なんて不思議なアザーサイド 作:南方に住んでいる作者
呆然とする僕の前に、鬱蒼とした木々の隙間から、一人の人物が音もなく姿を現した。ジャングルの泥や血に汚れた僕とは対照的な、どこか現実離れした洗練された佇まい。
その圧倒的な力と、突如として現れた未知の存在に、僕の防衛本能が最大級の警報を鳴らす。僕は痛む体に鞭打ち、すぐさま銃口をその影へと突き付けた。
「……誰だ!?」
僕が突き付けた大口径の銃口の先で、その少女は少し面倒くさそうに息を吐いた。
鬱蒼とした緑の隙間から木漏れ日に照らされたのは、異様なジャングルの光景にはおよそ不釣り合いな、鮮やかな紅白で所々緑が混ざった装束――巫女服だった。
黒髪を後ろで一つに結い、どこか気だるげな、けれど凛とした空気を纏った少女。手には身の丈ほどもある木製の和弓が握られており、その弦は今もかすかに微動を続けている。先ほど怪物を吹き飛ばした衝撃波の正体は、彼女が放った矢の風圧だったのだ。
彼女は片手で弓を肩に担ぎ直すと、鋭い瞳で僕の銃口を見つめ、サバサバとした口調で言った。
「私は神楽坂 翠この辺りを一応管理している巫女よ。とりあえず、その物騒なものを下げてくれないかしら? 私はあんたの敵じゃないわよ」
「かぐらざか……すい……?」
僕は銃口を向けたまま、彼女の姿を睨みつける。巫女だと? こんな変な奴らが蔓延る未知のジャングルに、なぜ和装の少女が一人でいる。それに、僕の着ている〈機関〉の戦闘服や重拳銃を見ても、驚く風すらなく淡々としている。僕の正体などこれっぽっちも興味がなさそうだ。
疑問は尽きなかったが、僕の左肩の激痛が限界を迎えていた。じわじわと流れ出る血が地面を汚し、視界がかすかに揺らぎ始める。
「それにしても、ひどい怪我じゃない。あんた、放っておいたらその左肩、腐り落ちてそこの化け物たちの仲間入りをすることになるわよ。この森の異形の呪いは厄介なんだから」
翠は僕の怪我を一瞥すると、腰の帯につけた呪符や小瓶に手をかけた。
「……僕を助ける義理が、貴方にあるんですか?」
「別に義理なんてないわよ。ただ、目の前で人間が化け物に食われそうになってるのを、黙って見てるほどヤバい奴じゃないってだけ。信じるか信じないかはあんたの自由だけど、死にたくないなら大人しくしときなさい」
彼女はそう言い放つと、僕の警戒などどこ吹く風といった様子で、ゆっくりと歩み寄ってきた。その時、周囲の茂みが再び「ガサリ」と不快な音を立てて揺れた。先ほどの戦闘の血の臭いに釣られ、新たな異形たちが集まってきているのだ。
翠は歩みを止め、音がした闇へと鋭い視線を向ける。そして、再び慣れた手つきで弓を構えた。
「ちっ、もう次の有象無象が集まってきたわね。話は安全な場所へ移動してからよ。ほら、まだ動けるんでしょう? さっさとついてきなさい。よし、それじゃあ行くわよ。遅れないでついてきなさい!」
翠の言葉を合図に、僕たちは鬱蒼としたジャングルを駆け出した。目指すのは、ここから少し離れた場所にあるという人間の住む里らしい。
だが、異形どもがそれを黙って見送るはずもなかった。
左右の茂みが激しく波打ち、肉の擦れ合う不快な音が四方八方から押し寄せる。上空の枝葉からも、人間の手足が何本も生えた醜悪な肉塊が、重力に従ってボトボトと落下してきた。
「しつこいわねぇ、有象無象が!」
翠は走りながら、手にした和弓に一本の矢を番えた。彼女が弦を引き絞ると、矢じりにパチパチと白面を照らすほどの眩い光が収束していく。
――ヒュウゥゥッ!!
放たれた一矢は、空気を爆裂させながら直線の閃光となって飛び去った。
凄まじい衝撃波。正面から迫っていた数体の肉塊が、その風圧だけで一瞬にして消し炭へと変わり、後方の巨木ごと何十メートルも吹き飛んでいく。一撃で戦況をひっくり返す、まさに圧倒的な威力だ。
「これならどうだ!」
僕は彼女の速度に必死についていきながら、右手の重拳銃を構えた。翠が撃ち漏らし、死角から僕たちを挟み撃ちにしようと跳躍してきた犬型の異形。その眉間へ向けて、大口径の弾丸を正確に叩き込む。
ドン! ドン!
弾頭が怪物の頭部を爆散させ、緑の泥へと沈める。左肩の激痛が走るが、アドレナリンで無理やり感覚を麻痺させた。エージェントとしての意地がある。ただ守られているだけのデクの坊で終わるつもりはない。
「へえ、片腕であの反動を抑えるなんて、あんた意外とやるじゃない」
「貴方こそ、その弓は一体どうなってるんですか……っ!」
「ただの退魔の弓よ。驚くのはまだ早いわ!」
前方から、今度は道を塞ぐようにして、数十の人面が折り重なった巨大な肉の壁が立ち塞がった。弓を引き絞る時間はない。
そう思った瞬間、翠は弓を左手に持ったまま、右手を虚空へと伸ばした。
「――急急如律令!」
彼女の短い呪文と共に、その手の中に目も眩むような光の粒子が集束する。瞬時に形成されたのは、純粋な霊力で編み上げられた「光の剣」だった。
翠は一切の油断なく、その光の剣を豪快に振り抜いた。
ズバァァァッ!!
鋭烈な光の刃が、迫り来る肉の壁を真横から一文字に両断する。断面から溢れ出た汚い血や肉塊は、光の剣が放つ浄化の炎に焼かれ、地面に落ちる前に灰へと変わっていく。
彼女は流れるような動作で光の剣を振るい、次々と群がる異形を文字通り「お掃除」していく。
「あっちの木の上、狙われてるわよ!」
「分かってます!」
翠の鋭い指示に即座に反応し、僕は上空の枝に潜んでいた百足型の肉塊へ銃口を向け、残りの弾丸を連射した。
ドン、ドン、ドン!
撃ち抜かれた怪物が悲鳴を上げて落下する。すかさず翠が振り返りざまに光の剣を突き立て、完全に消滅させた。
抜群の連携。僕の的確な援護射撃と、彼女の圧倒的な殲滅力によって、包囲網は確実に切り開かれていく。
「見えてきたわ、あの鳥居をくぐれば里よ!」
翠が光の剣を消し去り、前方の木々の切れ目を指差した。鬱蒼とした緑の向こうに、古びた、けれど厳かな朱色の鳥居が佇んでいる。あの向こうが、この地獄のようなジャングルから逃れられる、人間の領域だ。
僕は痛む体を鼓舞し、彼女の背中を追って最後の直線を駆け抜けた。