(明智ハル視点)
窓から差し込む午後の陽射しが、事務所の床に柔らかな光の模様を描いている。
俺は棚の埃を丁寧に拭き取りながら、ふと手を止めて窓の外に目をやった。
ここに来てから一カ月。
掃除の手順もプリティホリックの品出しも、今では考えなくても体が勝手に動くようになっていた。
「ハルくん、今日も事務所の掃除とお店の手伝いご苦労さま。本当に助かってるよ、ありがとう」
「みくるの言う通りだよ。ハルくんが来てから事務所の中がピカピカで気持ちいいし、店の方もすごく評判いいんだって。お客さんから『陳列が綺麗で商品が選びやすい』って褒められたらしいよ!!」
二人にそう言ってもらえると、この一カ月の自分の働きがちゃんと役に立っていたのだと実感できて、胸の奥がじんわりと温かくなる。
俺は「それはよかった」と素直に笑みを返し、三人でいつものように他愛のない話で盛り上がっていた。
すると、その和やかな空気を切り裂くように事務所のドアが控えめにノックされた。
コン、コン、コンと三回几帳面な間隔で響くその音には、どこか遠慮と緊張が混ざっているように感じられた。
「はい、ただいま開けますね」
みくるが立ち上がり、静かにドアを開ける。
扉の向こうに立っていたのは四十代くらいの女性だった。
濃紺のスーツをきっちり着こなし、背筋をものさしのようにまっすぐ伸ばした姿は、ひと目で“厳格な人だ”とわかる。
銀縁の眼鏡の奥にある切れ長の目は、事務所の中を値踏みするように素早く一瞥したあと、みくるの顔に固定された。
「突然の訪問、失礼いたします。私、まことみらい市立第一小学校で教頭を務めております、氷室と申します」
氷室と名乗った女性はそう言うと、まるで教科書の模範例のような完璧な角度で深々とお辞儀をした。
その動作の一つ一つに無駄がなく、長年の教師生活で培われた威厳のようなものが滲み出ている。
俺は箒を壁に立てかけ、あんなもソファから立ち上がって背筋を伸ばした。
「どうぞ中へお入りください。今お茶をお淹れしますので、こちらにおかけになってお待ちください」
みくるがソファへ案内し、あんなが手際よくお茶の準備を始める。
氷室教頭はソファに腰を下ろすと膝の上にきっちりと揃えた両手の上にハンドバッグを置き、背もたれに寄りかかることなく、まっすぐな姿勢を保ったまま口を開いた。
「本日は少々奇妙な依頼で参りました。実はここ数日、我が校に『怪物が出た』という妙な噂が広まっておりまして、それが原因で生徒たちが怯え、授業に集中できない状態が続いております」
「怪物……ですか。具体的にはどのような?」
みくるが机から推理ノートを取り出し、ペンを構えながら先を促す。
氷室教頭は眼鏡の位置を指先でほんの少しだけ直し、それから抑揚を抑えた声で淡々と説明を続けた。
「目撃した児童の証言によりますと、体育館の裏手にある倉庫の近くで、体長二メートルほどの異形の生物が宙に浮かんでいたそうです。しかも困ったことに、若手の教師までもが『確かに見た』と言い出しまして、職員室でもその話で持ちきりでございます」
氷室教頭の声には、そういった非科学的な噂話に対する明確な苛立ちが込められていた。
彼女は細く整えられた眉をほんのわずかにひそめ、まるで不愉快な虫でも追い払うかのように小さく息を吐く。
「もちろん、私自身はそのような怪物が実在するなどとは一切信じておりません。これは何者かが児童を怖がらせるために流した悪質なデマか、あるいは集団ヒステリーのようなものでしょう」
氷室教頭はそこで一旦言葉を切り、ハンドバッグから一枚の地図を取り出して机の上に広げた。
小学校の見取り図らしく、体育館や校舎倉庫の位置が細かく書き込まれている。
