「…………」
人間と吸血霊鬼では生きる時間が違う。
俺は今までそれぞれの平均寿命だとか、長命ならではの知識や経験も沢山聞いてきた。
だがそれはもしかしたら、人間と吸血霊鬼の間で最も価値観がズレる理由足りえるのかもしれない。
「……詳しく聞いても良いか」
俺は続きが聞きたかった。
人間との寿命差。そこからこの人はどういった理由で人間と違う恋愛観を得たのか。
「いいわよ。それじゃあ初恋の話からしましょうか♪」
「え、いやそんなに長くなりそうなら」
「あれはそれこそ千年以上前、まだワタシの歳が二桁だった頃かなぁ……」
しまった、マジで長くなるかも。
ええい、聞いたのは俺だ。覚悟を決めろ。
「ワタシが初めて好きになったのは人間の女の子だったの。あの頃は今ほど吸血鬼……吸血霊鬼に世間は優しくなくてね。家族は散り散り、毎日の食い扶持と安全な寝床を確保するだけでも大変な時代だった。でもあの子はワタシの事を匿ってくれて、血まで分けてくれたすごく優しい子だったのよ」
「どの時代にもお人好しな奴っているもんだな」
「フフッ、本当ね。そうしていく中でワタシ達はどんどん仲良くなった、性別の壁を越えて恋仲になるのもそこまで時間はかからなかったわ」
あっ、良かった。吸血霊鬼だからって同性相手に恋をするのは常識では無かったんだな。
ちゃんと壁を越えた自覚はあるんだ、ばあちゃんが少数派なのね。
「もちろん子宝にも恵まれて、幸せに暮らしていたのだけれど……時間って言うのは残酷でね」
「っ……」
「当時の人間としては長生きだったんだけどね、あの子はワタシを置いて逝ってしまったわ」
ずっと明るいトーンでさらっと話していたばあちゃんの声が、ほんの少しだけ低くなる。
初恋の相手、流石に思い入れが違うか。
「今ではこんなワタシもね、あの子を失ってからは十年くらい引き摺ったわ。子供も独り立ちして近くに居なかったし」
確かに、親が老衰するまで生きていたと言う事は子供も充分大人だろう。
地味な所だけど、種族として長命だと自分の子供と会う機会って言うのも減ってくるのかもな。
「それでも、やっぱり時間って言うのは本当に残酷で、あの子を思い悲しむ気持ちすら時間と共にすり減っていってしまうのよ」
「それは……」
「わかってるわ。悪い事ばかりじゃない、そのおかげで前を向けるんだもの。でなければその後のワタシのお嫁さん達との出会いも無かったしね♪」
パチンとウインクを決めるばあちゃん。
そうだ、この人は既に全部乗り越えた先でここに居るんだ。十数年しか生きてない俺が心配する様な事はなにもねえ。
強い人だ。
「でも、これでわかって貰えたかしら? ワタシ達吸血霊鬼は当たり前の様に千年以上を生きる種族。もし好きになったのが人間で、その人だけを生涯愛して生きろだなんて残酷だと思わない? 仮に寿命が千年ちょうどで、その相手が長生きして百年生きてくれたとしても、あと九百年間独り身で生きなくちゃいけないのよ?」
「……そうだな、ばあちゃんの言う通りだ」
「二人共娶っちゃえば?」というばあちゃんの発言。適当に言った訳でもなければからかっていた訳でもない。
自分の生きてきた経験を踏まえた上での極めて当たり前の提案だったんだ。
俺の価値観が「一人を愛するのが普通」であるのと同時に、ばあちゃんの価値観では「複数の人を愛するのが普通」なんだ。
そして俺はそれを、
人として一人を選ぶのか、吸血霊鬼として二人を選ぶのか。過去人間だった吸血霊鬼として、俺にはどっちを選ぶのも許されているのか。
「……………………」
「フフフ、そうは言ってもやっぱりすぐに決断は出来そうにないわね」
「当たり前だ。結局俺の基礎は人間の価値観で作られてるんだから」
「いいわいいわ! 精々いっぱい悩みなさい若者よ! カイトが悩んだ時間はそのまま二人を思った時間と同じなんだから!」
「おわっ!!?」
ばあちゃんは満面の笑みで俺に抱き着くと、レイやヒナにやっていたみたいに高速撫でまわしと高速頬ずりをかましてきた。
