(明智ハル視点)
黒い箱の表面には、何も書かれていない。
今までのピンクの箱とは明らかに雰囲気が違う。
光を吸い込むような、底の見えない黒さだった。
夕闇が濃くなる橋の下で、その箱だけが異様な存在感を放っている。
「えっ!?爆弾は三つじゃなかったの!?」
あんなが声を裏返らせた。
さっきまで安堵に緩んでいた空気が、一瞬で張り詰め直す。
「トゥルピスの言動を考えると、四つ目があってもおかしくはないと思うけど……制限時間はもう過ぎてるよね?」
みくるが携帯で時間を確認しながら言う。
さっきの時限爆弾の時にカウントダウンの三時間は過ぎている。
「……箱を開けてみないとわからない」
るるかが静かに言った。
彼女は黒い箱の前にしゃがみ込み、じっと表面を観察している。
その横顔には、いつものように感情の色はない。
ただ、マシュタンが彼女の腕の中で小さく身を強張らせているのが、この箱の異質さを物語っていた。
「ああ、そうだな」
俺は頷いて、黒い箱の前に膝をついた。
箱には鍵も何もかかっていない。
「……開けるぞ」
俺は一度だけ深く息を吸って、蓋に手をかけた。
蓋を開けると、中には時限爆弾が収まっていた。
構造はこれまでのものと同じだ。
黒いボディに、赤や青の配線。
中央のタイマーが動き始めた数字を表示している。
残り時間は――三分。
「さ、三分!?」
あんなが悲鳴のような声をあげた。
これまでの爆弾は制限時間がもっと長かった。
三時間という猶予があったからこそ、俺たちは三枚の紙切れの謎を解き、こうして三つの爆弾を解除してこられた。
だが、今回は違う。
三分。
たった百八十秒。
コードは四本。
それぞれに『1』『2』『3』『4』と書かれた札がぶら下がっている。
そして、箱の底には一枚の紙が敷かれていた。
『明智ハルの運命の相手を選べ』
その下に、四つの選択肢が並んでいる。
『1:明智あんな 2:小林みくる 3:森亜るるか 4:帆羽くれあ』
「えっ……なに、この問題?」
あんなが困惑した声を漏らした。
その顔には、怒りとも羞恥ともつかない複雑な感情が入り混じっている。
彼女は俺の顔をちらりと見て、すぐに視線をそらした。
「ハルくんの運命の相手って……つまり……」
みくるが途中まで言いかけて、言葉に詰まる。
彼女の頬がみるみるうちに赤く染まっていく。
耳の先まで真っ赤にして、彼女は自分の推理ノートをぎゅっと胸に抱えた。
「るるかさんとくれあさんの名前もあるね」
あんなが、少しだけ声を潜めてそう言った。
その声音には、自分でも気づかないような、ほんのわずかな棘が混じっていた。
るるかは黙ったまま、俺を見ている。
その瞳は、まっすぐに俺を射抜いていた。
あなたが選びなさい、と言っているように見えた。
あんなも、みくるも、俺に視線を向けている。
三人の視線が同時に俺に突き刺さる。
タイマーの数字が、容赦なく減っていく。
二分四十秒。
二分三十秒。
この箱を置いたのがトゥルピスかどうかはわからないが、犯人の意図は明らかだ。
俺に四人の中から一人を選ばせようとしている。
だが、この問題には引っかかりがあった。
運命の相手、という言葉。
これが俺の心の問題だと言うなら、正しい答えはない気がする。
きっと、この問題に正解なんてないんだろう。
考えている暇はない。
タイマーは止まらない。
二分。
残り時間が、刻一刻と削られていく。
俺はコードを握りしめた。
その瞬間――頭の中に、イメージが流れ込んでくる。
◇
――涙を流しながら、俺に別れを告げるあんな。
彼女は笑おうとしていた。
でも笑えていなかった。
目尻から零れた雫が、頬を伝って落ちていく。
あんなは、何かを決意したような目をしていた。
「ハルくん、今までありがとう」
その声はいつもの明るさを必死に装っていた。
でも、その奥には深い悲しみが渦巻いている。
