天才刀鍛冶と三本の妖刀の話   作:龍改二

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第20話 全知のシュラハト

 

床一面に無造作に打ち捨てられた幾千、幾万の刀身が、炉火の鈍い朱を吸い込んで赤黒く光っている。その鉄の墓標を踏み締めて佇む老ドワーフ――ヨシノ=シュウハクの構えには、常人のような筋肉の緊張や重心の揺らぎが一切見受けられなかった。

 

干からびて骨に張り付いた皮膚、動脈の拍動すら感じさせぬ枯木のような腕。だが、その右手に握られた妖刀『ソメイヨシノ』の刀身からは、触れた大気を微かに歪ませる、底知れぬ静謐な魔力が滲み出ていた。

 

フェルンが静かに木製の杖を胸元に引きつけ、紫色の瞳を細めた。老人の異様な佇まい、そしてその抜き身から放たれる未知の術式の波長を測るべく、唇をわずかに開く。

 

「その剣――」

 

「――この刀にも、魔族の魔法が宿っておる」

 

フェルンの言葉を塗りつぶすように、老ドワーフのしゃがれた声が寸分の淀みもなく重なった。

被せられたのではない。まるでフェルンが何を口にし、どのような抑揚で問いかけるのかを、初めから把握していたかのような滑らかさであった。

 

フェルンが微かに眉を寄せる。その瞬間、フリーレンが赤い杖を横たえ、一歩前に出ようと息を吸い込んだ。

 

「フェルン、――」

 

「――フェルン、シュタルク、コガネ、下がって。……まずは自分が様子見として戦うか。賢明ではあるが、死ぬぞ、エルフ」

 

シュウハクは平然と、フリーレンが喉の奥で編み上げかけていたはずの警告を、一字一句違わずに自らの口から紡ぎ出してみせた。

 

「……ッ」

 

フリーレンの翡翠の瞳が、わずかに揺らぐ。

背後でシュタルクが息を呑み、肌を粟立たせた。誰も、一度として名乗ってはいない。自分たち三人はおろか、カグツチの現領主の妹であるコガネの名すら、この工房に足を踏み入れてから一度も口にしていないのだ。数百年間外界から断絶された山奥の工房に引き籠もっていたはずの老ドワーフが、なぜ初対面の異種族たちの真名を、さも旧知の間柄のようにそらんじることができるのか。

 

あまりの気味悪さに、シュタルクの奥歯が軋んだ。恐怖を圧し殺し、大斧の柄を両手で握り締めながら前に踏み出そうとする。

 

「俺が――」

 

「――俺がまず前衛に出て打ち合う、か。……やめておけ小僧、命は投げ捨てるものではない」

 

シュタルクの決死の覚悟すら、男は言葉の初頭を掠め取って冷酷に踏みにじった。

そしてシュウハクは、背後で白木の木剣を抱えて震えるオーガの少女――コガネには、ただの一瞥すら寄越さなかった。視線すら配らない。まるで彼女の存在そのものが、この先のいかなる展開においても考慮に値しない、初めから結末の定まった事象であるかのように。

 

常軌を逸した異常。

思考を先回りされ、発言を奪われ、次の一手を読まれているような、あるいはもっと根本的な、時間の因果そのものが狂わされているような得体の知れない悪寒が、工房の冷気とともにフリーレンの背筋を這い上がっていった。

 

その張り詰めた静寂を、刹那の閃光が切り裂いた。

 

フェルンであった。

言葉による揺さぶりを一切遮断し、視線の誘導も、筋肉の収縮による予兆すらも完全に排除した、彼女の真骨頂である予備動作なしの速射。放たれたゾルトラークの白紫の光弾は、光速に近い初速をもって、シュウハクの眉間を一直線に穿つべく空間を疾走した。常人であれ、並の魔族であれ、視認した瞬間に消滅を免れ得ない必殺の一撃。

 

