シュタルクが打ち合う一方で、フェルンの前では、シロガネの細身の妖刀『サミダレ』が冷徹な死の舞踏を演じていた。
凝結した水流の刃――リームシュトローアが、空間を幾重にもスライスするように超高圧で放たれる。木々が豆腐のように両断され、フェルンの頭上から枝葉が雨のように降り注ぐ。
「……ッ!」
フェルンは息を吸い、杖の先端を寸分の狂いもなく標的へと向け続けた。
彼女の真骨頂である、圧倒的な手数のゾルトラーク。白紫の閃光が連射され、立て続けの轟音が森を震わせる。
飛来する魔力弾は、シロガネの左肩を砕き、太腿を抉り、肉片を撒き散らした。普通ならばショック死していてもおかしくないダメージ。しかし、シロガネは血飛沫を上げながらも顔色ひとつ変えず、淀みのない足運びで間合いを詰めてくる。
(速い……それに、怯まない……)
どれほど肉体を穿たれても、筋繊維が千切れても、まるで見えない力で関節を無理やり稼働させているかのように、シロガネの斬撃は速度を落とさない。その冷え切った異様さに、フェルンの額を冷たい汗が伝った。
「……本気で殺す気だね」
二つの戦局を冷徹に見極めていたフリーレンが、平坦な声で呟いた。
その翡翠の瞳には、一切の迷いも躊躇もなかった。
「しかも、異様なタフネスだ。……残念だけど、こっちもそのつもりじゃないとダメだね」
手加減をして生け捕りにできる相手ではない。命を削りながら無尽蔵に突進してくる怪物を前に、情けをかけることは自らの死に直結する。
「フェルン、シュタルク。隙を作って」
短い指示。
それだけで、長く旅を共にしてきた二人は即座に意図を理解した。
「だあああッ!」
シュタルクが身を沈め、大地を削るような鋭利な斬り上げ――『光天斬』の軌道を放つ。クロガネの巨剣の鍔元を捉え、その巨躯を無理やり上方へと跳ね上げた。
間髪を入れず、フェルンが杖を一閃させる。凝縮された特大のゾルトラークが、空中に浮いたシロガネの足元で炸裂し、その優美な姿勢を完全に崩した。
二人の戦士の体勢が、完全に死角を晒して空中に静止した――その刹那。
「……さようなら」
フリーレンの杖先から放たれたのは、牽制などではない、冷徹無比な必殺の閃光だった。
放たれた二筋のゾルトラークは、大気を焦がす白光の尾を引き、寸分の狂いもなくクロガネとシロガネの胸の中央――心臓のあった場所を正確に撃ち抜いた。
ドォン、と重苦しい破裂音が重なって響く。
背中側へと突き抜けた魔力の奔流が、二人の背後の巨木を薙ぎ倒した。
胸を完全に消滅させられた二人の巨躯は、空中で力を失い、山道の土煙の中へとドスンと崩れ落ちた。ピクリとも動かない。傷口からはどす黒い血が広がり、生命活動の完全な停止を告げていた。
森に、風の音だけが戻ってきた。
「はぁ……はぁ……っ」
シュタルクは大斧にすがって荒い息を吐き、フェルンもまた杖を構えたまま肩を上下させている。
二人は痛ましげな表情で、横たわる二人の遺体を見つめていた。昨日、温かい焚き火の傍らで肉を分け合ってくれた相手を、自分たちの手で殺めたのだ。戦士としても、人間としても、その胸に苦い澱が残らないはずがなかった。
そのとき――。
カサリ、と落ち葉を踏む小さな足音が響いた。
岩陰から、ひょこひょこと小走りで現れたのは、末妹のコガネだった。
最愛の兄二人が無残に心臓を撃ち抜かれ、物言わぬ骸となった直後である。
シュタルクとフェルンは、かける言葉を見つけられないまま、悲痛な瞳でその少女の姿を追った。
しかし、コガネの足取りには何の躊躇も動揺もなかった。
兄たちの死体の傍らまで辿り着くと、少女の顔から先ほどまでの無邪気な笑みが綺麗さっぱりと剥ぎ取られた。
そこに浮かんでいたのは、まるで壊れた人形を見るかのような、冷淡で無機質な表情だった。
「あーあ、また死んじゃった」
感情の欠片もない、平坦な声だった。
「……え?」
フェルンが耳を疑い、紫色の瞳を見開いた。
コガネは眉一つ動かさず、足元に転がるシロガネの頭部を軽く爪先で小突いた。その硝子玉のような瞳には、肉親を失った悲哀も、敵に対する憎悪すらも存在しない。ただ、手入れの行き届かない道具に対する苛立ちのようなものが微かに漂っているだけだった。
「でも大丈夫、私が起こしてあげるから」
コガネは胸に抱え込んでいた豪奢な鞘に手をかけた。
「何度でも、何度でも。……さあ起きて、私の兄様」
シュッ、と空気を切り裂く澄んだ音が響いた。
鞘から引き抜かれたのは、刀身に妖しく怪異な文様が浮かび上がった、一振りの妖刀であった。その刃が空気に触れた瞬間、周囲の温度が急速に低下したかのような悪寒がその場を支配する。
コガネは無造作に腕を振るった。
散歩でもするようにシロガネの骸の横を通り過ぎざま、その冷たい刃でシロガネの背中を深く斬り裂く。
そして流れるような足運びのまま、クロガネの死体の前に屈み込み、切っ先を男の喉元へと無慈悲に突き刺した。
肉を断つ湿った音。
だが、そこから血は流れ出さなかった。
代わりに、刀身から黒ずんだ紫色の魔力の奔流が溢れ出し、無数の細い糸となって二人の死体へと侵入していった。