「しかし、口で『いない』と言うだけでは生徒も教師も納得しません。そこで、こちらにお願いに参りました。先日も街で起きた奇妙な事件を解決されたと聞いております。どうか我が校を調査していただき、怪物など存在しないということを証明していただけないでしょうか」
氷室教頭はそこで俺たち三人を鋭い目で順番に見つめた。
まるで『あなたたちなら、この噂をきっちり終わらせられるでしょう』と言っているようだった。
その視線の鋭さに、あんなは一瞬たじろいだ。
けれどすぐに持ち前の明るさで笑顔を取り戻し、力強くうなずいた。
「わかりました、氷室先生。まずは調査してみます。本当に怪物がいるのかいないのか、私たちがこの目で確かめてきますね」
「ええ、私たちにお任せください。噂の出所や目撃証言の信憑性も含めて、できる限りの調査をさせていただきます」
みくるも冷静にうなずき、推理ノートに「小学校・怪物目撃騒動」と丁寧に書き込む。
氷室教頭は二人の返事に満足したのか、初めて口元をほんのわずかに緩め、立ち上がって出口へと向かった。
「期待しております。どうか、子供たちに安心して学校に通える環境を取り戻してください」
氷室教頭がきっちりとドアを閉めて去っていくと、事務所の中に張り詰めていた空気がふっと緩んだ。
あんなは大きく息を吐き出して、ソファにどさりと腰を下ろす。
「すごく厳しそうな先生だったね。怒られるようなことはしてないのに、なんだか職員室に呼び出された気分になっちゃったよ」
「でも、言っていることは理解できるよ。教育者が学校で怪物の噂なんて、放っておけるわけがないもの。子供たちが怖がって授業に集中できないのは、やっぱり看過できないんだと思う」
みくるは机に広げられた学校の見取り図をじっと見つめながら、何かを考え込むように眉をひそめている。
俺も彼女の隣に立ち、地図に目を落とした。
体育館の裏手にある倉庫、その周辺に描かれた庭木や遊具の配置を頭に叩き込む。
「だけどさ……怪物の噂って、この前のカルト教団の事件と似てない?あの時も街中に変な穴が開いて、そこから怪物が出てきたし」
「ああ、俺も同じことを考えていた。あのカルト教団の残党がまだいるのかもしれない」
「警察はカルト教団の残党について、その後の発表は何もしていないし……私たちの方でも独自に調べてみる価値はありそうね」
みくるが推理ノートに「カルト教団残党の可能性」と走り書きし、その横に大きな疑問符をつける。
彼女はペンを置くと、顔を上げて俺とあんなを真っ直ぐに見つめた。
「いずれにせよ、教頭先生は『怪物など存在しないということを証明してほしい』と言っていたけど、もし本当に怪物がいたとしたら、放っておくわけにはいかないよね」
「うん、私たちで絶対に確かめよう。いるかいないかこの目で見て、いるなら止めるし、いないならちゃんとみんなにそう伝える。どっちに転んでも、子供たちを安心させてあげたい!!」
あんなは両手をぎゅっと握りしめて、その大きな瞳に揺るぎない決意の光を宿らせた。
俺はそんな二人の顔を交互に見つめ、静かにうなずく。
「俺ももちろん同行する。もし本当に怪物が出たとしても、二人だけを危険な場所に行かせるわけにはいかないからな」
「ありがとうハルくん!!」
「ハルくん、絶対に無茶はしないで……危ないと思ったらすぐに隠れてね」
みくるが真剣な表情で俺の目をじっと見つめて念を押す。
彼女のこういう心配性なところはいつも俺をあたたかい気持ちにさせてくれる。
俺は「わかってる」と短く答え、出かける準備をするのだった。
夕暮れが迫る頃、俺たちはまことみらい市立第一小学校の正門をくぐった。