しかし――。

 

シュウハクの枯れた首筋が、弾道が生まれるよりも『前』に、あらかじめ傾げられていた。

光弾が鼻先を数ミリかすめて背後の岩壁を爆砕する中、老ドワーフの足取りは、ただ半歩だけ右へと滑らされていた。驚きも、動揺もない。飛来する軌道を避けたのではない。光弾が通る軌道から、あらかじめ自らの身体を退けていただけの、あまりに無機質な回避。

 

「……っ!」

 

フェルンの牽制によって生まれたわずかな隙を突き、シュタルクが地を蹴った。

床に散乱する無数のカタナを粉砕しながら肉薄し、上段から渾身の闘気を込めた戦斧を振り下ろす。岩をも断つ前衛戦士の一撃。だが、その切っ先が空気を引き裂くよりも早く、シュウハクの姿はすでにシュタルクの太刀筋の外側へと滑り込んでいた。

 

まるで、シュタルクがどこを踏み込み、どの角度で刃を落とし、どの瞬間に息を吐くのかを、何日も前から見せられていたかのように。

 

「そこじゃな」

 

シュウハクの細い腕が翻り、妖刀『ソメイヨシノ』が下段から滑らかに跳ね上がった。

首筋を狙う冷徹な一閃。

シュタルクの戦士としての本能が、思考を飛び越えて全身の毛穴を開かせた。青年は振り下ろした斧の慣性を無理やり殺し、腰骨を軋ませながら後方へと全力で飛び退いた。

 

空気を切り裂く澄んだ太刀筋が、シュタルクの首筋の皮膚を紙一重で掠め、赤い一筋の血の線を刻む。

もしも飛び退くのが一瞬でも遅れていれば、頸動脈ごと頭部を両断されていた間合いであった。

 

床を転がり、大斧を立てて荒い息を吐くシュタルクの額から、大粒の脂汗が滴り落ちる。

フェルンもまた、息を呑んだまま木製の杖を構え直していた。速射も、剛撃も、すべてが完璧に無効化されている。反応速度の優劣ではない。彼らの動作の間に生じる時間の流れそのものが、完全にこの老ドワーフの掌の上で弄ばれていた。

 

その攻防のすべてを、フリーレンの翡翠の瞳が氷のような冷たさで見据えていた。

 

(……間違いない)

 

フリーレンの双眸が、かつてないほど鋭く見開かれる。

 

魔族の精神魔法でもなければ、達人の直感の類でもない。

フェルンが撃ち出す前の魔力の収束点を知り、シュタルクが踏み込む前の着地点を知り、自分たちが発する言葉のすべてを事前に把握している。

 

このドワーフは、単に自分たちの行動を予測しているのではない。

『確定した未来そのもの』を、客観的事実として読み取っているのだ。

 

脳裏に蘇るのは、神話の時代から続く魔導の系譜。

七崩賢・アウラの服従、グラオザームの幻惑、マハトの黄金。それらをも遥かに凌駕する異端の頂点。

かつて魔王の最側近として君臨し、全魔族の宰相と呼ばれ七崩賢をも束ねた存在。人類最強と謳われた『南の勇者』と相討ちになって果てた、大魔族の影――。

 

「……シュウハク。お前、その魔法は……」

 

フリーレンは赤い杖を地面からわずかに浮かせ、静かにその名を呼んだ。

 

「全知のシュラハト。……千年後の未来まで見通す魔法、だね」

 

確信に満ちた、冷ややかな呟き。

 

「未来が、読めるのですか……?」

 

フェルンの唇から、微かな戦慄を含んだ問いが零れ落ちた。木製の杖を握る指先が、白くなるほど強く引き絞られる。魔法使いにとって、未来視ほど理不尽な術式は存在しない。相手の手の内をどれほど分析し、どれほど速射の技術を極めようとも、撃ち出される前からその結末を知られているのだとすれば、あらゆる戦術は無意味な空論へと成り果てる。

