天才刀鍛冶と三本の妖刀の話   作:龍改二

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第19話 真打ち『ソメイヨシノ』

 

吊り橋の崩落という思いがけない事故ではあったが、結果として一行は、断崖を幾日もかけて迂回することなく、霊峰の底深くへと最短距離で足を踏み入れることとなった。

 

立ち込める白濁した濃霧を裂くように、コガネが小さな足を先へと進める。真新しい白木の木剣を腰に揺らし、少女は鼻先を掠める硫黄の臭気を手で払いながら、湿った岩肌を器用に伝っていく。シュタルクは回復したばかりの左腕を幾度か回して確かめながら、フェルンとフリーレンを守るように油断なく視線を巡らせていた。

 

やがて、谷を吹き抜ける冷涼な風に乗って、規則正しい単調な音が耳を打った。

 

――カァン……カァン……。

 

静まり返った谷底に木霊する、鉄を打つ硬質な音。

それはカグツチの大通りで響いていた活気ある槌音とはまるで異なり、どこか乾いていて、果てしない虚無の深淵へと吸い込まれていくかのように重く、寂しげであった。

 

岩壁の切れ間を抜けると、眼前の濃霧が薄れ、巨大な黒煙の柱が天へと立ち上る光景が露わになった。

千年前、霊峰の巨岩をくり抜いて築かれたとされる『最初の工房』。

長年の風雨と鉱毒に晒された外壁は黒く煤け、屋根瓦は幾重にも苔生して崩れ落ちている。まるで山そのものが異形の炉を呑み込んで固まったかのような、古色蒼然とした異様な佇まいがそこにあった。

 

「……あそこだ」

 

コガネが小さく息を呑んで指を差す。

 

フリーレンを先頭に、一行は敷居の朽ち果てた入口から工房の内へと足を踏み入れた。

 

吹き抜けの薄暗い堂内に入った瞬間、四人を迎えたのは、息を詰まらせるほどの強烈な鉄の匂いと、異様な圧迫感であった。

赤熱する巨大な溶鉱炉の熱気が肌を焼き、舞い上がる火の粉が薄暗い空間をかすかに照らし出している。

 

そして何より異様だったのは、床という床を埋め尽くす鉄の残骸の群れであった。

 

数え切れないほどのカタナが、無造作に、まるで打ち捨てられたゴミのように散乱していた。

反りが狂ってひび割れた刀身、焼き入れに耐えきれず折れた鋼、魔力が定着せずにただの鈍い鉄棒と化した出来損ないの数々。壁の隙間に突き刺さり、床の砂利に埋もれ、折り重なって山を成す数千、数万のカタナ。そのどれもが、何百年もの長きにわたり狂気と執念に囚われた者が、失敗を重ね続けた果ての墓標であった。

 

炉の前、黒光りする巨大な金床に向かい、一人の老人が小さな木椅子に腰を預け、背を向けていた。

 

オーガではない。

身の丈は低く、横幅のある分厚い肩幅と頑強な骨格。頭部に二本の角はなく、白髪交じりの伸び放題の髭が足元まで垂れ下がっている。純粋なドワーフの老爺であった。

 

しかし、その肉体はあまりに異様だった。

分厚い胸板や太い腕の筋肉は、まるで数百年もの間ミイラとして乾燥しきったかのように干からび、浅黒い皮膚が骨にへばりついている。生命の温もりや拍動は一切感じられない。にもかかわらず、その枯れ木のような両腕は、常人には持ち上げることすら叶わない長大な鍛造槌を、寸分の狂いもなく、機械仕掛けのように正確に振り下ろし続けていた。

 

――カァン……カァン……。

 

赤熱したタマハガネの塊が叩かれ、火花が散る。

だが、その鉄肌に魔力の脈動が宿る気配は微塵もなかった。

 

背後から近づく足音に、老ドワーフは槌を振るう手を止めることもなく、背中を向けたまま、擦れたしわがれ声で淡々と口を開いた。

 

「……迷い込んだ旅人か? まったく、あの魔族どもめ、見張りの一つもこなせず何をしておるのか」

 

抑揚のない、乾いた声だった。

 

「メシなら無いぞ。ここには鉄と石しか転がっておらん。……まあ、儂の邪魔をせんなら、雨露を凌ぐ庇(ひさし)くらいなら貸してやろう。用が済んだら立ち去れい」

 

数百年、あるいは千年の間、外の世界の理から完全に隔絶されてきた者の、どこまでも無関心な拒絶。

 

その枯れ果てた背中へ向けて、フリーレンが一歩前へ進み出た。

翡翠の瞳を静かに据え、感情の揺らぎを削ぎ落としたフラットな声で、真実を投げかける。

 

「迷ってないよ。……お前を探してここまで来たんだ。刀匠・ヨシノ=シュウハク」

 

工房の空気が、凍りついた。

 

