『FAIRY TAIL ―風神と雷神、そして星霊魔導士―』 作:パスカルDX
第6話 恐怖の中で――少女が選んだ決意
ハートフィリア家の屋敷。
夜。
昼間まで穏やかだった屋敷は、夜の帳に包まれていた。
広大な庭園を照らす月明かり。
風に揺れる木々。
遠くから聞こえる虫の声。
一見すれば、何も変わらない夜だった。
けれど――。
ルーシィ・ハートフィリアは眠れずにいた。
ベッドの上に横になり、毛布を胸元まで引き上げる。
目を閉じる。
しかし、眠れない。
頭の中を、昼間の話が何度も駆け巡っていた。
――S級依頼。
――自分を狙う者たち。
――複数の敵。
そして何より。
フウマの言葉。
『この風が、何かを運んできてる』
あの時のフウマの表情を思い出す。
いつも穏やかだった。
優しかった。
何を聞いても怒らず、ルーシィの質問にも一つ一つ答えてくれた。
けれど、あの瞬間だけ。
彼の瞳には、明らかな警戒があった。
「……怖い」
誰もいない部屋で、ルーシィは小さく呟いた。
声に出した瞬間。
胸の奥に押し込めていた恐怖が、形を持ったような気がした。
怖い。
何が起こるのか分からない。
誰が自分を狙っているのかも分からない。
どうして自分なのかも分からない。
そして何より――。
フウマたちが傷つくことが怖かった。
「……あたしのせいで」
毛布を握る手に力が入る。
「みんなが傷ついたら……どうしよう」
ナツ。
エルザ。
グレイ。
ハッピー。
そして。
ガンマ。
ヴェロニカ。
フウマ。
まだ直接会ったことのない妖精の尻尾の仲間たちでさえ、ルーシィの中では少しずつ大切な存在になり始めていた。
だからこそ。
怖かった。
自分のせいで誰かが傷つく。
それだけは耐えられない。
ルーシィはベッドから起き上がった。
窓の外を見る。
月が浮かんでいた。
その向こうには、フィオーレ王国の街並みが広がっている。
自由に歩ける場所。
友達と笑える場所。
いつか、自分が行きたい場所。
――妖精の尻尾。
「……あたし」
ルーシィは胸元に手を当てる。
「本当に、入りたいんだ」
ただの憧れではない。
雑誌や噂で聞いたからではない。
今日、フウマから話を聞いて。
ガンマやヴェロニカと話して。
ルーシィは少しだけ分かった気がした。
妖精の尻尾は、強い魔導士が集まるだけの場所じゃない。
仲間がいる場所だ。
帰る場所なのだ。
だから――。
「……怖いからって、逃げたくない」
ルーシィは震える唇を噛んだ。
「でも……怖い」
正直に認める。
無理に強がる必要なんてない。
怖いものは怖い。
それでも。
その恐怖を抱えたまま、前に進むことはできる。
「……あたしは」
ルーシィはゆっくりと立ち上がった。
「自分で決めたい」
その時だった。
コンコン。
扉がノックされた。
「……誰?」
「僕だよ」
聞き慣れた声。
「フウマ?」
「うん。起きてる?」
「……入っていいよ」
扉が開く。
月明かりを背負って、フウマが部屋へ入ってきた。
銀色の長い髪が、夜風に揺れている。
「眠れない?」
「……うん」
フウマは何も聞かず、窓際へ歩いていく。
「僕も少し眠れなくてね」
「フウマも?」
「うん」
ルーシィは少し驚いた。
いつも落ち着いているフウマでも、眠れない夜がある。
それが少しだけ意外だった。
「……ねえ」
「うん?」
「本当に、あたしを守れる?」
フウマはルーシィを見る。
その瞳は穏やかだった。
「守るよ」
迷いのない答えだった。
「絶対?」
「うん」
「どんな敵でも?」
「僕一人で勝てない相手なら、ガンマやヴェロニカにも頼る」
「……」
「それでも足りなければ、妖精の尻尾の仲間たちに頼る」
フウマは微笑む。
