天才刀鍛冶と三本の妖刀の話   作:龍改二

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第9話 礼拝堂の決戦

 

重い樫の木の扉が軋んだ悲鳴を上げ、修道院の薄暗い静寂が外の冷気によって裂かれた。

 

礼拝堂の内部は、高い石造りの穹窿天井が影を落とし、細長い色ガラスの窓からわずかに差し込む青白い秋の陽光が、冷たい石畳を斑に照らしていた。空気は澄み切った線香の薫香を孕んでいたが、その奥底から這い寄るように、腐葉土のような澱んだ鉄の臭気が鼻腔を突く。

 

その祭壇の前、女神像が見下ろす聖なる空間に、異様な一団が陣取っていた。

 

胸の中央を完全に消滅させられ、衣服をどす黒い血で濡らしたままの巨漢――クロガネ。その逞しい肩の上に、小さな二本の角を持つ末妹のコガネが、まるで行楽の途中であるかのようにちょこんと座っていた。傍らには、腹部に風穴を開けられたシロガネが、血糊の固まった長身をまっすぐに正して控えている。

 

二人の死者の足元では、白銀の聖印を胸に抱えた老いた僧侶が、床に腰を抜かして震え上がっていた。その額にはびっしりと油汗が浮き、恐怖のあまり青ざめた唇をわななかせている。

 

「お爺ちゃん、早くしてよ。兄様たち、大きなお怪我しちゃって痛そうなんだから。女神様の魔法で、きれいに治してよ」

 

コガネの声は、無邪気で、どこまでも甘えていた。

だが、その視線の先にある兄たちの傷口は、肉が裂け、内臓が焼き焦げ、血の一滴すらもう巡っていない。本来であれば即座に埋葬されるべき「死体」そのものであった。僧侶が震える手で治癒の奇跡を試みようとしたところで、魂の器として壊れ果てた肉体に回復の光が通る道理などないのだ。

 

背後から響いた足音に、コガネの耳がピクリと跳ねた。

 

クロガネの広い肩の上でくるりと身体を捻り、コガネはこちらを振り返る。

その瞳は、先日道端で出会った時と同じ、無垢で底の知れない光を湛えていた。だが、見開かれた翡翠の瞳を持つフリーレン、杖を構えたフェルン、そして何より深紅の着流しを翻す女領主の姿を捉えた瞬間、少女の眉が不満そうにキュッと吊り上がった。

 

「あーあ。エルフのお姉ちゃんたちに……姉様まで。どうしてここがわかったの? しつこいな」

 

その言葉に怯えた僧侶は、蜘蛛の子を散らすように祭壇の脇へと転がり込み、奥の小部屋へ向かって這うように逃げ去っていった。礼拝堂の奥へ消えていく老人の乱れた足音を、誰も追おうとはしなかった。

 

重苦しい沈黙の中、クロガネの巨大な首がギチリと不自然な角度で巡る。

虚ろな双眸がアカガネを捉えると、胸に風穴を開けた巨漢は、生前と寸分違わぬ豪快な笑みをその顔に貼り付けた。

 

「おお、アカガネではないか! がはは、久しいな! 吾輩の留守の間、鍛錬は怠っておるまいな? お主の太刀筋、鈍っておらねばよいが!」

 

続いて、シロガネもまた優美な所作で一歩前へ進み出た。血塗れの胸元を隠そうともせず、涼やかな目元を和らげてアカガネを見つめる。

 

「息災であったか、アカガネ。街の様子はいかほどか。……兄者共々、お前が立派に留守を預かっておることを疑ってはいないがね」

 

二人の言葉は、かつてこの街を守り、妹を慈しんでいた英雄たちの記憶そのものだった。

しかし、その口調には感情の微細な揺らぎがなく、まるで昔に交わした挨拶の文句を、擦り切れた魔導具から機械的に再生しているかのような空虚さが満ちていた。数年前に街から追放されたことすら、彼らの言葉には一切反映されていない。

 

シュタルクが息を呑み、痛ましげに大斧の柄を握りしめた。

 

だが、アカガネは――。

その双眸を氷のように細め、二人の兄の姿にただの一瞥も向けることなく、完全に無視した。

 

「……コガネ、黙らせよ」

 

低く、絞り出すような声が石壁に反響した。

その胸に渦巻く激痛を圧し殺すように、アカガネは腰の妖刀の鯉口を、親指で弾く。

 

「こやつらは、兄上ではない。……妾の愛した誇り高き英雄は、とうの昔に魔族の手からこの国を護り、名誉の死を遂げたのじゃ」

 

