天才刀鍛冶と三本の妖刀の話   作:龍改二

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第8話 彼岸花と竜巻飛車

 

街道の安全を確保し、商人を無事に麓の宿場まで送り届けた後、一行は重い足取りで再びカグツチの街へと取って返した。

すり鉢状の街は、変わらず吹き荒れる熱気と槌音に包まれていたが、その賑わいすらどこか遠い世界の幻影のように感じられた。

 

長い石段を登り、再び足を踏み入れた領主の館。

薄暗い大広間の上段の間で、アカガネは煙管を持ったまま、微動だにせず座していた。白砂利の庭園から吹き込む風が、彼女の漆黒の長髪を冷たく撫でている。

 

足音を聞き、伏せられていた琥珀の双眸がゆっくりと持ち上がった。

 

「……戻ったか、戦士シュタルク」

 

アカガネの乾いた声が、静謐な広間に落ちる。

 

「護衛の首尾は聞いておる。……やはり、兄上たちであったか。そうであろうな」

 

その声音には、驚きも疑念もなかった。初めからすべてを知っていた者の、深い諦念と痛惜だけが滲んでいる。

 

シュタルクが一歩前へ進み出た。その赤い瞳は、真っ直ぐに女領主を射抜いていた。

 

「……あんた、知ってたんだろ。あいつらのこと」

 

アカガネは視線を逸らさず、小さく目を伏せた。

煙管を煙草盆へと静かに置き、両手を着物の膝の上に重ねる。その指先が、微かに強張っていた。

 

「……数年前のことじゃ。魔族の軍勢が、この険山へと攻め入ってきた。カグツチの存亡を賭けた苛烈な防衛戦の最前線で……我が兄たちは散った」

 

重い沈黙が、板張りの床を這う。

 

「長男のクロガネは、カグツチの先代領主であった。腕っぷしが強く、豪快で、誰よりも民に慕われた偉大なる戦士よ。次男のシロガネは、その卓越した知略で街の政を支えた無二の参謀。二人がおったからこそ、この街は平穏を保っておった。……じゃが、魔族の姦計により、部隊は孤立した」

 

アカガネの脳裏に、かつての血塗られた戦場の光景が蘇っているようだった。琥珀色の瞳の奥が、熱を帯びて微かに揺れる。

 

「救援が辿り着いた時、戦場はすでに静まり返っておった。クロガネの胸には大槍が突き刺さり、シロガネの喉笛は断ち切られ……二人の命の灯火は、今まさに潰えようとしておったのじゃ。そこに……後を追って戦場に迷い込んでいた末妹のコガネがおった」

 

「……あの子の手には、あの妖刀があったのですね」

 

フェルンが静かに問いかける。

 

「そうじゃ。戦場に転がりボロ屑となっていく魔族の死骸の傍らに、赤黒い不吉な気を放つ一振りのカタナがあった。……古ドワーフ語の銘を『彼岸花』――ヒガンバナ。かつて、天才刀匠シュウハクが鍛え上げた三つの伝説の妖刀の一振り。その刀身に大魔族の魔法を封じ込めたとされる、呪われし妖刀よ」

 

アカガネの吐息が震えた。

 

「瀕死の兄上たちを前にして、狂乱したコガネはその妖刀を抜き放った。そして……二人の死に際にその刃を突き立て、介錯したのじゃ。死の淵にある魂を、自らの理想の殻に縛り付け……命を繋いだと思い込んでな」

 

「死者蘇生なんて、ありえないのにね」

 

フリーレンが淡々と言葉を継いだ。

 

「アゼリューゼ……ヒガンバナの力は、死体を理想の偶像として動かす傀儡の術だ。コガネが記憶している『強くて優しいお兄ちゃん』のイメージを、死んだ二人の肉体に流し込んでいるだけ。だから……コガネの知らない戦術の理屈や、最近のカグツチの情勢を尋ねられると、二人は言葉に詰まったんだ」

 

「……その通りじゃ」

 

アカガネの顔が、苦悶に歪んだ。

 

「戦が終わった後、コガネは死んだはずの兄上たちを連れて誇らしげに城門へと戻ってきた。胸に穴を開け、血の気の失せた顔で笑う二人を連れてな……。『兄様たちを助けたよ』と、無邪気に微笑みながら」

 

その光景を思い出したのか、アカガネは自らの腕を抱きしめるように強く身を縮めた。

 

「……妾には、耐えられなんだ。カグツチの民を命懸けで守り抜き、誇り高く散っていった英雄たる兄上たちが……妹の狂気に付き合わされ、人形劇のように弄ばれておる姿など、到底認められなんだ! 妾は……三人を受け入れず、街から追放した。そして、逃げるようにしてこの領主の座を継いだのじゃ」

 

拳が畳を叩き、鈍い音が響いた。

 

「妾が……妾がもっと強ければ。あの戦場で兄上たちを救えておれば、コガネをあのような狂気へ追いやることもなかった。偉大なる兄上たちを失ったこの国を、妾は必死で支えてきたつもりじゃ。じゃが……あの山林を徘徊する兄上たちの亡霊を見るたびに、己の無力さに胸が張り裂けそうになる……!」

