第一話 死後
僕にとって、人生とは困難の連続だった。困難を乗り越え、それを積み上げて己の糧とし、克服する。だが、死というものは時に唐突で、理不尽にやってくる。人は誰しも、運命から逃れることはできない。
あの日もそうだった。〈機関〉のオブジェクトが収容違反を起こしたのだ。エージェントとして前線に立っていた僕は、親友と共に、早急にこの事態を収束させなければならなかった。
だが、奴は強すぎた。圧倒的な力の前に、僕たちは劣勢を強いられた。友人が吹き飛ばされ、奴の鋭利な刃が彼の命を奪おうとしたその瞬間――僕の体は動いていた。理屈よりも先に、本能が友を救うことを選んだのだ。
結果として、僕は友達を守り抜くことができた。しかし、引き換えに僕が負ったのは致命傷だった。容赦なく流れ出る血の感覚のなかで、僕は自らの死を悟った。不思議と、死にゆく感覚は心地よかった。もう二度と、彼らと会うことはできない。そう覚悟して、僕は意識を手放した。
だが、今はどうだ。目が覚めると、僕は見知らぬジャングルの真っ只中にいた。生き返ったのか、それともここが死後の世界なのか。
いや、そんなことはどうでもいい。今は一刻も早く、ここがどこなのかを突き止めるのが先決だ。
幸い、装備していた銃やダガーは手元にある。何が襲いかかってこようと、僕の実力なら容易く返り討ちにできるだろう。
――しかし、この世界の「異常」は、僕の経験則を遥かに超えていた。
鬱蒼と茂る草むらを抜けた瞬間、頭上の巨木の枝葉が爆発したように弾け飛んだ。
「なっ――!?」
回避行動を取る間すらなかった。上空から降ってきたのは、無数の人間の生首が、お互いの髪の毛を複雑に編み込んで巨大な球体と化した「肉塊」だった。
ドガッ……!!
強烈な質量が僕の左肩を直撃する。凄まじい衝撃。肉が潰れ、骨がきしむ嫌な音が響いた。僕は受け身も取れずに地面を激しく転がり、泥の中に叩きつけられる。
「が、はっ……!」
肺の空気を強制的に吐き出され、視界が真っ赤に染まる。左腕が痺れて感覚がない。不意を突かれた。あまりにも唐突で、理不尽な一撃。だが、体に染みついた戦術本能だけは死んでいなかった。
「ウガァァァァァッ!!」
頭部の球体が着地すると同時に、それぞれの生首が意思を持つように一斉に顎(あご)をガチガチと鳴らし、僕を貪り食おうと一気に距離を詰めてくる。
「舐めるな……ッ!」
僕は仰向けの姿勢のまま、右腕だけで拳銃を正確に引き抜き、迫り来る肉塊の群れへ銃口を向けた。
ドン! ドン! ドン! ドン!
反動で跳ね上がる銃頭を必死に抑え込みながら、大口径の弾丸を連射する。弾丸は先頭の生首の眉間を次々とぶち抜き、脳漿と黒い血を撒き散らしながらその進行を強制的に足止めした。一発撃つごとに、肉塊を構成する顔が一つ、また一つと噛み砕かれたように爆散していく。
しかし、奴は執拗だった。撃ち抜かれた生首を引き剥がしながら、なおも弾むようにして僕の至近距離まで肉薄してくる。残った数十の口が、僕の肉を裂こうと大きく開かれた。
銃を撃ち尽くす時間は、もうない。
「下がれっ!」
僕は拳銃をホルスターへ叩き込むと同時に、右手でタクティカル・ダガーを逆手に引き抜いた。
飛びかかってきた肉塊の顎が、僕の喉元に迫る。
寸前で左腕を盾のように突き出し、怪物の突進を強引に受け止めた。激痛が走るが構わない。そのまま右腕を振り抜き、ダガーの鋭利な刃を、肉塊の中心部で不気味に脈打つ結合組織へと深々と突き刺した。
ズブ、と肉を断つ感触。そこから力任せに、横一文字へと刃を裂き進める。
「ギ、エェェェェェーッ!!」
何十人もの悲鳴が重なったような、鼓膜を裂く怪鳥音が響き渡る。ダガーで結合部をズタズタに引き裂かれた生首の球体は、形を維持できなくなり、ボトボトと地面に崩れ落ちてただの肉片へと還っていった。
荒い息を吐きながら、僕は泥の中に膝をつく。左肩の傷がズキズキと激しく痛む。
先ほどの教訓は深く骨身に染みていた。僕は痛む左肩を庇いながらも、全神経を尖らせてジャングルの奥へと進む。油断など微塵もない。
だが、この森の悪意は、僕の警戒を嘲笑うかのように膨れ上がっていった。
ズル、ベチャリ、と周囲の泥や木の陰から、次々と不快な音が這い出し始める。
現れたのは、一匹や二匹ではない。人間の四肢を無数に生やした巨大な百足(むかで)のような肉塊、全身が歪な眼球で覆われた獣型の異形――数にして十数体。完全に包囲されていた。
「……群れを成してるか」
僕は再び重拳銃を構え、引き金を迷わず絞った。
ドン! ドン! ドン!
