「……知らぬな。山林を徘徊する野盗の名など、いちいち把握しておらん」
吐き捨てるようなその口調は、あまりにも不自然だった。領主としての毅然とした態度を保とうとしながらも、その声の底には隠しきれない痛惜と焦燥が滲んでいる。
フリーレンは見逃さなかった。
小さく首を傾げ、琥珀の瞳を覗き込むようにして静かに言葉を重ねる。
「嘘だね。……彼らは山賊の兄妹だったけど、二本の角が生えたオーガだった。カグツチの出身だと言っていたし、それにあの大柄な男の人が持っていた剣は、かなり記憶に残る大きさだった。領主なら覚えているはずだ。……何かを隠しているね、アカガネ」
アカガネの唇が小さく引き結ばれ、長い沈黙が広間を支配した。
庭園の白砂を撫でる風が、障子をかすかにカタカタと鳴らす。
やがて、アカガネは深く、重いため息を吐き出した。煙管を手に取り直すことなく、天井の太い梁を見上げる。
「……千年以上も昔の話じゃ」
重々しい声が、静寂の底から響いた。
「東側諸国から流れ着いた天才刀匠――シュウハクが、このカグツチに妖刀の打ち方を伝えた。鋼に術式を刻み、魔力を持たぬ我らオーガに魔法を振るわせる異端の鍛造法。……奴は生涯で、自らの魂のすべてを注ぎ込んだとされる『三本の伝説の妖刀』を打ったと言われておる」
「三本の、伝説の妖刀……」
フェルンが呟く。アカガネは視線を落とし、フリーレンを見据えた。
「その妖刀がどのような力を秘め、どのような業を背負っておるか……これ以上は、タダというわけにはいかん。情報が欲しくば、妾の遣いでも受けてもらおうか」
「依頼、ですか?」
フェルンが問い返すと、アカガネは短く頷き、懐から一枚の羊皮紙を取り出して畳の上へと滑らせた。
「カグツチを往来する商人の護衛じゃ。近年、周辺の山林に出没する凶悪な山賊どものせいで、物資の流通が滞っておる。……腕の立つ戦士と魔法使いがおるのなら、渡りに船というもの。商人を無事に麓の宿場まで送り届け、山林の露払いをして見せよ。そうすれば……そなたらの知りたい『呪縛』のすべてを話してやる」
突きつけられた羊皮紙を、フリーレンは静かに見つめた。
山林を荒らす山賊。そして、あの森で出会った、不自然な会話の欠落を抱える二人の兄と、決して刀を離そうとしなかった幼い妹――。
「出発は明日の朝じゃ。今宵は街の宿で旅の垢でも落とすがよい」
アカガネの乾いた声に見送られ、羊皮紙の依頼書を手にした一行は領主の館を辞した。
すり鉢状の街に夕闇が降りてくる頃、谷底の工房群はいよいよ赤黒い炉火の輝きを増し、昼夜を分かたぬ槌音が低く地鳴りのように響いていた。
* * *
街道沿いの宿屋は、やはり柱や梁に黒漆が塗られた独特の造りであった。
い草の香りが微かに残る畳敷きの部屋に、行燈の淡い明かりが揺れている。障子を透かして届く夜風は冷たく、どこか鉄を焼いた特有の匂いが混ざり合っていた。
フェルンが几帳面に荷物を解き、卓の上に茶を淹れる間、シュタルクは壁に大斧を立てかけて胡坐をかいた。
「なあ、フリーレン。あの領主が言ってた『三本の伝説の妖刀』って、一体どんな代物なんだろうな」
湯呑みを手に取ったフリーレンは、湯気の向こうに翡翠の瞳を細めた。
「さあね。でも、これまで見てきた刀だけでも相当だよ」
「……そうですね」
フェルンが静かに頷き、卓の向かいに腰を下ろす。
「あのクロガネという男が使っていた大地を操る魔法は、二級魔法使いのリヒター様が得意としていた術式……『バルグラント』と同一のものでした。シロガネという男の水流魔法も、カンネ様の『リームシュトローア』そのもの。極めつけは、昼間に工房で見た光の槍……デンケン様が放っていた『カタストラーヴィア』です。どれも並の魔法使いであれば、長い時間をかけなければ修得できないような高位の魔法ばかりでした」
「魔力を持たないオーガが、刀を一振りするだけでそれを行使できる。……それだけでも現代の魔導具の常識を遥かに超えているよ。なのに、それらはすべて『シュウハクの技術を模倣して量産されたもの』にすぎない。彼が自らの魂を注ぎ込んだという伝説の三本が、ただの破壊力にとどまるはずがないね」
フリーレンは小さく息を吹きかけて茶を冷ました。その横顔には、未知の魔術に対する純粋な探求心と、それ以上に深い警戒の色が滲んでいた。
シュタルクが顎に手を当て、怪訝そうに首を捻る。
