街の最深部を後にし、幾重にも折り重なる急勾配の石段を登りきると、すり鉢状の盆地を一望できる広大な石畳の広場へと出た。
吹き上がってくる風には、無数の工房から吐き出される煙と、冷めきらない鉄の粉塵が混ざり合っている。眼下に広がる街並みはどこか煤けていたが、見上げる崖の上に聳える領主の館は、黒漆の木柱と反り返った瓦屋根が幾重にも重なり、異様な静けさと威容を湛えていた。
その広壮な屋敷の正門前、大階段の登り口に、一人のオーガの門番が仁王立ちしていた。
身の丈は優に二メートルを超え、額から突き出た二本の太い角が鈍い光を放っている。鍛え抜かれた褐色の肉体には無数の古傷が走り、腰には長大なカタナが佩かれていた。旅人風情の三人が近づくのを視界に捉えると、男は太い眉を跳ね上げ、腹の底に響く重々しい声を放った。
「止まれッ! ここをどこと心得るか。カグツチの領主、アカガネ様の屋敷であるぞ。余所者が気安く立ち入ってよい場ではない!」
「アカガネ様?」
シュタルクが後頭部に手をやり、小首を傾げながら呑気な声を漏らした。
「さっき山の中で会った人たちと似た名前だな。……偶然か?」
「シュタルク様、少し静かにしてください」
フェルンが小声で窘め、一歩前に進み出た。黒いローブの裾を正し、静かな所作で頭を下げる。
「突然の無礼をお許しください。私たちは魔法の調査を行っている旅の魔法使いです。この街の領主様に、どうしてもお聞きしたいことがございまして参りました。どうか、お取次ぎを願えないでしょうか」
理路整然とした丁寧な申し出であった。しかし、門番の頑固そうな表情は微塵も揺らがない。腕組みをしたまま、厳めしい眼光で一行を見下ろす。
「領主様はお忙しい身であられる。何処の馬の骨とも知れぬ旅人に割く時間などない。お引き取り願おう」
完全な門前払いだった。フェルンが眉をひそめ、さらに言葉を重ねようと口を開きかけた時、門番は鼻を鳴らし、広場の片隅に置かれた武器棚へと顎をしゃくった。
「……だが、カグツチは戦士と鍛冶の国よ。領主様の館へ立ち入りたくば、代表たる最強の戦士が、相応しい武を見せてみよ」
「え?」
間の抜けた声を上げたのはシュタルクだった。門番は獰猛な光を宿した瞳を、まっすぐに赤髪の青年へと据える。
「言葉の通りだ。この私を倒してみせよと申しておるのだ」
「話し合いはダメだけどチカラヅクなら通ってもいいってことかよ……無茶苦茶だな」
シュタルクが露骨に嫌そうな顔をして一歩後ずさる。戦士の国特有の理屈に呆れ返る彼を余所に、白いケープの少女がぽんと平手で自分の拳を叩いた。
「なるほどね」
フリーレンはまるで世間話でも聞くかのような気軽さで頷き、振り返りもせずに言った。
「じゃあ頼んだよ、シュタルク」
「え、俺!?」
「代表たる最強の戦士でしょ。このパーティで戦士はシュタルクだけだからね」
「お、おい! いきなりそんな無茶振りすんなよフリーレン! 相手めちゃくちゃデカいぞ!?」
「シュタルク様、頑張ってください」
フェルンもまた淡々と言い添え、無表情のまま半歩身を引いて見物態勢に入った。
文句を言う暇すら与えられず、広場の武器棚から武骨な木製の大斧が放り投げられた。シュタルクは慌てて両手でそれを受け止める。ずしりとした手応え。樫の木を削り出した頑丈な練習用具だったが、普段使い慣れた鉄の戦斧とは微妙に重心が違っていた。
門番もまた、腰の真剣を外して棚へ預け、黒光りする頑強な木刀を抜き放った。片刃のカタナの反りを模した、分厚く重みのある木剣である。
「手加減はせんぞ、人間の若造!」
「くそっ、やるしかないのかよ……!」
シュタルクが息を吸い込み、木斧を両手で構え直した。その瞬間、青年の顔から怯えの色が薄れ、前衛戦士の鋭利な気迫が立ち昇る。
「行くぞッ!」
門番の咆哮とともに、石畳が激しく軋んだ。
巨体に似合わぬ凄まじい初速。オーガ特有の圧倒的な膂力に任せ、木刀が空気を引き裂く重低音の風切り音とともに袈裟懸けに振り下ろされる。
ガァンッ! と、激しい打撃音が広場に反響した。
シュタルクは木斧の柄を滑らせるようにしてその剛撃を受け流し、石畳を削るように側面へと回り込む。一撃ごとの質量は並の人間の戦士を遥かに凌駕していたが、師であるアイゼンの暴力的な重さと比べれば、まだ対応できる範疇だった。
「ほう、見掛け倒しではないようだな!」
門番の連撃が続く。横薙ぎ、突き、斬り上げ。手首の返しだけで風圧を生む洗練された東方の太刀筋が、怒涛の勢いでシュタルクを追い詰めていく。木刀と木斧が激突するたびに木屑が弾け飛び、火花が散るかのような衝撃波が足元を揺らした。
(速い……! けど、受けてばかりじゃジリ貧だ!)
