アインハルトちゃんの受け継いだ記憶の物語。
つまり、クラウスの記憶。
紅と翠の鮮やかな瞳
風になびく袖
太陽のような笑顔
それが、クラウスがオリヴィエに初めて会った時の印象だった。
そうして多くの時間を共に過ごすようになり、オリヴィエが腕をつける事を許されてからは、武術の鍛錬もした。
彼女は失った腕を魔道の力で補ない、自由自在に動かしてみせた。
そしてしばらくして、彼女の新しい義手をエレミアと言う者が作ってくれると言う事で、クラウスはエレミアを紹介され、良き友人になれた。
それは乱世の中で本の束の間の
だけど永遠のような
とても平穏で幸せな日々だった
「あのときは本当にそう感じていました」
アインハルトちゃんは、遠い昔の記憶の光景を確かめるように、ゆっくりと目を伏せた。
「ヴィルフリッド……ウチのご先祖様。オリヴィエからの紹介やったんやね」
ジークが、ようやく腑に落ちたというように頷いた。
「ファザー、今言ったことは合ってるん?」
「あ? 知らねえよ」
「ファザー! ちゃんと真面目に!」
「いや、個人の内情なんてわからねぇよ。クラウス本人が書いた書物が残ってるわけでも無いし。今の話がアインハルトちゃんの記憶にある光景なら、クラウスはそう感じてたんだろ」
歴史を調べていると、つい忘れがちになることがある。
書物に残された記録も、誰かが語り継いできた伝承も、結局は過去を知るための手がかりでしかない。
当時の人間が何を感じ、何を考えていたのか。
本人が言葉にして残していない限り、完全に知ることなんてできないのだ。
今、アインハルトちゃんが語ってくれた記憶は、そうした資料だけではわからない、当時を生きた人間の感情を知るための貴重な手がかりだ。
「……さよか」
ジークは少し残念そうに頬を膨らませた。
クラウス本人が書き残した記録がまとまった形で残っているなら、当時のシュトゥラの歴史も、今よりずっと明確に伝わっていたはずだ。
「ただ、オリヴィエが太陽のような笑顔だった、って表現はよく出てくる。きっと笑顔は素敵だったんだろうよ」
俺はそう言って、ヴィヴィオちゃんに目を向けた。
「……ヴィヴィオちゃんを見てれば、納得もいく」
「確かにヴィヴィオはいい笑顔するよねー」
「うん。初めて会ったとき笑顔が眩しいこだなって思った」
リオちゃんとコロナちゃんが、揃って頷く。
いつも一緒にいるクラスメイトであり、親友でもある2人が言うのだから、ヴィヴィオちゃんが天使のような笑顔の持ち主なのは間違いない。
「そ、そうかな……えへへ」
褒められたヴィヴィオちゃんは、少し照れくさそうに頬を緩めた。
ああ……確かに。この笑顔を見ていると、オリヴィエが太陽のような笑顔をしていたという話にも頷ける。
……いや。
やっぱり、ヴィヴィオちゃんの笑顔の方が上だろ。
「さすがは俺の妹」
「違いますよぅ」
即座に否定された。
まったく、照れ屋さんめ。
妹というものは、もっと素直に兄を慕うべきだと思うんだが。
「エレミアも、私たちの良き友人でした」
アインハルトちゃんは、再び記憶をたどるように語り始めた。
「でも戦火はますます拡大していって……聖王家はゆりかごの再起動を決めました……」
その言葉を境に、彼女の表情から穏やかさが消えていく。
楽しかった日々の記憶は、ここで終わり。
ここから先にあるのは、戦乱の時代を終わらせるために選ばれた、あまりにも重い決断だった。
聖王連合が『ゆりかご』の再起動を決めたこと。
オリヴィエがゆりかごの王として選ばれた事について。
ゆりかごの王となれば、生体コアとなりいずれ命を落とすこと。
オリヴィエを失いたくなかったクラウスが、それを止めようとしたが止められなかったこと。
オリヴィエは『ゆりかご』の王となり、その力によって長きにわたる戦乱は終結したこと。
そして――。
クラウスとオリヴィエが再び会うことはなく、ヴィルフリッドもまた、姿を消してしまった。
戦乱は終わった。
けれど、クラウスにとって大切だった人たちは、彼のそばからいなくなってしまったのだ。
「クラウス殿下は不義理な友達を恨んでたんかな?」
ジークが窓ガラスに映った自分の顔を見つめながら、苦い表情を浮かべた。
その視線は、遠い過去に向けられているように見えた。
自分の祖先が、クラウスに何も告げず姿を消した。
