「…………嘘だろ」
ヒナは今、「レイカって誰?」と言った。
そんな言葉聞くと思わなかった。
そんな言葉聞きたくなかった。
だってそれは、どんな悪夢より残酷だから。
「……覚えてないのか? 何も……」
「え、ええ……だってカイト、ずっと一人暮らしだったでしょ?」
「っ…………」
そんな訳無い。もう一年も一緒に住んでたんだぞ。
ヒナだって何度も家に来てただろ、レイと何回喧嘩してたと思ってんだ。
「カイト……?」
ダメだ、それを感情のままにヒナにぶつけても仕方ない。
この顔は嘘ついてる顔じゃないし、ヒナが俺にそんな酷い嘘をつくわけがない。
原因は分からないが、今のヒナは本当にレイの事を覚えていないんだ。
「…………嘘だ」
俺はふらつく足でよろよろと歩き、レイの部屋へ向かった。
何かレイの手がかりがないか探して。
「…………レイ」
レイの部屋はいつも通り、前に見た時から何も変わらない殺風景な部屋だ。
元々は親父の部屋で、レイは物を欲しがらないから全然物が増えなかった。
それでも、俺が買い与えた服とかは持っていたはずだ。
「……………………なんで」
無い。
レイの為に揃えた服がほとんどない。
でも、俺から勝手に持っていった服やパーカーは並んでいる。レイの居た痕跡が消えたわけじゃない事に少しだけ安堵する。
そんな安堵、秒で吹き飛ぶのだけど。
「…………!?」
机の上に置いてあるものが目についた。
「これ…………」
桜の花びらがあしらわれたヘアピン。
温泉旅行の帰り際、ヒナとデザイン違いの物をレイにも贈ったのだ。
結局あの時以外レイがこれを身に着けている所は見られなかったけど。
でもどうしてヘアピンだけがここに残されているのだろうか。
「…………………………………………」
考えた。
考えて、考えて。
考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて。
レイなら何を思ってこのヘアピンを置いていくのか、必死に意図を考えた。
「ヘアピン、お土産、桜、プレゼント、ヒナと一緒…………」
今までに無いほど頭をフル回転させていた。
どうしてレイは居なくなった。
どうしてヒナはレイを忘れた。
どうしてレイの物が無くなってる。
どうしてこのヘアピンだけ残された。
「………………ッ」
親父譲りの思考力に感謝した。
残された数少ない情報が、俺の記憶の中からレイとのやり取りを、会話を、言葉を掘り起こしていった。
『……かいとがもしヒナタさんの方が好きなら、あたしはどこか行かなきゃって、かいとから離れなきゃって思ってて……』
「…………まさか」
『……どうかなぁ、カイトがヒナちゃんを選んだら、カイトなんかしーらないっ! って言ってふらっとどこか行っちゃうかもだし』
「お前、本気で…………」
『でもね、カイトがあたしかヒナちゃんのどっちかを選んじゃったら、あたし達もう三人で居られないんじゃないかなって思うの……』
「俺の前から…………」
『……ばいばい』
「ッ!!?!?」
その場に膝から崩れ落ちる。
目眩がした、まともに立っていられなかった。
どこか冗談だと思っていた、レイが俺から離れるなんてありえないと思っていた。
レイと俺はずっと一緒に暮らしていくものだと、勝手に思い込んでいた。
時折見せたレイの本音に気付きもしないで。
「レイ、お前…………」
握り締めていたヘアピンを見つめる。
忘れろって事か? 自分の事を切り捨てろって事か?
『だからっ……もし二人が恋人になったらきっと、あたしとも仲良くしちゃうでしょ……?』
『でもそれじゃだめなんだよ……かいとの好きはヒナタさんが独り占めできなきゃだめなの……』
あの時の言葉を、本気で。
あれだけ色々な事があったのに、その気持ちは変わらなかったって事か?
「カイト…………大丈夫?」
「…………ヒナ」
レイはヒナに名前を明かしていた。でもそれは下の名前だけ。姿を隠せなくなる名前だけ。
この時の為にお前は、ヒナにフルネームを教えなかったのか?
俺がヒナを選んだら、ヒナから自分の記憶を消す為に。
ヒナが自分に負い目を感じない様に。
俺がヒナだけを愛せる様に。
「…………ここで待っててくれ」
「えっ!?」
「俺、レイを探してくる」
俺は知っている。レイが俺の事を大切な居場所だと思ってくれていた事を。
俺は知っている。レイにとって居場所がどれだけ大切なものであるかを。
俺は知っている。その居場所を失う事をレイがどれだけ恐れていたかを。
「見付けなきゃ……探さなきゃ…………連れ戻さなきゃ!!」
俺はヒナの返事も聞かずに、靴も履かず、上着も羽織らず、無我夢中で家を飛び出した。
「レイ…………レイッ!!」
お前がどんな気持ちで消えたのかわからない。
どれだけの覚悟で居なくなったのかわからない。
(…………関係ねぇっ!!)