シャリ、と冷酷な金属音が響き、白銀の刀身が鞘から滑り出た。

妖刀『シマカゼ』。刃が空気に触れた瞬間、礼拝堂の石畳を裂くような鋭利な突風が渦を巻き、アカガネの漆黒の髪と深紅の裾を激しく煽った。青白い風の魔力光が、女領主の怒りと悲哀をそのまま映し出すかのように激しく明滅する。

 

アカガネの切っ先が、クロガネの肩の上に座る幼き妹へと真っ直ぐに向けられた。

 

「正気に戻るのじゃ、コガネ。……兄上たちは、もうおらんのじゃぞ!」

 

魂を削るような姉の悲痛な叫び。

しかし、コガネの表情は微塵も揺らぐことはなかった。

それどころか、可笑しくてたまらないといったように、唇を歪めて小さく吹き出した。

 

「ふふっ……」

 

鈴の鳴るような笑い声が、冷え切った礼拝堂に木霊する。

 

「ふふ、あははは! 姉様ったら、可笑しい。……何を言ってるの?」

 

コガネは胸に抱え込んでいた豪奢な鞘から、ゆっくりと凶兆の刃を引き抜いた。

 

妖刀『ヒガンバナ』。

現れた刀身は、赤黒い錆のような刃文を浮かび上がらせ、七崩賢アウラの忌まわしき服従の術式――アゼリューゼの魔力を、紫の陽炎のように立ち上らせていた。その刃が抜かれた瞬間、礼拝堂の空気が一段と冷え込み、息苦しいほどの重圧がその場を押し潰す。

 

コガネは愛おしげに兄たちの頭を撫でながら、硝子玉のような瞳でアカガネを見つめ返した。

 

「兄様たちは、『ここにいる』じゃない。……ほら、こんなに強くて、優しくて、私のために何でもしてくれる、大好きな兄様たちだよ?」

 

狂気と無邪気が完全に混ざり合った、拒絶の言葉。

フリーレンは無言のまま、静かに赤い杖の先端を床から浮かせた。その翡翠の瞳には、感情を極限まで削ぎ落とした冷徹な光が宿っている。フェルンもまた、息の乱れを殺し、杖の先を寸分の狂いもなく二人の巨躯の急所へと向けた。

 

シュタルクは大斧の刃を正眼に据え、奥歯が軋むほど噛み締めながら、前衛の気迫を練り上げる。

 

コガネがヒガンバナを前方に掲げ、指先で刀身を弾いた。

キィィィン、と澄んだ金属音が鳴り渡ると同時に、背後の二人の巨躯から、生気のない殺気が爆発的に膨れ上がった。

 

「ぬんッ!」

 

クロガネが身の丈を超える巨剣『アギトマル』を抜き放ち、石畳に切っ先を突き立てる。

足元の地面が、バルグラントの魔力によって激しく軋み始めた。

 

「コガネに刃を向けるなら、肉親とて容赦はせんぞ、アカガネ」

 

虚ろな男の声が、地鳴りのように響く。

隣で、シロガネもまた妖刀『サミダレ』を無音で抜き放ち、その流麗な切っ先から凝結した水滴を霧のように撒き散らした。

 

「然り。……刃を収めよ、アカガネ。さもなくば、その首、討ち取らねばならぬ」

 

妹の意のままに動く、生前の愛を模倣した粗末な木偶人形。

彼らの双眸には、自らの意思など欠片も存在しなかった。

 

コガネは兄の肩の上で妖刀を振り、冷たい残虐さをその瞳に宿して、楽しげに歌うように告げた。

 

「やっちゃえ、兄様たち」

 

開戦の合図とともに、礼拝堂の床が一斉に跳ね上がった。

 

冷え切った礼拝堂の石畳を、死者たちの足が踏み荒らしていく。

 

大太刀の切っ先が石床を撫でるように滑り、赤い闘気を纏った戦斧の腹と真正面から激突した。激しい衝撃波が周囲の長椅子を薙ぎ倒し、立ち込める埃を吹き飛ばす。

 

シュタルクは歯を食い縛り、全身の筋繊維を軋ませながら巨漢の踏み込みを押し留めていた。心臓を貫かれ、生命の灯火を失っているはずのクロガネの膂力は、生きている肉体のような疲弊や恐怖の揺らぎを一切見せない。ただ機械的な重圧となって青年の腕を圧迫し続ける。

 

