千年の時を越えて今を生き、しかし姿を消したという刀匠シュウハク。そして失われた残り二振りの妖刀。
しかし、広大な北部高原において、妖刀を持つであろう名も知れぬ魔族や、過去の亡霊のような鍛冶師を追うにしては、手掛かりはあまりに少なすぎた。
「……そもそも、なぜ数年前、ヒガンバナを持った魔族はこの街を襲ったんだろうね」
領主の館を辞した帰り道、夜風が吹き抜ける石段の上で、フリーレンがぽつりと呟いた。
「ヒガンバナの力……アウラのアゼリューゼを宿す妖刀があれば、討ち取った者をそのまま忠実な手駒として従えられる。軍勢を膨れ上がらせて戦争を起こすには、これ以上ない武器だ。……でも、それならもっと守りの薄い人間の村や小都市を狙えばよかったはずだよ。なぜわざわざ、筋骨隆々のオーガたちがひしめく、こんな険山の要塞都市を襲う必要があったのかな」
「……言われてみればそうですね」
フェルンが静かに頷き、夜の帳が下りたすり鉢状の街を見下ろす。
「オーガの戦士たちは屈強で、並の魔族では返り討ちに遭いかねません。いくら強力な妖刀があったとしても、最初からここを標的に選ぶのは、あまりに不自然で、危険が大きすぎます」
「何か、魔族にとってどうしても手に入れたいものが、この街にあったのかもな……」
シュタルクが腕を組み、唸るように息を吐いた。だが、暗闇の中で考えを巡らせたところで、確たる答えが降ってくるはずもない。三人は夜の冷気を背に受けながら、ひとまず宿屋へと戻り、深く静かな眠りの中で一夜を明かした。
翌朝。
谷底から吹き上げる冷涼な風が、無数の工房の煙を散らしていた。
手がかりを探すため、三人は朝の光に照らされたカグツチの街を歩き回ることにした。
東側諸国の風情を色濃く残す通りには、色とりどりの暖簾や木札を掲げた露店が軒を連ね、独特の喧騒と活気に満ちていた。
「おい、フェルン、あれ美味そうだぞ!」
シュタルクが指差したのは、甘辛いタレを塗って香ばしく炭火で炙られた、竹串刺しの平たい団子だった。湯気とともに漂う焦げた香りに誘われ、フェルンもまた紫色の瞳を微かに輝かせる。
「……そうですね。少しだけ、いただきましょうか」
「おばちゃん、これ三本くれ!」
焼きたての団子を頬張り、もちもちとした弾力と甘辛いタレに舌鼓を打つ二人。
その少し先で、フリーレンの足がぴたりと止まっていた。
露店の店先に無造作に並べられているのは、錆びついた真鍮の筒や、奇妙な形に削られた木片、用途の知れない歪な硝子玉といった、客観的に見れば完全なガラクタの山であった。
「……フリーレン様。またそうやって、得体の知れないガラクタを凝視するのはやめてください」
口元にわずかにタレをつけたフェルンが、呆れたようにジト目を向ける。
「ガラクタじゃないよ。見てこれ、フェルン。この銅の鈴、『どんな硬い木の実も一瞬で殻が割れる魔法』の術式が組み込まれてるよ。鈴を振りながら木の実を握れば、クルミだって握りつぶせる。銅貨十枚だって。お買い得じゃない?」
「絶対に要りません。その木の実の殻を割って、誰が食べるのですか。路銀の無駄遣いです」
「えー……」
心底名残惜しそうに鈴を棚へ戻すフリーレンの背後で、シュタルクは別の露天商の前に立ち止まった。屈強なオーガの商人が並べる、様々な目の粗さを持つ砥石の数々。
「へえ、すげえなこれ。黒くて重い……ドワーフの山でしか採れない上等な油砥石だ。アイゼンが斧を研ぐとき、いつもこういうのを使ってたっけな。……すみません、これひとつください」
シュタルクは懐から銀貨を取り出し、丁寧に油紙で包まれた砥石を懐に収めた。戦士としての実直な買い物を済ませ、三人は再び緩やかな傾斜の通りを下っていく。