放課後の校舎はしんと静まり返っていて、時折吹く風が校庭の砂をさらさらと舞い上げている。
あんなのカバンの中ではポチタンが「ポチッ」と小さく鳴き、俺は周囲に誰もいないことを確認してから二人に話しかけた。
「どうする? まずは教師の人から話を聞くか? 氷室教頭からは若い教師が怪物を見たと聞いているし、実際の目撃者から詳しい状況を聞くのが調査の基本だと思うんだが」
「そうだね、まずは怪物を見たって言う教師の人から話を聞いてみよう」
俺たちは事前に氷室教頭から聞いていた職員室へと向かった。
教頭からの連絡が既に行き届いていたらしく、対応してくれたのは二十代半ばくらいの若い男性教師だった。
名前は佐山先生。
体育館の裏手で怪物を目撃した本人だ。
佐山先生は、まだ怯えが抜けきらない様子で紅茶のカップを両手で握りしめながら、震える声で当時の状況を語ってくれた。
「本当に一瞬の出来事だったんです。体育館の倉庫からバレーボールを出そうとしたら、ふと視線を感じて振り返ったんです。そうしたら校庭と体育館の間にふわふわと浮かぶ異形のものが見えて……」
「浮かんでいた、ですか?それは空中に浮遊していたということでしょうか?」
みくるが推理ノートに素早くメモを取りながら先を促すと、佐山先生はこくこくと何度も頷いた。
「はい、地面から五十センチくらい浮いていたと思います。形はそうですね……海のイソギンチャクをそのまま大きくしたような感じでした。無数の触手がゆらゆら揺れ、その中心にぽっかりと口のような穴が開いていました。でも次の瞬間には、ふっと消えてしまって」
「消えたということは、瞬間移動のような能力を持っている可能性もあるな。佐山先生に危害を加えようとした様子は?」
俺はそう言って佐山先生に尋ねる。
「いえ、私が声をあげる前にふっと消えてしまいました。まるで最初からそこには何もなかったかのように……空気に溶けるみたいに」
佐山先生の証言を全て聞き終えた俺たちは、彼が怪物を目撃したという飼育小屋の近くへと向かった。
校舎の裏手にあるその場所は、子供たちの歓声が響く校庭とは打って変わって、ひっそりと静まり返っている。
飼育小屋にはウサギとニワトリが飼われているらしいが、動物たちの鳴き声が聞こえてくるはずなのに、何も聞こえない。
その静けさがあまりにも不自然で俺は胸の奥にざわりと嫌な予感が広がるのを感じた。
「なんだか、すごく静かだね」
「うん……ちょっと、見てくるね」
あんなが飼育小屋の扉をそっと開けて中を覗き込んだ。
その次の瞬間……彼女の口から漏れたのは言葉ではなく、かすれた息を呑む音だった。
みくるも異変を感じ取ってあんなの隣に駆け寄り、小屋の中を覗き込む。
すると、みくるの表情も一瞬で凍り付いた。
「うそ……でしょ、これってあんまりだよ。みんな……死んじゃってる……」
「血が、全部抜かれてる!?ウサギもニワトリも傷口は小さいのに……体中の血が一滴残らず吸い取られたみたいに干からびてる!?」
二人の声は震えていて、その顔からは血の気がすっかり引いていた。
あんなは唇を噛みしめて涙をこらえている。
みくるは冷静に観察しようとしているが、その手は小刻みに震えていて、彼女がどれだけショックを受けているかが痛いほど伝わってきた。
俺は二人の肩にそっと手を置いてから、飼育小屋の中に足を踏み入れた。
床には五羽のニワトリと三羽のウサギが横たわっていて、どれもこれも目を見開いたまま息絶えている。
俺は膝をついて、一羽のニワトリの体をそっと持ち上げ傷口を注意深く観察した。
首の付け根に小さな穴が二つ並んで開いている。
