『FAIRY TAIL ―風神と雷神、そして星霊魔導士―』 作:パスカルDX
第7話 迫り来る闇と、望まぬ縁談
その日の朝、ハートフィリア家の屋敷を包んでいた空気は、いつもとは少し違っていた。
窓から差し込む朝日は穏やかで、庭園では使用人たちがいつものように忙しく動き回っている。
何も知らない者が見れば、平穏そのものだった。
けれど――。
「……風が、騒がしい」
屋敷の屋根に近いバルコニー。
そこに立っていたフウマ・レインハルトは、目を細めて遠くを見つめていた。
銀色の長い髪が、朝の風に揺れる。
彼は目を閉じ、風の流れへ意識を集中させた。
風はあらゆる場所を通り抜ける。
街道を駆け抜け、森を抜け、建物の隙間をすり抜け、人々の声を運ぶ。
だからこそ、風竜の滅竜魔導士であるフウマには、人間には感じ取れないものまで感じられることがある。
そして今。
その風の中に、妙な違和感があった。
「……何かが動いてる」
昨日までとは違う。
誰かが、確実に動き始めている。
フウマは静かに目を開いた。
「闇ギルド……か」
数日前から、マカロフが警戒していた存在。
ルーシィを探っている複数の魔導士。
そして、その背後にいるかもしれない闇ギルド。
まだ確証はない。
しかし、フウマには分かっていた。
――敵は、待っているだけではない。
すでに動いている。
「フウマさーん!」
突然、下から大きな声が飛んできた。
「朝ご飯できたッスよー!」
「……ガンマ」
視線を落とすと、庭からオレンジ色の髪をした小柄な少年が手を振っている。
灰色のツナギ姿。
大地竜――ガンマ・アトラスだった。
「早くしないと、ルーシィさんに全部食べられちゃうッスよ!」
「それは大変だね」
「笑ってる場合じゃないッス!」
ガンマが慌てて叫ぶ。
フウマは思わず小さく笑った。
「分かった。すぐ行くよ」
バルコニーを離れ、屋敷の中へ戻る。
だが、胸の奥に残った違和感は消えなかった。
風が告げている。
何かが近づいている。
それが敵なのか。
それとも――別の何かなのか。
フウマには、まだ分からなかった。
*
「おはよう、フウマ!」
食堂へ入ると、ルーシィが元気よく手を振った。
ハートフィリア家の令嬢らしい豪華な朝食。
その席で、ルーシィはすでにパンを手にしていた。
「おはよう、ルーシィ」
「遅いわよ。もう少しで食べ終わっちゃうところだったんだから!」
「ごめんね」
「別にいいけど……」
そう言いながら、ルーシィはフウマの顔を見る。
「……どうしたの?」
「え?」
「なんだか、難しい顔してる」
フウマは一瞬だけ黙った。
隠すこともできる。
けれど、ルーシィにはすでに「守られるだけの少女」ではなく、自分の未来を自分で決めようとしている強さが芽生え始めている。
「少し、嫌な風を感じただけだよ」
「……敵?」
「まだ分からない」
ルーシィの表情が僅かに曇った。
しかし、その目は逸れなかった。
「……そっか」
「怖い?」
「怖いわよ」
ルーシィは正直に答えた。
「でも……前みたいに、怖いからって何も知らないふりをするのは嫌」
「ルーシィ……」
「あたし、自分の未来を自分で決めるって決めたから」
その言葉には、確かな意志があった。
フウマは微笑む。
「うん。それでいいと思う」
「……それに」
ルーシィは少し頬を膨らませる。
「フウマがいるし」
「僕?」
「そう。あんたが『僕がいるから』って言ったんじゃない」
「……言ったね」
「だから、信じてる」
その瞬間だった。
食堂の扉が開いた。
「失礼いたします」
使用人が深々と頭を下げる。
「旦那様がお呼びです」
「お父様が?」
「はい。お客様がお見えになっています」
ルーシィが首を傾げる。
「お客様?」
「ある貴族の方がお見えになっています」
フウマの表情から笑みが消えた。
――貴族。
なぜ、このタイミングで?
