「うぐっ…………」
力なくうなだれる親父にゆっくり近付く。
一発殴って帰ろうと思ってたが、やっぱりだめだ全然足りねぇ。
「カ、カイトやめて!!」
ヒナが俺を必死に止めようと俺の手を握る。
「だ、ダメだよカイト!!」
よく見ればレイが俺の足にしがみついている。
弱ったな、これじゃ前に進めないし蹴りも拳も出せないじゃないか。
「見ろよ親父」
「…………」
「優しいだろこいつら。テメェなんかを庇って必死に俺を止めようとしてる。二人共俺なんかにはもったいないぐらいのいい女だと思わねえか?」
親父は何も答えない。
痛みでそれどころじゃねえか。
「どうだ親父、俺に全力でぶん殴られた感想は」
それでも俺は親父に質問し続ける。
二人の顔に免じて、返答次第で追撃は勘弁してやるよ。
「吸血霊鬼の力でぶん殴られんのは痛えだろ」
「……ごほっ」
「こんな力持った奴に、小さい頃から何度も襲われるってどんだけ怖えんだろうな」
「……カイト?」
俺はヒナの手を軽く振り解き、そのままヒナの頭を優しく撫でた。
こんな暴力的なシーンを見た後だって言うのに、ヒナは俺の手に全く怯えなかった。強い女だよお前は。
「テメェはそんなヒナの事を、俺の餌としか見てなかったんだ。殴られても文句言えねえよな?」
「カイト、私は大丈夫だから……」
「いいんだヒナ、お前が強がる必要は無い。こいつは親父が受けるべき痛みなんだ」
ヒナはその血の希少性から何度も吸血霊鬼に襲われてきた。
家族まで襲われ、その度にヒナがどれだけ怯え、恐怖していたのかを俺は誰よりも近くで見て来た。
そんなヒナの事をこのクソ親父は、あろうことか俺が吸血霊鬼化した時の血液タンクに利用しやがったんだ。
ああクソ、やっぱり一発じゃ我慢できねえな。何とかレイも引き剥がすか。
「……やはり、親子だな」
「あァ?」
ようやく口を開いたかと思ったら、親父は訳の分からない事を言い始めやがった。
「よく、似ているよ……」
「んだテメェ……俺のどこがテメェに似てるって……」
「私ではない、ロミアだ」
「っ…………?」
俺を煽ってるのかと思い、レイを引き摺りながら二発目の拳を構えていると、興味深い事を言いだしたので手が止まった。
「吸血霊鬼の力……知っているとも。こうして本気で殴られるのは二度目だ……」
「じゃあ、それ……」
「ああ、ロミアにもやられた。あの時も痛かったよ……」
親父は天井を見上げながら、当時の時の事を語った。
「さっき話したな、身重のロミアを無理にでもこの静かな土地に連れて来て、ゆっくり休ませようとしたと。その時の私は、言葉で語った以上に強くロミアへ訴えかけてね。最悪私はお腹の子よりも君を守りたいとさえ言った」
「…………こいつ」
親父、テメェはマジで言葉を包むオブラートどこに捨てて来たんだ?
子より母親優先してたって子に話すバカがどこに居んだよ。
居たな、たった今その子に思いっきりぶん殴られて壁に埋まりかけてる奴が。
「……怖かったんだ」
「……は?」
「私はな、酷く臆病なんだ。仲のいい人間が、大切な家族が私の傍から居なくなる事が想像できない、耐えられない。そういう人間なんだ」
「…………」
親父の言葉に、俺の身体は電流が走ったかの様な錯覚を覚えた。
ハッとしたのだ。どうしようもなく同じ様な人間が居た事を思い出したのだ。
『……今日は二人に離れてほしくないって思ったからじゃ、ダメか?』
『レイは……俺を置いてどこにも行かないよな』
今こうして拳を振り上げている、俺自身だ。
「まだ生まれても居ない、顔を合わせた事もない息子。お互いに惹かれ合って結ばれ、永遠の愛を誓った最愛の妻。まだ親の自覚を持てていなかった私は迷わず後者を選んだ」
「……で?」
「顔面に一発。ロミアの病室だったんだが、壁を破って廊下まで吹き飛ばされたよ」
うわ、腹に子供居てよくそんな力出せるな。
母さん、あんなぽやぽやして随分おっかねぇんだな。
「親が子を優先しなくてどうする。キッパリと言い切られてしまったよ」
「……どの時代も女は強いな」
「その通りだ。そして正しかった」
親父は自分の左手を見つめた。