まるで何か細い管のようなものを突き刺して、そこから血液だけを吸い出したかのような痕跡だった。
「傷口に管のようなものを刺された跡があるな。牙で噛みちぎった痕じゃない。正確に血管だけを狙って、そこから血を抜き取っている。やっぱりこれは人間の仕業じゃない」
俺は静かにニワトリの体を元の位置に戻し、ゆっくりと立ち上がった。
あんなとみくるはまだ言葉を失っていて、あんなは両手で口元を覆い、みくるはきつく拳を握りしめて俯いている。
二人とも、この無残な光景に心を痛めているのが痛いほどわかったが、今は感情に流されている場合ではない。
「あんな、みくる、これは吸血するタイプの怪物の可能性が高い。佐山先生の証言にあったイソギンチャクのような姿も、吸血に特化した触手と口器を持っていると考えれば辻褄が合う。それに、一瞬で消えたということは……獲物を捕らえた後、素早く隠れる習性があるのかもしれない」
「でも、どうしてこんなことするの!?こんなのあんまりだよっ!!動物たちが何をしたって言うの!?」
あんなの気持ちはわかる。
でも、感情だけで判断すると見落とすものが出る。
「……あんな。俺だって、この光景を見て何も感じないわけじゃない。ただ、これは“憎くてやった”というより、生きるための行動なんだと思う。肉食動物が獲物を狙うのと同じで、この怪物も血を必要としているだけかもしれない。だからこそ、まずは冷静に正体を突き止めよう」
あんなは俺の言葉に顔を上げ、その大きな瞳にはまだ悲しみと怒りが渦巻いている。
けれど彼女は、俺の言おうとしていることを必死に理解しようとしているようだった。
「理由がどうあれ、怪物が危険なのは変わらないし、必ず止める。だから今は感情に流されずに状況を見よう。俺たちが判断を誤れば、また誰かが犠牲になるかもしれない」
俺の言葉に、みくるが顔を上げ、濡れた目を袖で拭いながらしっかりとうなずいた。
彼女は一度深呼吸をしてから、いつもの冷静な探偵の顔を取り戻す。
「そうだね、今は私情を挟まず冷静に状況を判断しよう。この怪物がどこから来て、どこに潜んでいるのか、それを突き止めるのが私たちの役目だから」
あんなもまた両手で自分の頬をぱちんと叩いて気合を入れ直し、その瞳に再び強い光が宿った。
「ハルくんの言う通りだね……ごめん、ちょっと取り乱しちゃった」
俺はそんな二人の様子を見て、胸の奥が静かに熱くなるのを感じた。
「よし、それじゃあ改めて飼育小屋の周辺を徹底的に調べよう。怪物が残した痕跡が必ずどこかにあるはずだ。吸血した死体をここに放置している以上、怪物はまだこの学校のどこかに潜んでいる可能性が高い」
俺たちは再び気を引き締めて、飼育小屋の周辺をくまなく調査し始めた。
地面に残る足跡や壁に付着した粘液、あるいはさっきまで佐山先生が話していた宙に浮く姿を可能にする何らかの痕跡を……。
ポチタンもカバンから顔を出し「ポチッポチッ」と鼻をひくつかせながら何かの匂いを追っている。
空は茜色から群青色へと変わり始め、校庭を照らす外灯がぽつりぽつりと点灯を始めていた。
あんな達がプリキットミラールーペを使って飼育小屋の周辺をくまなく調べたが、怪物が宙に浮いているからなのか、決定的な手がかりは見つからなかった。
その後も校庭、体育館と調べ、今は校舎の中を調査している。
辺りはすっかり暗くなり、校舎の窓から差し込む月明かりだけが廊下をぼんやりと照らしていた。
「あの怪物は、どこに隠れているんだろうな。校庭も体育館も調べたのに、痕跡すら見つからないなんて……」
「でも必ずどこかにいるはずだよ。佐山先生が目撃したのも、動物たちが襲われたのも、全部この学校の中で起きたことなんだから。私たちがまだ調べていない場所がどこかにあるはずだよ」
