(明智ハル視点)
俺たちはまず最初に、地図に記された公園の噴水広場へと向かった。
雨上がりの広場はまだあちこちに水たまりが残っていて、夕方の光を反射してきらきらと揺れている。
噴水の水音だけが、やけに大きく響いていた。
「ベンチの下に、なにかあるよ!!」
あんなが、広場の隅にあるベンチの下を指差した。
しゃがみ込んで覗き込むと、そこには場違いなほど鮮やかなピンク色の箱が置かれている。
手のひら二つ分ほどの大きさで、まるで誰かが落としていったプレゼントのようにも見える。
『爆弾超危険~名探偵さん以外開けちゃダメ~』
箱の側面には、丸っこい字でそう書かれていた。
蛍光ペンで囲まれ、ハートの落書きまで添えられている。
「完全にふざけてるな」
俺は、箱を慎重に地面へ置いたまま、みんなにそう言った。
怒りよりも先に呆れが込み上げてくる。
人の命をなんだと思っているんだ。
「でも、開けないと爆弾は止められないよ。そっと開けてみよう」
みくるが、緊張した面持ちで箱に手を伸ばした。
あんなとるるかも、固唾を呑んで見守っている。
ポチタンはあんなのカバンから少しだけ顔を出し、マシュタンはるるかの腕の中で小さく身を縮めていた。
みくるの細い指が、箱の蓋をゆっくりと開く。
中に入っていたのは映画やドラマで見るような、いかにもな時限爆弾だった。
黒いボディに赤や青の配線。
中央にはタイマーが組み込まれ、そこにデジタル数字が浮かんでいる。
隣では、カチカチという規則正しい音が容赦なく時間の経過を刻んでいた。
「ひっ……」
みくるが小さく息を呑み、一歩後ずさる。
爆弾からは三本のコードが伸びていてそれぞれに『1』『2』『3』と書かれた小さな札がぶら下がっていた。
どれか一本を切れば止まるのか、それとも切った瞬間に爆発するのか。
それすらもわからない。
箱の隅には、一枚の紙が入っている。
『正解のコードを切ってね♪』
トゥルピスの字だ。
あの女、心から楽しんでいるんだろう。
俺は紙を手に取り裏返した。
そこには、さらに問題が書かれていた。
『問題:1+2+3+4+5+6+7+8+9+10+11+12+13+14+15+16+17+18+19+20+21+22+23+24+25+26+27+28+29+30+31+32+33+34+35+36+37+38+39+40+41+42+43+44+45+46+47+48+49+50+51+52+53+54+55+56+57+58+59+60+61+62+63+64+65+66+67+68+69+70+71+72+73+74+75+76+77+78+79+80+81+82+83+84+85+86+87+88+89+90+91+92+93+94+95+96+97+98+99+100=答え』
紙の下半分には、選択肢が三つ並んでいた。
『1:5050 2:5051 3:5052』
「えっ……なにこれ!?」
あんなが、紙を覗き込んで素っ頓狂な声をあげた。
彼女の眉が、困ったようにへの字に曲がる。
「時間稼ぎの嫌がらせか?」
俺は、紙を見つめたまま呟いた。
これをまともに計算していたら、どれだけ時間がかかるかわからない。
あの女は、俺たちが焦る様子を見たいんだろう。
「この問題って、どこかで見たことあるような……」
みくるが、口元に手を当てて考え込む。
彼女の頭の中では、これまで読んできた膨大な本の知識が目まぐるしく検索されているはずだ。
「……答えは『1』」
ぽつりと、るるかが言った。
全員の視線が一斉に彼女へ集まる。
るるかは相変わらず無表情で、腕の中のマシュタンを抱き直しながら淡々と続けた。
「……数学者カール・フリードリヒ・ガウスの子供の頃のエピソード」
「あっ……思い出した!! それって両端の数字をペアにして101を50個作るやつですよね?」
みくるが、はっとしたように顔を上げた。
彼女の声は答えが繋がった時の高揚感で、少しだけ弾んでいる。
「1から100までの和は5050になる」
「……そう。だから答えは『1』」
るるかは、それだけ言うとまた口を閉ざした。
彼女の知識量と、その引き出しの速さはやはり只者ではない。
「るるか、すごいな。助かったよ」
俺は、素直に感心して彼女を褒めた。
こんな状況でも、彼女の頭の回転の速さは揺るがない。
むしろ、この異常事態の中で一番冷静なのは、るるかかもしれない。
「……別に、これくらい」
るるかは、そう言って、ほんの少しだけ視線をそらした。
その耳の先が、わずかに赤くなっている。
相変わらず無愛想だが、褒められて満更でもないらしい。
そのわかりにくい感情の揺れが、妙に可愛く見えた。
「じゃあ、切るぞ」
俺は、爆弾の前に膝をつき、『1』と書かれた札の付いたコードへ手を伸ばした。
コードを掴んだ指先が、かすかに震える。
(頼む……)