振り上げられようとしていた長大な大槌が、ぴたりと空中で静止した。

火床の爆ぜるパチパチという音だけが響く中、老ドワーフの干からびた首筋が、錆びた歯車が軋むような鈍い音を立てて微かに動く。

 

「……なんじゃと?」

 

低く掠れた呟きとともに、老ドワーフがゆっくりと振り返った。

 

煤で汚れた皺だらけの顔、深く窪んだ眼窩の奥で、異様に爛々と光る濁った双眸が、白いケープを纏ったエルフの少女の姿を捉えていた。

 

赤熱した炉床の爆ぜる音が、しわがれた老人の呟きを飲み込むように響いた。

 

煤と鉄粉が幾重にも焼き付いた工房の床は、外の冷気とは隔絶された重苦しい熱気に満たされている。しかし、その熱量は生命を育むぬくもりではなく、ただ無機質な鉱石を溶かし、冷たい刃へと変えるためだけの乾ききった熱波であった。

 

フリーレンは背負い袋の口を解くと、包んでいた厚手の布ごと、二振りの刀の残骸を床へと放り出した。

 

――ガラン、と。

 

乾いた金属音が、静まり返った工房の隅々にまで反響する。

石屑と鉄屑が堆積する地面を転がったのは、半ばから叩き折られた『夾竹桃』の切っ先と、粉々に砕け散った『鳥兜』の歪な鉄片、そして無残に晒された二つの茎(なかご)であった。魔族ティグアンとパサーテが振るっていた、七崩賢の術式を宿す凶刃の成れの果て。

 

老ドワーフ――シュウハクの濁った双眸が、足元に転がってきた残骸へと緩やかに落ちた。

深く窪んだ眼窩の奥で、感情の抜け落ちた光が鈍く揺らめく。枯れ枝のような指先で灰色の髭を無造作に撫で下ろすと、男はさも退屈そうに鼻を鳴らした。

 

「……ほう。『鳥兜』に『夾竹桃』じゃな。あの役立たずども、旅人なんぞに後れを取って死におったか」

 

同盟を結び、己の手工を預けたはずの魔族の死を、男は路傍の羽虫が潰れたかのように切り捨てた。哀惜も、怒りすらもない。そこにあるのは、ただ使い潰した粗末な道具に対する底知れぬ無関心だけであった。

 

「ヒガンバナも破壊済みだよ」

 

フリーレンは赤い杖を軽く地面に突いたまま、氷のように冷ややかな声を紡いだ。

 

「お前が己の魂のすべてを注ぎ込んで打ったという、三本の伝説の妖刀。……そのすべてを、私たちが完全に破壊した」

 

「魂じゃと?」

 

その言葉を耳にした瞬間、シュウハクの干からびた唇が、醜く歪んで吊り上がった。

 

「カカッ……カハハハハッ! 魂などと、笑わすでないわ! あんなものは、ただの習作よ。本命の前に幾度も叩いて捨てる、ただの『影打ち』にすぎんわい」

 

老人の嘲笑が、煤けた梁を震わせる。

七崩賢アウラの服従、グラオザームの幻惑、マハトの黄金。大陸を震撼させ、幾万の命を奪ってきた大魔族の秘術を鋼に封じ込めた三振りの名刀を、この老刀匠はただの習作、完成品の前段階である影打ちと言い放ったのだ。

 

シュウハクは濁った目を細め、フリーレンの小柄な体躯を品定めするように見下ろした。

 

「そんな出来損ないの鉄屑を見せつけるために、わざわざ儂の工房まで足を運んだというのか? エルフの小娘」

 

「……数年前」

 

フリーレンの背後から、低く抑えられた青年の声が響いた。

一歩前に踏み出したシュタルクの拳が、震えるほど固く握りしめられている。青年の赤い瞳には、目の前の老人が漂わせる冒涜的な狂気に対する、剥き出しの憤りが燃え盛っていた。

 

「数年前……魔族にカグツチの街を襲わせたのは、あんただな?」

 

問われたシュウハクは、眉ひとつ動かさなかった。枯れ木のような首を傾げ、至極当然のことのように平然と言い放つ。

 

「タマハガネを手に入れるためじゃ。……カグツチの街を捨てて五百年。山奥に運び込んでおいた備蓄が、ついに尽きてしもうてな。あの硬い鉱石を掘り出す力は、今の儂には残っておらん。魔族どもに余り物の刀をくれてやり、街の蔵からタマハガネを運び出させたんじゃ。……それがどうした、小僧?」

 

「それがどうした、だと……!?」

 

シュタルクの喉から、怒気に満ちた呻きが漏れ出た。

かつてカグツチの先代領主クロガネが命を落とし、シロガネが散り、末妹のコガネが狂気の呪縛に呑まれる契機となった、あの血塗られた防衛戦。数多のオーガが同胞を護るために命を投げ打ったあの惨劇が、この老ドワーフにとっては、ただ武器を作る素材たる石ころを調達するための些末な手順にすぎなかったというのだ。

 