「あとさ、もう一つ変なところがあるよな。カグツチって、鍛冶と戦士の国なんだろ? 昼間戦った門番のおっさんだってめちゃくちゃ強かったし、街中筋骨隆々のオーガばっかりだったじゃねえか。なんで自分たちで護衛を出さないんだ? 物資が滞って困ってるなら、あの屈強な連中で山狩りでもして、山賊なんか返り討ちにすりゃいいのに」
「……シュタルク様の言う通りです」
フェルンが紫色の瞳を険しくする。
「アカガネ様は、あの三兄妹の名を聞いた瞬間に明らかに動揺していました。そして、自国の戦士を使わず、余所者である私たちに護衛と山賊の排除を依頼してきた。……何か、街の者たちには手を下せない理由があると考えたほうが自然です」
「行けばわかるよ」
フリーレンは茶を飲み干し、静かに行燈を見つめた。
「どんな理由があっても、死者を蘇らせる魔法なんて存在しない。……そこに転がっているのは、もっと別の、悲惨な現実だけだ」
* * *
翌朝。
山の端から白んだ陽光が差し込む中、カグツチの南門前には一台の荷馬車が控えていた。
積み荷は鉱石と鍛造されたばかりの鉄製品で、布で厳重に縛られている。御者台に座るオーガの商人は、怯えたように何度も首をすくめて東の険山を見上げていた。
「よろしくお願いしますよ、旅の旦那がた……。近頃の山賊どもは、獲物を奪うだけじゃなく、襲った相手を生かして返さないって噂なんだ……」
「任せてください、命に代えてもお守りします」
フェルンが毅然と請け合う横で、フリーレンはすたすたと馬車の後方へ回り込み、麻布の幌をめくって荷台へと潜り込んだ。柔らかな干し草の上に腰を落ち着け、満足そうに息を吐く。
「よし、出発しよう」
外で見送る体勢をとっていたシュタルクが、目を丸くして荷台を覗き込んだ。
「おいフリーレン、いいのかよ馬車の中にいてさ。護衛なんだから、普通は馬車の横を歩いて警戒するもんじゃねえのか?」
「相手は魔物じゃなくて山賊だよ。外から見て屈強な戦士や魔法使いが護衛についていたら、警戒して襲ってこないかもしれないでしょ」
フリーレンは淡々とした調子で杖を膝の上に横たえた。
「依頼をこなして荷物を届けるだけならそれでもいいけど、今後のことを考えるならここで確実に釣り出して、とっちめておくべきだよ。それに、私たちの目的には山賊の正体を突き止めることもあるからね」
その理屈に納得しかけたシュタルクの隣で、フェルンがすっと目を細め、ジト目で荷台のフリーレンを見下ろした。
「……歩くのが面倒で、楽をしたいだけなのではないですか?」
「そんなことないよ」
フリーレンは平然と言い放ち、視線を逸らした。
結局、フェルンとシュタルクも小さくため息をつきながら荷台へと乗り込み、幌の隙間から外を窺う陣形を取ることとなった。
軋む車輪の音とともに、馬車は薄暗い山道へと分け入っていった。
木々が生い茂り、朝の光を遮る鬱蒼とした針葉樹の森。湿った黒土の冷たい匂いと、冷気を含んだ風が幌の隙間から吹き込んでくる。
街を出てから一刻ほどが過ぎた頃、ふいに周囲の鳥の羽ばたきが止んだ。
馬の鼻息と、車輪が小石を踏み砕く音だけが、不気味なほど鮮明に耳を打つ。
(……来る)
フリーレンが杖の先端を微かに握り直した。
同時に、前方の御者から悲鳴に似た叫び声が上がった。
「ひ、ひぃぃッ! 出た、山賊だァッ!」
激しい急制動とともに、馬車が大きく傾いで停止する。
直後、空気を引き裂く重低音が響き、馬車の目前の地面が意志を持ったかのように爆発的な勢いで隆起した。
轟音とともに荷馬車が激しく揺れる。
「うわっ!?」
シュタルクが荷台の床を蹴って飛び出した。フェルンとフリーレンもまた、翻るローブとともに軽やかに外の荒れ地へと着地する。
立ち込める土煙の向こう、行く手を塞ぐように立ちはだかっていたのは――三つの影だった。
身の丈を超える無骨な巨剣『アギトマル』を肩に担ぎ、獰猛な笑みを浮かべる巨漢。
細身の刀『サミダレ』の柄に手をかけ、怜悧な眼光で間合いを測る偉丈夫。
そしてその後ろで、豪奢な鞘に収まった長大な刀を胸に抱きかかえ、無邪気な笑みを浮かべる小さな少女。
「がはは! 運のない商人め! 積荷も命も、すべてこの吾輩たちに置いていくがいい!」
クロガネの野太い大音声が森に轟く。
その隣で、シロガネが冷徹に鯉口を切り、抜き放たれた白刃の周囲に大気中の湿気が凝結していった。
「悪く思うな。これも生きるためゆえ」
「やっちゃえ、兄様たち!」
昨日、焚き火を囲んで肉を分け合い、親しげに手を振って別れたはずの、あの三兄妹であった。