心の中で、そう祈った。
意を決して、コードを切断する。
プツン、という小さな音とともにカチカチという時限装置の音が、ぴたりと止まった。
「……止まった」
数秒待って、爆発しないことを確認すると、俺は深く息を吐き出した。
背中に、じわりと冷や汗が滲んでいる。
「よかったぁ……」
あんなは、その場にへたり込みそうなほど脱力していた。
「まだ二つある。次に行くぞ」
俺は、立ち上がってみんなの顔を見渡した。
「次の場所は、公園のトイレだ」
次の爆弾が仕掛けられているのは、公園の中央にある公衆トイレだった。
男女別に分かれた小さな建物だ。
白いタイル張りで、清掃が行き届いている。
夕方の公園には、まだ親子連れや散歩中の人々が残っていた。
もし、こんな場所で爆発が起きたらどれほどの被害が出るかわからない。
「女子トイレは私たちに任せて。ハルくんは男子トイレをお願いね」
あんながそう言って、みくるを連れて女子トイレへと入っていく。
るるかとマシュタンも、それに続いた。
俺は一人、男子トイレへと足を踏み入れた。
外観と同じく、中も白いタイルで統一されている。
洗面台が三つ並び、その奥に個室が三つ。
照明は自動で点灯するようで、俺が入ると同時に白い光が室内を照らし出した。
個室の扉を、一つずつ開けていく。
一番奥の個室を開けた時、その異物はあった。
便座の上に、あのピンク色の箱がまるで玉座に座る女王のように鎮座している。
『爆弾超危険~名探偵さん以外開けちゃダメ~』
また同じ文句だ。
俺は、箱を両手で抱えると外へと持ち出した。
なるべく揺らさないように、慎重に慎重に。
トイレの外に出ると、ちょうどあんな達も女子トイレから出てきたところだった。
彼女たちの手には何もない。
やはり、男子トイレにだけ仕掛けられていたようだ。
女子トイレは利用者が多い。
トゥルピスは、そのあたりを考えて男子側に置いたんだと思う。
「ハルくん、それ……」
「ああ、見つけた。じゃあ中を開けるぞ」
俺は、箱を地面に置くとみんなの前で蓋を開けた。
中身は、さっきと同じ構造の時限爆弾。
三本のコードと、一枚の紙。
カチカチという音が再び鼓動のように響き始める。
紙を裏返すと、そこには奇妙な文章が書かれていた。
『問題:この中に正解はありません。でも、どれかを切らないと爆発します。さあ、どうする?』
選択肢は三つ。
『1:赤 2:青 3:黄』
「あ、あれ……?どういうこと……?」
あんなが困惑した声を漏らす。
「正解がないのに選べって……矛盾してるよ」
みくるも眉をひそめる。
すると、るるかが、静かに口を開いた。
「……“正解がない”が嘘。正解がないなら、どれを切っても爆発するはず。でも“どれかを切らないと爆発します”と書いてある。矛盾してる」
全員が息を呑む。
「つまり、必ずどれかが正解なんだね!!」
みくるが気づいて声を上げる。
るるかは続けた。
「……赤は危険。黄は注意。どちらも爆弾のイメージに近い。青だけが“意味が薄い”。トゥルピスは混乱させたいだけ。だから一番意味のない色が正解」
「なるほど……そういうことか」
俺は頷いた。
「じゃあ、『2』だね!!」
あんなが身を乗り出す。
「よし……切るぞ」
俺は、また爆弾の前に膝をついた。
今度は少しだけ手が落ち着いている。
『2』と書かれたコードに手をかけ、一気に切断する。
カチカチという音が止まり、俺はゆっくりと息を吐き出した。
「ふぅ……」
みくるが、胸をなでおろす。
「これで二つ目だ。残りはあと一つ……」
そう言いながら立ち上がった俺は、ふと横に立つるるかへ視線を向けた。
「るるか、さっきの判断……本当に助かったよ」
るるかの肩が、ぴくりと小さく揺れた。
「……別に」
そう言いながら、るるかはわずかに視線を逸らした。
そのわかりやすい反応に、俺は少しだけ笑って続けた。
「普通じゃない。赤は危険、黄は注意……その中で“青だけ意味が薄い”って、瞬時に見抜けるやつはいない。るるかがいなかったら、俺たちは迷って時間を食ってた。……本当にすごいよ」
るるかは、ほんの一瞬だけ俺を見上げた。
その瞳がかすかに揺れる。
「……これくらい普通」
言葉はそっけないのに、声がいつもより少し高い。
マシュタンが、るるかの腕の中でくすっと笑った。
「るるか、照れてる~」
「照れてない」
即答した声は、やっぱり少しだけ上ずっていた。
あんなが口元を押さえて笑いをこらえ、みくるも優しい目でるるかを見つめている。
俺はその様子を見て、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「よし、次は最後だ。公園の北側の橋に向かうぞ」
俺たちは、三つ目の爆弾が仕掛けられている場所へと歩き出した。
公園の北側にある橋へ向かうと、夕暮れの光が川面に反射してゆらゆら揺れていた。