「私、ハルくんのこと……本当に、大好きだったよ」
あんなは最後まで、俺のことを想ってくれていた。
自分の気持ちよりも、俺の幸せを願ってくれていた。
その優しさが、胸を締めつけるように痛い。
その涙の音だけが、静かに響いていた。
◇
――動かない俺に、泣きながら縋り付くるるか。
彼女はいつもの無表情をかなぐり捨てていた。
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、俺の冷たくなった手を握りしめている。
「約束……約束したのに……」
その声は、普段の淡々とした口調からは想像もできないほど、弱々しく震えていた。
「私はあなたが何者でも構わなかった……ただ……ただ傍にいてほしかっただけ!!」
その声は、涙で喉が詰まったように震えていた。
るるかは、いつも感情を表に出さない。
でもその内側には、誰よりも深い想いが隠されていた。
その後悔と悲しみが、彼女の涙になって溢れている。
彼女の慟哭が、世界から音を奪っていた。
◇
――俺の腕の中で、息を引き取るくれあさん。
彼女は、最期まで微笑んでいた。
青白くなった唇でそれでも俺を安心させようとしていた。
「ハルくん……ありがとう。私、幸せだったよ」
その声は消え入りそうなほどか細かくて、それでいて確かな温もりがあった。
「あなたに会えて……本当に、よかった」
くれあさんの呼吸は、もうほとんど聞こえなかった。
くれあさんは、自分の命が尽きるその瞬間まで俺のことを想ってくれていた。
彼女の温もりが、俺の腕の中から少しずつ失われていく。
その感覚が、たまらなく怖かった。
温もりが消えていく静寂が、耐えられなかった。
◇
――倒れた俺に、泣きながら謝罪するみくる。
彼女は、自分の推理が間違っていたことを誰よりも悔いていた。
「ごめん……ごめんなさい……私が、もっとちゃんと考えていれば……」
みくるの目から、涙が次から次へと零れ落ちる。
推理ノートを握りしめる指が、白くなるほどに強く震えていた。
「私、探偵なのに……何も、できなかった……」
みくるの声は、涙で途切れ途切れになっていた。
みくるは、誰よりも一生懸命で努力家だ。
普段は冷静に振る舞っているが、その裏には繊細で傷つきやすい心がある。
彼女は、俺を守れなかった自分を決して許さないだろう。
謝罪の声が、静かに途切れた。
◇
四つのイメージが頭の中を駆け巡る。
あんなの涙。
るるかの慟哭。
くれあさんの最期の微笑み。
みくるの謝罪。
どの光景も、俺の心を深く抉る。
誰を選んでも間違いではない。
誰を選んでも正解ではない。
タイマーが、一分を切った。
『未来を……選べ……世界を……守れ……』
頭の奥で、誰かの声が響いてくる。
俺は、コードを握りしめる手に、ぎゅっと力を込めた。
(俺が選ぶのは……)
胸の奥が、じんと痛んだ。
気がつくと、俺はコードを切っていた。
プツン、という小さな音が橋の下に響く。
タイマーの数字が、止まる。
爆発はしなかった。
「……止まった」
あんなが、掠れた声で呟いた。
「うん……止まったね」
みくるも、ほっと息を吐き出す。
「……」
るるかは、何も言わなかった。
ただ俺の手の中にある、切られたコードを見つめていた。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
これにて共通ルートは終了となります。
この先はヒロインごとの個別ルートへ分岐します。
明智あんな
↓
森亜るるか
↓
帆羽くれあ
↓
小林みくる
↓
?????
の順で投稿予定です。
現在、各ルートを順番に制作していますので、もう少しだけお待ちいただけると嬉しいです。
※R-18について
すべてのルート完結後に投稿予定です。
これからも『カオスの狂気と銀の意志』をよろしくお願いします。