ヴィクトーリア・ダールグリュンの屋敷に滞在して、三日目。
「……暇だ」
広すぎる客間のソファに寝転がりながら、俺は天井を眺めていた。
窓の外は快晴。
庭では噴水が水を跳ねさせ、遠くでは使用人が何やら作業をしている。
最高の天気。
最高の景色。
最高の酒。
そして――
「やることがない」
「でしたら帰ればよろしいのでは?」
向かいのソファから、ヴィクターことヴィクトーリアが紅茶を飲みながら答えた。
「客に対する扱いじゃねぇな」
「もう三日目ですわ」
「客ってのは三日目からが本番だろ」
「どこの世界の常識ですの、それ」
「俺の世界」
「では、貴方の世界では不法滞在も客人の権利なのですか?」
「細かいこと気にするとハゲるぞ、お嬢様」
「誰がハゲますの!」
ヴィクターが机を叩く。
優雅なティーカップがカタリと揺れた。
「ほら、怒ると綺麗な顔が台無しだ」
「貴方という人は……!」
その横で、執事のエドガーが静かに紅茶を注いでいる。
「お嬢様」
「何ですの!」
「ファザー様を追い出すのでしたら、門までお送りいたしますが」
「……」
「……」
俺とヴィクターが顔を見合わせる。
「……やっぱり泊まっていいか?」
「お帰りください」
「即答かよ」
エドガーが微笑んだ。
「冗談です」
「お前、絶対追い出す気だっただろ」
「さて、どうでしょうか」
この男、絶対に俺を殺せる。
そういう目をしている。
——————————————————————
「ファザー!」
廊下から、ドタドタドタッっと、聞き慣れた声が響いた。
そして、勢いよく扉が開く。
「お腹減った!」
「知るか」
「お腹減ったっていってるんやよ?」
「そうかよ」
「ウチの昼ご飯は?」
「俺に聞くな」
「ヴィクター!」
「私に聞かないでくださいまし」
「エドガー!」
「昼食は一時間後です」
「さよかー」
ジークがソファに突っ伏した。
「一時間は長い……」
「昨日も三食食ってただろ」
「育ち盛りやねん」
「我慢しろ、チャンピオンだろ」
「チャンピオンでも腹は減るんや」
「そりゃそうだけどよ……」
俺はポケットから煙草を取り出す。
火をつけようとして――
「ファザー」
ヴィクターの声が低くなる。
「何だよ」
「ここは私の屋敷ですわ」
「知ってる」
「室内で煙草を吸う許可は出しておりません」
「……」
俺は煙草をしまった。
「ずいぶん立派になったな、客のくせに」
「貴方が客ですわ!」
「そうだった」
ジークがケラケラ笑っている。
「不良神父、怒られとる」
「お前も怒られろ」
「なんでや!」
「連帯責任だ」
「横暴や!」
エドガーが静かに笑う。
「お嬢様、早いですがそろそろ昼食の時間にいたしましょうか」
「そうですわね」
ヴィクターが立ち上がる。
「ジーク。今日は貴女の好きなおでんですわ」
「ほんま!?」
さっきまで死んだ魚のような目をしていたジークが、一瞬で復活した。
「おでん!」
「おでん!」
「おでん!」
「……お前」
俺は呆れながら立ち上がる。
「どんだけ好きなんだよ」
*
食卓に並んだ料理は、かなり豪華だった。
鍋から立ち上る湯気。出汁の香り。
大根、卵、練り物、肉。
ジークは目を輝かせている。
「いただきます!」
「早っ!」
俺が席についた時には、もう箸が動いていた。
「熱っ、熱っ、うまっ!」
「落ち着いて食べなさい」
ヴィクターが呆れながら言う。
「食事は優雅に――」
「うまい!」
「……おいしいですわね」
ヴィクターは呆れ果て、それ以上言うのを諦めたようだ。
「ファザー様はこちらを」
エドガーが酒を俺の前に置く。
「気が利くじゃねぇか」
「飲み過ぎにはご注意ください」
「大丈夫、俺、神父だから」
エドガーは微笑んだ。
「では、神父らしくほどほどに」
「そこは飲ませろよ」
俺は酒を口に含む。
出汁の香りと酒が合う。
これはいける。
「……美味い」
「でしょう?」
ヴィクターが少し得意げに胸を張る。
「我が家の料理人は優秀ですの」
「へぇ」
「何ですの?」
「いや、お前さんが年相応の得意げな仕草をする時、ちょっと可愛いなと思って」
「……っ」
ヴィクターの頬がわずかに赤くなる。
ジークの箸が止まる。
エドガーの手も止まる。
「……何だよ」
「ファザー」
「何だ」
「そういうところやで」
「どういうところだよ」
「女の人にすぐそういうこと言うところ」
「褒めてるんだぞ?」
「余計あかんわ」
ヴィクターが咳払いする。
「……まったく、貴方は本当に女性の扱いが雑ですわね」
「雑じゃない。俺は紳士だ」
「どの口が」
エドガーが即答した。
「お前までかよ!?」