大口径の弾丸が、突撃してきた百足型の肉塊の頭部を正確に捉え、木っ端微塵に吹き飛ばす。すぐさま標的を切り替え、横から飛びかかってきた眼球の獣の脚を撃ち抜いて地面に転がした。
「一匹ずつ確実に処理する……!」
銃撃をメインに立ち回り、距離を保とうとする。しかし、敵の数が多すぎる。弾倉を交換するわずかな隙を突かれ、一体の異形が文字通り肉の壁となって僕の目の前に迫る。
「来いッ!」
銃をホルスターに戻す暇はない。僕は右手の拳銃を握ったまま、左手でタクティカル・ダガーを抜き放ち、正面から突き出された怪物の鋭い骨の爪を強引に受け流した。
キィィン、と硬質な音が響く。至近距離。僕はダガーを狂ったように振るい、怪物の喉元を掻き切り、さらに胸へと深く突き立てて力任せに引き裂いた。
だが、肉飛沫を浴びながら一体を屠ったその瞬間、背後から凄まじい殺気が膨れ上がる。
(しまっ――!?)
振り向くよりも早く、別の巨大な肉塊が僕の死角から跳躍していた。先ほどの負傷で、左腕の反応がほんのわずかに遅れた。回避は間に合わない。ダガーも、銃口を向ける猶予もなかった。圧倒的な質量の肉と爪が、僕の視界を完全に覆い尽くす。
死を覚悟した、その刹那だった。
シュウゥゥッ――!!
鼓膜を震わせたのは、空気を切り裂く鋭烈な風切り音。
直後、僕の目の前に迫っていた怪物の巨体が、まるで目に見えない巨人の拳に殴られたかのように、簡単に真横へと激しく吹き飛んだ。
ズガァァァン!!
異形は数本の巨木をなぎ倒しながら激突し、その肉体を一瞬でひき肉のように狂わせ、沈黙した。
「……え?」
呆然とする僕の前に、鬱蒼とした木々の隙間から、一人の人物が音もなく姿を現した。ジャングルの泥や血に汚れた僕とは対照的な、どこか現実離れした洗練された佇まい。
その圧倒的な力と、突如として現れた未知の存在に、僕の防衛本能が最大級の警報を鳴らす。僕は痛む体に鞭打ち、すぐさま銃口をその影へと突き付けた。
「……誰だ!?」
僕の前に、鬱蒼とした木々の隙間から、一人の人物が音もなく姿を現した。ジャングルの泥や血に汚れた僕とは対照的な、どこか現実離れした洗練された佇まい。
その圧倒的な力と、突如として現れた未知の存在に、僕の防衛本能が最大級の警報を鳴らす。僕は痛む体に鞭打ち、すぐさま銃口をその影へと突き付けた。
「早く応えろもう一回言う……誰だ!?」
僕が突き付けた大口径の銃口の先で、その少女は少し面倒くさそうに息を吐いた。
鬱蒼とした緑の隙間から木漏れ日に照らされたのは、異様なジャングルの光景にはおよそ不釣り合いな、鮮やかな紅白で所々緑が混ざった装束――巫女服だった。
黒髪を後ろで一つに結い、どこか気だるげな、けれど凛とした空気を纏った少女。手には身の丈ほどもある木製の和弓が握られており、その弦は今もかすかに微動を続けている。先ほど怪物を吹き飛ばした衝撃波の正体は、彼女が放った矢の風圧だったのだ。彼女は片手で弓を肩に担ぎ直すと、鋭い瞳で僕の銃口を見つめ、サバサバとした口調で言った。
「私は神楽坂 翠この辺りを一応管理している巫女よ。とりあえず、その物騒なものを下げてくれないかしら? 私はあんたの敵じゃないわよ」
「かぐらざか……すい……?」
僕は銃口を向けたまま、彼女の姿を睨みつける。巫女だと? こんな変な奴らが蔓延る未知のジャングルに、なぜ和装の少女が一人でいる。それに、僕の着ている〈機関〉の戦闘服や重拳銃を見ても、驚く風すらなく淡々としている。僕の正体などこれっぽっちも興味がなさそうだ。疑問は尽きなかったが、僕の左肩の激痛が限界を迎えていた。じわじわと流れ出る血が地面を汚し、視界がかすかに揺らぎ始める。
「それにしても、ひどい怪我じゃない。あんた、放っておいたらその左肩、腐り落ちてそこの化け物たちの仲間入りをすることになるわよ。この森の異形の呪いは厄介なんだから」
翠は僕の怪我を一瞥すると、腰の帯につけた呪符や小瓶に手をかけた。
「……僕を助ける義理が、貴方にあるんですか?」
「別に義理なんてないわよ。ただ、目の前で人間が化け物に食われそうになってるのを、黙って見てるほどヤバい奴じゃないってだけ。信じるか信じないかはあんたの自由だけど、死にたくないなら大人しくしときなさい」