その横手を、空間を切り裂く水流の刃が襲う。シロガネの細身の妖刀『サミダレ』から放たれる高圧の水刃は、一撃ごとに石壁を深く抉り、青白い飛沫を散らしていた。フェルンは木製の杖を掲げ、寸分の狂いもなく幾重もの防御障壁を展開してその軌道を逸らし続ける。しかし、傷口を無視して距離を詰めてくる死者の剣速は、防御術式の展開速度をわずかに上回り始めていた。

 

その乱戦の只中、クロガネの肩から音もなく飛び降りた影があった。

 

末妹のコガネである。小柄な肉体からは想像もつかない敏捷さで石床を蹴り、血色の妖刀『ヒガンバナ』の切っ先を構えて、防戦に追われるフェルンの死角へと一直線に肉薄する。

 

だが、その鋭利な刺突が黒のローブに届く直前、横合いから滑り込んだ深紅の着流しがその軌道を遮った。

 

白銀の刃と赤黒い刃が交差し、鋭い金属の摩擦音が礼拝堂の静寂を切り裂く。

受け止めたのはアカガネだった。女領主は琥珀色の瞳を険しく細め、力任せに刀身を押し返して妹の間合いを奪う。

 

「腕を上げたのお、コガネ」

 

低く、押し殺した声が姉の唇から零れ落ちる。

コガネは宙返りをして石畳に着地すると、不満そうに唇を尖らせ、愛刀の切っ先を姉へと向け直した。

 

「兄様たちとお稽古したもん。もう姉様より強いよ」

 

「たわけが、妾が教えた剣じゃろうが!」

 

アカガネの怒声が響くのと同時に、礼拝堂の空気が異様な重圧を帯びて歪み始めた。

 

兄たちの猛攻が一層の激しさを増す。クロガネが巨剣『アギトマル』を大地に突き立てると、礼拝堂の堅牢な石床が波打つように隆起し、尖頭アーチの柱を巻き込みながら鋭利な岩の杭となってシュタルクを追い詰める。回避先を制限されたシュタルクの行く先に、シロガネが虚空の湿気を集めて放った水流の斬撃が殺到した。

 

「シュタルク様!」

 

フェルンが割り込み、全魔力を注ぎ込んで六角形の防御障壁を展開する。

しかし、大気中の水分を限界まで圧縮して形成された巨大な水の大槍は、魔力の壁を粉砕し、容易く貫通した。突き抜けた水圧の余波がフェルンの肩口をかすめ、黒いローブの袖を赤く染める。

 

手数と質量、そして死者ゆえの痛覚の欠落。二人の高位魔法使いを模した妖刀の連撃に、二人は防戦の限界を迎えつつあった。

 

その時、後方で静かに状況を凝視していたフリーレンが、赤い杖を緩やかに持ち上げた。

 

「……フェルン、シュタルク。少し息を止めて」

 

紡がれた呪文は、戦闘用の破壊術式ではなかった。

 

「――『じめじめした部屋をカラッとする魔法』」

 

発動したのは、旅の途中で集めた無数のくだらない魔法のうちのひとつだった。

 

次の瞬間、礼拝堂を満たしていた湿り気と冷気が、目に見えない熱波に包まれたかのように一瞬で吸い尽くされた。石壁に結露していた水滴が瞬時に気化し、空気が極限まで乾燥して肌がひび割れそうなほどの乾いた感触へと変貌する。

 

「な……!?」

 

シロガネの足が止まった。

妖刀『サミダレ』の周囲に凝結していた水流の槍が、凝縮するための水分を周囲の大気から得られなくなり、ただの白い霧となって霧散したのだ。水を操る魔法、リームシュトローアは、大気中や水源に存在する実体としての水を前提とする。絶対的な乾燥の空間において、無から水を生み出すことはできない。

 

混乱が生じた刹那、フリーレンの姿が掻き消えた。

 

次の瞬間には、アカガネと鍔迫り合いを演じていたコガネの背後へと回り込み、小柄な少女の着物の襟首を背後から無造作に掴み上げていた。

 

「え……?」

 

コガネが目を見開く間もなく、フリーレンは空を飛ぶ魔法を発動させた。二人の身体がふわりと宙へ浮き上がり、礼拝堂の高い天井近く、ステンドグラスの光が差し込む上空へと一気に上昇する。

 

その瞬間、地上でシュタルクを圧倒していた大地の隆起が、嘘のように動きを止めた。

波打っていた石床はただの瓦礫へと戻り、クロガネの足元で燻っていた魔力の脈動が完全に途絶える。

 

「ぬう……ん……?」

 

クロガネが呆然と己の手元を見下ろした。巨剣に宿る術式、バルグラントが発動しない。

 