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食後。
庭を散歩していると、ヴィクトーリアが俺の隣に並んだ。
「ファザー」
「ん?」
「少し、お聞きしたいことがありますの」
「雷帝の話か?」
「……よく分かりましたわね」
「お前、昨日からずっと聞きたそうな顔してるぞ」
「逆ですわ」
「何がだよ」
「貴方が私にに聞かせたいのです」
ヴィクターはその大きな胸を張ってそう言った後、少しだけ表情を引き締めた。
「聖王家と雷帝は、どのような関係だったのでしょう?」
俺は足を止めた。
庭を吹き抜ける風が、木々の葉を揺らしている。
「……そうだな」
少し記憶を思い出す。
「仲は悪くなかった」
「意外ですわね」
「聖王家とダールグリュン家は、少なくとも当時はかなり交流があった」
「では、聖王は雷帝を尊敬していた?」
「さあな」
俺は笑った。
「人間同士の関係なんて、後世の歴史書ほど単純じゃねぇよ」
「……」
「争ったこともあるし、協力したこともある。酒を飲んだこともあれば、喧嘩もしただろう」
「それを知っているのですか?」
「少しはな」
俺は空を見上げる。
「俺の先祖から伝わってる話もある」
「貴方のご先祖?」
「あー……まぁ古くからの家系だから」
ヴィクターは黙って俺を見る。
「……貴方は、本当に何者ですの?」
「ただの不良神父だよ」
「その返答では納得できませんわ」
「じゃあ酒でも飲みながら話すか?」
「昼間からですか?」
「神父に時間帯は関係ない」
「それ、以前も聞きましたわ」
「便利な言葉なんだよ」
ヴィクターが小さく笑う。
「ふふ……貴方は本当に変な人ですわね」
「よく言われる」
それ以上深くは聞かれなかった。
やっぱりいい女だよ、あんたは。
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その夜。
俺は客室のベッドに寝転がっていた。
……いや。
「寝られねぇ」
静かすぎる。
教会なら教会の鐘、酒場なら喧騒、家なら誰かの怒鳴り声くらいは聞こえる。
だが、この屋敷は静かすぎる。
「……落ち着かねぇ」
ベッドから起き上がり、廊下に出る。
すると――
「おや」
エドガーがいた。
「眠れませんか?」
「お前もか?」
「私は仕事ですので」
「真面目だな」
「ファザー様ほど不真面目にはなれませんので」
「俺だって真面目な時くらいある」
「存じております」
意外な返答だった。
「……知ってるのか?」
「ジーク様をここまで連れてきたことも」
エドガーは穏やかに笑った。
「お嬢様を治療してくださったことも」
「……」
「貴方は、ご自分で思っているよりずっと面倒見の良い方ですよ」
「やめろ」
「なぜです?」
「そういうのは苦手なんだよ」
「褒められるのが?」
「……そういうことだ」
エドガーは少しだけ笑った。
「では、何も言いません」
「助かる」
その時、廊下の奥から足音がした。
「ファザー!」
「……またお前か」
ジークだった。
「眠れへん」
「俺もだ」
「ほんなら遊ぼ」
「子供か」
「カードやろ」
「……」
少し考える。
「ヴィクターにバレたら?」
「怒られる」
「エドガーにバレたら?」
「怒られる」
二人でエドガーを見る。
「……」
エドガーは微笑んだ。
「私は何も見ておりません」
「よし」
「ファザー、やろ!」
「上等だ」
俺は懐からカードを取り出した。
こうして。
雷帝の血を継ぐお嬢様の屋敷で、聖王教会不良神父とインターミドルチャンピオンによる、深夜の賭博大会が始まった。
――三十分後。
「……ファザー」
「何だ」
「ウチ、負けすぎや」
「人生ってのはそういうもんだ」
「絶対イカサマしとるやろ!」
「証拠は?」
「その顔や!」
「バレなけりゃイカサマじゃあねーんだぜ?」
「何の騒ぎですの!」
「……」
「……」
「……」
廊下の奥。寝間着姿のヴィクターが立っていた。
その手には――デバイス。
「貴方たち……夜中に何をしていますの?」
「……」
ジークが俺を見る。
俺もジークを見る。
エドガーを見る。
エドガーは静かに目を逸らした。
「……寝ます」
「待ちなさい!」
「逃げるぞジーク!」
「うん!」
「逃がしませんわ!」
屋敷中に怒声が響き渡る。
そして翌朝、俺たちは揃って説教を受けた。
「……本当に仲良がよろしいですね」
エドガーが呟いた。
「誰がですの!」
「誰がや!」
「誰がだ」
三人の声が重なる。
エドガーは小さく笑った。
「そういうところですよ」
屋敷に笑い声が響く。
この時の俺はまだ知らなかった。
こんなくだらない日々が、後になって思い返すと――
案外、悪くなかったと思えるものになることを。