シュタルクは歯を食い縛り、門番の鋭い突きを半身でかわすと、一気に地を蹴って踏み込んだ。
重心を極限まで低く落とし、全身のバネを絞り上げる。大気を震わせる赤い闘気が、木斧の刃先へと収束していった。
「光天斬ッ!」
一閃。
地を穿ち、天を裂くような垂直の斬り上げ――『光天斬』の軌道が、門番の懐を正確に捉えて振り抜かれた。
「ぬっ……!?」
門番の瞳が見開かれる。躱すことは叶わない。咄嗟に両手で木刀の刃を胸元へ引き戻し、全身の筋力を総動員してその一撃を迎え撃った。
轟音とともに広場の石畳が放射状に砕け散り、猛烈な土煙と衝撃波が吹き荒れた。
門番の頑強な木刀が、耐えきれずにメキメキと悲鳴を上げ、中央から亀裂を走らせる。押し込まれた巨漢の足が、石畳を数メートル削りながら後方へと滑っていった。
木刀がへし折れ、追撃の木斧の切っ先が男の喉元を捉えようとした――その刹那。
「そこまで!!」
澄み渡る、しかし凛とした威厳に満ちた女性の声が、大階段の頂から雷鳴のように轟いた。
空気を叩き割るようなその一喝に、シュタルクの斧がぴたりと静止した。門番もまた息を乱したまま、折れた木刀を構えた姿勢で硬直する。
巻き上がった白煙の向こう、長い階段の最上段に、一人の影が佇んでいた。
黒と深紅を基調とした豪奢な着流しを纏い、細身のカタナを腰に帯びた、すらりとした長身の美しいオーガの女性。その滑らかな額からは、二本の小さな角が誇らしげに突き出ている。
冷たい秋の風が、彼女の漆黒の長髪を激しく揺らしていた。
琥珀色の双眸を険しく細め、眼下の来訪者たちを見下ろすその立ち姿には、一国の長たる者にしか宿り得ない、揺ぎなき重圧が満ちていた。
「あ、アカガネ様!」
荒い息を吐いていた門番は弾かれたように木刀を引き戻し、すっと背筋を伸ばした。先ほどまでの猛々しい闘気は跡形もなく消え失せ、恭しく頭を垂れて大階段の脇へと控える。
その頭上、遥か高く聳える石段の最上段から、黒と深紅の衣擦れの音が風に乗って降ってきた。
踏み切りの合図となる予備動作すらなく、アカガネの長身が虚空へと躍り出た。重力を嘲笑うかのような流麗な軌道。十数メートルもの高低差を一瞬で跳び越え、着地の衝撃波すら石畳に吸い込ませるように、シュタルクのわずか数歩前へと音もなく舞い降りた。
長い漆黒の髪がふわりと肩を滑り落ち、額の二本の角が秋の白い光を反射する。間近で見上げるその姿は、戦士の苛烈さと統治者の艶やかさを併せ持っていた。
「……お主の斧捌き、我らの同胞たるドワーフの動きであるな」
琥珀色の切れ長の瞳が、シュタルクの構えた木斧の切っ先、そしてその足運びの残痕を値踏みするように撫でる。次いで、背後に佇む白いケープの少女と、杖を携えた紫髪の少女へと流し目を向けた。
「そっちの二人は、魔法使いか。……よい筋をしておる」
アカガネは片手を腰の刀の柄に預け、涼やかな笑みを口元に刻んだ。
「
「お、俺はシュタルク。……師匠はアイゼンだ。戦士アイゼン」
思わず息を呑みながらも、シュタルクは木斧を下ろし、真っ直ぐに名乗りを上げた。
「後ろの二人はフリーレンとフェルン。……別に暴れ込みに来たわけじゃねえよ」
「……アイゼンか」