 

アカガネの双眸から、一筋の涙が頬を伝って落ちた。

領主としての毅然とした仮面が剥がれ落ち、そこには肉親を奪われ、引き裂かれた一人のオーガの女性の、剥き出しの悲痛が横たわっていた。

 

彼女は震える手で床に両手をつき、上段の間からフリーレンたちへと深く、深く頭を垂れた。

 

「頼む……。エルフの賢者よ、人間の魔法使いよ、そして戦士アイゼンの弟子よ。妾には……兄上たちを斬ることはできん。……どうか、クロガネとシロガネを、あの忌まわしき呪縛から解放してやってくれ……。誇り高き兄上たちを、カグツチの土へと還してやってくれ……!」

 

大広間に、風の音だけが吹き抜けていく。

深く頭を下げ続ける女領主の前で、フリーレンは静かに手元の杖を握り直し、隣のフェルンとシュタルクを見つめた。

 

大広間の静寂を破るように、白砂利の庭園を抜ける乾いた風が障子を小さく揺らす。

 

深く畳に額を擦りつける女領主の姿を、フリーレンは無表情のまま見下ろしていた。杖を支えに佇むその小さな影には、数千年の時を生きて無数の死と呪縛を見届けてきた者特有の、冷徹な静けさが漂っている。

 

「場合によっては、コガネを殺す必要があるかもしれない」

 

淡々とした、しかし逃れようのない現実を突きつけるフリーレンの声が、冷気を含んで広間に落ちた。

 

「あの妖刀――ヒガンバナに込められたアゼリューゼの術式は、魂を強固に縛り付けている。もしも術者であるコガネの精神が刀と完全に同調しているなら、刀身を砕くだけでは解呪できない可能性がある。……アカガネ、それでもやるの?」

 

アカガネの肩が微かに震えた。だが、伏せられた両手が畳の目を力任せに握りしめ、やがてゆっくりと顔が持ち上がる。その琥珀色の瞳には、滲む涙を焼き切るような苛烈な覚悟が宿っていた。

 

「……覚悟の上じゃ」

 

低く、軋むような声だった。

 

「これ以上、兄上たちの誇りを泥に塗れさせはせん。たとえ妹をこの手で討つことになろうとも……カグツチを治める者として、妾が背負わねばならぬ業よ」

 

「……そう」

 

フリーレンは短く息を吐き、視線を宙へと彷徨わせた。

 

「ですがフリーレン様、あの三人がどこへ向かったのか分かりません。山林は広大ですし、足跡を追うにしても彼らの健脚に追いつけるかどうか」

 

「あいつら、どこかのアジトにでも逃げ帰ったんじゃねえのか?」

 

シュタルクが腕を組み、眉を寄せて問いかける。それに対し、フリーレンは小さく首を横に振った。

 

「ううん。ねえアカガネ、この辺りに修道院はある? できれば、女神様の奇跡を使える高位の僧侶がいるような場所だ」

 

「修道院じゃと……? この北の険山、カグツチの霊峰の山頂付近に、古い修道院が一つあるが……なぜそんな場所を?」

 

「アゼリューゼは、死者さえも意のままに操る魔法だ。でもね、肉体を治癒する力はない」

 

フリーレンの翡翠の瞳が、理路整然とした冷たさを帯びる。

 

「あの兄弟の肉体は、さっきの戦いでボロボロになった。心臓を貫かれ、脇腹を裂かれたまま放置すれば、いくら魔力で動かしていても腐敗が進み、やがて動かなくなる。そして何より……コガネは二人が『生きている』と思い込んでいるんだ。あの子が兄たちを愛しているなら、あんな大怪我をそのままにするはずがない。必ず、傷を塞ぐために僧侶を頼るよ」

 

「なるほど……! 先回りすれば、修道院で三人を待ち受けられるってわけか!」

 

シュタルクが膝を打つ。しかし、すぐにその表情は曇った。

 

「でも山の上だろ? どうやって先回りなんかするんだよ。ここから山頂まで、普通に登ったら丸一日以上かかるんじゃねえのか?」

 

「私とフェルンの飛行魔法を使えば、直行できるから登山自体は比較的ラクだよ」

 

フリーレンが杖を軽く持ち上げる。だが、その声には確信が伴っていなかった。

 

「ただ、高度が上がるほど山風の乱気流が酷くなる。シュタルクの体重を浮かせながら、風を切り裂いて山賊の足に勝てるかと訊かれると……微妙だね。到着する頃には手遅れかもしれない」

 

その言葉を聞いた瞬間、床から立ち上がったアカガネの口元に、野性味を帯びた不敵な笑みが浮かんだ。

 

「くく……魔法使いよ、オーガの技術を舐めるでないぞ。付いて参れ」

 

領主は深紅の裾を翻し、屋敷の奥へと大股で歩き出した。

 

