第七十三話【タイムリミット】
真夜中の自室。
眠れないまま真っ暗な部屋で天井を見つめていた。
「…………」
レイの誕生日祝いにレイとヒナ、三人で遊園地に行ってから一週間が経った。
それだけの時間が経過しても、目を閉じる度にあの日の情景が思い浮かぶ。
様々な感情で苦しみもがきながら、一番大切な感情を教えてくれたヒナの顔が、いつだってまぶたの裏に焼き付いていた。
『…………ごめんね、レイカ』
『だけど私…………やっぱりカイトの事が好きなんだ』
あれ以来、ヒナは俺の家に来ていない。
当然か、面と向かってあんな事言って何事も無かったかの様にレイと顔を合わせられる訳がない。
『私……もう待てない。カイトの誕生日までに返事がほしい』
スマホを開いて日付を確認する。
俺の誕生日は十二月十八日、あと一ヶ月。
それまでに俺は答えを出して、ヒナに伝えなければならない。
今まで散々先送りにしてきた問題に向き合わざるを得なくなった。
ヒナの事を受け入れるのか、突き放してレイを選ぶのか。
「…………全然決まらねえじゃねえか、クソ親父」
選ばなければならなくなった時になれば、きっと答えは出る。親父は俺にそう言った。
だからって未だに答えが出せないのは俺の問題であって、親父は悪くない。
それでも逃げ道の様に、親父に対して悪態をついていた。
「…………かいと」
「ん…………」
部屋の中にレイが入ってきた。
不安そうで、悲しそうで、怯える様な顔をしたレイが。
「…………隣行ってもいい?」
ベッドに腰掛ける俺にそう訊ねる。
良い訳あるか、と前までの俺なら答えていたはずだ。
今となってはそんな事、口が裂けても言えなくなった。
「……来いよ」
「うん」
俺の許可を貰い、隣にちょんと座るレイ。
下手に抱き着くでものしかかるでもない、ただ俺の隣に。
この一週間、レイはずっとこんな様子だった。
「…………ヒナちゃん、もう来ないのかな」
「……かもなぁ」
少なくとも俺の返事を聞くまでは来ないかもしれない。
俺の返事次第では二度と来ないかもしれない。
「もう、会えないのかなぁ」
「そんな事は……」
無いとは言えなかった。
ヒナは俺がどっちを選んでも諦めないと言っていたし、そう考えれば会えなくなる事は無いと思うけど、この前のヒナの雰囲気からは楽観的な想像は出来なかった。
「…………かいとぉ」
ぽろぽろと涙をこぼすレイ。
ヒナの事を相談し、悲しくて涙を流す。ここ数日ずっとこうだった。
「あたし……どうしたらいいのかなぁ……」
「………………」
レイの頭を撫でる。
ゆっくり優しく、レイを抱き寄せる。
「……お前が悩む必要は無いんだぞ」
「でも…………」
「ヒナも言ってたろ、お前の事大好きだって。別にお前を嫌いになって会わない訳じゃねえんだ。ただ今はちょっと……気まずいだけだろ」
「…………そうかなぁ」
レイは何も悪くない。ただみんなと一緒に居たかっただけ。三人で、いつまでも笑っていたかっただけ。
それはヒナもわかっていたはず。それでも俺に思いをぶつけたって事は、どうしても譲れない何かがあったって事だ。
「……悩むべきは俺なんだよな」
初めてヒナに好きと言われた日。もし俺がすぐにヒナと付き合いたいって言っていたら、レイの気持ちを知る前にそう言えていたら俺達の関係は変わらなかっただろうか。
初めてレイに好きだと言われた日。もしヒナよりお前が好きだと言っていたら、レイとの日常を愛おしいと思えていたらまた違う結果になったのだろうか。
もしもの話をしても仕方ない。だが今の状況は間違いなく俺の優柔不断さが招いた結果だ。それだけは事実なんだ。
「……ヒナも悩んだのかな」
そもそもヒナはどうして改めて告白してきたのだろう。
ヒナは元々、俺と付き合った場合に俺が知らない女と同棲してるのが耐えられないとか、そんな理由で交際を先送りにしていた。
今のヒナとレイの関係を見れば、ヒナの懸念は無いに等しい。でもヒナはあえて俺と二人きりを願った。そこに理由があるはずだ。
どうしても俺と二人きりの時間が欲しい、そんな理由が。
「……俺、ヒナに聞いてみるよ。じゃないと俺もちゃんと答えを出せない」
レイの頭をぽんぽんと撫でた。