「それにしても本当に髪色ワタシにそっくりねぇ! んもう、可愛いんだからぁ♪」
「あばばばばばばばば」
ばあちゃんはそのまましばらく俺を離してくれなかった。
でも貴重な話を聞かせてくれたせめてものお礼として、俺は黙ってばあちゃんに抱き締められ続けた。
◇
「あばばばばばばばば」
「…………」
カイトとおばあ様の会話を聞いていて、私は一言も口を挟めなかった。
カイトにとって大事な話をされているからというのもあったが、それ以上にまったく口が動かなかったのだ。
だって二人が話していた内容は、私にとっては信じがたい現実だったから。
「そ、そろそろ離してくれても……」
「や~ん、もうちょっと♪」
カイトは吸血霊鬼になった。
そのカイトの身体がどこまで吸血霊鬼と同じなのかはわからないけれど、少なくとも現状では差異を見付ける事の方が難しい。
常人離れした身体能力、再生能力、吸血、どれをとっても純血と遜色がない。しいてあげるなら深紅の瞳が右目だけな所か。
(
混血の寿命は純血と変わらず、イレギュラーさえなければ何百年でも何千年でも生きるという。
(カイトも……なのかな)
混血が同じなら四半混血も同じと考えるのが当然。
それはつまり、カイトも同じだけの寿命を手にしたと言う事。
「…………ッ」
胸元をギュッと抑えた。
私は、カイトと一緒に生きて来た。
小さい頃からカイトと一緒に育って、遊んで、学んで、成長してきた。
これからもずっとそうなんだと、そうして大人になっていくんだと思っていた。
だけど今、非情で残酷な現実が目の前につきつけられている。
カイトは吸血霊鬼になった。でも私はただの人間のまま。
それらが私に与えたのは、たった一つの現実。
(私は…………カイトと同じ時間を生きられない……?)
私はこれからも歳を重ねる。大人になるし、おばさんになるし、おばあちゃんになる。
でもカイトはきっと今のまま何も変わらない。若い姿のまま、私よりも長い時間を生きる。
私が先に死ぬのは怖くない。でも、カイトに置いていかれるのは、カイトと離れて行ってしまうのは。
(……嫌だ)
辛い。苦しい。耐えられない。
でももう決められてしまった、変える事は出来ない。抗う事も出来ない。
私とカイトが肩を並べていられるのは、きっとあと数年だけ。
(…………わかった)
今まで私はずっとカイトに選択の責任を押し付けて来た。
だけど私も、もういつまでも待っている事は出来ないと思い知らされた。
私とカイトは同じ時間を生きる事は出来ない。ならせめて、カイトの成長が完全に止まるまでの数年間。
絶対に譲れない、譲りたくない。
「あわわ……!!」
「…………」
ちらっとレイカの事を見る。
ごめんなさい、レイカ。この三人でバカなやり取りをするのもすごく楽しかった。
だけど私、やっぱりカイトが欲しい。カイトの時間が欲しい。
(……あと、二週間)
カレンダーを見る。今日は既に十月の後半、レイカの誕生日もそう遠くない。
レイカの誕生日をみんなで祝おう。それが三人で笑い合える最後の機会にしよう。
レイカの誕生日が終わったら、カイトの誕生日が来る前にカイトに伝えよう。
(私と……付き合って欲しいって)
カイトの誕生日は、二人きりがいい。
◇
「や~ん! せっかく会えたのにもう帰っちゃうの?」
家を出ようとしたところでまたもばあちゃんに捕まってしまった。
「いや、元々昨日の内に帰る予定だったんだよ。ヒナに学校休ませてるし」
「カイトがお義父さんだけじゃなくてテーブルまで壊しちゃったからでしょ~?」
「ええ、全く持ってその通りでございますゆえ」
レイに痛い所を突かれて肩身が狭くなってしまう。
「ま、そういうわけだから。そんな顔しなくてもまたそのうち顔出すよ。親父の事もまだ殴り足りねえし」
「ウフ、元気な子に育ってくれて嬉しいわね、マキトさん♪」
「……いつでも来なさい」
「ケッ……少しは抵抗しろっての」