「一人で守る必要なんてないからね」
その言葉に、ルーシィの目が少し潤んだ。
「……ずるい」
「え?」
「そんなこと言われたら……」
涙が一滴、頬を伝う。
「……怖いって言えなくなるじゃない」
フウマは何も言わなかった。
ただ、静かにルーシィの前に立つ。
「怖いなら、怖いって言っていいよ」
「……」
「無理に強くならなくてもいい」
ルーシィは涙を拭う。
「でも」
フウマは続けた。
「怖いままでも、前に進むことはできる」
「……」
「僕はそう思うよ」
ルーシィはしばらく黙っていた。
やがて。
「……あたし、逃げたくない」
「うん」
「怖いけど」
「うん」
「誰かに守られてるだけなのも嫌」
フウマが少しだけ目を見開く。
「自分のことは、自分でも守れるようになりたい」
ルーシィは涙を拭いながら、しっかりとフウマを見つめた。
「そして……」
その声に、少しずつ力が宿っていく。
「妖精の尻尾に入りたい」
「……うん」
「絶対に」
フウマは微笑んだ。
「その気持ちがあれば、大丈夫だよ」
「……ありがとう」
その夜。
ルーシィは初めて、恐怖から目を背けなかった。
恐怖は消えなかった。
それでも。
その恐怖を抱えたまま、前へ進むと決めた。
◆
翌朝。
ハートフィリア家の広い応接室。
フウマ、ガンマ、ヴェロニカ。
そしてルーシィ。
四人が集まっていた。
「……来るッスね」
ガンマが窓の外を見る。
「何が?」
ルーシィが尋ねる。
「客人ッス」
ヴェロニカが答えた。
「それも、かなり偉い客だ」
「偉い?」
その瞬間。
屋敷の正門から、一人の小さな老人が歩いてくるのが見えた。
小柄な身体。
白い髭。
特徴的な姿。
しかし、その存在感は尋常ではない。
フウマが立ち上がった。
「……マスター」
「え?」
ルーシィが振り返る。
「マスター?」
「妖精の尻尾のマスターだよ」
「えっ!?」
ルーシィの顔が一気に明るくなる。
しかし次の瞬間。
「あ……!」
慌てて姿勢を正す。
「どうしよう……!?」
「そんなに緊張しなくていいよ」
「でも、マスターよ!?」
「うん」
「妖精の尻尾のマスター!」
「そうだね」
「どうしよう!?」
ガンマが笑う。
「ルーシィさん、落ち着くッスよ~」
「ガンマは落ち着きすぎ!」
やがて。
扉が開いた。
「お邪魔するぞい」
入ってきたのは、妖精の尻尾のマスター。
マカロフ・ドレアーだった。
「マスター、お疲れ様です」
フウマが頭を下げる。
「うむ」
マカロフは頷く。
そしてルーシィを見る。
「ほう……」
「は、初めまして!」
ルーシィが勢いよく頭を下げた。
「ルーシィ・ハートフィリアです!」
「うむ。知っておる」
「え?」
「ハートフィリア家の令嬢じゃからな」
ルーシィは少しだけ身構えた。
しかし。
マカロフは柔らかく笑った。
「だが、今日は家柄を見に来たわけではない」
「……?」
「お前さん自身を見に来た」
ルーシィは黙った。
マカロフはゆっくりと椅子へ腰を下ろす。
「フウマから報告は受けておる」
「……」
「今回の護衛任務についてもな」
マカロフの表情が真剣になる。
「S級への変更は、間違いではない」
部屋の空気が変わった。
「敵が動き始めておる」
ルーシィの胸が締め付けられる。
やはり。
自分の感じていた恐怖は、勘違いではなかった。
「複数の魔導士が、お前さんの動向を探っておる」
「……あたしを?」
「そうじゃ」
「どうして……?」
「それについては、まだ分からん」
マカロフは首を横に振る。
「じゃが、一つだけ分かっておることがある」
「何ですか?」
「お前さんが狙われている以上、妖精の尻尾としても無関係ではいられん」
フウマが静かに頷く。
「だからS級に?」