彼女はそう言い放つと、僕の警戒などどこ吹く風といった様子で、ゆっくりと歩み寄ってきた。その時、周囲の茂みが再び「ガサリ」と不快な音を立てて揺れた。先ほどの戦闘の血の臭いに釣られ、新たな異形たちが集まってきているのだ。
翠は歩みを止め、音がした闇へと鋭い視線を向ける。そして、再び慣れた手つきで弓を構えた。
「ちっ、もう次の有象無象が集まってきたわね。話は安全な場所へ移動してからよ。ほら、まだ動けるんでしょう? さっさとついてきなさい。よし、それじゃあ行くわよ。遅れないでついてきなさい!」
翠の言葉を合図に、僕たちは鬱蒼としたジャングルを駆け出した。目指すのは、ここから少し離れた場所にあるという人間の住む里らしい。だが、異形どもがそれを黙って見送るはずもなかった。
左右の茂みが激しく波打ち、肉の擦れ合う不快な音が四方八方から押し寄せる。上空の枝葉からも、人間の手足が何本も生えた醜悪な肉塊が、重力に従ってボトボトと落下してきた。
「しつこいわねぇ、化け物共が!」
翠は走りながら、手にした和弓に一本の矢を番えた。彼女が弦を引き絞ると、矢じりにパチパチと白面を照らすほどの眩い光が収束していく。
――ヒュウゥゥッ!!
放たれた一矢は、空気を爆裂させながら直線の閃光となって飛び去った。
凄まじい衝撃波。正面から迫っていた数体の肉塊が、その風圧だけで一瞬にして消し炭へと変わり、後方の巨木ごと何十メートルも吹き飛んでいく。一撃で戦況をひっくり返す、まさに圧倒的な威力だ。
「これならどうだ!」
僕は彼女の速度に必死についていきながら、右手の重拳銃を構えた。翠が撃ち漏らし、死角から僕たちを挟み撃ちにしようと跳躍してきた犬型の異形。その眉間へ向けて、大口径の弾丸を正確に叩き込む。
ドン! ドン!
弾頭が怪物の頭部を爆散させ、緑の泥へと沈める。左肩の激痛が走るが、アドレナリンで無理やり感覚を麻痺させた。エージェントとしての意地がある。ただ守られているだけのデクの坊で終わるつもりはない。
「へえ、片腕であの反動を抑えるなんて、あんた意外とやるじゃない」
「貴方こそ、その弓は一体どうなってるんですか……っ!」
「ただの退魔の弓よ。驚くのはまだ早いわ!」
前方から、今度は道を塞ぐようにして、数十の人面が折り重なった巨大な肉の壁が立ち塞がった。弓を引き絞る時間はない。
そう思った瞬間、翠は弓を左手に持ったまま、右手を虚空へと伸ばした。
「――急急如律令!」
彼女の短い呪文と共に、その手の中に目も眩むような光の粒子が集束する。瞬時に形成されたのは、純粋な霊力で編み上げられた「光の剣」だった。
翠は一切の油断なく、その光の剣を豪快に振り抜いた。
ズバァァァッ!!
鋭烈な光の刃が、迫り来る肉の壁を真横から一文字に両断する。断面から溢れ出た汚い血や肉塊は、光の剣が放つ浄化の炎に焼かれ、地面に落ちる前に灰へと変わっていく。彼女は流れるような動作で光の剣を振るい、次々と群がる異形を文字通り「お掃除」していく。
「あっちの木の上、狙われてるわよ!」
「分かってます!」
翠の鋭い指示に即座に反応し、僕は上空の枝に潜んでいた百足型の肉塊へ銃口を向け、残りの弾丸を連射した。
ドン、ドン、ドン!
撃ち抜かれた怪物が悲鳴を上げて落下する。すかさず翠が振り返りざまに光の剣を突き立て、完全に消滅させた。抜群の連携。僕の的確な援護射撃と、彼女の圧倒的な殲滅力によって、包囲網は確実に切り開かれていく。
「見えてきたわ、あの鳥居をくぐれば里よ!」
翠が光の剣を消し去り、前方の木々の切れ目を指差した。鬱蒼とした緑の向こうに、古びた、けれど厳かな朱色の鳥居が佇んでいる。あの向こうが、この地獄のようなジャングルから逃れられる、人間の領域だ。
僕は痛む体を鼓舞し、彼女の背中を追って最後の直線を駆け抜けた。
この小説は面白いですか?正直に答えてください
-
めっちゃ面白い
-
結構面白い
-
面白い
-
普通
-
そんなに
-
ちょっと面白くない
-
面白くない
-
全然面白くない