ギチギチと、骨がきしむ不気味な音が響く。
心臓を吹き飛ばされ、完全に絶命していたはずのクロガネの巨躯が、まるで天から見えない糸で吊り上げられたかのように、不自然な角度でカクカクと起き上がった。
続いて、背を裂かれたシロガネもまた、関節の可動域を無視した滑らかな動作で、地面から音もなく立ち上がる。
二人の虚ろな瞳に、再び生気のない光が灯った。
「ぬう……気絶しておったわ」
クロガネが太い首をゴキリと鳴らし、何事もなかったかのように巨剣を拾い上げる。
「拙者もでござる。……油断しましたな、兄者」
シロガネもまた、胸に巨大な風穴を開けたまま、涼やかな所作で妖刀の切っ先を正眼に構え直した。
「な……んだよ、それ……」
シュタルクの喉から、掠れた悲鳴が漏れ出た。
心臓がないのだ。生きているはずがない。血も巡らず、呼吸すらしていない肉体が、言葉を喋り、武器を構えている。
「死者を……操っている……?」
フェルンが戦慄し、杖を握る指を白く強張らせた。
その光景を見つめるフリーレンの翡翠の瞳が、かつてないほど鋭く見開かれていた。
少女の振るう妖刀から立ち上る、澱んだ魔力の残滓。魂の重さを測り、意思を奪い、死してなお永遠の隷属を強いる、あの忌まわしき術式の構造――。
「……あれは」
フリーレンの唇から、凍てつくような冷徹な言葉が零れ落ちた。
「アゼリューゼ。……七崩賢・断頭台のアウラの魔法だ」
七崩賢の魔法は、人智も人の理も超えている。
それは魔族が数百年の長きにわたり、己の存在そのものを研ぎ澄ませて編み上げた理外の秘術であり、人類の魔法体系をもってしても未だその全貌を解明しきれていない魔法の深淵、あるいは高みと呼ぶべき領域にある術式。それを今、魔力を持たないはずの年端もいかぬオーガの小娘が、一振りの鋼を介して平然と弄んでいた。
「七崩賢・断頭台のアウラ……。グラナト伯爵領で、フリーレン様が討伐された魔王軍の幹部……ですか」
フェルンが小刻みに揺れる紫色の瞳で、起き上がった二つの巨躯を見据える。その額には冷たい汗が滲んでいた。
「うん。服従の天秤を介して、相手を強制的に隷属させて魂を縛り付ける魔法だよ」
フリーレンの声は、乾いた風のように平坦だった。だが、杖を握るその指先には、微かな怒気にも似た魔力の律動が宿っている。かつてアウラが従えていた、首のない不死の軍勢。その記憶が、目の前の光景と残酷に重なり合う。
「アウラの魔法は死者を操ることもできた。……むしろ積極的に首を落としていたんだ。反抗の意思を完全に塗りつぶして、ただ命令通りに動く肉塊に変える。一度縛られた魂は、肉体が死んだとしても解放されない」
「……死ぬことすら許されねえってのかよ」
シュタルクが呻くように吐き捨てた。手にした大斧の柄を、砕けんばかりの力で握りしめる。
目の前の二人は、心臓を撃ち抜かれ、脇腹を断ち切られているのだ。本来であれば、戦士として誇り高く大地へ還るべき魂が、黒ずんだ魔力の糸で無理やり繋ぎ止められ、生きているふりをさせられている。それは戦士への冒涜以外の何物でもなかった。
「コガネ」
フリーレンが、冷徹な翡翠の瞳を少女へと向けた。
「そんな刀を、いったいどこで手に入れた」
コガネは刀身についた兄たちの血を指先で無造作に拭い、小首を傾げた。その仕草はあまりに幼く、背負っている業の深さと不気味なほど乖離している。
「どこって……魔族から奪い取ったの。あの角の生えた悪い奴は、この魔法で色んな人たちを起き上がらせてた。兄様たちはそれを止めようとして、私の目の前で相討ちになっちゃったんだよ。だから、落ちてたこのカタナで、私が兄様たちを助けてあげたの」
誇らしげに胸を張るその表情に、嘘の気配は微塵もなかった。
少女にとって、それは兄たちを救うための正当な手段であり、今なお続く日常の延長にすぎないのだ。胸に大穴を開けたままぼんやりと佇むクロガネとシロガネの顔を見上げ、コガネはふうと小さく息を吐いた。
「もう……エルフと人間に邪魔されちゃったね。……いったん退きましょう、兄様たち」
「然り。深追いは無用でござるな」
シロガネが感情の抜け落ちた声で頷き、サミダレの切っ先を納刀した。カチリと澄んだ鍔鳴りが、静まり返った森に木霊する。
「がはは! 退くもまた勇気よ! コガネ、乗れい!」
クロガネが血まみれの腕を伸ばし、羽毛でも持ち上げるかのように軽々とコガネの小柄な身体を拾い上げると、自身の分厚い肩の上へと座らせた。コガネは兄の太い角に楽しげに掴まり、去り際にフリーレンたちへと無邪気な笑顔を投げかける。
「バイバイ、魔法使いのお姉ちゃんたち。また遊んでね」
二人の巨漢が大地を蹴った。
心臓のない肉体は、物理法則を嘲笑うかのような不可解な推進力で跳躍し、鬱蒼とした木立の彼方へと瞬く間に消え去っていった。折れた枝が揺れ、腐葉土の匂いが立ち込める森には、凍りつくような静寂だけが取り残された。
荷台の陰で震えていたオーガの商人は、腰を抜かしたまま涙を流して地面に伏していた。
シュタルクは血のついた斧を見つめたまま立ち尽くし、フェルンは何も言えずにただ静かに祈るように杖を抱きしめていた。