「そうじゃ」
マカロフはフウマを見る。
「この任務は、単なる護衛ではなくなった」
「……」
「ルーシィ・ハートフィリアを守りながら、敵の目的を探る」
「了解しました」
フウマは即答した。
ガンマも拳を握る。
「俺もやるッス!」
ヴェロニカは腕を組む。
「当然だ」
そして。
ルーシィは三人を見る。
胸の奥が熱くなる。
昨日までなら。
「怖い」
そう言っていたかもしれない。
今だって怖い。
足が震えそうになる。
逃げ出したい気持ちだってある。
それでも。
ルーシィは一歩前へ出た。
「マスター」
「なんじゃ?」
「……あたしも、何かしたいです」
マカロフが目を細める。
「ほう?」
「あたしを守ってくれる人たちに、全部任せるだけなんて嫌です」
声は少し震えていた。
それでも。
ルーシィは続けた。
「怖いです」
正直に言う。
「すごく怖い」
拳を握る。
「誰かが傷つくのも怖い。敵が来るのも怖い。何も分からないことも怖い」
一度、息を吸う。
「でも……」
顔を上げる。
「だからって、何もせずに隠れているのは嫌です」
マカロフは黙って聞いていた。
「自分の未来を、自分で決めたい」
そして。
「妖精の尻尾に入りたい」
その言葉は、応接室に静かに響いた。
フウマは何も言わない。
ただ、穏やかにルーシィを見ていた。
マカロフはしばらくルーシィを見つめ――。
やがて。
「……なるほどのう」
小さく笑った。
「フウマ」
「はい」
「お前さんがこの娘を護衛する理由が、少し分かった気がするぞい」
「……僕も、そう思います」
「ガンマ」
「はいッス!」
「頼んだぞ」
「任せてほしいッス!」
「ヴェロニカ」
「分かってる」
マカロフは最後にルーシィを見る。
「ルーシィ・ハートフィリア」
「はい!」
「妖精の尻尾は、強い者だけが集まる場所ではない」
「……」
「怖くても前へ進もうとする者を、仲間として受け入れる場所じゃ」
ルーシィの瞳が揺れる。
「お前さんが本当にその覚悟を持っているなら――」
マカロフは微笑んだ。
「いつでも歓迎しよう」
「……!」
ルーシィの目から、涙が零れた。
「……ありがとうございます」
その涙は、恐怖だけによるものではなかった。
嬉しかった。
ずっと憧れていた場所。
まだ正式には所属していない。
それでも。
そこへ向かう道を、確かに見つけた気がした。
マカロフは立ち上がる。
「さて」
「?」
「話はここからじゃ」
「ここから?」
「敵が動いている以上、こちらも動く」
マカロフの目が鋭くなる。
「妖精の尻尾を敵に回すということがどういう意味なのか――」
老人の身体から、一瞬だけ凄まじい魔力が放たれた。
空気が震える。
ルーシィは息を呑んだ。
「思い知らせてやる必要があるのう」
フウマの銀髪が、魔力の余波で揺れる。
ガンマが拳を握る。
ヴェロニカが口元を吊り上げる。
そしてルーシィは。
恐怖を抱えたまま、それでも一歩前へ出た。
「……あたしも」
三人が振り返る。
ルーシィは涙を拭った。
「一緒に行きます」
フウマは優しく笑った。
「うん」
その返事を聞いたルーシィも、笑った。
怖い。
それでも。
もう一人ではない。
風神がいる。
大地竜がいる。
紅血竜がいる。
そして――。
いつか、自分も妖精の尻尾の一員になる。
その決意を胸に。
ルーシィ・ハートフィリアは、初めて自分の足で運命へ向かって歩き始めた。
窓の外では、風が吹いていた。
昨日より少し強い風だった。
そしてその風は。
遠く離れた場所で蠢き始めた「何か」の気配を、確かにフウマのもとへ運んでいた。
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