あんなの声はいつもより低く抑えられていたが、その口調には諦めの色はまったくない。
俺は廊下の先を見据えながら、まだ立ち入っていない場所を頭の中でリストアップした。
教室、職員室、保健室……校舎内はひと通り調べ終わり、残っているのは屋上とその周辺だけだ。
屋上へと続く階段は校舎の一番奥にあって、非常階段の表示が古びた緑色の光を放っている。
階段を一段一段上がっていくと、屋上へと通じる重い鉄製の扉が見えてきた。
その瞬間、俺の耳がかすかな声を捉える。
研ぎ澄まされた聴覚が、鉄扉の向こう側から漏れ出る声を確かに聞き取ったのだ。
俺は咄嗟にあんなとみくるを手で制し、扉の横に身を潜めるように合図を送った。
「明日だ、明日の授業参観日に親たちの目の前で子供たちの血を吸い取ってやる。くくく……ああ、今から楽しみで仕方がない」
その声はひどくかすれているのに、底には抑えきれない喜悦が渦巻いていた。
言葉の端々から漏れる狂気が、夜気の冷たさと混ざり合い、肌をじわりと刺す。
あんなは拳を固く握りしめ、月明かりに照らされた指の関節が白く浮かんでいた。
みくるも唇を噛みしめ、震える怒りを必死に押しとどめている。
「授業参観日に子供たちを襲うなんて……そんなの絶対に許せない」
あんなは声を潜めてそう言うと、ジュエルキュアウォッチを取り出した。
彼女の手は怒りのせいでまだ少し震えていたが、その目はまっすぐに前だけを見据えている。
みくるもまた静かにうなずき、同じくジュエルキュアウォッチを手に取って胸の前でしっかりと握りしめた。
俺は二人に悟られないように小さく息を吐き、自分の中に湧き上がる闘志を静かに抑え込む。
「どんな謎でもはなまる解決、名探偵キュアアンサー!!」
「重ねた推理で笑顔にジャンプ、名探偵キュアミスティック!!」
まばゆい光が夜の廊下を一瞬で昼間のように照らし出し、二人の服が戦闘衣装へと変わる。
「ハルくん、ポチタンをお願い。前みたいに無理して飛び出したりしないでね」
「わかった、ポチタンは俺が預かる。でも約束はできない。何かあったら俺も必ず加勢する。二人だけに危険を背負わせるわけにはいかないからな」
俺がそう言うと、キュアアンサーは少し困ったように眉を寄せたが、すぐに観念したように小さく笑った。
彼女は、俺のそういう性格をよくわかっているのだろう。
俺はカバンからポチタンを受け取り、腕の中にしっかり抱え込む。
ポチタンは「ポチッ」と小さく鳴き、不安そうに俺の胸へすり寄ってきた。
キュアアンサーが勢いよく扉を押し開き、屋上へと飛び出していく。
その後ろをキュアミスティックが追い、俺も少し距離を置いて屋上の隅へ身を滑り込ませた。
夜風がびゅうと吹き抜ける。
月明かりだけが屋上を青白く照らしている。
その中央には黒いマントを纏った男が立っていた。
そして、その隣には全長二メートルはあろうかという巨大なイソギンチャクのような怪物がふわりと浮かんでいる。
無数の触手がゆらゆらと宙を這い、その先端には鋭い鉤爪がびっしりと生えていた。
口のような穴は、呼吸のたびにぐぱぐぱと不気味に収縮している。
「おまえたちは……そうか、こんなところまで追ってきたか。我らの邪魔をした小娘どもめ」
黒マントの男がゆっくりと振り返り、フードの奥からこちらを認めると口元を歪ませた。
彼の口調には、あたかも俺たちのことを以前から知っているかのような含みがある。
やはりこいつはカルト教団の残党のようだ。
キュアミスティックが一歩前に出て、黒マントの男をまっすぐ見据えた。
その瞳には、恐怖よりも強い怒りと疑問が宿っている。