親父はそういうやつだ。まだ俺に許されないと本気で思ってるし、俺だって全部許したわけじゃない。
かと言ってもう殴る程ムカついてねえのも事実だってのに、こいつは多分殴られても文句言わねえんだろうな。
本当に不器用な奴。
「それじゃ行くぞレイ、ヒナ……ヒナ?」
何だろう、ヒナの様子がおかしい。いやおかしいって程じゃないか。
だけどなんか表情が険しいというか。
「どうしたんだ? どっか痛い所でもあんの……かぁぁぉっ!?」
「あーっ!!」
「ぎゅーっ……」
俺がほんの一瞬隙を見せた所に、ヒナが俺の腕をがっちりホールドした。
指を絡め、腕を抱き、全身の感触を俺の腕に伝える様に。
「あ、あんのさぁ……」
「じゃ、じゃああたしも!!」
「ほらこうなる~~~!!」
「あらあら♪」
レイも負けじと反対側の腕に抱き着いてきた。
その様子を見てニコニコのばあちゃん。楽しそうで何よりだよ。
「そのまま帰ったら~? どうせ平日の田舎なんて誰も居ないわよ」
「……そう願うか」
仕方がないので俺達はこの歩き辛い体勢のまま歩き出したのだった。
◇
「━━こてん」
電車に乗るなり、行きと同じ様にヒナが俺の肩に頭を乗せて来た。
ちなみに乗車状況も行きと同じ、まるで誰も乗っていない。またも俺を挟んで美少女サンドイッチだ。
「ヒナ、疲れてんのか?」
「んー……そうかも。色々考えてたら頭痛くなってきちゃった」
「大丈夫か?」
「うん。でもこうやって……甘えててもいい?」
「…………」
いつもはどこか自信満々と言うか、つんけんしているヒナがとても素直だ。
やっぱり様子がおかしい。でもそれが悪い方向におかしいのかどうかは判断に苦しむところだ。
「ああ、いいよ」
「……ありがと」
どちらにせよ、疲れたヒナが俺の肩を求めてるなら貸さない理由はない。
「……すぅ、すぅ」
程なくしてヒナの呼吸が浅く規則的な物に変わった。
「ヒナちゃん寝ちゃった?」
「だと思うぞ」
ヒナの様子を窺うレイ。
俺もヒナの方を向いて囁いてやった。
「ヒナ、キスしていいか?」
「みゃっ!?」
「…………すぅ」
「本当に寝てるみたいだ」
「……かいと~」
レイがじとーっとした目で俺を睨む。
なんだその目は。こうすりゃ起きてるか一発でわかるだろうが。
「ふーんだ……あたしもカイトの指で遊んじゃお」
「……普通の触り方してね」
俺の願いを聞いてくれたのかはわからないが、レイはひたすら俺の手をにぎにぎしていた。
「……ヒナちゃん、寝てるんだよね」
「ん? レイも今見たろ、絶対寝てるよ」
「そっか、寝てるよね……」
なんだよ、今度はレイも様子がおかしくなっちまった。
レイは黙って俯き、何やら覚悟を決めようとしている。そんな顔をしていた。
「……カイトが目覚めた日に、あたしが何か聞こうとしてやめたことあったの覚えてる?」
「覚えてるよ、そんな前の事でもねえ」
あの時のレイも複雑そうな顔をしていて、全然なんかありそうなのに何でもないって言って。
今は言わない。どうしても聞きたくなったら聞くとだけ言ってその話を終えた。
「なんか聞く気になったのか」
「……うん。カイトのおばあちゃんの話を聞いてて、あたしも思う所あって」
ばあちゃんの話か、確かに凄い事沢山聞かされたもんな。
俺とは経験も価値観も何もかも違う、まるで別世界の出来事みたいだった。
同じ吸血霊鬼のレイにも、何か通じるものがあったのか。
「あの、あのね、かいと…………」
レイが俺の手をぎゅっと握る。
昔の俺なら痛がってたかもしれないくらい、レイの手には力がこもっていて、震えていた。
しばらくそうした後、レイは俯いたまま消えそうな声で呟いた。
「あたしとヒナちゃん……どっちか一人を選ぶ必要、あるのかな」
「…………」
そうか。
やっぱりお前は、どちらかというと吸血霊鬼側の価値観に近いのかもな。
いや、それだけじゃない。これはもっと他の理由もありそうだ。
俺は黙ってレイの言葉の続きを待った。