 

「全知のシュラハト」

 

フリーレンは視線をシュウハクから外すことなく、冷徹な声音でその名を反芻した。工房の煤けた天井から落ちる影が、その横顔を昏く染めている。

 

「勇者ヒンメルの旅立ちより少し前、人類最強と謳われた南の勇者と相討ちになって死んだ、魔王の最側近だった大魔族だよ。……数百年、あるいは千年先までの無数の未来を同時に見通し、その因果を手繰り寄せる魔法を使っていたんだ」

 

「な……っ、南の勇者って、あの七崩賢を三人も道連れにしたっていう化け物だろ!? そんなやつと相討ちになった大魔族の魔法なんて……」

 

シュタルクが脂汗の滲む額を拭い、驚愕の表情を浮かべた。構えた大斧の切っ先が、わずかに震えている。

 

「そんなの、どうやって倒すんだよ……!」

 

未来が見えている相手に、人間の膂力や剣技が通じる道理がない。現に、先ほど放った渾身の強振も、シュタルクが刃を振り抜く前にすでに回避の軌道を取られ、紙一重で首を撥ねられかけたばかりだった。

 

フリーレンが静かに息を吸い込み、赤い杖の先端を床へと向けた。

 

「フェルン、シュタルク……」

 

「――ほう、さすがに頭が切れるのう、エルフ」

 

言葉の途中で、老ドワーフの乾いた声が割り込んだ。シュウハクは妖刀『ソメイヨシノ』をだらりと下げたまま、窪んだ眼窩の奥で不気味に細められた濁った瞳をフリーレンへと向けていた。

 

「儂の刀の術理に気付いたか。ならば、次にそなたが何を命じるかも自ずと知れるというものよ」

 

思考を先回りされ、言葉を奪われる。その圧倒的な理不尽に、シュタルクが息を呑む。

だが、フリーレンは動揺のかけらも見せず、遮られた己の指示を、何事もなかったかのように平然と紡ぎ終えた。

 

「……時間を稼いで」

 

「はい!」

 

フェルンの応答と同時に、工房の静寂が吹き飛んだ。

 

無詠唱で放たれるゾルトラークの弾幕。フェルンは一撃の威力を絞り、手数の密度を極限まで引き上げた。白紫の光弾が雨あられとなってシュウハクの四方を包み込み、退路を断つように空間を埋め尽くす。

 

「おおおおッ!」

 

シュタルクが地を蹴り、弾幕のわずかな間隙を縫って肉薄した。大斧が重々しい風切り音を立てて横薙ぎに閃く。

 

しかし、シュウハクの動きは狂気の領域にあった。

老ドワーフは光弾が飛来するよりも先に、まるでそこに最初から隙間があることを知っていたかのように、最小限の身のこなしで光の軌道の間をすり抜ける。そして、シュタルクの斧が放たれる瞬間には、すでにその刀身の軌道を予測した位置へ『ソメイヨシノ』の刃を「置いて」いた。

 

斧に対して刀を繰り出すのではない。シュタルクが斧を振り抜くべき未来の座標、その手首が通るであろう軌道上に、あらかじめ白刃が待ち受けているのだ。

 

「ぐ……っ!」

 

シュタルクの戦士としての本能が警鐘を乱打した。視覚による判断を捨て、師アイゼンに叩き込まれた野生の直感だけで身体を捻る。吸い込まれそうになる己の斬撃を強引に捩じ曲げ、大斧の腹で老人の置き刃を弾き流す。火花が散り、鋼が軋む鈍い衝撃が青年の腕を痺れさせた。

 

かわしても、かわしても、次の一撃がすでに己の逃げ場に置かれている。紙一重の回避と受け流しを繰り返すたび、シュタルクの衣服が裂け、額から流れ落ちる血が視界を赤く染めていく。

 

「未来を読まれるなら」

 

