(明智ハル視点)
次の日、あんなの様子がいつもと違うことに気づいた。
朝、事務所のリビングで顔を合わせたとき、あんなは一瞬だけ俺を見て、すぐに視線をそらした。
「おはよう、あんな」
俺が声をかけると、「お、おはよう」と小さく返して、そのままみくるの隣に座ってしまった。
いつもなら、真っ先に俺のところに来て「今日は何するの?」と聞いてくるのに。
朝食の席でも、あんなはみくるとだけ話していた。
俺の方は一度も見なかった。
学校から帰ってきても、ずっとあんなは俺と目を合わせなかった。
俺が話しかけても返事はする。
でも、どこかよそよそしい。
まるで、俺を避けているみたいだった。
考えても、思い当たる節がない。
昨日の爆弾事件の後、俺は何か変なことをしただろうか?
いや、何もしていない。
少なくとも、俺の記憶の中では……。
夕食の後、俺はあんなと話そうと思って彼女の部屋に向かった。
だが、俺が廊下に出たところで、あんなはすれ違うように自分の部屋に入り、扉を閉めてしまった。
「あんな……」
ノックをしようとしたが、その手が途中で止まる。
もしかしたら、今は話したくないのかもしれない。
そう思うと、無理に扉を叩く気にはなれなかった。
俺は廊下に立ち尽くして、しばらくあんなの部屋の扉を見つめていた。
「……ハルくん」
背後から、静かな声が聞こえた。
振り返ると、みくるが立っていた。
手には、二つのマグカップ。湯気が立ち上っている。
「よかったら、一緒に飲まない?」
みくるは、そう言って、リビングの方へと歩き出した。
俺は黙って、その後に続いた。
リビングのソファに並んで座り、みくるが淹れたココアを一口飲む。
温かい。
でも、胸の奥はまだ冷たいままだ。
「……あんな、今日、変だったね」
みくるが、静かにそう切り出した。
「ああ……何か、あったんだろうか」
「……本当にわからないの?」
「えっ?」
みくるは、マグカップを両手で包み込むように持ってしばらく黙っていた。
その顔は怒っているような、呆れているような、そんな顔だった。
それから、意を決したように俺の方を見た。
「ねえ、ハルくん。ハルくんは……あんなのこと、好き?」
「好きだよ。家族として、大事に思ってる」
俺がそう答えると、みくるは静かに首を振った。
「そうじゃなくて……」
みくるの目が、俺をじっと見つめている。
「一人の女の子として、好きかどうかって聞いてるの」
その瞳は、いつもの探偵の目じゃなかった。
もっと、真剣で……。
もっと、切実で……。
「黒い箱のコードで……ハルくんは、あんなを運命の相手に選んだ、それはどうして?」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
「それは……」
あの時、俺は気づいたらあんなのコードを切っていた。
それはなぜか……改めて、考えてみる。
俺があんなのことを、どう思っているのか。
頭の中に、あんなの笑顔が浮かぶ。
「はなまる!!」と元気よく笑う顔。
俺に頭を撫でられて、気持ちよさそうに目を細める顔。
落ち込んだときに、それでも誰かのために頑張ろうとする健気な横顔。
どれも、鮮やかに浮かんでくる。
そして、気づく。
俺は、あんなが笑っていると嬉しい。
あんなが悲しんでいると、胸が痛い。
あんなが他の誰かと楽しそうに話していると、ほんの少しだけ寂しい。
これは、家族に向ける感情じゃない。
答えは、すぐに出た。
「好きだから……だから、あんなを運命の相手に選んだ」
みくるは、一瞬だけ悲しそうな顔をした。
「そっか……まあ、わかってたけどね」
そして、すぐにいつもの表情に戻った。
落ち着いた探偵の顔に。
でも、その声だけは、ほんの少し震えていた。
「あんなの話、ちゃんと聞いてあげて」
みくるは、そう言った。
「あんな、きっと何か悩んでるんだと思う。ハルくんにしか話せないこと、あるんじゃないかな」
「みくる……」
「私が言えるのは、それだけ。あとは、ハルくんがちゃんと自分の正直な気持ちを伝えてあげて」
みくるは、そう言ってマグカップを机の上に置いた。
俺も、マグカップを置いて立ち上がる。
「わかった。ありがとう、みくる」
その場を離れようとして、俺は足を止めた。
振り返って、みくるの顔を見る。
「俺は、みくるのことを大事な家族だと思ってる」
その言葉に、みくるは少しだけ目を丸くして、それからふわりと微笑んだ。
「うん。私もだよ」
その笑顔は、優しい笑顔だった。
俺はもう一度「ありがとう」と伝えて、リビングを後にした。
あんなの部屋の前に立つ。