アカガネの眉がわずかに持ち上がり、琥珀の瞳の奥に深い納得の光が宿った。彼女はそれ以上問い質すこともなく、ニヤリと大人の余裕を漂わせるように目を細めると、踵を返して大階段へと歩き出した。
「付いて参れ。……埃っぽい広場で立ち話をする趣味はなくての」
案内された領主の館は、大陸中央部で見られる石造りの城塞とは根本から異なる意匠に満ちていた。
遠い昔、東側諸国から移り住んだオーガたちの始祖が持ち込んだという建築様式。幾重にも組まれた黒漆の太い柱と梁が吹き抜けの天井を支え、廊下には隙間なく磨き上げられた飴色の板張りが続く。外光は薄く削られた白い障壁の紙を透かして柔らかく室内に広がり、庭園には白砂利が波の文様を描いて敷き詰められていた。香木と焼けた鉄の残り香が混ざり合う、静謐で独特な空気が漂っている。
通された大広間の奥、一段高く設えられた上段の間に、アカガネは深紅の裾を捌いて腰を下ろした。脇息に細い肘を預け、流れるような所作で煙管に火を点ける。紫煙がふわりと立ち上り、彼女の彫りの深い美貌を微かに霞ませた。醸し出される艶やかな空気感に、シュタルクは所在なさげに視線を泳がせている。
その横で、フェルンがなぜか頬を小山のように膨らませ、ジト目でシュタルクの横顔を睨みつけていた。
「……シュタルク様」
「な、なんだよフェルン、俺なんかしたか!?」
「別に。……シュタルク様がどこを見ていようと、私の知ったことではありません」
「見てねえよ! どこも見てねえって!」
静かな広間に響く二人の小競り合いを気にも留めず、フリーレンが一歩前へと進み出た。翡翠の瞳をアカガネへと据え、淡々とした声で切り込む。
「単刀直入に聞くね。私たちは『死者が蘇る魔法』の噂を聞いてここに来たんだ。……何か知ってる?」
煙管を燻らせていたアカガネの紫煙が、ふっと途切れた。
領主の眼差しから微かな冷気が放たれ、その唇が嘲るように弧を描く。
「黄泉帰りじゃと? ……そんなもの、ありはせん。死んだ肉体が再び命を宿すなど、童子を脅かすためのおとぎ話よ。ドワーフの理にも、エルフの魔法の理にも、そのような都合のよい術など存在せぬことくらい、そなたが一番よく分かっておろうに」
「うん。ありえないよ」
フリーレンは表情を変えずに頷いた。
「だから、それが魔法を使った別の何かじゃないかって思ってる。……たとえば、死体を動かす何かとかね」
その言葉に、アカガネの切れ長の瞳が一瞬だけ細められた。だが、彼女が言葉を返す前に、広間の下座からシュタルクが口を挟んだ。
「あのさ、アカガネさん。ここへ来る途中の山の中で、三人兄妹に会ったんだよ。すげえデカい剣を持つ兄貴と、細身の刀を持つ弟と……小柄な妹。名乗りを聞いたら、クロガネとシロガネ、コガネって言ってた。あんたと名前が似てるけど……知り合いか?」
――ピキリ、と。
広間の空気が凍りついた。
「なんじゃと……?」
カツッという音とともに、煙管の雁首が煙草盆へと当てられる。アカガネは灰を落とした煙管から手を離した。
その顔からは大人の余裕が完全に消え失せ、眉間に深い皺が刻まれている。
琥珀色の瞳に宿ったのは、激しい動揺と、それを瞬時に覆い隠そうとする冷徹な険しさだった。