やがて、規則正しく響く金属の打撃音が近づいてきた。
街へ来た初日に立ち寄った、あの吹き抜けの大きな鍛冶工房だった。
赤々と燃え盛る巨大な溶鉱炉の前に、あの老いたオーガの刀匠が立っていた。頑丈な金箸で挟み、炉の火床へと放り込んでいるのは、見慣れぬ黒銀色の塊だった。表面はゴツゴツと無骨で、炉の激しい炎に包まれながらも、融解する気配すら見せない。鈍い輝きを放つその特異な鉱石に、フリーレンの足が自然と引き寄せられていく。
白いケープを揺らし、子供のような足取りで、フリーレンはためらいもなく工房の中へとすたすたと入っていった。
「あ、フリーレン様! また勝手に立ち入って……!」
フェルンが慌てて声を上げるが、時すでに遅い。
「また怒られても知らねーぞ……」
シュタルクが肩をすくめながら後を追う。
炉に鉱石をくべていた老刀匠が熱気の中から振り返り、額の二本の角の間、深い眉間の皴を苛立たしげに歪めた。
「あん? またエルフの嬢ちゃんか。勝手に入ったら危ねえって言ったろ!」
「ほら怒られた」
工房の敷居のところで、シュタルクが小さくため息を漏らす。
だが、怒声を浴びせられたフリーレンはどこ吹く風で、じっと炉の中で赤熱する鉱石を指差した。
「おじさん、その鉱石、なに?」
悪びれもせず純粋な好奇心を向けてくるエルフに、刀匠は毒気を抜かれたように太い息を吐き出した。金箸を炉の脇の鉄台に預け、煤けた手拭いで首筋を拭う。
「ん? こいつは『タマハガネ』と言ってな。カタナに魔法を打ち込むにゃあ、ただの鉄じゃダメなんだ。コレがなきゃ妖刀は打てねえ。遥か昔に妖刀造りの開祖・シュウハクが見出した、特別な鉱石なのさ」
遅れて工房の中へと足を踏み入れたフェルンが、熱気で微かに揺らぐ空気を警戒しながら、その鉱石を見つめた。
「中央諸国では見たことがありませんね。このあたりの特産なのでしょうか」
「ああ。このカグツチの周辺の山にはタマハガネの鉱脈があってな。遥か昔、シュウハクがここへ移り住んだのも、それがお目当てだと言われてる」
「誰でも掘れるの?」
フリーレンの平坦な問いに、刀匠は短く鼻を鳴らして首を横に振った。
「無理だろうな。鉱山が関係者以外立ち入り禁止なのは当然だが、そもそもめちゃくちゃ硬えのさ。俺たちオーガでも、若くて力のあるやつじゃねえと、とてもじゃねえが掘れねえ代物だ」
「……ですが、封魔鉱と違って周辺で魔法は使えるのですよね。魔法で採掘すればよいのでは?」
フェルンの至極もっともな疑問に、老刀匠は苦笑交じりに肩を竦めた。
「そう思って魔法使いを雇ったこともあるが、ダメだった。タマハガネは魔法を吸収したり、変に弾いたりするのさ」
「魔法を吸収したり、弾いたり……魔力に対して特殊な反応を示す鉱石ということですか」
フェルンが紫色の瞳を細める。
シュタルクもまた、炉の中で鈍く光る黒銀の塊を見つめ、納得したように顎を引いた。
「それを素材にしてるからこそ、魔法を刃に宿す『妖刀』なんてものが打てるってことか」
「そういうこった。ともかく、長老衆みてえなお歴々とか、嬢ちゃんたちみたいな細え身体じゃあ、とても手に入らねえ鉱石だってことだよ」
刀匠は無造作に作業台の隅へと歩み寄り、拳大のタマハガネの原石を一つ、無骨な手で放り投げるように持ち上げた。
「まあ、貴重なもんではあるが、記念に欲しけりゃ、一個くらいなら安く売ってやってもいいぜ。なにせこのカグツチには、それがたっぷり備蓄されてるんだからよ」
老刀匠の手のひらの上で、黒銀の鉱石が鈍く光を返していた。
