「攻撃が当たらねえ、当たっても死なねえ……そんなの無敵じゃねえか!」
吐き捨てたシュタルクの額から、赤黒い血が顎を伝って床の鉄屑へと滴り落ちた。構えた大斧の切っ先は微かに震え、荒い呼吸のたびに胸板が激しく上下する。数刻前に黄金化の呪縛から解き放たれたばかりの四肢は、すでに疲労と衝撃によって悲鳴を上げていた。未来を先回りされ、どれほど渾身の力を込めて振り下ろそうとも空を切らされ、反撃として置かれた刃に肉を削がれる。その理不尽な膠着は、前衛として立つ戦士の心を内側から削り取っていく。
「無茶苦茶です」
フェルンが紫の瞳を険しく細め、冷たく言い放った。木製の杖を胸元で握り直す指先には一切の緩みがないが、その声音には苛立ちが滲んでいる。
「子どものラクガキでも、もう少しまともな設定を作ります。回避と完全再生を両立するなど、魔法の理屈からしても破綻しています」
その辛辣な言葉に対し、シュウハクはただ干からびた喉の奥から、嘲笑とも溜息ともつかぬ乾いた息を漏らしただけだった。新しく生え揃った右手の指を軽く開閉し、妖刀『ソメイヨシノ』の切っ先をだらりと下げたまま、静かに一行を見下ろす。
「徒労と知れたなら、背を向けて逃げ帰るがよい。……儂の望みは、ただ一振りの究極を打つことのみ。千の年が過ぎようが、万の季節が巡ろうが、儂はこの金床の前で、ただ鉄を打ち続けるだけよ」
その声には、生者の持つ情熱や怒りといった熱量は一切存在しなかった。あるのは、氷河の底に沈んだ巨石のように、どこまでも冷たく硬化した執念の残骸のみである。
「そして……そのための素材がなくなれば、またカグツチの街を襲い、邪魔な同胞を殺す」
静かな断定であった。
フリーレンは一歩前へ踏み出し、床に散乱する折れ刃を杖の石突きで踏み越えた。翡翠の双眸には一片の揺らぎもなく、冬の湖面のような冷徹な光が宿っている。
「……でしょ?」
シュウハクの唇が、わずかに結ばれた。
肯定も否定も返さない。だが、その沈黙こそが何より雄弁な答えであった。素材が尽きれば奪い、阻む者がいれば同胞であろうと血を流させる。千年前の誓いも、共に栄えた街の歴史も、この男にとっては作業場を維持するための使い捨ての薪にすぎない。
「ヨシノ=シュウハク」
フリーレンの平坦な声が、薄暗い工房の空気を凍てつかせた。
「もはやお前は、完全な魔物だ。……ここで倒すよ」
「左様か」
老ドワーフの双眸が、底知れぬ狂気を湛えて細められた。
「……是非もあるまい」
言葉の終わりを待つことなく、空間が爆ぜた。
シュウハクの踏み込みは、生物の筋肉による収縮を完全に逸脱していた。床に敷き詰められた無数のカタナを踏み砕き、その鉄片が宙を舞うよりも早く、男の姿は黒い影となって掻き消えていた。
「フェルン、来るよ!」
「はい!」
フェルンとフリーレンが同時に防御魔法を展開した。
張り巡らされたのは、平面の障壁ではない。隙間を縫って刃を滑り込ませる未来視の剣撃を完全に封殺するため、自らの周囲を寸分の隙間もなく球体状に包み込む、立体防御魔法。
その障壁の表面へ、不可視の刺突が殺到した。
空間を切り裂く金属の軋み音が幾重にも重なり、火花が球体の表面を走る。シュウハクは刃の通らぬ壁を前にしても焦る様子を見せず、反動を利用して空中で不自然に向きを変えた。