オリヴィエを引き止めるために、最後までそばにいたわけでもない。
そう考えれば、思うところもあるのだろう。
「そんなわけないですよね?」
ヴィヴィオちゃんがアインハルトちゃんのそばへ駆け寄り、その手を取った。
「クラウス殿下は大切な人を2人、一度に失っちゃった訳ですから」
「……そうですね」
アインハルトちゃんは、握られた手を見つめてから、小さく頷いた。その顔には、今の彼女自身の感情だけでなく、記憶の向こうにいるクラウスの寂しさまで浮かんでいるように見えた。
「見つけたらまず一度殴ってやりたいと思ってました。いったいどこへ行ってたのかって」
その言葉には、クラウスの気持ちが滲んでいた。
エレミアは元々流浪の一族だ。
ふらっと現れることもあれば、その逆も然り。ある日突然いなくなって、もう2度と会うことは無かったというのも、平気でやってのける。
住居を持たず、キャンプ生活をしているジークを見ていると、その気質が今も受け継がれているのがよくわかる。
「あー、ウチに聞きたいことゆーんはその頃のエレミア……リッドについてかぁ……ファザー、知っとる?」
ジークがこちらに話を振った。
「一度国に戻ったオリヴィエに会いに行って、そのまま捕えられていた。ってのがよくいわれている通説だな。ゆりかごに乗るオリヴィエの気が変わらないように、ってな」
俺も、ヴィルフリッドについてはそこまで詳しくない。
いくつかの文献と、彼女が出てくるオリヴィエ・聖王家の書物、また専門家の見解など。それらを突き合わせた結果、通説として語られているのが今の話だ。
「……そうでしたか」
アインハルトちゃんは、何かを考えるように目を伏せた。
「彼は彼なりに、なんとかオリヴィエを助けようとしていたのですね」
「……彼女。な?」
「リッドは男性のはずですが……?」
「まぁ……男として書かれていた文献もあったが、だいたい中性的な顔の女性として書に出てくるぞ?」
「いえ……まさか。でもそんな……。そういえば……」
アインハルトちゃんの言葉が、そこで途切れた。
何か思い当たる節があるのだろうか、記憶の中を探るように考え込んでいる。
「ジークは何か知らねえのか?」
ハリーちゃんがジークに問いかける。
「申し訳ないんやけど、記憶は受け継いで無いねん」
ジークは困ったように首を振った。
「記憶と記録……。覇王の記憶の方が正しそうではありますが、そこまで女性として書かれる事が多いのは気になりますわね」
ヴィクターも、顎に手を当てて考え込んでいる。
まあ、気になるのはわかる。
歴史書によって人物の性別が食い違うなんて、普通に考えれば妙な話だ。
ヴィルフリッドについては確かな資料が少ないが、今回はクラウスの記憶という、他の資料とは異なる手掛かりがある。
それなら、その記憶に残る姿こそが正しいのではないか――そう考えたくなるのも自然だろう。
ただし、クラウスの記憶に残っているのは、彼が知っていたヴィルフリッドの姿や言動だ。本人が語らなかった事情まで、すべてわかるわけではない。
「まあいい。とりあえず、今そこは重要じゃないか」
俺はひとまず話を戻そうとした。
ところが。
「確かに汚れを落とすためにお風呂に誘ってもいつも断られていたような……リッドは熱い湯が苦手だと言っていましたが、あれはまさか女性だったから……?」
「おーい、アインハルトちゃん?」
……駄目だ。
どうやら、クラウスの記憶の中にあるヴィルフリッドの言動を、今になってひとつずつ思い返しているらしい。
記憶をたどるうちに、アインハルトちゃんの思考は、すっかり別の方向へ走り出していた。
「はっ! ……リッドは女性だったのでしょうか?」
「そこは後でいいだろ。今は、クラウスとオリヴィエ、それにヴィルフリッドの話をしてるんだ。性別の謎を解くのは、その後でいい」
「……そう、ですね」
アインハルトちゃんは我に返ったように姿勢を正した。
ただ、まだ気になっているらしい。視線が、どこか遠くを泳いでいた。
……まあ、無理もないか。
自分が受け継いだ記憶の中に、今まで気づかなかった事実が隠れていたかもしれないのだから。
「と、ともあれその後クラウスとエレミアの縁は繋がることなく、オリヴィエを乗せたゆりかごも姿を消して……クラウスは戦の中で短い生涯を終えました」
アインハルトちゃんは、少しだけ息を整えてから、話を締めくくった。