「あんたの同胞だぞ……! あんたが昔妖刀の打ち方を教えて、一緒に生きてきたドワーフの一族が、何人も血を流して死んだんだぞ! それを……ただの材料集めのために皆殺しにさせたってのかよ!?」

 

シュタルクの悲痛な叫びに対し、シュウハクは乾いた鼻孔からフンと息を吹き出しただけだった。

 

「同胞? 下らん。儂の頭にあるのは、ただ一振りの究極を打ち上げることのみ。そのための薪として燃え尽きたのなら、あの愚図どもにとっても本望というものよ」

 

背後で、真新しい白木の木剣を抱きしめたコガネが、小さく息を呑んで後退りした。少女の小さな二本の角が、拭いきれない恐怖と絶望に震えている。敬愛する兄たちを奪い去った戦争の真実があまりに矮小で、あまりに身勝手な老人の執念であったことに、唇を血が滲むほど噛み締めていた。

 

フェルンが静かに木製の杖を構え、紫色の瞳の奥に冷徹な殺意を灯す。

 

「……この方は、もう……」

 

「うん」

 

フリーレンはわずかに顎を引いた。その翡翠の双眸には、もはや学術的な探求の色も、かつての名工に対する敬意の欠片も残されていなかった。

 

「やっぱりお前は、もはや魔族と同じだ。……どうやって千年も生き長らえているのかは知らないけれど、その精神は、誇り高きドワーフのそれじゃないよ」

 

同胞を愛し、大地と鉄に真摯に向き合うドワーフの気風は、この干からびた肉体の中には一滴も残っていなかった。千年の永劫の中で己の執着だけを肥大化させ、他者の命も心も顧みぬ怪異。

 

「どうやら……儂の作刀を、邪魔立てしに来たようじゃな」

 

シュウハクの纏う空気が、一変した。

老人は金床に立てかけていた大槌から手を離し、ゆっくりと身を起こした。骨と皮ばかりの膝が、ミシミシと不吉な軋み音を立てて伸びる。

 

男は踵を返し、工房の奥へと歩き出した。

その足元には、無数のカタナが無造作に散乱していた。乱れのない波打つ刃文、鏡のように磨き抜かれた白銀の平、現代の刀匠であれば家宝として崇めるであろう極上の業物たちが、幾千、幾万と打ち捨てられている。だが、シュウハクはその名刀の群れを、無価値な泥土を踏み躙るように無造作に踏み越えていく。刃が擦れ合い、甲高い金属の悲鳴が足元から幾重にも響き渡るが、男は一瞥すら寄越さない。

 

辿り着いたのは、工房の最奥、煤で黒ずんだ岩壁の前に設えられた粗末な祭壇であった。

そこに横たえられていたのは、一振りの抜き身の刀身。

 

柄も、鍔も、鞘すらも設えられていない、冷たい鋼の板そのもの。

反りは極めて浅く、研ぎ澄まされた刃は、工房の火の粉を吸い込んで青白く凍りついたような光条を放っている。そして、柄に覆われるはずの剥き出しの茎(なかご)には、鋭いタガネの跡によって、四つの古ドワーフ語が深く刻み込まれていた。

 

『蘇命吉野』――。

 

フリーレンの双眸が、微かに見開かれる。

ソメイ、ヨシノ。自らの姓を冠し、命を蘇らせると銘打たれた、異様な白刃。

 

シュウハクは干からびた両手でその刀身を掲げるように持ち上げると、作業台の脇から黒漆塗りの柄と、無骨な鉄の鍔を手に取った。

迷いのない、恐ろしいほどに手慣れた所作。

刀身の茎に鍔を通し、柄を滑り込ませると、小さな竹の目釘を太い親指で一気に押し込む。

 

――カチリ、と。

 

噛み合った部品が、静寂の支配する工房に澄み切った鍔鳴りを響かせた。

その瞬間、刀身の奥底から、これまで遭遇したどの妖刀とも異なる、濃密で悍ましい魔力の奔流が吹き荒れた。大気が歪み、足元の無数の刀身が一斉に共鳴してカタカタと震え出す。

 

完成された一振りの妖刀を右手に提げ、老ドワーフはゆっくりと振り返った。

その窪んだ瞳には、千年の妄執が爛々と狂気の炎となって灯っていた。

 

「先ほど、あの三振りを影打ちと言ったな。……見せてやろう。これこそが、儂が魂を注ぎ込んで鍛え上げた真打ち。妖刀『ソメイヨシノ』じゃ」

 

シュウハクは腰を落とし、常識的な老人では考えられないほど滑らかな挙動で刀を構え、その白刃の切っ先をフリーレンたちの喉元へと向けた。

 

「儂の作刀を邪魔立てするなら……何人たりとも、容赦はせん。骨も残さず、斬って捨ててやるわい」

 

薄暗い工房の穹窿を満たすのは、赤熱した火床が爆ぜる不規則な音と、千年の歳月が堆積した鉄と硫黄の冷たい匂いだけであった。

 

 

 

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