橋の下は薄暗く、風が通るたびに水音が静かに響く。
「……あったよ!!」
あんなが橋の影を指差した。
そこには、また同じピンク色の箱が置かれていた。
俺たちは慎重に近づき、箱を地面に置いて蓋を開けた。
中には、また三本のコードと一枚の紙。
カチカチという音が、橋の下の静けさに不気味に響く。
紙には、トゥルピスの丸っこい字でこう書かれていた。
『問題:この爆弾は“誰か一人を犠牲にすると止まります”。選んでね♡』
選択肢は4つ。
1:あなた 2:仲間 3:トゥルピス 4:______
あんなが息を呑む。
「な、なにこれ……!!誰かを犠牲にするなんて、絶対に選べないよ!!」
みくるが紙を見つめながら眉をひそめる。
「……まず『3』。トゥルピスが自分を犠牲にする選択肢を本気で出すわけがない。これは明らかに罠」
俺も紙を睨む。
「文章のどこかに嘘がある。二つ目の爆弾と同じで、矛盾を探すんだ」
るるかが静かに補足する。
「……“誰か一人を犠牲にすると止まる”なら、選択肢は一つでいい。四つもあるのは不自然。しかも、四番だけ空白」
みくるが紙をじっと見つめる。
「……この空白、ただの空白じゃないよ。“誰も選ばない”という選択肢を、言葉じゃなく“空白”で示してるんだと思う」
あんなはハッと顔を上げる。
「……そうだよ。誰かを犠牲にするなんて、絶対に違う。仲間も選ばない。自分も選ばない。トゥルピスを選ぶのも違う。だって……あの人は悪いことしてるけど、それでも“犠牲にする”なんて選びたくない!!」
みくるが優しく微笑む。
「うん。あんなのその気持ちが、たぶん正解なんじゃないかな」
るるかが静かに言う。
「……空白は“誰も選ばない”という意味。それを選べるかどうか」
あんなは紙をぎゅっと握りしめる。
「絶対に……誰も犠牲になんてさせない。私たちは、全員助けるんだ!! だから──答えは『4』!!」
俺は爆弾を観察する。
「……でも、コードは3本しかない。『4』を選んでも、切るコードがない」
みくるが爆弾のタイマーを見つめる。
「……これ、“切らない”のが正解だよ」
あんなが目を丸くする。
「えっ……切らない!?でも、時間が……」
みくるは静かに首を振る。
「この文章、矛盾してる。“誰かを犠牲にすると止まる”と言いながら、選択肢は4つもある。しかも『4』は空白。トゥルピスは“選ばせたい”んじゃなくて、“選ばない勇気”を試してるんだよ」
るるかが補足する。
「……コードを切ると爆発する仕掛け。切らなければ、タイマーがゼロになった瞬間に自動停止するようになってる」
俺はタイマーを見つめた。
「つまり──“誰も犠牲にしない”という選択をした人だけ、ゼロまで待つという発想にたどり着けるようにしてあるってことか」
あんなは震える手で紙を握りしめた。
「誰も犠牲にしないって決めたんだから……最後まで、信じる!!」
みくるがあんなの手をそっと握る。
「……一緒に待とう」
カチ、カチ、カチ──
タイマーの音が橋の下に響く。
あんなは目を閉じ、深く息を吸った。
ゼロ。
時限装置の音が止まった。
そして爆弾は、静かに沈黙した。
数秒待って、何も起きないことを確認してから俺は深く息を吐き出した。
肺の奥に溜まっていた緊張が、一気に抜けていく。
「……終わった、のか」
呟いた瞬間、あんながその場にぺたりと座り込んだ。
「や、やったぁ……!!ほんとに止まったぁ……!!」
声が震えていて、涙が滲んでいる。
さっきまでの勇気が、ようやく安心に変わったんだろう。
みくるは胸に手を当てて、ほっと笑った。
「これで爆弾は全部解除できたはずだよ……あんな、よく頑張ったね」
その声は、いつもの冷静さより少し柔らかい。
あんなの選択を心から誇りに思っているのが伝わってくる。
るるかはというと、静かに空を見上げていた。
夕暮れの光が彼女の横顔を照らし、どこか遠くを見ているような表情。
腕の中のマシュタンが小さく「よかったねぇ……」と呟くと、
るるかはほんの少しだけ目を細めた。
「……うん」
その声は小さいけれど、確かに安堵が滲んでいた。
俺はみんなの顔を見渡しながら言った。
「これで、全部の爆弾を解除でき──」
言いかけたその瞬間。
あんなのカバンの中で大人しくしていたポチタンが、急にせわしなく鳴き始めた。
「ポチッ……ポチッ……ポチポチポチッ!!」
「ポチタン!? どうしたの!?」
あんなが慌てて立ち上がる。
ポチタンはカバンから飛び出し、橋の下の暗がりをじっと見つめていた。
その小さな瞳が、怯えたように震えていた。
「……なんだ?」
俺も、ポチタンの視線の先を追うように歩き出した。
橋の下、川岸の草むらがざわざわと揺れている。
夕闇が濃くなる中で、黒い何かが置かれているのが見えた。
それは……まるで光を拒むように沈んだ、異様な黒さの箱だった。