俺が一番幸せになる選択をしろって言ったのはレイ、お前だからな。
お前が居なくなるなんて、俺は嫌なんだよ。
◇
『すまない、こちらには来ていないよ』
「…………そうか」
『力になれずすまないね』
レイのじいさんに連絡を取ってみたが不発だった。
街中を駆け回ってみたが、レイの姿はどこにも無かった。
そらそうだ、ヒナと違ってレイの匂いは追えないし、レイと思い出の場所なんかも無い。
レイはずっと、俺の家で俺の隣に居たんだから。
もう、レイの居ない事なんて考えられなかった。
「…………あっ?」
学校の近くを通りがかった時に、ふとまだ電気がついていることに気が付いた。
あの場所は……保健室だ。
「…………そうだ、紗霧ちゃん!」
レイの数少ない交友関係の一人。
吸血霊鬼の先輩で、意外と頼れる大人の紗霧ちゃん。
俺は縋る思いで塀を飛び越え、電気が灯る保健室に向かって駆け出した。
◇
「紗霧ちゃんッ!!」
ガラガラと窓を開け、保健室に足を踏み入れる。
「おやおや神上生徒、グラウンドからなんて随分な登場だね」
紗霧ちゃんは仕事中にも関わらず、いつも通りのテンションで俺を迎え入れてくれる。
でも今はそんな事はどうでもいいんだ。
「レイが居ないんだ、何か知らねえか!?」
「ふむ、レイカ君が」
よかった、紗霧ちゃんはレイの事を覚えていた。記憶を消されてはいないみたいだ。
「なんでもいい、レイが行きそうな場所に心当たりとか…………」
「それを聞いてどうするんだい?」
「…………え?」
しかし、紗霧ちゃんの表情はどこか冷たく、俺の質問には答えてくれなかった。
「あのレイカ君が神上生徒の前から姿を消す、余程の事だ。到底考えられない状況だよ」
「だからこんなに探してんだろ!!」
「それは、彼女の望みかな」
「っ…………」
怯むな。
レイが俺を思って消えた事くらいわかってる。
「俺は……俺が嫌だからレイを探してんだよ!! レイと離れたくないから、居なくなってほしくないから!!」
「そうか…………」
紗霧ちゃんは持っていたペンと書類を机に置き、俺の前に立った。
「……諦めろ」
「んだとッ!?」
「自分の気持ちに正直になる、自己犠牲が過ぎる君には立派な成長だ。しかしね、君に譲れないものがある様にレイカ君にもあるんだろう」
「そ、それは……」
レイにとって譲れないもの。
それはきっと…………俺達の幸せ。
「バカ野郎…………」
気持ちはありがたいけどな、俺の幸せにはお前も必要なんだよ。
それがわからないレイじゃないだろ。
「どのみち私には何も言える事は無い。彼女の事を思うんだったら、今すぐ帰って愛すべき相手を再確認するんだね」
「…………ヒナ」
そうだ、こうしてる間にもヒナは俺の家で何も知らずに一人待ってる。
そうか、俺が仮にレイを連れ帰っても、ヒナはもうレイの事を覚えてない。
レイがヒナの記憶を消した時点で、元の三人には戻れないんだ。
「…………わかった」
紗霧ちゃんはもう何も言わなかった。
俺は紗霧ちゃんに背を向け、保健室から立ち去った。
「……悪かったな、邪魔した」
「ああ」
ただ一言、紗霧ちゃんに謝罪しながら。
「………………こちらこそだ」
◇
「…………」
神上生徒は気付かなかったか。
無理もないか、物音ひとつ立てなかったからね。
「━━シャーーッ」
保健室のベッドを囲んでいたカーテンを開く。
「やっぱり彼は君の事をよく理解しているね」
レイカ君が立ち寄りそうな場所に目星をつけていたのだから。
「…………なぁ、
「………………」
レイカ君はベッドに身を隠し、息を殺して座り込んでいた。
大粒の涙を流しながら、彼に悟られない様に。
「今ならまだ間に合うよ」
「…………」
「よかったのかい、彼はあんなに君の事を……」
「…………いいんだ」
彼女の声は枯れかけていた。
何時間もここで泣き続けて、まともに喋る事すら難しいだろう。
それでも彼女は健気に微笑んでいた。
「…………これで、いいんだぁ」
「…………そうかい」
私はレイカ君に寄り添い、そっと抱き締めてあげた。
私が援助するとはいえ、これからは一人で、彼から離れて生きなければならない。
そんな過酷な未来を、愛する者の幸せだけを願って選んだ彼女に、せめてもの温もりを。
「……君は強い子だね」
「…………ぐすっ、うぇ……っ」
「大丈夫、彼もきっと幸せになるよ」
「…………うん」
レイカ君の隣にあるキャリーケース。
用意しておいてほしいと前もって頼まれていたもの。
きっと中には彼から貰った服が沢山しまってあるのだろう。
ここ数日で、彼が白銀生徒を選んだ事を察していたのだろう。
それだけ彼の事をずっと傍で見ていたのだろう。
彼との思い出を手放せないのはレイカ君も同じだろうに、愛するが故に離れる事を選ぶ。なんと困難な選択か。
本当に強い子だよ、レイカ君。
「困った事があったら、いつでもおいで」
そう言って私は、レイカ君が泣き止むまでずっと傍に寄り添い続けた。