明日学校で聞いてみよう。最近はヒナとも少し気まずいけど、それでも弁当は作ってくれている。話す機会はあるはずだ。
「だからお前も、安心して待ってろ」
「………………うん」
安心しろだなんて無責任な事を口走る俺の言葉を、レイは素直に受け取る。
なんの根拠もない言葉だけど、レイには少しでも安心していて欲しかったんだ。
「って…………おい」
レイはしれっと俺のベッドに横になる。
いつもなら絶対に追い出す所だったけど。
「…………だめ?」
「…………まあ、いいか」
それでレイが安心して眠れるなら構わない。
レイに布団をかけ、隣に俺も寝転んだ。
(ヒナ…………)
まだヒナの真意は掴めないけど、それでも一人で眠るよりレイに添い寝してもらう方が俺も安心できた。
いつしか眠りに落ちたレイの寝息を聞いている内に、俺もまどろみの中へ沈んでいった。
◇
「はい、お弁当」
「ん…………」
翌朝、いつも通りヒナは俺に弁当を持ってきてくれた。
俺もいつも通り受け取るのだが、やはりお互いぎこちない。
「………………」
「うおぉ…………」
近くで見ていたミノもアユも、俺達の空気を感じ取って気まずそうにしていた。
「じゃあ、私は戻……」
「ヒナ!」
「っ…………?」
いつまでもこのままじゃいられない。
自分の席に戻ろうとするヒナの手を掴んで引き留めた。
「その……ちゃんと話がしたい。昼休みか、放課後か……どっか時間ねえか?」
「それは…………返事?」
「それを考えるために、お前の気持ちが知りたいんだ」
「…………」
ヒナが求める答えはまだ出せていない。
それもヒナの行動理由がわからなければ簡単に出す訳にはいかない。
「わかった。放課後、どこか寄ろっか」
「おう」
約束を取り付けた俺はヒナの手を離し、互いに席に戻った。
「…………カイト、委員長に何かしたの?」
「いや、まだしてない」
「これからするかもしれねえのかよ……」
「展開次第では…………」
小声で説明を求めるミノ、空気の重さに震えるアユ。
悪いな、俺のせいでお前達にまで気まずい思いさせて。
「大丈夫だ。近い内に全部終わるから」
「俺らの事は気にすんなよ?」
「そうだよ。僕らに気を使う必要なんて無いんだから、大事な事ならゆっくり考えて……」
「もう充分、時間は貰ったんだよ」
ヒナは「もう待てない」と言っていた。
待たせたのは俺だ。
だったらこれ以上待たせる訳にはいかないよな。
「俺も…………いい加減男を見せなきゃいけない時が来たんだよ」
その日は放課後まで全く授業が頭に入らなかった。
今の俺の頭にヒナとレイ以外に入り込む余地なんて無かった。
◇
学校を出て、ヒナと二人並んで歩く。
どこか寄ろうとは言ったが、具体的な場所は俺も決めていなかった。
「……………………」
しかしヒナは迷う事なく進み続けた。最初から目的地を決めていたかの様に。
何も言わないのなら、俺も黙ってついて行こう。
今俺と話す為に適した場所があると言うなら、ヒナがそこで話したいのなら、俺には何も異論はない。
「…………そうか」
ヒナについて歩いていると、なんとなく目的地が読めてきた。
この道は前にも通った事があるし、ヒナと共に歩いた事もある。
あの時はそう……雨の中ヒナを背負っていたっけ。
「……ここで良い?」
ヒナが足を止めて振り向き、俺にそう訊ねたのは予想通りの場所だった。
「ああ、問題ねえよ」
俺とヒナの思い出のあの遊具がある公園だった。
◇
「…………」
「…………」
遊具に入り、二人並んで座り込む。
色々な事を思い出しながら、しばらく無言を続けていた。
「……どうして、あのタイミングでもう一回告白しようと思ったんだ?」
ヒナを誘ったのは俺だ。だったら話を切り出すべきなのも俺。
単刀直入に聞いてみた。
「ここ最近ヒナの様子が少し変だったのと関係あるのか?」
「……………………」
「親父の所行ってからだよな。それとも、ばあちゃんか?」
最初に変だなと思ったのは、親父の家を出た時。帰りの電車でも違和感を感じていた。
それまでずっと元気で賑やかだったヒナが途端に静かに、しおらしくなるものだから凄く心配した。
それからレイの誕生日まで、時折辛そうな顔をしていた。
「…………よく見てるね」