その薬指にはシンプルなデザインの指輪がはめられていた。
「ロミアは死に、お前だけが残された。ロミアを失って悲しみに暮れるだろうと自分でも思っていたのに、元気に泣くお前を抱き上げたらそんな事言ってられなくなってな。初めて私は親になれたんだなと思ったよ」
「…………」
「最愛がロミアからカイトになった瞬間だった」
んだよ、その目。
たった今思いっきり殴りかかってきた相手にする目かよ、それが。
「四半
俺の頭には、レイの世話をしていたじいさんとの会話がフラッシュバックしていた。
家族の為に魔族に堕ちた、レイの父親の話。
そしてじいさんが俺に忠告した言葉。
『……正しさよりも、大切な人を守ろうとする所』
『尊い感情であると同時に、危ういものでもある』
『身に覚えが無い訳では無いんだろう?』
「家族の為なら、お前の為なら私は鬼にも悪魔にもなるつもりだった」
そうかよ。
こんな所で実感したくなかったんだけどな。
「私が恨まれ、罵られるだけでお前の命が助かるなら、安い買い物だろう」
だけど実感しちまったもんは仕方ねえ。
俺と親父はどうしようもなく親子だって事。
レイを守る為に推定被害者だったじいさんからレイを庇ったり。
自分の大切な者の為に自分の事を軽視しすぎる。
俺の為に命の全てを注ぎ込んでくれた母さんも、汚名を被ってでも俺の将来の為に保険を用意していた親父も。
本当にバカな家系だよ、神上家ってのは。
◇
「…………はぁ」
俺は反転してソファーに戻り、どすんと腰を下ろした。
「シラケた、もういいや」
「「えっ!?」」
さっきまで俺を必死に止めようとしていたレイとヒナが素っ頓狂な声を上げる。
「……もういいのか」
「シラケたっつってんだろ。それとも殴られ足りねえのか? じゃあ……ヒナ」
「私!?」
「おう、好きなだけぶん殴っていいぞ。お前には殴る権利がある」
「だから私は大丈夫だってば!!」
「だとよ、残念だったな殴ってもらえなくて」
「…………」
流石の親父も少しだけぽかんとしていた。
「何故だ」
「何が」
「お前とヒナタ君の仲を考えれば、一発で済むとは思えなくてな」
「その通りだ、もっとボコボコにするつもりだったよ」
ついさっきまではな。
だけど結局このクソ親父も、根本的な考え方は俺と何も変わらねえのかなって思ったらそんな気も失せてしまった。
それにもし俺が同じ立場だったら、間違いなく同じ選択をしただろうなって気付いた事も気に入らなかった。
あとはそうだな、一番大きな理由。
「でもよ、思春期真っ盛りの高校生男子が、素直に親の言う事聞くわけねえだろ?」
「……そうだな」
俺がそう言うと、親父は珍しくクスリと笑っていた。
親父が笑った所なんて見たの初めてかもしれない。
◇
「さて、用も済んだし俺達はこの辺で……」
「こらーーーーっ!!」
「待ちなさいカイト!!」
話もひと段落付いた所で退散しようとすると、レイとヒナに肩を掴まれてしまった。
「な、なんだよ」
「なんだじゃありません!! あれ見なさい!!」
「ど、どれかなー……」
「カイト!!」
ヒナが大惨事となった部屋を指差し、目を逸らす俺の顔をレイが無理やりそちらへ向ける。
壁にめり込んだテーブルと親父。その周辺の家具もズタボロになっていた。
「わ、わーっ! すごい、ぐちゃぐちゃだぁ~……」
「これ、カイトがやったのよ」
「お、おれが~?」
「かいと~? 悪い事したらごめんなさいだよ」
しらを切ろうとするが一部始終を見ていた二人を誤魔化せるわけもなく。
「ぐ……謝りはしねえぞ!! 間違った事言ったつもりはねぇ!!」
「ならせめて片付けぐらいしなさい!!」
「お義父さんも大変そうだよ!!」
「ちくしょう……その通り過ぎる」
ヒナとレイに睨まれてしまい、シュンとしてしまった俺は泣く泣くガレキの山に向かって歩き出した。
「……ほとんど木製だ。壊れた家具は庭に運んでおいてくれないか、後で燃やしてしまうから」
「へいへい」
親父の指示に従い、部屋の片付けが開始した。
めんどくさいよー、やりたくないよー。
でもやったのは俺だよー、逃げられないよー。
原因はクソ親父だけどな!! そこは譲らねえし謝らねえぞ!!