その不気味に輝く双眸が、戦士の青年を捉える。
「おおおおッ!」
直後、シュタルクの戦士の直感が、背後からの凶刃を感知した。青年は思考を挟むことなく、全身のバネを軋ませて大斧を背後へと振り抜く。未来を読まれ、死角へと放たれた刃。だが、シュタルクはその切っ先が皮膚に触れる直前、師アイゼンから叩き込まれた野生の勘で重心をわずかに落とし、斧の肉厚な腹で白刃を力任せに受け流した。
鋼が激しく擦れ合い、生じた火花が二人の相貌を照らし出す。
「ぬん」
シュウハクの足首が、通常の人体ではありえない角度で捻じ曲がり、即座に第二撃がシュタルクの頸部へと放たれる。その軌道上へ、フェルンの速射ゾルトラークが牽制として割り込んだ。白銀の光弾が老人の脇腹を掠め、皮膚を削り取る。
しかし、削ぎ落とされた肉は、痛覚の伝達を待つことなくメキメキと蠢き、一瞬で元通りに塞がっていく。傷を負いながらも止まらぬ剣撃。
未来を正確に知覚し、たとえ肉体を削られようとも瞬時に復元される不死の身体。二つの理不尽が噛み合わさった怪異の連撃に、三人は防戦の一途を辿る。
乱戦の最中、赤熱した火床の火の粉が激しく舞い上がった。
床の鉄屑が弾け、光弾が炸裂し、戦斧が石柱を叩き割る破壊の渦。
その混沌とした戦場のただ中で、シュウハクの濁った瞳が、ある一点を正確に射抜いた。
未来の因果の糸が手繰り寄せられた瞬間であった。
シュタルクが大斧を振り抜いた直後の硬直、フェルンが連続斉射の合間に挟む僅かな魔力の充填時間、そして二人の防御の隙間。
その二人の間を縫うように、最後列で杖を構えるフリーレンの喉元へと直通する一本の細い道筋が、ほんの一瞬だけ、奇跡のような必然として開いた。
シュウハクはその瞬間を、最初から知っていた。
「しまっ……!?」
シュタルクが息を呑んだ時には、老ドワーフの身体はすでに青年の脇を疾風のようにすり抜けていた。防ごうと伸ばしたフェルンの杖の先端も空を切り、風圧だけが少女の黒いローブの裾を乱暴に巻き上げる。
最短距離、最速の踏み込み。
一瞬にして距離を零にしたシュウハクの目の前には、白いツインテールを揺らすエルフの少女が無防備に立ち尽くしていた。
「……ゾルトラーク」
フリーレンの杖先が跳ね上がり、至近距離から白紫の光条が放たれた。
だが、シュウハクの顔は、発射の予兆すら生じる前に、あらかじめ左へと傾けられていた。
白紫の閃光が老人の耳を数ミリかすめて背後の岩壁を穿ち、轟音とともに粉塵が舞い上がる。千年の経験に基づく迎撃すら、未来視の前にはただの予定調和にすぎなかった。
シュウハクの枯れた唇が、冷酷な嘲笑の形に歪む。
「判断ミスじゃ、エルフ」
「フリーレン!!」
「フリーレン様!!」
絶叫が工房に木霊する。
シュウハクの右腕が、骨格の可動域を無視して水平にしなり、妖刀『ソメイヨシノ』が研ぎ澄まされた銀の円弧を描いて放たれた。
首でもなく、四肢でもない。
小柄なエルフの胴体を、へそ下から真っ二つに両断する必殺の横薙ぎ一閃。
回避の余地はなく、防御魔法の展開すら間に合わない、絶対の死角を捉えた一撃であった。
しかし――。
――ガキンッ!!