上空で襟首を掴まれたまま足をバタつかせるコガネの頭上から、フリーレンは淡々とした調子で、残酷な事実を口にした。

 

「バルグラントもリームシュトローアも、今やその使い手は二人の兄弟じゃない。……死者に魔法はイメージできないからね。それを操るコガネ、あなたひとりが、魔法をイメージしているんだよ」

 

コガネの息が詰まる。

 

「魔法はイメージの世界だ、コガネ。乾いた空気から水を作り出すイメージや、足が触れてもいない遠くの地面を操作するイメージが、武術しか習っていないあなたにできる?」

 

術式の真の主は、妖刀を握る兄弟ではなく、彼らを傀儡として遠隔操作するコガネ自身の意識だった。

少女が空中に持ち上げられ、大地との接地感を失ったことで、足元を操るバルグラントの空間認識は崩壊した。

リームシュトローアも同じだ。大気中の水分は決してゼロにはならない。高位の魔法使いであれば、僅かな水分から水を生み出すこともできたかもしれない。しかし剣術しか知らぬ少女の頭脳では、乾いた空気のなかで水を操る術式を再構築することなど不可能だった。

 

地上の二人の死者は、妹の思考が乱れたことで、ただの重い鉄の棒を握るだけの人形へと成り下がった。

彼らの虚ろな瞳が、天井近くに捕らわれた少女の姿を捉える。

 

「「コガネ!!」」

 

重なる二つの叫び声。生前の保護者としての本能が、彼らの動作を上空へと縛り付けた。

 

その決定的な隙を、地上の二人が逃すはずはなかった。

 

シュタルクが低く地を滑るように踏み込み、大斧を水平に薙ぎ払った。狙いはクロガネの肉体ではない。無防備に掲げられていた巨剣『アギトマル』の根元、茎の打ち込み部分である。渾身の闘気を込めた刃が鋼を正確に捉え、甲高い破壊音とともに、大太刀の刀身が半ばから粉々に砕け散った。

 

ほぼ同時に、フェルンの杖先から凝縮された白紫の閃光が放たれた。精密射撃の極致。シロガネの腰元で光を失っていた妖刀『サミダレ』の鍔元を寸分の狂いもなく撃ち抜き、その優美な刀身を破砕した。

 

手元に残された折れた柄を見つめ、二人の男は呆然と立ち尽くす。

魔法の力と剣を同時に失った彼らは、もはや戦う術を持たない。

 

上空で、コガネの双眸に絶望と怒りの色が奔った。

 

「卑怯な……! 離してよ、クソエルフ!」

 

手にした妖刀『ヒガンバナ』を無闇に振り回し、暴れ狂う少女。その罵声に対し、フリーレンは何の感情の揺らぎも見せず、ただ小首を傾げた。

 

「いいよ、はい」

 

指先が、何のためらいもなく開かれた。

 

重力に引かれ、コガネの身体が虚空へと投げ出される。

足の踏み場もない落下の中、少女の視界が上下に反転し、吹き抜ける風が髪を乱暴に煽った。

 

その落下の直下、礼拝堂の中央で、一人の女性が静かに腰を落としていた。

 

アカガネである。

彼女は妖刀『シマカゼ』を滑らかに鞘へと戻し、深く重心を沈めて鯉口を親指で弾いていた。放たれる風の魔力は完全に遮断され、ただ静謐な居合の気迫だけが、研ぎ澄まされた刃のように女領主の全身を包み込んでいる。

 

琥珀色の瞳が、落ちてくる実の妹の姿を冷徹に捉えた。

 

「下を見い、コガネ」

 

低く、しかし礼拝堂の隅々にまで染み渡るような声。

 

コガネの瞳が恐怖に見開かれた。

 

「しま……ッ!」

 

落下する少女の身体が、アカガネの間合いへと吸い込まれる。

 

鞘から抜かれた一閃は、音を置き去りにしていた。

空気を裂く風切り音すら生じさせず、ただ一条の銀色の線となって斜め上方へと跳ね上がる。

 

死を察知したコガネが、反射的に手にした妖刀『ヒガンバナ』を胸元へと掲げ、その太刀筋を塞ごうとした。

 

激突の瞬間、金属の軋む鈍い音が一度だけ響いた。

 

アカガネの白刃が、ヒガンバナの赤黒い刀身の腹を真一文字に捉えていた。

魂を呪縛する七崩賢の魔術を封じ込めていた妖刀の鋼に、蜘蛛の巣のような細い亀裂が一瞬にして広がる。

 

耐えきれなくなった血染めの刃は、ガラス細工のように儚く、無数の鉄片となって砕け散った。

 

 

 

 

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