「……カイト」
「あん?」
痛みに耐えながら親父が俺の名を呼んだ。
仕方がねえから耳を向けてやる。
「……すまなかった、ありがとう」
「感謝も謝罪もあの二人にしろ。俺一人だったらもっとテメェをボコボコにした後、もっとボロボロになった部屋に置き去りにしてやってたんだからな」
「ああ……後で改めて伝えよう」
罪悪感を覚えるぐらいなら最初からやらなきゃいいんだよ。
なんて、俺は人の事言えねえよ。
「ところでカイト、カイトのお父さんの怪我はどうするのよ」
「あぁ~~ん? んなもんはこう……もご……もご……」
随分慣れたもんだ。口の中に少しずつ再生液を溜めていく。
教えてくれたレイには感謝しないとだな。
「もごもご」
「かいと……まさか」
レイがドン引きした顔で俺を見ている。
多分そのまさかだよ。
「ブーーーーーーーーッ!!」
「……………………」
俺は口の中に大量に蓄えた再生液をスプレーの様に吹き出し、親父の顔面目掛けてぶちまけてやった。
親父は無言で受け止めていた。
「ケッ!! こいつにはこれで充分だよ!!」
間違っても親父にレイの再生液なんて使ってやらねえからな。もったいない。
親父は苦笑いしていた。
◇
俺がぐちゃぐちゃにした部屋の片付けも一段落した頃にはもう日が傾いており、本日は一晩泊まっていく事になった。
レイとヒナは近所のスーパーに晩飯の買い出しへ行ってくれた。近所と言っても片道三十分は歩くんだけど。
俺も俺で親父とタイマンで話したい事がいくつかあったし、丁度いいと思って二人に頼んだのだ。
「なんで今日、あんなにあっさり予定空けたんだ?」
まず俺が引っかかっていたのは、今朝親父と電話した時の親父の反応。
親父は昔から俺の事を怒らない人だった。自分で言うのもなんだが、聞き訳のいい子供だったというのもあるが。
と言ったって今朝の俺の言い方は誰が聞いてもカチンとくるようなもの。喧嘩腰だったとはいえ言葉遣いの悪さは自覚があった。
「お前の声色を聞いてな、納得してしまったんだよ」
「……いや俺はその言葉だけで納得できるほど情報持ってねえ。ちゃんと話せ」
「すまない、長年の癖なんだ」
親父の口数の少なさは筋金入りだ。最低限の言葉と結論以外ほとんど話さない。
だからさっき急に母さんの話題で惚気始めた時は耳を疑った。親父にそんなメルヘンな所もあったのかよと。
「……なぜお前を置いて来たかは、さっき話したな」
「おう」
肩から腕全体を振り回す。
大丈夫、まだ殴らないって。
「冷静にも聞こえたお前の声から、僅かに怒気を感じてな。ここまでの怒りと言う事は何かに気付いたか、全てを悟ったか。そうなったらお前なら文句のひとつも言いに来るだろうと思った。会いに来るならば殴られるかもしれないと思ったんだ」
「……ほんと、よく見てんな。あんた」
親父は寡黙。それはその分周りを観察し、分析し、色々な可能性を想定しているからだ。
特に身内の事となるとエスパーかってくらい見抜いてくる。前にレイを拾って生活費の仕送りを二人分寄越して欲しいと頼んだ時も「彼女か?」と聞かれ焦ったもんだ。
当時は否定したけど、家に女連れ込んでんだから大差なかったよな。
「けどよ、だったらなんで黙って受け入れたんだよ。拒否して逃げりゃよかっただろ」
「……逃げる事は出来ないさ」
親父は鼻先に貼られた絆創膏を指でさすった。
いくら再生液ぶちまけたといっても親父は人間だ、まだ治りきってないだろ。触ると痛いぞ。
「お前の怒りは当然の物で、その原因は私だ。殴られるとわかっていたならなおの事逃げる訳にはいかない」
「ほう」
「それにな、少しだけ……ほっとしたんだ」
親父はまっすぐ俺の方を見る。
なんだよ、気持ち悪い目しやがって。
「それはきっと、お前が吸血霊鬼になったうえで助かった証でもあったから」
「あー…………」
なるほどな。
親父の意図に気付いたと言う事は、俺がヒナの血の事を知ったと言う事。
そして俺自身が自分の事を四半
飢餓状態の昏睡から無事に復活しなければ向けられるはずもない怒りだったって事か。