案内されたのは、屋敷の裏手に広がる切り立った断崖絶壁の縁であった。

眼下には針葉樹の海が遥か霞の底に広がり、吹き上げてくる冷烈な突風が衣服を激しく叩く。その断崖の先端、鉄の杭で固定された一本のレールの上に、それは鎮座していた。

 

分厚い鉄板と頑丈な樫の木材で組み上げられた、大人四人がすっぽりと収まるほどの無骨な箱。車輪がついているが、屋根はなく、外見はどう見てもただの巨大な鉄の桶であった。

 

「……なんですか、これは」

 

フェルンがすっと目を細め、露骨に嫌そうなジト目でその鉄箱を見下ろした。

 

「おいおい……これ、ただのトロッコじゃねえか? レールの先、空中に突き出して途切れてるぞ!? 落ちたら真っ逆さまだろ!」

 

シュタルクが引きつった顔で後退りする。しかし、アカガネは問答無用とばかりに二人の背中を太い腕で強引に押し込み、フリーレンの首根っこを軽く摘んで鉄箱の中へと放り込んだ。

 

「ごちゃごちゃとやかましいわ! 乗り心地など知ったことか、速ければよかろうが!」

 

自らも最後になだれ込むと、アカガネは腰に佩いた一振りのカタナを滑らかに抜き放った。

白銀の刃の周囲に、青白い旋風が渦を巻き、大気を切り裂く鋭利な風切り音が鳴り響く。

 

「この刃の名は、妖刀『島風』――シマカゼじゃ。竜巻を起こす魔法、ヴァルドゴーゼを宿す、風の妖刀よ」

 

アカガネは琥珀の双眸を爛々と輝かせ、鉄箱の床板の中央に穿たれた丸い穴へと切っ先を向けた。

 

「よう捕まっておれよ、客人どもッ!」

 

「え、ちょっ、待っ――」

 

シュタルクの絶叫が途切れるよりも早く、アカガネは渾身の力でシマカゼを床の台座へと突き立てた。

 

瞬間、鉄箱の底から暴風が吹き荒れた。

莫大な量の大気が渦を巻き、暴力的な風音が耳をつんざく。

 

凝縮された高圧の竜巻が真下へと解き放たれ、断崖の岩盤を粉砕しながら、数トンの鉄箱を一瞬にして天空へとカチ上げた。重力加速度を無視した凄まじい衝撃が全身を押し潰す。

 

「ひぃぃぃぃッ!?」

 

レールから浮き上がり、遥か上空に放り出された鉄箱。だが、落下する暇などなかった。

アカガネがシマカゼの柄を捻ると、今度は箱の後方に設えられた噴射口から、第二撃となる巨大な竜巻が水平方向へと爆轟を上げて噴き出された。

 

グンッ! と。鉄箱の中の三人の視界が、水平方向に流された。

 

空気を切り裂く砲弾と化した鉄箱が、雲を突き破り、霊峰の山肌へ向けて一直線に飛翔する。眼下の景色が凄まじい速度で後方へと流れていく。吹き荒れる風圧に顔を歪めるシュタルクの横で、フェルンは虚無の表情のまま、ただ杖を構えていた。

 

数分後。

霊峰の中腹、古い石造りの修道院へと続く参道の山肌に、白煙とともに巨大な物体が激突した。

 

直前に放たれた竜巻の逆噴射によって減速はしたものの、勢いは殺しきれず、鉄箱は轟音を立てて岩肌に突き刺さり、木端微塵に砕け散った。

 

濛々と立ち込める土煙の中。

半透明の防御魔法を球状に展開したフェルンが、その球体の中で「ぐるぐるぐる……」と目を回しながらゴロゴロと地面を転がっていた。

 

「目が……回ります……」

 

その傍らでは、瓦礫の山からシュタルクが逆さまに突き刺さった状態で足を痙攣させており、フリーレンは白いケープを頭から被ったまま、大の字になってひっくり返っていた。

 

「……うん。速かったけど、二度と乗りたくないね」

 

フリーレンが埃を払いながら平然と起き上がる横で、煙の中からただ一人、傷一つなく着地したアカガネが刀を鞘へと収めた。カチリと澄んだ鍔鳴りを響かせ、豪快に腹を抱えて笑い飛ばす。

 

「がーっはっはっは! どうじゃ、鳥よりも速かったであろう! これぞオーガの技術と妖刀の力よ!」

 

「死ぬかと思ったわッ!!」

 

土の中から顔を引き抜いたシュタルクの怒声が、静まり返った高山の空気に響き渡る。

 

しかし、その騒ぎも束の間であった。

山肌を吹き抜ける冷たい風に乗って、微かに漂ってきたのは――線香の香りと、そして不吉な鉄の匂い。

 

見上げれば、わずか数十歩先、木立の隙間に佇む古びた修道院の門扉が、不自然に半開きになって軋んでいた。

周囲の鳥の声は途絶え、参道の敷石の上には、黒ずんだ赤黒い滴りが点々と奥へと続いていた。

 

 

 

 

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