そして。
風が、ほんの僅かに揺れた。
*
応接室。
そこには数人の男が座っていた。
中央にいるのは、四十代ほどの男性。
上質な衣服。
胸元には家紋を示す徽章。
見るからに高位の貴族だった。
その隣には護衛らしき魔導士が二人。
そして正面には、ジュード・ハートフィリア。
「本日は突然の訪問、失礼いたします」
男が頭を下げる。
「構わん」
ジュードの声は低く、冷静だった。
「それで……本日は何の用件だ?」
「実は――」
男は一度言葉を切った。
「ルーシィ嬢について、お話がございます」
ルーシィが眉を寄せる。
「……あたし?」
男は微笑んだ。
「はい」
そして、次の言葉を口にした。
「我が家との縁談を、申し込ませていただきたい」
「……え?」
ルーシィの目が大きく見開かれた。
フウマも黙ったまま男を見る。
室内の空気が、一瞬で変わった。
「縁談……?」
「はい。ルーシィ嬢には、我が家の嫡男との婚姻をお願いしたく」
「お断りします」
即答だった。
ルーシィではない。
ジュードだった。
「……お話を最後まで聞かれてはいかがです?」
「必要ない」
ジュードは冷たく言い放つ。
「娘の意思を確認する前に話を進めるつもりはない」
ルーシィが父を見る。
「お父様……」
ジュードは娘を見た。
「ルーシィ。お前はどうしたい?」
「……あたしは」
ルーシィは俯いた。
突然すぎた。
結婚。
貴族。
家同士の繋がり。
そんなものを、自分は今まで深く考えたことがなかった。
だが。
少しずつ顔を上げる。
「あたし……嫌」
はっきりと言った。
「結婚するつもりなんてない」
「ルーシィ嬢。これは単なる結婚話ではありません」
貴族の男が静かに告げる。
「ハートフィリア家と我が家が手を結べば、両家にとって大きな利益になります」
「そんなの……」
ルーシィは拳を握る。
「あたしには関係ない」
「ルーシィ嬢」
「だって!」
ルーシィは立ち上がった。
「あたしの人生でしょ!」
声が震えていた。
けれど、逃げなかった。
「あたしがどこで生きるのか、誰と一緒にいるのか……あたし自身が決めたい!」
静寂。
ジュードは黙って娘を見つめている。
そして――。
「……その通りだ」
短い言葉だった。
ルーシィが驚いたように父を見る。
「お父様……?」
「お前の人生は、お前のものだ」
普段の冷たい表情の奥に、ほんの僅かに父親としての感情が滲んでいた。
「私はそれを他人に売り渡すつもりはない」
「……っ」
ルーシィの瞳が少し潤んだ。
だが。
貴族の男は、困ったように笑った。
「それは残念です」
その笑顔に――。
フウマは違和感を覚えた。
あまりにも引き下がるのが早い。
「ですが」
男が続ける。
「この申し出は、ハートフィリア家にとって悪い話ではないと思います」
「どういう意味だ?」
ジュードの声が低くなる。
「最近、ハートフィリア家の周辺では……少々物騒な噂が流れておりますので」
フウマの目が細くなった。
「……」
「闇ギルドが動いている、と」
室内の空気が凍った。
ルーシィの顔から血の気が引く。
「闇……ギルド?」
「はい」
男はルーシィを見る。
「あなたほどの令嬢を狙う者がいる。ならば、強い後ろ盾が必要なのではありませんか?」
その言葉に、フウマは一歩前へ出た。
「それは……」
穏やかな声だった。
しかし、その瞳には鋭い光が宿っている。
「脅しですか?」
貴族の男がフウマを見る。
「これはこれは……」
「僕は護衛です」
フウマは静かに告げる。
「ルーシィを守るためにここにいる」
「聞いております。妖精の尻尾の『風神』殿」
「だったら分かるでしょう」
風が、室内で僅かに渦を巻いた。
「ルーシィに危害を加えるような言葉は、僕が許さない」