「私から話せるのはこれくらいです。その頃のリッドが何をしていたのかを知りたかったのですが……まさかファザーさんがあっさり答えるとは思いませんでした」
「あくまで通説だ」
俺は念を押すように言った。
「確実にわかってることと、後世に伝わった話は分けて考えた方がいい。特に、古代ベルカの歴史はな」
記録が少ないからこそ、想像で空白を埋めたくなる。
けれど、想像を事実として扱ってしまえば、いつか誰かがそれを真実だと思い込む。
歴史を調べる人間が、そこを疎かにしてはいけない。
「何か、リッドについてもっと詳しく載ってる、ほんで確証のあるものとかないんやろか?」
ジークが期待するような目を向けてくる。
そんな便利な物なんてなぁ……
「あるっちゃない」
「どっちやねん」
ジークのツッコミが、間髪入れずに飛んできた。
このせっかちさんめ。
そんなやりとりの外で、さっきから黙っていたヴィヴィオちゃんが、何かを思い出すかのように考えこんでいる事に気づいた。
「どうかしましたか、ヴィヴィオさん?」
「今のお話とエレミアってお名前で、あらためて思い出したんです。エレミアって名前が冠された武術家の手記を無限書庫で見かけたような気がして」
「なんやファザー、知らんかったんかい」
「舐めんな」
「ふきゅっ!」
ジークの額にデコピンをかます。
これ以上俺を愚弄することは許さんぞ!
「エレミアの手記だろ? 当然知ってる。ただあれは、未整理区画の
無限書庫の未整理区画
その名の通り、魔法で持ってきた書物を乱雑に並べてあるだけの区域。酷い所だと、書斎をそのまま放り込んである場所もある。ろくに目当てのものを探し当てることもできないとんでもない場所だ。
整理されていない資料の山から、目当ての一冊を探し出す。言葉にすれば簡単だが、実際にはとんでもない作業である。
検索に引っかかるということは、何らかの記録が登録されているのだろう。だが、登録情報だけでは、どの棚にあるのか、どの書物に紛れ込んでいるのかまではわからない。
あそこを整理している人たちは、一生終わることのない仕事をやらされているようなものだ。非常に可哀想な方達である。
「あるっちゃないって、そういう意味でしたのね」
ヴィクターが、呆れたように息をついた。
「知っとるんやったら、先に言うてぇな……」
ジークが額を押さえながら、涙目で抗議してくる。
「未整理区画はなぁ……霊体とかゴーレムとか出たり、本が直接襲いかかってきたり……」
「うそん⁉︎」
ジーク、お前怖いのダメなのかよ。
いやまぁ、確かにあそこは妙な噂が多い場所ではあるが。
「白い悪魔や金色夜叉が出たり、『主〜主〜』と主人を探し回るピンク髪の女騎士が出たりしたと言われている魔境なんだよ」
「そ、それは噂やと思うな……あはは」
なぜか、はやてさんが冷汗をかきながら否定された。
はやてさんも怖いのダメなのか?
それとも、噂の内容に心当たりがあるとかか?
いや、まさかそんなバケモンみたいなものに心当たりがある訳無いか。
「まぁ確かに見たことは無いですけど……」
俺がそう言うと、ヴィクターが不思議そうにこちらを見た。
「でもあそこ、一般人は立ち入り禁止ですわよね? あなたたち、入ったことが?」
そう。
無限書庫の未整理区域は、誰でも自由に入れる場所ではない。
資料を探すにしても、相応の資格や許可が必要になる。
だからこそ、ヴィヴィオちゃんの次の言葉は、俺たちの予想を裏切るものだった。
「実はわたし、無限書庫の司書資格をもってます!」
「「「「「「ええええーーーーーッ⁉︎」」」」」」
……いや、うん。
大したものだ、本物の資格だ。
俺がその資格を取れたのは15歳の頃……
まさかこの年齢で持っている子がいるとは。
「あたしたちも立ち入りパスはもってます!」
「そうなんです」
ヴィヴィオちゃんが誇らしげに。
リオちゃんは堂々と。
コロナちゃんは控えめに。
それぞれが、自分の資格や許可書を示してくる。
「お前らあらためてどういう小学生だ⁉︎」
ハリーちゃんが、心の底から驚いた声を上げた。
まったくだ。
魔法戦の大会に出場して、古代ベルカの歴史を語り合っていたと思ったら、今度は無限書庫の司書資格だの、未整理区域への立ち入り許可だの。
この子たち、本当に小学生なんだよな?