空間を圧したのは、肉を裂き骨を断つ生々しい音ではなかった。
耳をつんざくような、硬質極まりない金属と鉱石の激突音。
衝撃波がフリーレンの白いケープを激しく煽り、火花が暗がりを白熱させる。
両断されるはずであったフリーレンの身体は、わずかに後方へよろめいただけで、その場にしっかりと両足をつけて踏みとどまっていた。
「……な、に……?」
シュウハクの掠れた声に、この戦いで初めて、明瞭な動揺と亀裂が走った。
白刃の切っ先が止まっていた。
胴体を裂く直前、フリーレンの革の腰袋の奥に収められていた『ある塊』に真正面から衝突し、その刃の進行を完全に阻まれていたのだ。
袋の布地が裂け、中から漏れ見えたのは、黒銀色のゴツゴツとした鉱石。
カグツチの街の鍛冶工房で、老刀匠から銀貨一枚で買い取った、拳大の『タマハガネ』の原石であった。
魔力を吸収し、変質させ、弾き返す特性を持つ、大陸屈指の超硬度鉱石。
魔導具としての加工すら施されていない剥き出しの自然石は、ソメイヨシノの刃に宿る魔力を吸い殺し、物理的な極限の硬度をもって、その鋭利な刃先を力任せに跳ね除けていた。
完全なる偶然。
千年の時を生きるエルフが、路傍の工房で気まぐれに手に入れた、ただの記念品。
数百年先までの大局的な因果を見通す全知のシュラハトの術式といえど、戦局とは何の関係もない路傍の石ころの座標までを、確定した未来の盤面に組み込むことはできなかったのだ。
「馬鹿な……このような、ただの石ころが……!」
シュウハクの動きが、ほんの一瞬、刹那の間だけ凍りついた。
計算の狂い。未来視の神託が途絶え、老ドワーフの意識のすべてが、目の前の硬質な鉱石へと奪われた。
その絶対の隙を、誰が見逃すはずがあろうか。
シュウハクの背後、崩れた炉の影から、音もなく滑り込んできた一つの影があった。
コガネであった。
最初から戦力外と見なされ、妖刀を持たぬ幼子として、シュウハクの意識の片隅にすら置かれていなかった少女。
誰にも未来を読まれず、因果の網の目から完全に抜け落ちていた存在。
少女の瞳には、かつての底知れぬ狂気も、兄たちを失った絶望も、強敵への恐怖の色も、映ってはいなかった。
そこにあるのは、姉から託された国を護るという、研ぎ澄まされた戦士の誇り。
コガネは擦り切れた草履で床の鉄屑を音もなく蹴ると、両手で頭上高く掲げた白木の木剣を、渾身の力を込めて振り下ろした。
狙いは、シュウハクの肉体ではない。
タマハガネの原石に切っ先を阻まれ、空中で静止していた『ソメイヨシノ』の刀身。
その、もっとも横からの衝撃に弱い、平の側面。
「はあああああッ!!」
裂帛の気合いとともに、真新しい白木の木肌が、白銀の刃の腹を真一文字に打ち据えた。
カタナという武具は、刃筋に沿った衝撃には無類の強さを誇るが、薄い側面からの打撃には脆い。ましてや、切っ先を硬鉱に固定された状態で、横合いから全体重を乗せた打撃を叩き込まれれば――。
――ピキリ。
微かな亀裂の音が、静寂に響いた。
次の瞬間、甲高い破砕音とともに、千年の妄執を宿し続けた真打ち『ソメイヨシノ』の白刃が、半ばから無残にへし折れ、光の破片となって虚空へと弾け散った。
砕けた刀身の破片が、工房の煤けた床板に乾いた雨のように降り注ぐ。
握り柄の先、わずかに残された折れ口の断面からは、青白く凍てついていたはずの魔力光が、夜露が蒸発するように儚く散じていく。半ばから断ち切られた無残な短刀と化した妖刀『ソメイヨシノ』を握り締めたまま、ヨシノ=シュウハクの枯れた足元が、糸の切れた操り人形のように不自然によろめいた。
