしゃい、カイト!」

 

 母さんの明るく元気な「いってらっしゃい」を背に、俺は玄関から飛び出した。

 まっすぐ、ただひたすらにまっすぐ、白銀色の陽に向かって。

 

 

 ◇

 

 

「…………う、ぅん」

 

 身体が重い。

 それに非常に疲れが溜まっている。目蓋もなかなか開かない。

 

「……ここは?」

 

 やっとの思いで開けた視界に映ったのは、見慣れない天井だった。

 真っ暗な部屋。外はもう夜なのだろう、カーテンの隙間から漏れた月明かりだけが部屋の中を照らしていた。

 そうして気付いた、ここは私の部屋じゃない。ゆっくりと辺りを見渡す。

 

「すぅ……すぅ……ひなちゃん……」

「……レイカ?」

 

 私が眠るベッドに寄り添うように眠っていたのはレイカだった。寝言で私の名を呟いている。

 でもどうしてレイカが私の隣に居るのだ。

 

「…………ッ!?」

 

 そこで私は全てを思い出した。

 私はここでカイトに血を与え、カイトが目覚め、私に襲い掛かった事を。

 

「カイトっ!! ……うっ!?」

 

 急に身体を起こしたせいで、強烈な眩暈に襲われる。

 私の記憶通りなら、今私の身体からは相当な量の血が抜けているはず。急な動きは厳禁だ。

 それでも、私は生きている。

 

「でも……カイトは?」

 

 辺りを見渡してもカイトの姿はない。

 カイトの部屋なのに、ここに居るのは私とレイカだけ。

 

「…………やだ」

 

 様々な不安が脳裏をよぎる。

 もしカイトが私の血を飲まずにどこか遠くへ行ってしまっていたら。

 もしカイトが魔族として裁かれてしまっていたら。

 もしカイトが私を残して消えてしまっていたら。

 

「やだ……カイト、どこ……」

 

 ふらふらでまともに動かない身体を引き摺り、ベッドから這い出た。

 探しに行かなきゃ、カイトの事を。

 私の大好きな人の事を。

 

「……すん、すん…………えっ?」

 

 カイトの部屋から出ようとした時、ふと何かの匂いが私の鼻をくすぐった。

 深くて苦みのある、とてもいい匂い。

 私は苦手だけど、私の好きな人が好きな匂い。

 

「…………コーヒーの匂い?」

 

 私はドアノブを掴むのもおぼつかない手で、ゆっくりとカイトの部屋を出た。

 

 

 ◇

 

 

「…………」

 

 リビングも真っ暗で、明かりは窓から差す月光だけ。

 けれどリビングに来てからコーヒーの匂いも強くなっていた。

 そのコーヒーを飲んでいたであろう、誰かの気配も。

 

「おはよう、ヒナ」

「っ…………」

 

 暗くてよく顔が見えない。

 だけどその人の声は、私の心をたった一言で温かく包み込む。

 

「俺、どのくらい寝てたんだ……?」

「…………一ヶ月」

「マジか。道理で全然頭が動かねえ訳だ」

 

 彼はいつも貧血気味で寝起きが悪いという。

 だから起きるといつも飲んでいたコーヒーが大好きになっていたと、苦笑いしながら教えてくれた。

 

「……随分、心配かけちまったよな」

 

 彼の手に持っていたコーヒーカップがことりと音を立ててテーブルに置かれる。

 彼は少しずつ近づいてくる。

 

「お前にも、かなり負担かけただろ?」

「……っ」

 

 私はぶんぶんと首を振る。

 だめだ、ちゃんと返事したいのに、声が出ないよ。

 

「……ぁ!」

「あぶねっ!?」

 

 こんなに血が足りないのに首なんて振るから、その場で倒れそうになってしまう。

 すんでの所で彼が抱き締めてくれたからよかったけれど。

 

「……こんなにフラフラになるまで…………ごめんな」

 

 彼は私を見て申し訳なさそうに謝る。

 でもちがう、違うんだ。私が聞きたいのはごめんじゃない。

 

「……ただいま」

「えっ?」

「ずっと待たせたんだから、ただいまでしょ……」

「…………ははっ、そうだな」

 

 私の言葉を聞いて、彼は少し照れ臭そうに微笑むと、まっすぐ私の目を見て私の求めていた言葉をくれた。

 

 

 

 

 