冷ややかな金属の光沢。そして、街の倉庫に山積みにされているという『備蓄』の言葉。
その瞬間、フリーレンの翡翠の瞳の奥で、カグツチを巡るいくつかの不自然な符合が、音を立てて噛み合い始めていた。
老刀匠が無造作に掲げた手のひらから、黒銀の塊が差し出された。
フリーレンは懐の革袋から銀貨を一枚取り出し、鍛冶師の煤けた太い掌へと載せる。代わりに受け取った拳大のタマハガネは、見た目の無骨な岩肌からは想像もつかないほどに重く、底知れぬ冷たさを掌に伝えてきた。指先から僅かに流し込んだ探査の魔力は、表面を撫でる間もなく不自然に屈折し、ある部分は奥深くへと吸い込まれ、ある部分は乾いた音を立てるかのように弾き返される。
「……確かに、魔力を打ち込むための器としては、これ以上の素材はないね」
フリーレンは鉱石を革の腰袋へとしまい、煤煙が漂う炉の奥へと翡翠の瞳を向けた。
立ち上る火の粉と、赤熱する炉床。その過酷な熱気のただ中で、彼女はなんでもない世間話をするかのように、しかし核心を突く問いを静かに投げかけた。
「ねえ、おじさん。数年前、魔族がこの街を襲ったときのこと、ちょっと詳しく聞かせてくれない? ……何か、街から盗まれたものはなかった?」
老刀匠は太い眉をわずかに寄せ、首筋の手拭いをぎゅっと握り締めた。遠い日の惨劇を思い起こすように、額の二本の角の下にある濁った眼を細める。
「盗まれたもの、だと? ……ああ、忌々しい記憶だな。あの時、クロ坊とシロ坊……先代領主だったクロガネ様とシロガネ様は、魔族の主力軍を食い止めるために手勢を率いて山野へと打って出られた。壮絶な戦いだったよ。英雄たるお二人が相討ちとなって国を護り抜いてくださらなきゃ、今頃この街は灰になっていただろうさ」
そこまで語り、刀匠は唾を吐くように床の砂を踏んだ。
「だがな、奴らの狙いは街の殲滅だけじゃなかった。前線で激しい火花が散っていたその裏で、数体の魔族が組んだ別働隊が、守りの薄くなったこの街の奥深くまで忍び込んできたんだ。奴らが襲ったのは、宝物庫でも武器庫でもねえ……鉱山から運び出され、街の北の蔵に厳重に備蓄されていた、未加工の『タマハガネ』の山だった」
「鉱石を……?」
シュタルクが怪訝そうに目を瞬かせた。
「ああ。蔵番の戦士たちを皆殺しにして、山積みにされていたタマハガネをごっそりと奪い去って行きやがったのさ。完成した名刀や、金銀財宝には目もくれずにな。……あんな重くて硬いだけの石塊を持ち去って、一体何に使うつもりだったのか、俺たちにもさっぱり見当がつかねえよ」
刀匠は苛立たしげに吐き捨て、火床の炭を金箸で乱暴に突いた。
工房を出た一行は、大通りの喧騒から少し外れた、石造りの水路沿いの小道へと歩を進めた。
絶え間なく響く槌の音と、水路を流れる冷水のせせらぎが重なり合う。秋の乾いた風が吹き抜け、路傍の木々の葉をかすかに鳴らしていた。
「……おかしな話だね」
前を歩くフリーレンが、足を止めることなく口を開いた。その声には、冷徹な分析の響きが帯びている。
「魔族はね、力を誇示する生き物なんだ。彼らにとって価値があるのは、自らの魔力をより強く見せつけるものや、その場で振るえる強力な武具だけだよ。人間やドワーフのように、汗を流して鋼を鍛えたり、鉱石を加工して道具を作り出したりするような文化は、奴らには存在しない」
「……はい」
フェルンが静かに頷き、紫色の瞳を険しく細めた。
「かつてダッハ伯爵領で遭遇した魔族も、領主に代々伝わる宝剣を盗み出し、即座に自らの力として振るっていました。魔族が物を奪うのは、それがすでに完成された武器であり、己の虚栄心と殺戮の手段を満たす道具である場合に限られます。未加工の鉱石など、魔族にとってはただの重い石屑にすぎないはずです」