一歩、二歩と、男の身体が後退する。
床に積み上げられた無数の鉄屑を踏み均す乾いた音が、静寂を取り戻しつつある堂内に重く響いた。
その瞬間、異変は肉体の芯から生じた。
先ほどまで手首や腹部を瞬時に編み直していたあの超常の復元力は、完全にその脈動を止めていた。それどころか、干からびた浅黒い皮膚の表面に、幾重もの細かな亀裂が走り始める。肉が崩れ、骨が軋み、削ぎ落とされた灰のように、指先から、肩から、黒ずんだ魔力の粒子となってボロボロと剥落していく。
肉体が再生していたのではない。
この老ドワーフの体そのものが、魂を持つ生きた組織などではなく、あの刀身に宿る術式によって投影されていた仮初めの器にすぎなかったのだ。
シュウハクはソメイヨシノに、魂を注ぎ込んだ。
それは彼の比喩の言葉ではなく、本当にその魂を刀へと移し替えていたのだ。
刀を振るい、鉄を打つための道具としての肉体。刀身という核を失った今、生命を騙り続けていた肉体の輪郭は、音もなく崩壊の時を迎えていた。
フリーレンは手にした赤い杖を緩やかに下ろし、床に転がった黒銀のタマハガネの原石を一瞥すると、崩れゆく老刀匠へと翡翠の瞳を向けた。その眼差しは、哀れみでも嘲りでもなく、ただ冷徹に事象の因果を解き明かす観察者の静けさに満ちていた。
「全知のシュラハトはね、千年後の未来までのあらゆる事象を同時に見通すことができたと言われている」
淡々とした、平坦な声が、舞い散る火の粉の狭間に染み渡る。
「それは魔法の極致だ。人類にはもちろん、魔族にさえ想像もできない遥かなる高みだよ。……けれど、お前の打ったその妖刀『ソメイヨシノ』が宿していた未来視は、そんな神話の領域の再現なんかじゃなかった」
フリーレンはゆっくりと首を横に振った。
「お前が見ていた未来は、その刃と対峙する相手の思考と、頭の中で編み上げられる魔力のイメージを直接読み取って、その行動を先回りしていただけにすぎない。シュタルクの踏み込みも、フェルンの速射も、私の迎撃も、すべて私たちが意識の内で明確に『イメージ』したからこそ、お前にはその結末が見えていたんだ」
シュタルクが息を呑み、額の血を拭いながら目を見開いた。フェルンもまた、紫色の瞳を僅かに震わせ、師の紡ぐ論理の糸を辿っている。
「だからこそ、穴があった」
フリーレンの視線が、床の鉱石へと注がれる。
「私の腰袋に入っていたタマハガネの原石。……あれは街の刀鍛冶から記念に買っただけの、ただの石ころだ。私自身、あれで刃を防ごうなんて意識すらしていなかった。完全な偶然。だから、私の思考をいくら読んだところで、その石が刃を止める未来なんて、お前には最初から見えるはずがなかったんだよ」
そして、フリーレンの視線は、白木の木剣を抱えたまま立ち尽くす小柄な少女へと移った。
「コガネのこともそうだ。お前はあの子を最初から戦力外と見なし、考慮すべき敵として認識すらしていなかった。意識の外にある者の気配や、意図すら介在しない純粋な偶然――思考を先読みするだけの模造品の術式では、それらを確定した未来の盤面に組み込むことなんてできない」
フリーレンは一歩、灰と鉄屑の絨毯を踏みしめて前へ出た。
「魔法はイメージの世界だ、シュウハク。お前はたしかに、この戦いの未来をイメージし、先読みを実現してみせた。……けれどね、この現実という世界は、誰の予想も及ばない偶然や、誰しもの想像を超える未知の理屈で満ちている。自分ひとりがイメージできる狭い枠組みだけが、世界のすべてではないんだよ」
「……カカッ」