「それで……探し回ったって事は、ファザーさんも司書資格を持っているんですか?」
ヴィヴィオちゃんが、ふと思い出したように尋ねてきた。
「ん? ああ、持ってるぞ」
「ええっ!?」
今度はヴィヴィオちゃんたちが驚く番だった。
俺は懐から携帯端末を取り出し、資格情報を表示させる。
無限書庫の司書資格。
古代ベルカの歴史を調べるため。
オリヴィエに関する資料を読み解くため。
それから、聖王家に関わる歴史を正確に把握するため。
どうしても必要だった。
一般の閲覧では確認できない資料もあれば、閲覧に資格が必要な文献もある。ならば、自分で資格を取ってしまえばいい。
そう考えて、必要な勉強をして試験を受けた。
……まあ、資格を取ったからといって、探している資料が簡単に見つかるようになるわけじゃないんだが。
「ほらよ」
俺は画面をみんなに見せた。
「本当です……! しかも、15歳で取得って……!」
ヴィヴィオちゃんが画面を覗き込み、目を丸くした。
「うわぁ、ファザーさんもすごいんですね!」
リオちゃんが感心したように声を上げる。
「でも、どうして今まで言わなかったんですか?」
コロナちゃんが不思議そうに首を傾げた。
「聞かれなかったから」
「それだけ!?」
ハリーちゃんが、またしても大声を上げた。
「それだけ。大したもんでも無いしな」
「いやいやいや! 十分すごいですって!」
リオちゃんが、驚きながらも感心したように声を上げた。
「ファザーさん、歴史の本をたくさん読んでるって言ってましたけど、司書資格まで持ってたんですね」
「未整理区画の資料を読むために、ついでに取っただけだ」
「それを普通は『ついで』とは言わないと思います……」
コロナちゃんが、控えめながらも正論を口にした。
「でも、ファザーさんが資格を持っているなら、未整理区画の調査も心強いですね」
アインハルトちゃんが、少し安心したように微笑んだ。
なんだか引っかかる言い方だが……まぁ良い。
「ただ、司書資格があるからって、未整理区画の資料が自由に見つかるわけじゃねえぞ。立ち入り許可があっても、探すのは別の話だ」
俺は端末をしまいながら続けた。
「あのとんでもない量の本を見ると、探すのが本当に嫌になってくるからな……」
無限書庫の内部を思い出す。
上を見ても下を見ても本。
右を見ても左を見ても後ろを振り返っても本。
本。本。本。
本の山だ。
ここから目当ての一冊を探し出すなんて、やってられない作業だ。
整理区画なら、検索かければ一発で見つかるんだ。
だか、未整理区画ではそれが出来ない。登録された情報が手がかりになることはあっても、実際の資料がどこに置かれているのかまではわからない。
故に、途方も無い労力で端から端まで探すしか無いのだ。
ヴィヴィオちゃんたちは、まだ宝探しの感覚でやっているのかもしれない。
だが、あれを生業とするのは俺には御免だ。
「しかし、10歳であの試験をパスしたのか……最近の小学生はみんなこうなのか? 学生だった事ないからわかんねぇんだけどよ」
「えっ⁉︎」
ヴィヴィオちゃんたちが一斉に俺を見た。
「ファザー、あなた、学校に通った事ありませんの?」
ヴィクターが、信じられないものを見るような顔をしている。
「おう、俺は無卒だ」
「ファザー、ウチと一緒やね」
ジークが、仲間を見つけたようにこちらを見て来る。
「ペッ、一緒にすんな。俺は社会人だ。無職のお前とは違う」
「ギィィィィィイイイイイ!!」
次の瞬間、ジークが俺の腕を取った。
「アガガガガガ! 外れる! 腕が外れる!!」
「外すんや!!!」
キレたジークの関節技が、容赦なく決まった。
痛い、痛い、痛い!
ここは俺に同情する流れじゃないのかよ!
周囲を見回しても、誰も助けてくれない。
ヴィクターは呆れているし、ヴィヴィオちゃんたちは苦笑している。
アインハルトちゃんに至っては、面白くなさそうな顔をして俺たちを眺めていた。
アーーーーー!!
