三兄妹の姿を捉えたシュタルクは、武器を構えながら愕然と息を呑んだ。
「お前ら……なんで、こんなところで山賊なんか……!」
シュタルクの困惑の叫びに対し、クロガネの瞳には昨日の気安い光は一片もなく、ただ空洞のような冷たい狂気だけが宿っていた。シロガネもまた、以前に交わした言葉など最初から存在しなかったかのように、虚ろな面持ちで切っ先をこちらへと向けている。
唯一、後方に控えるコガネだけが、胸の妖刀を愛おしそうに撫でながら、三人を値踏みするように妖しく微笑んでいた。
困惑に満ちたシュタルクの問いかけに対し、大剣を構えたクロガネは豪快に喉を鳴らした。しかし、その双眸の奥には感情の揺らぎがなく、氷のような無機質さが張り付いている。
「がはは! 吾輩たちとて、しがない旅人を襲う追い剥ぎにまで落ちぶれてはおらんだけだ! だが……昨日の旅人が商人の護衛についておろうとは、裏目に出たやもしれんな!」
「左様。今後は一考の余地がありますな、兄者」
隣で鯉口を切ったシロガネも、理知的な口調のまま淡々と応じる。昨日焚き火の傍らで見せた穏やかな眼差しはどこにもなく、まるで決められた文句を読み上げているかのように、淀みなく冷酷な言葉を紡ぎ出していた。
その異様な空気に呑まれたのか、荷台の隅で身を縮めていた商人のオーガが、青ざめた顔でガタガタと歯の根を鳴らした。
「ひぃ……ひぃぃっ……! く、クロガネ様……クロガネ様が出た……! 死んだはずのクロガネ様が……亡霊だ、カグツチの亡霊が出たァッ……!」
うわ言のように繰り返されるその呟きを、シュタルクは聞き咎めた。
(クロガネ様……? 初対面じゃないのか……?)
街の民が、なぜ山賊の名を知っているのか。しかも、死んだはずなどと――。
だが、思考を巡らせる暇は与えられなかった。
「名はシュタルクと言ったか! 征くぞ戦士よ! コガネは下がっておれい!」
「悪く思いなされるな。お命、頂戴いたす」
二人の兄が同時に地を蹴った。
その背後、一歩引いた岩場の上で、幼いコガネが豪奢な鞘に収まった刀を胸に抱きしめ、楽しげに小さな角を揺らしながら黄色い声を上げる。
「クロ兄様、シロ兄様、やっちゃってー!」
突進するクロガネの足元から、轟音とともに地表がめくれ上がった。
『アギトマル』の刀身から放たれる、大地を操る魔法――バルグラント。隆起した岩盤が波のように押し寄せ、シュタルクの視界と足場を暴力的に奪う。その土煙を突き破り、身の丈を超える巨剣が空気を押し潰す轟音とともに振り下ろされた。
「くそっ……!」
シュタルクは大斧の腹で受け止めるが、桁外れの重量と魔力の衝撃に靴底が地面を削る。
さらにその死角から、白銀の閃光が奔った。シロガネの妖刀『サミダレ』から解き放たれた、水を操る魔法――リームシュトローア。凝縮された高圧水流の刃が、大気を引き裂く甲高い悲鳴を上げてシュタルクの首筋へと殺到する。
「シュタルク様!」
フェルンが即座に杖を振るい、六角形の防御魔法を展開した。
パァン、と激しい水飛沫が弾け、魔力の障壁がきしむ。
二人とも、相手を殺す気で戦うことができない。昨日言葉を交わしたばかりの相手であり、背後には無邪気に兄を応援する幼い少女がいるのだ。峰打ちや手加減を意識するあまり、魔法と剣技を完璧な呼吸で連動させてくる兄弟の猛攻に、完全に防戦一方へと追い込まれていた。
「フェルン、手加減はいらないよ」
背後から、フリーレンの平坦な声が響いた。
彼女は杖を構え、二人の兄の足運びと魔力の揺らぎを、冷徹な翡翠の瞳で見据えている。
「動けなくすればいい。ドワーフの戦士なら、即死じゃなければ死にはしない」
フリーレンの杖先から、凝縮された牽制の衝撃波が放たれた。クロガネとシロガネの足元の土がピンポイントで爆砕され、戦士たちの足運びが一瞬だけ乱れる。
「今だ、シュタルク」
「だああッ!」
作られた一瞬の隙。シュタルクが低く地を這うように踏み込み、大斧を鋭利に薙ぎ払った。
鋼の刃が、クロガネの無防備な左脇腹を深々と斬り裂く。肉を断ち、肋骨を砕く鈍い感触が手応えとして伝わった。鮮血が赤黒く舞い散る。致命傷ではないにせよ、人間であれドワーフであれ、激痛と出血で立っていることすら不可能なはずの重傷だった。
しかし――。
クロガネの顔には、苦痛の表情が微塵も浮かばなかった。
傷口から夥しい血を流しながら、男は何事もなかったかのように巨剣の切っ先を構え直す。
「兄者!?」
シロガネがわずかに視線を走らせる。
「がはは! これしきのキズ、気合で問題ないわ、弟よ!」
豪快な笑い声。だが、その瞳は笑っておらず、肉体の損壊に対する生理的な反応が完全に抜け落ちていた。
その不気味な空白を見逃さず、フェルンの杖先から白紫の閃光が迸った。ゾルトラークの正確無比な精密射撃が、兄を気遣ったシロガネの右脇腹を撃ち抜く。