「大事な幼馴染だぜ、そりゃ見るよ」
「やっぱりカイトって鋭いなぁ……」
ヒナは遊具の天井を見上げ、手を伸ばしてそっと触れた。
「この遊具、昔は立ったまま中に入れたのに、今じゃ座っててもギリギリだよね」
「ああ。そうやって天井にも簡単に手が届いちまうくらいにな」
「私達、おっきくなったんだね」
ヒナの言葉は当たり前の事。特別でもなんでもない事。
その普通の事を噛みしめるかの様に振り返っていた。
「私ね、ずっとカイトの隣に居るんだと思ってたの。一緒に大きくなって、大人になっていくんだと思ってたんだ」
「その通りだろ、俺とヒナはいつまでも幼馴染で……」
「でもね、それは出来なくなっちゃったんだよ」
「………………えっ?」
思わずヒナの方を向くと、ヒナも俺の事を見ていた。
ヒナの手が俺の頬に、いや、前髪をかき分けるように伸ばされた。
「私は人間、でもカイトはもう吸血霊鬼なんだよ」
「ああ…………」
「そんなカイトの身体は……後何年成長するんだろうね?」
「……っ!?」
ヒナの瞳が悲しく揺れた。
まっすぐに俺の右目を、赤くなった目を見つめていた。
「私、カイトと一緒に大人になりたかった。初めてのお酒とか一緒に飲んで、カイトがたばこを吸ってみたいって言ったらちょっとだけやってみたりして」
「…………」
「二十歳までは一緒に成長出来るかもしれない。でもその先は? 五年、十年、だんだんと私だけがおばあちゃんになってくのかなって思ったら、寂しくて、怖くて、悲しくて…………」
そうか。ヒナがおかしくなったのはそう言う事か。
あのタイミングだと多分ばあちゃんの話を聞いて、俺が吸血霊鬼になったという事、寿命が人間のそれとは変わっただろう事を思い知ったのか。
そしてそれがヒナにとって耐え難い事だったのか。
「せめて今のカイトの時間だけは、カイトと一緒に成長出来るこの時間だけは誰にも渡したくない、そう思ったの」
「だからもう待てないって言ったのか」
ヒナの告白は、俺にとってのタイムリミットだと思っていた。
でもヒナにとってはばあちゃんの話を聞いた時から既に、俺と共に成長出来る時間の限界を感じていたんだ。
「なるほどな…………全部納得いったよ」
俺は吸血霊鬼になった。レイも吸血霊鬼だ。ヒナだけが人間なんだ。
いつまでも現状を維持していると、ヒナだけが歳を重ねていく。焦って当然だ。
俺と同じ年齢でいられる時間は、同じ歩幅で歩ける時間は、そう長くない。
「……ごめんな」
「カイトは何も悪くないじゃない……」
「だってさ、ヒナの気持ちに応えないまま、勝手に吸血霊鬼になっちまってさ、ヒナからしたらふざけんなって感じじゃねえか」
「でも、カイトのせいじゃないよ」
「それでもだ」
俺はヒナの肩を抱き寄せた。
「話してくれてありがとな、これで俺も選ぶ事から逃げない決心がついた」
「…………うん」
「だからって、まだヒナを選ぶって決まった訳でもねえけとさ」
「…………うん」
「それでも、ちゃんと考えるから。見つけるから、俺の本音の奥の奥」
レイが自分の居場所にどれだけ強い願いがあるのかはずっと知っている。
そして今、ヒナが俺との時間をどれ程欲しているのかも知る事が出来た。
本当の意味で俺は二人の心の奥底に触れる事が出来たんだ。
後は、俺自身の心だけだ。
俺が本当に好きなのは、添い遂げたいのはレイなのか、ヒナなのか。
「…………ヒナ、俺の誕生日までに答えが欲しいんだよな」
「うん…………」
「前日だ」
「えっ?」
「ギリギリまで伸ばして悪い、でも誕生日の前日には必ず答えを出す。それでいいか?」
俺自身、一日二日で気持ちの整理がつくとは思えない。
それでもヒナは逃げずに伝えてくれたんだ。
俺も探す、見つける。もう逃げない。
どちらか一人を選ぶという決断から。
「…………うん、待ってる」
ヒナはそう言って俺の肩に頭を乗せた。
(…………いい匂いだ)
ヒナの髪からふわっといい匂いが漂う。
今ならわかる、血の匂いじゃない。デートの時に俺が褒めた柑橘系の香水だ。
ヒナはいつでも俺の事を考えて、俺の為に行動してくれている。
(…………もう逃げないさ)
それがヒナに返せる最大限の誠意だと思ったから。
ヒナの手を強く握り、強く、強く誓った。