「じゃあ、なんで魔族はそんなもんを盗んだんだよ?」
シュタルクが後頭部を掻きながら、納得のいかない表情で二人の顔を見比べる。
「あいつら、鍛冶の技術なんてねえんだろ? タマハガネを持ち帰ったところで、溶かしてカタナにすることすらできねえじゃんか」
「うん。魔族自身には扱えない」
フリーレンの脳裏に、昨夜、領主の館の大広間でアカガネが語った言葉が、鮮明に蘇っていた。
『晩年の奴は、さらなる究極の妖刀を求めるあまり、魔族の力、底知れぬ深淵の術理に魅入られ、狂気に取り憑かれたとされておる。そして……ある日突然、三本の妖刀とともに忽然と姿を消したのじゃ』
冷たい風が、フリーレンの白いツインテールを揺らす。
「数百年前、天才刀匠ヨシノ=シュウハクは、究極の妖刀を打つために姿を消した。カグツチを出奔した当時の彼は、おそらくは三百歳から四百歳近い、寿命の限界を迎えた老ドワーフだったはずだ」
フリーレンは歩みを止め、振り返って二人を見据えた。
「ドワーフの肉体である以上、どれほど優れた鍛冶師であっても、老いた身体で自ら鉱山へ分け入り、あの異様に硬いタマハガネを掘り出すことなんてできない。隠遁した当初は、蓄えていた素材で細々と刀を打っていたのかもしれない。でも……何十年、何百年と執念を燃やし続けるうちに、手元のタマハガネは完全に尽きた」
「あ……」
シュタルクが息を呑んだ。
「まさか……」
「魔族はタマハガネを必要としていなかった。必要としていたのは、鍛冶師のほうだ」
フリーレンの翡翠の瞳の奥に、氷のような冷ややかな光が宿る。
「シュウハクは、自らが打ち上げた『三本の伝説の妖刀』を餌にしたんだよ。七崩賢の秘術を模倣した強力無比な刃を魔族へと与え、あるいは協力関係を結んで、カグツチの街を襲撃させた。目的はただ一つ……自らが打ち続けるための、大量のタマハガネを強奪させることだ」
カグツチの先代領主クロガネと、その弟シロガネが命を落とした防衛戦。
そして、妹コガネが死の淵の兄たちを傀儡へと変える契機となった、魔族の手にした妖刀ヒガンバナ。
それらすべての悲劇の発端は、魔族の侵略そのものではなく、より深い狂気に取り憑かれた「創作者の飢え」が引き起こした同族同士の略奪劇であった可能性が、輪郭を帯びて浮かび上がってくる。
「……ですが、フリーレン様」
フェルンが静かに問いを投げかけた。その声音には、拭いきれない疑念が滲んでいる。
「ドワーフの寿命は約三百年です。千年前の刀匠が、いかに執念深かろうと、現在まで生き長らえていることなどありえるのでしょうか。それとも、その狂気と技術を受け継いだ『後継者』が存在するということですか?」
「死者蘇生と同じで、不老不死なんて存在しないよ」
フリーレンは手元の赤い杖を軽く握り直した。
「生物としてのシュウハクが今もそのまま生きているとは、私にも思えない。でも……後継者なのか、それとも何か別の異常な手段で存在を繋ぎ止めているのか。確かなのは、この山林のどこか人知れぬ工房で、盗まれたタマハガネを使って、今も妖刀を打ち続けている『何者か』がいるってことだ」
冷気を含んだ風が、すり鉢状の街の底から吹き上がってくる。
それは鍛冶の煙の匂いとともに、遠い山の深奥から漂う、禍々しい魔力の残滓を微かに運んでいるようだった。
「アカガネの屋敷に戻ろう」
フリーレンは踵を返した。
「魔族が盗み去ったタマハガネの行先、それと……数百年前、シュウハクが姿を消した当時の足取りについて、カグツチの古い記録をもう一度洗い直す必要がある」