「あなたたちの目的は何ですか?なぜ学校なんかに潜んでいるんです?こんなことをして……一体何になるっていうんですか!?」
「我が神の復活だ。世界にはもっと……もっと恐怖が必要なのだ!!我が神が求めるのは人間の絶望!!この街で恐怖が……絶望が広がれば必ずや我が神は復活する!!」
黒マントの男は両腕を大きく広げ、まるで演説でもするかのように声を張り上げた。
フードの奥の目は異様な光を宿し、正気とは思えない狂気が滲んでいた。
「想像してみろ。親の目の前で我が子が血を吸われ、ミイラのようになっていく姿を……泣き叫ぶ親、恐怖に引きつる子供の顔。そのすべてが神への最高の供物となる。くく、最高だ!!想像するだけで身震いがする!!」
男は喉の奥から絞り出すような笑い声をあげた。
その声はもはや人間の出す音とは思えないほどに歪んでいて、聞いているだけで背筋に冷たいものが走る。
男の歪んだ笑い声を聞いた瞬間、キュアアンサーは胸の前で拳をぎゅっと握りしめた。
怒りよりも、失われた命への悲しみがその表情に滲んでいた。
「それじゃあ聞くけど、どうして飼育小屋のウサギやニワトリを襲ったの。あの子たちはあなたたちの目的とは関係ないはずだよ。ただ、そこで静かに暮らしていただけの小さな命だったのに」
「勝手にこいつが襲っただけだ。作戦まで人間を襲うなと命令していたからな……腹が減って他の生き物の血を吸ったんじゃないか?」
男は隣に浮かぶ怪物をちらりと見て、まるで飼い犬の失敗でも語るように肩をすくめた。
彼にとってウサギもニワトリも、そして明日襲おうとしている子供たちでさえ、ただの生贄にすぎないのだろう。
その価値観のあまりの乖離に、胸の奥で怒りがぐつぐつと煮えたぎる。
だが同時に、別の違和感が静かに頭を叩いた。
男はこちらの問いに、妙に律儀に答えている。
その違和感が確信へ変わったのは次の瞬間だった。
屋上の中央に浮かんでいた怪物が、ふっと空気に溶けるように消えた。
月光は怪物のいた場所を素通りし、地面に白く落ちている。
「くく、どうやら吸った血が完全に消化されたようだ……これで戦うことができるな」
男が勝ち誇ったように笑った。
その瞬間、俺の中でパズルのピースが音を立ててはまった。
こちらの質問にわざと長々と答えていたのは、怪物が吸った血を消化し、透明化できるようになるまでの“待ち時間”だったのだ。
「しまった……こいつ、怪物が透明化できるようになるまで時間を稼いでいたんだ。二人とも気をつけろ!!怪物は透明になってどこかに潜んでいるぞ!!」
俺の警告が終わるか終わらないかのうちに、空気を裂く鋭い音が屋上に響いた。
見えない触手が鞭のようにしなり、キュアアンサーとキュアミスティックへ容赦なく叩きつけられる。
二人は間一髪で飛び退いたが、着地した瞬間には別方向から新たな一撃が迫る。
右、左、上――見えない攻撃が途切れなく降り注ぎ、反撃の隙をまったく与えない。
二人は完全に防戦一方へ追い込まれていた。
「どこにいるか全然わからない!!右かと思ったら次は左から来るし、音だけが頼りなのに……風の音が四方八方から聞こえてきて全然絞り込めないよ!!」
「このままじゃまずい!!姿さえ見えれば反撃できるのに……透明な相手にどうやって攻撃を当てればいいの?」
見えない敵に翻弄される二人の姿を目の当たりにし、俺の心臓は早鐘のように打ち始めた。
怪物は血を吸うための触手を使わず、鉤爪のついた触手だけを叩きつけてくる。
血を吸えば姿が見えて不利になる――それを理解しているのだ。
俺は必死に考えを巡らせた。
姿が見えないなら、見えるようにすればいい。
……だが、どうやって?