ドンという衝撃波とともに衣服が弾け、シロガネの腹部に焼け焦げた肉と鮮血の穴が穿たれた。
「平気か、弟よ!?」
「問題ござらぬ、兄者」
内臓に達するほどの風穴を開けられながら、シロガネは眉一つ動かさずに即答した。
そして、その勢いのまま反撃に転じたクロガネの豪腕が、大太刀の平をシュタルクの胸板へと叩きつける。
「ぐわっ……!?」
衝撃波を伴う一撃に吹き飛ばされ、シュタルクは砂煙を上げながら地面を幾度も転がった。
「シュタルク様!」
フェルンが駆け寄り、シュタルクは大斧を杖代わりにしながら、脂汗を流して立ち上がった。その顔は困惑と恐怖に歪んでいる。
「嘘だろ……。腹を裂かれて、魔法で撃ち抜かれて……なんで平気な顔で動いてんだよ……」
フェルンもまた、息を乱しながら杖を構え直す。紫色の瞳に、拭いきれない戦慄が走っていた。
「ドワーフの戦士というのは、みなこれほど頑丈なのですか……?」
二人の疑問に対し、後方に佇むフリーレンは、静かに二人の兄弟を見つめていた。
クロガネの脇腹からも、シロガネの腹部からも、確かに赤い血が滴り落ちている。ダメージを受けていないわけではない。肉体は確実に破壊されている。
「いや……」
フリーレンは小さく首を横に振った。その声にはいつもの気安さはなく、冷たい静寂だけが宿っていた。
「さすがにアイゼンでも、腹に穴が空いたら動きが鈍っていたよ。気合とか、そんな問題じゃない」
杖を握る指先が、微かに強く締められる。
「……何かあるね」
痛覚を喪失した二人の巨漢は、血を流しながらも寸分の狂いもなく武器を構え、再び無機質な殺気を膨らませていた。そしてその後ろでは、コガネが愛おしそうに刀の鞘を撫でながら、変わらぬ笑みを浮かべてこちらを見つめている。
傷口から滴り落ちる赤黒い血が、乾いた山道の上に幾つもの染みを作っていた。
脇腹を骨ごと断ち切られ、腹部に風穴を開けられながら、二人の大男は何事もなかったかのように呼吸すら乱さず、冷たく澄んだ刃を構え直している。
背後の岩場から、コガネの鈴を転がすような、どこか間の抜けた声が飛んだ。
「兄様たち、だいじょうぶー?」
クロガネは血濡れの巨剣を軽々と掲げ、豪快に白い歯を剥き出しにした。
「がはは! 何の問題もないわ! 吾輩らの頑健さを侮るでない! それよりコガネ、流れ弾が当たらぬよう、もっと岩陰に隠れておれよ!
「左様でござる。拙者たちのことは案ずるな。コガネに怪我ひとつ負わせはせぬ」
シロガネもまた、腹部の焼け爛れた穴を気にする素振りすら見せず、涼やかな笑みを妹へと向けた。
愛おしげに妹を気遣うその姿は、一見すれば美しき兄弟愛の光景そのものだった。だが、重傷を負いながら苦痛に顔を歪めることすら忘れたその瞳には、生きている者が持つべき体温が一切宿っていない。
「……来るぞ!」
シュタルクが叫ぶと同時に、大地が爆ぜた。
「征くぞ、弟よ!」
「応ッ!」
二つの巨躯が同時に地を蹴り、山道を粉砕しながら肉薄する。
シュタルクとフェルンは咄嗟に身構え、それぞれ左右に散って迎撃の体勢を取った。
「ぬおおおおッ!!」
クロガネの振るう『アギトマル』が空気を叩き潰し、大地を操る魔法――バルグラントが地表を波立たせる。足場が牙を剥くように隆起し、シュタルクの体勢を崩しにかかる。
シュタルクは歯を食い縛り、泥臭く地面を転がりながら大太刀の豪撃を戦斧の平で受け止めた。
ギチギチと金属が軋み、火花が散る。
間近で見るクロガネの脇腹は、先ほどシュタルク自身が断ち切った傷口から今なお鮮血が噴き出していた。折れた肋骨の白い先端が覗いている。それだけの損傷を負えば、どれほど屈強な戦士であろうと全身の筋肉が激痛で硬直するはずだった。
だが、クロガネは一切躊躇わず、踏み込みを強めて体重を浴びせかけてくる。
「嘘だろ……なんでだよ!」
シュタルクの胸に走ったのは、困惑を通り越した激しい憤りだった。
恐怖を感じず、痛覚を無視し、壊れた木偶のように突進してくるその姿。それは、シュタルクが師から叩き込まれた戦士の在り方に対する、冒涜そのものであった。
かつて、ドワーフの師――アイゼンは、震える己の拳を見つめながら静かに語っていた。
『恐れることは悪いことではない。恐怖が、俺をここまで連れてきた』
敵を前にして震えるのは生きている証拠だ。痛みを恐れ、死を恐れるからこそ、人は技を磨き、紙一重の踏み込みで命を繋ぎ止める。
目の前の男には、その恐怖が欠落していた。誇り高きオーガの戦士の肉体を纏いながら、中身はただ命令に従って突進するだけの粗末な道具に成り下がっている。
「ふざけんなッ! そんなの……戦士じゃねえだろうがッ!!」
シュタルクの咆哮とともに、赤い闘気が大斧に宿り、力任せに巨剣を押し返した。