その攻防の背後から、凛とした冷たい声が響いた。

 

「読まれたうえで、対処できないようにするだけだ」

 

フリーレンが杖を掲げていた。

シュウハクの周囲を取り囲むように展開されたのは、数十、数百の魔法陣。

工房の広大な空間そのものを満たすほどの魔力が、凝縮されていく。未来を読み、回避の軌道をどれほど正確に知覚できようと、逃げ場となる空間そのものが消滅していれば意味を成さない。肉体の物理的な移動速度の限界を超える、全方位の飽和攻撃。

 

「見事……!」

 

シュウハクの濁った瞳が、初めてかすかに見開かれた。未来が見えていようとも、その質量を回避する術はない。

 

「フェルン、シュタルク、伏せて」

 

閃光が炸裂した。

 

工房の壁を、床を、天井を揺るがす光の奔流。全方位から放たれた無数のゾルトラークが、シュウハクの立つ座標を一点の隙間もなく呑み込んだ。轟音と熱波が吹き荒れ、床に散乱していた幾千の刀身が衝撃波で弾け飛ぶ。

 

濛々と立ち込める白煙。

その中心で、老ドワーフの肉体は無残な有様となっていた。

 

干からびていた四肢はズタズタに引き裂かれ、右肩から先の肉は吹き飛び、腹部には巨大な風穴が穿たれていた。常人であれば、いや、魔族であろうと即死を免れない致命の欠損。

 

「やった……のか?」

 

シュタルクが荒い息を吐きながら、大斧を杖代わりに立ち上がろうとした。

 

だが――。

 

「……違います」

 

フェルンの張り詰めた声が、その希望を打ち砕いた。

 

白煙の向こう側で、異様な音が響き始めていた。

肉が蠢き、骨が軋み、繊維が編み直されるような、生々しく悍ましい音。

 

床に落ちかけた白刃――妖刀『ソメイヨシノ』の刀身から、赤黒い魔力の奔流が脈打ち、吹き飛んだはずのシュウハクの右腕へと流れ込んでいた。

刀の柄を握る指先から始まり、手首、前腕、上腕、そして肩へと、失われたはずの肉と骨が、目に見える速度でメキメキと増殖していく。

 

刀に近い側から、肉体が再構築されていく。

 

欠損していた腹部の肉が塞がり、抉れた頭蓋が滑らかな骨で覆われ、僅か数秒のうちに、老ドワーフの肉体は何の傷もない元の干からびた姿へと完全に復元された。

 

ヒガンバナの力で死体が操られていたクロガネたちのそれとは、根本的に異なる。

死体を無理やり動かしているのではない。失われた生体が、何もない虚空から完全に『再生』していた。

 

シュウハクは新しく繋がった右手の指を幾度か握り締め、刀の重みを確かめるように軽く振った。その顔には、痛みに耐える色すらなく、ただ嗜虐的な笑みだけが醜く刻まれている。

 

「カカッ……やるのう、エルフ。見えておっても躱せぬ攻撃とは、見事なものよ。……やはり年の功と言うやつか。長寿同士、殺し合うのも面白かろう」

 

「嘘だろ……あんなのを食らって、元通りになるのかよ……」

 

シュタルクが呆然と呟き、フェルンもまた信じがたいものを見る目で、再生した老人を見つめていた。未来を見通す刃に加えて、致命傷すら瞬時に無効化する完全な不死性。攻略の糸口すら見出せない怪異を前に、二人の背筋を冷たい汗が伝う。

 

しかし、フリーレンの翡翠の瞳は、老人の顔ではなく、異様な再生を主導した『ソメイヨシノ』の刀身をじっと凝視していた。

 

「死なないんだ」

 

その呟きは、絶望の吐息ではなかった。

違和感の正体を冷徹に切り分ける、観察者の声であった。

 

「……やっぱり、まともじゃないね」

 

 

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