透明化を解除するには、何か物理的な手段が必要だ。
水をかける、粉を撒く、表面を覆う――どれかで形を浮かび上がらせられるはず。
その時、廊下で見た光景が脳裏に閃いた。
非常階段の近くの壁に、赤い消火器があった。
「ポチタン、ここで待っててくれ」
俺は屋上の隅にポチタンをそっと下ろし、全速力で廊下へ駆け戻った。
階段を三段飛ばしで駆け下り、記憶通りの位置から消火器を引き抜く。
屋上へ戻った瞬間、戦況はさらに悪化していた。
キュアアンサーは触手の一撃を肩に受け、地面に叩きつけられて呻いている。
キュアミスティックは必死にバリアを展開しているが、見えない敵を前に張る方向が定まらず、消耗が激しい。
二人の額には汗が滲み、それでも戦う意志だけはまだ折れていなかった。
「二人とも、そこを離れろ!!」
俺は消火器を構えながら戦場へと飛び込んだ。
二人は俺の手にある消火器を見て、一瞬で俺の意図を察し、同時に左右に跳んでその場を離れる。
狙いは怪物が立っていると予測される空間その中心に向けて、俺は消火器のレバーを全力で握りしめた。
噴射口から白い粉末が勢いよく吹き出し、夜の闇を一気に白く染め上げた。
屋上に立ち込める粉末の煙の中で、それまで何もなかったはずの空間に白く縁取られた異形のシルエットがぼんやりと浮かび上がった。
無数の触手が粉末に覆われて白く輝き、宙に浮かぶ巨大なイソギンチャクの全貌が今、姿を露わにした。
「見えた……あそこだよ!!」
「ポチタン!」
キュアミスティックが力強く叫び、屋上の隅に潜んでいたポチタンが一直線に彼女のもとへと飛んでいく。
ポチタンはその小さな体からマコトジュエルを差し出すと、キュアミスティックはそれを受け取り、素早くプリキットミラールーペにセットした。
ルーペがピンク色の眩い光を放ち始め、彼女の手の中で一本の光線状の剣が生成されていく。
その刃はレイピアのように細くしなやかで、それでいて見ているだけで目が眩むほどの純粋な光のエネルギーが凝縮されていた。
「キュアミスティックが解決!!プリキュア・ミスティックストライク!!」
キュアミスティックは地面を強く蹴り、白く浮かび上がった怪物の中心目掛けて一直線に飛び込んでいく。
彼女の手にした光のレイピアが夜の闇を切り裂き、その刃先が怪物の口のような穴の奥深くまで正確に突き刺さった。
光が怪物の体内を駆け巡り、無数の触手が一瞬で硬直する。
怪物はその巨体を内側から光に食い破られ、黒い霧となって夜の空気へ静かに溶けるように消えていった。
あとには焼け焦げたような臭いと、消火器の白い粉末が静かに降り積もる静寂だけが残されている。
「馬鹿な……馬鹿なぁ!!神子様から授かった力が小娘ごときにぃ!!」
黒マントの男は両膝を屋上の床に叩きつけ、頭を抱えて絶叫した。
先ほどまでの狂信的な自信は粉々に打ち砕かれ、彼の周りに積もった白い粉末だけが、この戦いの終わりを静かに物語っていた。
その後、みくるが警察に通報すると、十五分ほどで赤いランプを回したパトカーが校門に横付けされ、制服の警官たちが物々しい足取りで屋上へ上がってくる。
あれほど狂信的に叫んでいた男は、今は魂の抜けた人形のようにぐったりしており、そのまま連行されていった。
ほどなくして氷室教頭も駆けつけた。
事情を聞き終えると、眼鏡の奥の切れ長の目をわずかに細め、納得したように何度もうなずく。
「やはり人間のいたずらだったのですね。不届き者が学校に潜んでいたことは由々しき事態ですが……これで子供たちに『怪物などいなかった』と説明できます。ご協力に感謝します」
氷室教頭はきっちりとした動作で深々とお辞儀した。
彼女の中ではすべてが綺麗に片付いたのだろう。
怪物など存在せず、すべては人間の悪意によるもの――その結論に、一片の疑いも残っていないようだった。
でも俺は知っている。
あの怪物は確かに存在した。