崩れ落ちゆく膝を辛うじて支えながら、シュウハクの喉の奥から乾いた呼気が漏れ出た。
自らの胸郭が灰となって風に散り、肋骨の隙間から向こう側の暗がりが透けて見える。男は濁った双眸を歪め、握り締めた折れ刃の根元を、狂おしいまでの悔恨を込めて見つめた。
「儂は……永遠の存在となったはずじゃった」
掠れた、軋むような告白が、煤けた天井へと吸い込まれていく。
「至高の一振りを、神をも断ち切る究極の妖刀を鍛造するためだけに……儂はこの刀で腹を裂き、己の魂のすべてをこの『ソメイヨシノ』へと移し替えた。肉体の老いという限界を捨て去り、儂自身が不滅の妖刀となることで、悠久の時を手に入れたはずじゃった……」
老人の指先が、微かに震える。
「じゃが……打てなくなった」
その瞳に滲んだのは、底知れぬ狂気ではなく、果てしない暗闇に取り残された職人の、身を焦がすような絶望であった。
「いつからか……この金床の上でいくら槌を振るおうとも、カタナに魔法が宿らなくなった。炎に魔力を注ぎ、秘術の結晶を練り込もうとも、鋼はただ冷たく固まるばかり。打てども、打てども……仕上がるものは、ただのガラクタ。何ひとつ魔法を持たぬ、何の変哲もない、普通のカタナにすぎぬ……!」
男の視線の先には、工房の床を埋め尽くす幾千、幾万の刀の群れがあった。
何百年もの間、狂気に取り憑かれたように打ち続け、魔法が宿らないという理由だけで床へ投げ捨てられてきた無数の鉄の亡骸。
「なぜじゃ……素材が足りぬのか、炉の火力が足りぬのかと、儂は魔族を手先にしてタマハガネを奪わせた。じゃが……それでも打てんかった。一本たりとも……!」
老ドワーフの悲痛な叫びを、フリーレンはただ静かに、凪いだ瞳で受け止めていた。
その翡翠の双眸には、魔法の理の深淵を見届けてきた者特有の、厳格で哀切な光が宿っている。
「シュウハク。今のお前は、魂の模造品にすぎない」
残酷なまでの真実が、静かに告げられた。
「どちらかといえば、生物よりも自律式の魔導具に近い存在だ。……魔法はイメージの世界なんだよ、シュウハク。肉体を捨て、頭脳を捨て、かつて存在した生前の人格をただ魔力の波形として固定された今のお前には、新しい術式を……新しい魔法をイメージすることなんて、もうできなくなっていたんだ」
シュウハクの身体が、微かに強張った。
「人は、日々を生き、肉体を摩耗させ、考え、迷うからこそ、新しいイメージを紡ぎ出せる。けれど、時を止め、魂の形を固定してしまった魔導具には、過去の記憶を再生することはできても、未来の可能性を生み出すことはできない。……究極の妖刀なんて、打てるはずがなかったんだよ。お前は五百年も前……自らの腹を裂いて肉体を捨てたその日に、もう死んでいたんだ、シュウハク」
冷たい風が、崩れた壁の隙間から吹き込んできた。
老刀匠の顔から、さらに一片の肉が剥がれ、黒い煤となって夜気の中へと消えていく。その濁っていた瞳から、激情の炎が音もなく立ち消え、千年の歳月がもたらした途方もない空虚さだけが取り残されていた。
足音が、静寂を踏み分けた。
背後に控えていたコガネが、小さく擦り切れた草履の音を響かせながら、崩れゆく老人の前へと歩み寄っていた。
少女の手には、先ほど妖刀の側面をへし折った、一本の白木の木剣が握られている。
コガネは折れた刀を握り締める老ドワーフを見つめ、幼く澄んだ声で、静かに問いかけた。
「ねえ、お爺ちゃん」
シュウハクの窪んだ眼窩が、ゆっくりと微動し、少女の姿を捉えた。
「……なんじゃ、小娘」