「あたしはね、カイトが大好き。カイトが幸せならあたしも幸せ。でも、ヒナちゃんの事も好き。ヒナちゃんが泣いてる所は見たくないし、ヒナちゃんにも幸せでいてほしい」
「……そうか」
「でもね、カイトがあたしかヒナちゃんのどっちかを選んじゃったら、あたし達もう三人で居られないんじゃないかなって思うの……」
レイの手はどんどん震えを増していった。まるで俺に初めて自分の過去を語った時の様に。
わかっていた、レイは自分の居場所を、家族を何よりも大切に思っている事を。温泉旅行の三日間を経て、ヒナもその家族に分類される様になった事を。
レイは俺もヒナも失うのが怖いんだ。俺が二人を失いたくないみたいに。
俺が目覚めた時にこれを聞こうとしていた。確かに俺はあの時「俺はちゃんと選ぶから」って宣言していたな。その時からレイはこう思っていたのか。
それをばあちゃんの話に後押しされて、俺に訊ねる勇気が湧いたという所か。
「……難しいよな」
レイがこれを訊ねるのを迷っていたのもわかる。俺だって未だに何の答えも出せていないんだから。
「どっちが正しいって訳でもない、将来の俺が同じ様に思ってるかもわからない。だけど……」
それでも、俺は決めていた。
「すくなくとも今の俺は、ちゃんと一人を選ぶべきだと思ってる」
もし俺が吸血霊鬼としてこの先百年、二百年と生きて、その時も同じ判断をするとは限らない。
だけど俺が判断しなきゃならないのは今だ。レイとヒナが傍に居る今なんだ。
今の俺は吸血霊鬼になったばかりの、十六年間人間として生きて来た「神上灰人」だ。
だから俺は人間として、二人の思いに応える。
そして見付ける、最後に残った俺の気持ちを。
「…………そっか」
俺の答えを聞くと、レイもヒナと同じ様に俺の肩へ頭を預けた。
「カイトがそうするなら、あたしは待ってる。カイトが答えを出すのを、いつまでも待ってる」
「ありがとな、レイ」
「んーん。あたしも変な事聞いてごめんね?」
「変なもんか。言ったろ、どっちが正しいって話じゃ……」
「たださ、一個だけお願い」
レイは俺の言葉を遮る様に、震える声で囁いた。
「……ちゃんとカイトが一番幸せになる未来を選んでね」
「…………おう」
レイの言葉は、俺を不思議な感情にさせた。
自分を選んでではない。二人とも選んででもない。
俺が一番幸せになる未来を選んでほしい、そう願ったのだ。
『カイトが幸せならあたしも幸せ』
レイは本気でそう思っているんだと、心で感じた。
「……んぅ」
「レイ? ……ははっ、二人とも寝ちまったのか」
気付けばレイからも規則的な寝息が聞こえて来た。
可愛い女の子二人に挟まれ電車旅、いい気分だ。
「…………俺がもう何百年も生きてたらな」
いくら言っても栓の無い事。それでも考えてしまった。
俺の価値観も完全に吸血霊鬼で、今みたいに二人に言い寄られていたら、迷う事なく二人とも選べたのかなって。
どっちも悲しませずに丸く収まったのかなって。
ありえない話だ。俺が吸血霊鬼だったらレイともヒナとも会ってないだろう。
「……選ばなければならなくなった時になれば、きっと答えは出るだったか?」
昨日の夜、親父との会話を思い出す。
「へっ、もし出なかったら八つ当たりしに行ってやるからな」
我ながら本当に理不尽な話だ。
だけどそんな言葉に縋らなきゃならないぐらい、俺は同じくらい二人の事が好きなんだ。
「……レイも、ヒナも、本当に好きなんだ」
言葉にすれば少しは気が軽くなるかもと思ったが、より重い責任を目の当たりにしたような気がした。
それでも選ぶと決めたんだろ、だったら前を見ろ。
そして、今しかないこの瞬間をちゃんと見ろ。
「……大好きだ」
そう呟いたのを最後に、俺まで眠気に襲われてきた。
二人のそれぞれ違う温度の温もりに包まれ、徐々に俺もまどろみに落ちていった。
「「………………~~~っ!?」」
両肩に乗っている二人の顔が、耳まで真っ赤になっている事なんて全く気付かずに。