「……なるほど」
男は笑った。
だが、その笑みの奥に何かがある。
フウマにはそう感じられた。
「本日はこれで失礼します」
男は立ち上がる。
「縁談については、改めて考えていただければと思います」
「考える必要はない」
ルーシィが言った。
「断るから」
男はそれ以上何も言わず、応接室を出ていった。
扉が閉まる。
しばらく誰も話さなかった。
*
「……嫌な感じだった」
応接室を出た廊下。
フウマが呟く。
「うん」
ルーシィも頷いた。
「あの人……最初からあたしのことを見てるようで、見てなかった気がする」
「僕もそう思う」
「じゃあ……」
ルーシィが不安そうに見上げる。
「この縁談も、闇ギルドと関係あるの?」
「まだ断定はできない」
フウマは答えた。
「でも、タイミングが良すぎる」
闇ギルドが動き始めた。
その直後に貴族から縁談が持ち込まれた。
しかも、その貴族は闇ギルドの噂を知っていた。
偶然とは思えない。
「……フウマ」
「うん?」
「あたし……」
ルーシィは胸元で手を握った。
「ちょっと怖い」
「うん」
「でも……」
顔を上げる。
「逃げたくない」
「……そうだね」
「妖精の尻尾に入りたい」
その瞳に、今度は迷いがなかった。
「自分の未来を、自分で決めたい」
フウマは静かに笑った。
「じゃあ、僕はその未来を守るよ」
「……うん」
その時。
「フウマさん!」
廊下の向こうからガンマが走ってきた。
「大変ッス!」
「どうしたの?」
「ヴェロニカさんが――」
「俺がどうしたって?」
その後ろからヴェロニカが現れる。
紫色のショートヘア。
鋭い目つき。
オッドアイの瞳が、今は険しく細められていた。
「街の外れで、怪しい魔導士を見つけた」
「……!」
フウマの表情が変わる。
「何人?」
「三人。けど、ただの魔導士じゃない」
ヴェロニカは低い声で言った。
「全員、闇ギルドの紋章を隠してた」
ルーシィが息を呑む。
「……本当に、動いてるんだ」
「ああ」
ヴェロニカは頷いた。
「しかもな」
その視線が、先ほど貴族が出ていった方向へ向けられる。
「そいつらが見ていた場所――」
一拍。
「この屋敷だった」
フウマは何も言わなかった。
ただ、静かに目を閉じる。
風が吹く。
屋敷の窓を揺らし、庭園の木々を揺らし、遠くへ流れていく。
その風の中に――。
複数の気配が混じっていた。
「……そういうことか」
フウマが目を開く。
「縁談は、ただの縁談じゃない」
「どういうこと?」
ルーシィが尋ねる。
「まだ分からない。でも――」
フウマは屋敷の外を見た。
「敵は、ルーシィを狙ってる」
その声は静かだった。
しかし、その瞳には決意が宿っていた。
「そして今度は、闇ギルドだけじゃない」
貴族。
闇ギルド。
そしてルーシィを巡る、何者かの思惑。
風はさらに強くなる。
まるで、迫り来る嵐を告げるように。
フウマは小さく呟いた。
「……僕が守る」
その言葉を聞いたルーシィは、黙って彼の隣に立った。
もう一人ではない。
恐怖は消えていない。
けれど――。
自分の未来を、自分の手で掴むために。
ルーシィは、決して逃げなかった。
そして同じ頃。
屋敷から遠く離れた街の裏路地では――。
「……報告する」
黒いローブを纏った男が、暗闇の中で誰かに告げていた。
「ハートフィリア家の令嬢は、風神に護られている」
「そうか」
暗闇の奥から声が返ってくる。
「ならば……」
低い笑い声。
「風神ごと、こちらへ引きずり込め」
闇の中で、禍々しい魔力が揺らめいた。
「そして――ルーシィ・ハートフィリアを手に入れろ」
嵐は、すでに始まっていた。
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