「お爺ちゃんが打ちたかった、究極の妖刀って……どんなものなの?」
その問いに、シュウハクの唇が微かに震えた。
千年の間、自らに課し続け、狂気の底で追い求め続けてきたその言葉。男は遠い過去の記憶――まだ己が温かな肉体を持ち、師や同胞たちと共に鉄を打っていた遥かな時代の光景を思い起こすように、途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「折れず……曲がらず……よく切れる」
しゃがれた声が、工房の煤けた梁に染み入る。
「それが……刀の本懐じゃ。どんな魔物と刃を交えようとも、決して折れず、決して曲がらず……ただ主の命を全うして敵を両断する。それこそが……究極の……」
「それはね、お爺ちゃん」
コガネは迷いのない瞳で、ふわりと微笑んだ。
「普通のカタナだよ」
静まり返った空間に、少女の純粋な一言が、澄み切った鐘の音のように響き渡った。
シュウハクの動きが、完全に止まった。
老人は、少女の小さな手に握られた一本の木剣へと視線を落とした。
魔力など一片も宿していない、何の術式も刻まれていない、ただ山から切り出された白木を丁寧に削り出しただけの、粗末な稽古用の木剣。剣の道を志す幼子が、最初に握り、泥に塗れながら素振りを繰り返すための、ただの木切れ。
しかしその木切れは、七崩賢の魔術を模倣したどの妖刀よりも真っ直ぐに振り下ろされ、千年の妄執に囚われた白銀の刃を、見事に打ち砕いてみせたのだ。
老刀匠の首筋が、微かに軋んだ。
男はゆっくりと、工房の床一面に打ち捨てられた無数のカタナの山へと視線を巡らせた。
自らが「魔法が宿らなかった」という理由だけで、出来損ないのガラクタと断じて踏みにじってきた幾千、幾万の刀たち。
天井の崩落した裂け目から、いつの間にか夜の静寂が降りてきていた。雲の切れ間から差し込んだ青白い月光が、床に横たわる無数の白刃の平を、波紋のように淡く照らし出している。
そこにあったのは、決してガラクタなどではなかった。
反りに乱れはなく、刃文は清流のように美しく澄み渡り、地鉄は幾重にも折り返されて緻密に鍛え抜かれている。幾百の歳月を経てもなお錆ひとつ浮かばず、月光を反射して冷たく研ぎ澄まされた光を放ち続ける、当代無双の刀匠の手による、完璧な名刀の群れ。
魔法など、最初から必要ではなかったのだ。
折れず、曲がらず、よく切れる。武具としての本懐を極限まで突き詰めた至高の鉄が、自らの足元に、果てしない海のように広がり続けていた。
「そうか……」
シュウハクの手から、力が失われた。
指先から滑り落ちた妖刀『ソメイヨシノ』の残骸が、石畳へと落ちる。
――カラン、と。
甲高い音を立てて硬い床に落下した瞬間、残されていた短い刀身までもがピキリと音を立て、耐えきれなくなったように砕け散った。完全に消滅した術式の残滓が、青白い燐光となって夜気の中へと霧散していく。
老ドワーフの口元が、ふっと、ほどけるように緩んだ。
皺に埋もれていた相貌から狂気の影が完全に消え去り、そこにはただ、生涯を鉄と炎に捧げ、己の打った刀の美しさにようやく気付くことができた、一人の老練な職人の穏やかな笑みが浮かんでいた。
「……そうじゃったな」
満足げな呟きを最後に、ヨシノ=シュウハクの輪郭が光の粒子となって解けていった。
乾いた風が吹き抜け、千年の妄執を抱き続けた刀匠の姿を、静かに、優しく、彼方へと攫っていく。
あとには、静まり返った古い工房と、天窓から降り注ぐ青白い月光、そして床一面で星のように鈍い輝きを放ち続ける、無数の名刀たちだけが残されていた。