「……ただいま、ヒナ」

 

 ずっとずっと聞きたくて聞けなかった言葉を、私にくれた。

 

 

 

 

 

「……おかえり、かいと」

「……うん」

「おかえり……おかえりなさい……かい、とっ……」

「ああ、ただいま」

 

 ダメだ、一回カイトの名前を口にしたら。一回カイトのただいまが聞けたら。

 もう、何も出てこなくなっちゃった。

 話したい事、伝えたい事、聞きたい事、怒りたい事、謝りたい事、沢山あったのに。

 全部全部、ぜーんぶ飛んじゃった。

 ただ、全部まとめて伝えてくれる魔法の言葉が一個だけあった。

 

「……かいと」

「おう」

「……ばか」

「……はは、厳しいなぁ」

 

 とめどなく溢れる涙をカイトの服に押し付けながら、ただ「ばか」とだけ伝えた。

 

「ばか、ばかっ……かいとのばか……ばーか……」

「ああ、俺は大馬鹿だよ。こんだけみんなに心配かけてさ」

 

 私が何回ばかと言っても、カイトは笑顔で受け止めてくれた。

 こんなにひどい言葉なのに、カイトはたくさん頑張ったのに、私の理不尽なばかを受け止めてくれていた。

 カイトだ。私の理不尽な言葉にやれやれって言って付き合ってくれる、私の大好きな優しいカイト。

 本当に……本当に帰ってきてくれたんだ。

 

「……なあヒナ、大馬鹿ついでに一個、馬鹿な事頼んでもいいか?」

「ぐすっ……なぁに?」

 

 涙で濡れた目を擦りながらカイトの顔を見上げると、カイトの真剣な目と視線が交わる。

 今までの黒と吸血霊鬼の深紅、異なる色になった二つの瞳で私を見つめていた。

 

「……っ!?」

 

 カイトの瞳に見惚れていると、カイトの手が私の顎に添えられた。

 そのままくいっと軽く持ち上げられ、自然と唇が強調される。

 

「…………うん」

 

 カイトは何も言わなかったけど、私は頷いた。

 そのまま唇を突き出して、ぎゅっと瞳を閉じた。

 

「…………本当にありがとう、ヒナ」

 

 カイトの行動は私の思った通りだった。

 私の唇に、柔らかくて温かい物が触れた。

 ある時はこの流れでこんにゃくを押し当てられた事もあったけど、これがそうでない事は私を抱き締めてくれているカイトの温もりが物語っていた。

 

「あむ……ちゅ」

 

 カイトの舌が私の舌と何回か触れる。

 カイトとレイカのキスを見た時も、こういう深いキスだったっけ。

 あの時は怖かったなぁ。でもその後私もカイトといっぱいキスして。

 あっ。もしかしてこれって、カイトから求められた初めてのキスなのかな。

 うれしいな……。

 

「……ぷぁ」

 

 しばらくそうした後、口を離してお互いに見つめ合う。

 心なしか身体が少し軽くなった気がする。カイトに求められたからかな。

 それとも、カイトが帰ってきたって実感が出来たからかな。

 私は、目の前の愛しい人に微笑みながら、今の素直な気持ちを伝えた。

 

 

 

 

 

「……にがいよ」

「ぷっ、ははっ……」

 

 当然だ、さっきまでカイトはコーヒーを飲んでいたのだから。

 せっかくロマンチックなシチュエーションだったのに、せっかく感動的な再会だったのに、なんて締まらないのだろう。

 でもちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、コーヒーが好きになれたような気がした。

 

 




神上灰人(ミカガミ=カイト)・2


四半混血・吸血霊鬼(クォートダンピール)

人間の父と混血の母の間に生まれた四分の一だけ吸血霊鬼の人間。
吸血霊鬼の血が表に出たのでその特徴も現れているが、混血よりも血が薄いためそれも中途半端。
縦長の瞳孔をした深紅の瞳は右目のみ。
カイトの血がまずかったのも吸血霊鬼の血が混ざっていた為。

極度の寂しがりで、独占欲が強く、Sっ気が強い。
自分の大切な物が無くなる事が耐えられず、失う位なら自分の命も平気で投げうち、大事な人の為になるならその手段が善か悪かを問わない危うい部分ももつ。
カイトが道を踏み外していないのは、カイトにとって大事な人がいつも正しい道に手を引いてくれるから。
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