そうして。
ヴィヴィオちゃんコロナちゃんリオちゃんは、明日にでも無限書庫に調べに行こうと言いだした。
そこから話が膨らみ、なんやかんやでここにいるみんなで行こうとなって。
司書長に話をつけて、家族への連絡を入れ、今日は本局の宿舎で一泊。はやてさんの引率の元、明日朝イチで無限書庫に向かう事になった。
「ほんなら、エレミアの秘密に迫る旅——無限書庫探索ツアー! みんなで行くよ〜!」
はやてさんが、楽しそうに声を張り上げた。
「「「おーーーーーっ!」」」
みんな張り切っちゃってまぁ……
若いっていいねぇ。
歴史の謎を解き明かす冒険。未知の資料との出会い。古代ベルカの秘密。
実際、楽しいだろうな。
見てる分には。
「まぁ、頑張れ。もし資料が見つかったら、あとで見せてくれよ?」
俺はグラスを傾けながら、他人事のように頷いた。
「なに他人事の様に言うとるんや」
「ファザーさんも来るんですよ?」
「ここまで話したんですから、最後まで付き合ってください」
ジーク、アインハルトちゃん、ヴィヴィオちゃんが、揃って俺に詰め寄った。
「いや俺、明日仕事……!」
「カリムに話つけたで!」
はやてさん判断が早い!
これが若くして司令にまで上り詰めた手腕か。
『まったく、仕方ありませんね。最後まで引率しなさい』
はやてさんが繋いだモニターから、カリムの声が響いた。
そして、少し間を置いてから、彼女はさらなる追い打ちをかけてきた。
『……溜まった仕事は、期日までに処理するように』
通信は無慈悲に切れた。
H E E E E Y Y Y Y あ ァ ァ ァ ん ま り だ ァ ァ ア ァ AHYYY AHYYY AHY WHOOOOOOOHHHHHHHH!!
「フー……スッとしたぜ」
ひとしきり心の内で嘆いたところで、俺は深く息を吐いた。
ここでいつまでも泣いていても、仕事は減らないしカリムの決定も覆らないしな。
仕事は明後日以降の俺に任せればいいや。100パー地獄を見る事になるんだろうけど。
……未来の俺、頑張れ。超頑張れ。
「大丈夫ですか? すごい顔してましたけど……」
ミウラちゃんが、心配そうに俺を見ていた。
「大丈夫じゃない、大問題だ」
「あの……えと……ボク、何もしてあげられませんけど、応援します。頑張ってください」
ミウラちゃんの優しさが、落ち込んだ身に良く染みる。
こういうとき、無理に慰めようとするんじゃなくて、できることがないとわかっていても応援してくれるのはありがたいもんだ。
下手に「大丈夫ですよ」なんて言われても、俺の仕事が減るわけじゃないからな。
弱った俺は、無意識にミウラちゃんの頭を撫でていた。
「ありがとよ」
「ふわ……」
ミウラちゃんは驚いたように目を丸くしたあと、気持ちよさそうに目を細めた。
……うむ。癒やされる。
こういう優しさは大事にしないとな。
……ふと視線を感じ、顔を向けた。
アインハルトちゃん何その目、怖っ!
まるで肉親を奪われたかのような目だ……
いや、これミウラちゃんに対してか?