イソギンチャクのような異形は透明になって宙を漂い、ウサギやニワトリの血を吸い尽くしたのだ。
みくるは警察官の一人を呼び止め、怪物について正面から問いただした。
その声は冷静で、それでいて揺るぎない真剣さを帯びていた。
「今回の事件の背後には、以前から街で目撃されている正体不明の怪物が関わっている可能性があります。カルト教団の残党がその怪物を使役していた形跡もあるんです。警察はこの件についてどこまで把握されているんでしょうか」
警察官は一瞬だけみくるを見つめた。
その目には、何かを知っている者特有の揺らぎがあった。
だがすぐに表情を引き締め、平坦な声で答える。
「その件に関しましては、現在お答えできることは何もありません。ご協力には感謝しますが、これ以上の詮索は控えてください」
それだけ言うと、警察官はぴたりと口を閉ざした。
その態度には、何を聞かれても絶対に答えないという硬い意志を感じる。
みくるは唇を噛みしめ、悔しさを押し殺しながら引き下がるしかなかった。
帰り道、俺たち三人は夜の街を並んで歩いていた。
街灯のオレンジ色が歩道に細長く伸び、影をいくつにも裂いていく。
あんなもみくるも黙ったままで、いつもの明るさはなかった。
「警察の人、絶対に何か知ってるのに……どうして教えてくれないんだろう。私たち何度も怪物と戦ってきたのに、まるで子供だから話せないって言われてるみたい」
あんなは俯きながら、小さく溜め息をついた。
「それだけじゃないの。飼育小屋のウサギやニワトリのこと……まだ頭から離れないんだ。あの子たちは静かに暮らしてただけなのに」
みくるの声はかすかに震えていた。
俺は立ち止まり、夜空を見上げた。
雲の切れ間から覗く星が冷たく瞬いている。
二人の肩にそっと手を置き、できるだけ穏やかな声で言葉をかけた。
「今日、二人は確かに子供たちを救ったんだ。明日の授業参観で、親の前で子供が襲われる未来を……あんなとみくるが止めたんだ」
あんなは顔を上げ、俺の目をじっと見つめた。
大きな瞳にはまだ悲しみが揺れていたが、口元が少しだけ緩み、いつもの明るさが戻り始めていた。
「そうか……私たち、助けられたんだよね。明日、みんなが普通に授業参観を受けられて、親御さんたちも笑顔で子供を見ていられるんだ」
みくるもそっと息を吐き、小さく頷いた。
自分の手のひらを見つめ、指を握ったり開いたりしながら、何かを確かめるようにしている。
「ハルくんの言う通りだよ。失われた命を思うと苦しいけど……救えた命に目を向けないのは、戦った自分たちを否定することになる。それは違うよね」
俺は二人の肩から手を離し、今度はそれぞれの頭を優しく撫でた。
あんなはくすぐったそうに目を細め、みくるは少し照れながらも身を預けてくる。
夜風が街路樹を揺らし、葉がさらさらと音を立てた。
事務所に戻ると、みくるは推理ノートを広げ、新しいページにペンを走らせ始めた。
その目はもう探偵のそれで、さっきまでの悲しみをきちんと心の棚にしまったようだった。
「私はカルト教団と怪物について、もっと調べたいと思ってる。今回で三度目の遭遇だし、毎回違う種類が出てきてる。どこから来て、誰が生み出しているのか……突き止めない限り、また同じことが起きる」
「でも、どうしたらいいんだろう?警察は何も教えてくれないし……教団の人は捕まったけど、まだ残党がいるかもしれない。私たちだけじゃ手がかりが少なすぎるよ」
あんなは頬杖をつき、眉を八の字にして考え込む。
みくるは深く頷き、ペンを置いて顔を上げた。
しばらく天井を見つめて考えたあと、静かに口を開く。
「もう少し考えてみる。焦っても仕方ないから、まずは事務所に来る依頼を一つずつ丁寧にこなしていこう。それが私たちの土台になるし、今はできることをきちんとやるのが一番だと思うの」
俺とあんなは、その言葉に静かに頷いた。
夜の静けさの中で、その小さな頷きが三人の次の一歩をそっと形づくっていくように思えた。