でもこいつ、それをあの数回のやり取りで気付いたのかよ。
その観察眼と分析力、もう少し俺にも分けて貰いたいよ。
「言っておくが、あんな軽い一発であんたの事を許したつもりはねえぞ。俺が目覚めるのがもう少し遅れてたらヒナは死んでたかもしれねぇ……俺が殺してたかもしれねぇ。今後一生許されると思うなよ」
「ふふ、軽い一発か」
「当たり前だ、人間相手に本気でぶん殴る訳ねえだろ。俺のパンチは吸血霊鬼だって吹っ飛ばして壁にめり込むんだからな」
本当はまあまあ全力に近い拳を叩き込んだんだが、黙っておこうか。
「それでいいさ……許されなくていい、憎まれていて構わない」
「…………」
「お前が無事なら、それでいい」
「チッ……だからシラケんだよ」
親父はムカつく野郎だ。同時に、憎たらしいほどに俺にそっくりだった。
それを自覚した瞬間、拳を握る気にもならなくなったんだ。
「カイト」
「あん?」
「よく顔を見せてくれないか」
「えぇ、やだよ気持ち悪い」
「少しでいい」
「はぁ……」
俺は前髪を整え、二色の瞳を親父に向けた。
「……やっぱり、似ているよ」
「母さんにか?」
「ああ。赤い目になって余計にそう思った。逆に髪の色はロミアから離れてしまったけどね」
「んー……この身体になってからなんか黒っぽくなったんだよな」
小さく束ねた髪を掴み、くるくると回す。
俺の髪、割と赤いの気に入ってたんだけどな。母さんと同じ色だったし。
「もしかしたら、先祖返りかもしれない」
「先祖返り?」
「吸血霊鬼の血が目覚めたと言う事は、それだけ先祖に近付いたと言う事だ」
「それってさっき言ってたばあちゃんの話か?」
「ああ」
母さんの血筋の方のばあちゃん。
さっき少し話題に上がっただけで、顔も名前も知らないばあちゃんだ。
「どんな人なんだよ」
「今のお前の様に赫く黒い、血の様な色の髪をした綺麗な人だよ。ロミアの母親だとすぐに納得できる様なね」
あのさぁ、隙あらば母さんの事で惚気るのやめてくれないか?
「名前は……知ってるのか?」
「ああ、どこまで本名かはわからないが……
「へぇ……」
母さんの名前がロミアだったから何となく日本っぽくないなあと思ってたんだけど、となると母さんはロミア・シェリダンか?
紗霧ちゃんみたいにどっかから移り住んできたのかな。シャルハロッテってどこの国の名前なんだろ。
レイの本名が鬼咲麗華だったからイメージ固定化されてただけで、海外で生まれた奴の方が多いのかもな。
「……あ、そうそう。一応親父には話しておくか」
「……?」
母さんの話題が出たので思い出した。
俺が意識を失った時に俺の中で母さんと会った事。
母さんの意識が俺の中で眠っている事、ザックリとだが話してやった。
「……そうか」
「だからこうやってあんたがバカやって俺にぶん殴られてんのも、情けねえ事べらべら喋ってんのも全部丸聞こえって事だ。残念だったな」
「そうか」
「…………おん?」
なんだ、親父の大好きな母さんの話だからもう少し食いつくかと思ったが、帰って来た反応は随分淡白だった。
ただ一言頷くだけ。
「ま、親父の言う通りすげー綺麗な人だったよ。んで結構お茶目なんだよな」
「ああ」
「でも残念だったな、俺との会話に夢中で母さんは親父の話題なんてほとんど出さなかったよ」
「そうか」
「…………??」
母さんを褒めてみても、親父を煽ってみても反応が変わらない。
なんだよせっかく言わなくてもよかった事を伝えてやったと言うのに。
「おい、ちゃんと聞いて……っ」
憎まれ口のひとつも叩いてやろうかと思って親父の顔を覗き込んでやった。
「…………そうか。君はずっと、カイトの事を見守ってくれていたんだな」
ったく、本当につまんねぇ。
俺はもっと悔しそうな親父の顔が見たかったのによ。
なんで心底嬉しそうな顔してんだよ。いい歳したおっさんがニヤニヤしてんじゃねえよ気持ち悪い。
「……ハッ」
母さんもこんな奴のどこが良くて結婚したんだか。
母さんは最高の母さんだけど、男の趣味だけは肯定できねえな。