静かな廊下に、自分の鼓動だけがやけに大きく響いていた。
深呼吸をひとつして、ノックをした。
「あんな、俺だ。話したいことがあるんだ」
しばらく返事がなかった。
扉の向こうであんなが迷っているのがわかった。
「……今、ちょっと」
「ちゃんと話したいんだ。お願いだ、開けてくれ」
もう一度ノックをする。
すると、しばらくして扉がゆっくりと開いた。
あんなは、ベッドの上で膝を抱えて座っていた。
部屋の中は、小さなスタンドの灯りだけがついていて、薄暗い。
「……どうしたんだ、こんな暗い部屋で」
「別に……」
あんなは、俯いたまま小さな声で答えた。
俺は、そっと部屋に入り、ベッドの端に腰を下ろした。
「今日……一日中、あんなは俺を避けてたよな。何かあったのか?」
あんなの肩が、ぴくりと震えた。
「ごめん、避けてたわけじゃないの。ただ……」
言葉がそこで途切れる。
あんなは、膝を抱える腕にぎゅっと力を込めた。
「話してくれ。俺でよければ、ちゃんと聞くから」
俺がそう言うと、あんなはしばらく黙って、それから意を決したように顔を上げた。
その目は、うっすらと赤くなっていた。
「私ね……ハルくんのことが、好きなの」
その言葉は、まっすぐに俺の胸に届いた。
「家族としてとか、そういうのじゃなくて……一人の男の子として、ハルくんが好き」
あんなは、そこで一度言葉を切り……深く息を吸った。
「でもね……気づいちゃったんだ。未来から来た私は、いつか2027年に帰らなきゃいけない日が来るって」
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
あの黒い箱を開けたとき、頭の中に流れ込んできたイメージ。
涙を流しながら別れを告げるあんなの姿。
あれは、きっと……あんなが未来に帰るときの別れのシーンだったんだ。
「いつか、必ず別れなきゃいけないの。それなのにハルくんのことを好きになって……私、ずるいよね。こんなのハルくんを困らせるだけなのに」
あんなの声が、震え始める。
「だから、避けてたの。これ以上好きになっちゃいけないって思って。でも……無理だった。一日中、ハルくんのことばっかり考えてた」
あんなの目から、涙がこぼれ落ちる。
その涙を見て、俺の中の何かがはっきりと決まった。
俺は、ベッドの上であんなの体をそっと抱き寄せた。
「ハルくん……!?」
あんなが驚いたように身を固くする。
でも、俺は腕を緩めなかった。
「俺も、あんなが好きだ」
その言葉を聞いた瞬間、あんなの目が大きく見開かれた。
「……ほんと?」
小さな声だった。
まるで、自信がない子供みたいな声。
「本当だ」
「本当に?」
「ああ」
「私でいいの?」
「俺は、あんながいい」
その瞬間、あんなの瞳から大粒の涙が溢れ出した。
「家族としてじゃない……俺は一人の女の子として、あんなが好きなんだ!!」
あんなは目を見開いたまま固まっていた。
信じられないものを見るような顔。
「だ、ダメだよ!! 私、いつか帰らなきゃいけないんだよ!? ハルくんを置いて、未来に……」
あんなが俺の胸の中で、泣きながら叫ぶ。
「そんなの、ハルくんが可哀想だよ!! 私と付き合っても、ハルくんはいつか私と別れることになるんだよ!?」
「……それでもいい」
俺は、はっきりとそう言った。
「いつか別れの日が来るとしても、俺はあんなの傍にいたい」
あんなの肩が震えている。
「後悔するよ……絶対に……」
「絶対に後悔しない」
俺は、あんなの頭をそっと撫でた。
「あんなにも後悔はさせない。俺と付き合ってよかったって、二人で一緒にいてよかったって……絶対に思わせてみせる」
あんなの泣き声が、少しだけ小さくなった。
「だから、あんな……俺と付き合ってくれ」
俺は、あんなの体をそっと離して……その顔をまっすぐに見た。
涙でぐしゃぐしゃになった顔。
鼻の先が赤くなって、まつげが濡れている。
それでも、俺の目を見ようとしている。
「私も……」
あんなの声が震えながら、でもはっきりとそう言った。
「私も、ハルくんと一緒にいたい。たとえ別れる日が来るとしても……今、この瞬間だけはハルくんの傍にいたい!!」
あんなはそう言って、小さな体で俺に抱き着く。
俺は、その体をしっかりと抱きしめた。
「俺も、同じ気持ちだ」
「ハルくん大好き……私を、ハルくんの彼女にして」
あんなの声はまだ少し震えていたけど、確かな決意が込められていた。
俺は、腕の中の温もりをしっかりと感じていた。
ポチタンが、いつの間にかベッドの上に来ていて、俺たちの様子をじっと見ていた。
「ポチッ♪」
その鳴き声は、なんだか嬉しそうだった。