「あ、あの……なんだか寒気が……」
ミウラちゃんが小声で俺に言った。
「気のせいだ……そのままでいなさい」
アインハルトちゃんの視線はミウラちゃんの背中に突き刺さっているので、ミウラちゃんがその寒気の正体を知ることはない。いや、知らせない方が良い。
『知らぬが聖王』というやつだ。
ただし、対面している俺にはガッツリ見えてしまっている。
俺がアインハルトちゃんの眼差しから逃げられないでいると、はやてさんが『パン』と軽く手を叩いた。
「さて、ヴィルフリッドの話はそんなところでええかな?」
はやてさんが、楽しそうに場を見回した。
「じゃあ次は、オリヴィエの話を聞こか」
「?」
俺ははやてさんのほうに顔を向けた。
はやてさんが、こちらを見てにっこりと笑っている。
……嫌な予感がする。
いや、待て。
俺はさっき、ヴィルフリッドについて知っていることを話した。資料の不確かさも説明した。
明日の無限書庫探索にも、半ば強制的に参加させられることになった。
もう十分だろう。そう思いながら、俺はそっと視線を逸らした。
「よろしくな、ファザー君」
「!!」
逃げ道を塞ぐような、柔らかな笑顔だった。
「知っとること、開示してくれるんやろ?」
「いや、ヴィルフリッドに関して、ちゃんと知ってることは話しましたよ⁉︎」
「せっかくやし、オリヴィエについても知りたいやん」
「!?!!??!!!???」
……この人、絶対に最初からそのつもりだったな⁉︎
俺は頭を抱えた。
歴史の話をするだけなら、別に構わない。
ただし、オリヴィエについて語るとなると、話は少々変わってくる。
この場にはヴィヴィオちゃんがいる。
オリヴィエのクローンである、あの子が。
オリヴィエの話を聞いて、アインハルトちゃんやジークのように、自らのルーツに悩みを抱えてしまわないか。
知らず知らずのうちに自分自身を見失ってしまわないか。
俺が話すことで、あの子に余計なものを背負わせてしまうのではないか。
……いや。
だからこそ、なのかもしれない。
俺が話さなければ、誰かが勝手に作った英雄譚だけが、彼女の耳に残ることになるのかもしれない。
オリヴィエを聖王として、ただ讃えるだけの話でもなく。
ゆりかごの王となった彼女を、ただの悲劇の犠牲者として語るだけでもなく。
一人の人間として、何を望み、何を選び、何を失ったのか。
すべてを語れるわけじゃない。俺の知っている歴史だって、完全なものではないのだから。
それでも、伝えられることはある。
あいつを……オリヴィエを無条件で肯定しない俺だから。
ゆりかごで多くの命を奪った殺戮者としての側面も見ている俺だから。
聖王だから正しかった、なんて言わない。
世界に平和をもたらしたから、すべてが許されるとも言わない。
どれだけ大きな功績を残したとしても、どれだけ多くの人間に救いを与えたとしても、それで失われた命が戻ってくるわけじゃない。
聖王という肩書きの向こう側にいた、ただ一人の人間として話をする。
……それが、今の俺にできることなのだろう。
「ヴィヴィオちゃん」
「はい?」
名前を呼ぶと、ヴィヴィオちゃんがこちらを向いた。
俺はできるだけ普段どおりの声で、言葉を選んだ。
「これから話すのは、オリヴィエという人間の話だ。君がどう生きるかとは、別の話だからな」
ヴィヴィオちゃんは一瞬きょとんとしたあと、ゆっくりと頷いた。
「はい。わたしはわたしですから」
……ああ、それでいい。
これから先、迷うことだってあるだろう。
自分と同じ遺伝子を持った人間が、かつて世界の歴史を動かした存在だった。
その事実が、いつか重荷になる日もあるかもしれない。
誰かが彼女にオリヴィエを求めることもあるだろう。
それでも、今この瞬間、ヴィヴィオちゃんは自分の言葉で答えた。
それなら俺がするべきことは、オリヴィエがどんな人間だったかを知ったとしても、ヴィヴィオちゃんはヴィヴィオちゃん自身なのだと、忘れずにいられるようにすることだ。
オリヴィエがどんな人間だったとしても、ヴィヴィオちゃんがその生き方をなぞる必要はない。
クラウスの記憶を受け継いだアインハルトちゃんも。
エレミア一族の技術と経験を受け継いだジークも。
雷帝の血を引くヴィクターも。
それぞれが、過去から何かを受け継いでいる。
だが、受け継いだものがあることと、それによって自分の人生を決められることは違う。
過去を知ることは、過去に従うことじゃない。
血筋を誇りに思うことと、血筋に縛られることも違う。
そして、誰かに似ていることと、その誰かになることも。
自分の生き方を決めるのは、自分自身であるべきだ。
……俺自身、そんなことを偉そうに言えるような人間では無いが。
それでも、俺はそのことを、何度でも伝えていかなければならないのだろう。
こいつらが偉大なご先祖から受け継いだものと向き合い、自分自身の足で歩いていけるようになるその日まで。
『お前は、お前だ』と。
……ははっ。
ずいぶんと神父っぽい考え方してるんじゃないか? 今の俺。
さて、オリヴィエについて話すその前に——。
俺は、さりげなく部屋の宙へ視線を向けた。
最初からだったな。
子羊は導く。
神父だからな。
でもよ……
ネズミは駆除しないとなぁ!
太字の使い方を覚えました。