カオスの狂気と銀の意志   作:やみすぴ

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04:この瞬間を残したくて

(明智ハル視点)

 

数日後の午後、俺とあんなは商店街を並んで歩いていた。

 

目的は、商店街の外れにあるたいやき屋だ。

 

あんなが「ここのたいやきは、あんこがぎっしりで皮がパリパリなんだよ」と前から言っていて、二人で行こうと約束していたのだ。

 

「ハルくん、あとちょっとだよ。あの信号を渡ったらすぐだから」

 

あんなは、俺の半歩前を歩きながら弾んだ声でそう言った。

 

時折振り返っては、俺がちゃんとついてきているか確認するように笑いかけてくる。

その仕草が、妙にかわいらしい。

 

商店街は夕方の買い物客で賑わっていた。

鮮魚店の威勢のいい声や、総菜屋から漂う揚げ物の匂いが通りを満たしている。

 

「そういえばさ、ハルくん」

 

あんなが、ふと足を緩めて俺の隣に並んだ。

 

「この商店街って、私の時代と全然違うし、けっこう知らないお店が多いんだよね。何度か来たことあるけど、あんまりじっくり見たことなかったな」

 

「ああ、俺も同じだ。いつも散歩で通り過ぎるだけだったからな」

 

俺は、商店街の両側に並ぶ店を改めて見渡した。

確かに、よくよく見てみれば初めて目にする店がいくつもある。

 

古びた喫茶店、小さな和菓子屋、懐かしい雰囲気の玩具屋。

 

どれも長い年月この場所で商いを続けてきたのだろう。

その佇まいには、どこか落ち着いた風格があった。

 

ふと、俺の目がある店の前で止まった。

 

写真屋だった。

 

ガラス張りのショーウィンドウには、たくさんの写真が飾られている。

 

家族で並んだ記念写真。

七五三の晴れ着姿。

成人式を迎えた若者たち。

 

みんな幸せそうに笑っている。

 

「写真屋か……」

 

俺は、思わず足を止めてしまった。

 

写真……。

 

そういえば、俺はあんなと写真を撮ったことがない。

事務所での日常も、公園で過ごした時間も、俺の中にはちゃんと残っている。

 

だけど、俺は記憶喪失だ。

いつかまた、大切なものを忘れてしまうかもしれない。

 

だからこそ、この街で過ごした日々や、あんなとの思い出を大切にしたかった。

 

「ハルくん?」

 

あんなが、俺の隣に立ってショーウィンドウを覗き込んだ。

 

「写真、見てたの?」

 

「ああ……」

 

俺は少し迷ってから、素直な気持ちを口にした。

 

「あんなと写真を撮りたいなと思って」

 

「えっ」

 

あんなの目が、丸くなった。

 

「写真……私と?」

 

「ああ。これから、あんなとたくさん思い出を作りたいんだ」

 

俺は少しだけ言葉を探した。

 

「だから、その思い出を何かの形に残しておきたい」

 

俺がそう言うと、あんなはしばらく黙って俺の顔を見つめていた。

 

その表情が、ほんの一瞬だけ泣きそうなほど悲しそうに歪んだ。

 

(ああ、そうか……)

 

俺は、自分の言葉が彼女の心に触れてしまったことに気づいた。

 

あんなは、いつか未来に帰らなければならない。

今のこの時間は、永遠じゃない。

 

「あんな……」

 

俺が何か言おうとしたとき、あんなはぶんぶんと首を振って、いつもの明るい笑顔を貼り付けた。

 

「うん、いいね。写真撮ろう。あ、でも……携帯で撮ればいいんじゃないかな?」

 

あんなは、自分の携帯をポケットから出して俺に示した。

 

「携帯?」

 

「うん、携帯で写真が撮れ……あっ!?」

 

あんなは、途中まで言って口を噤んだ。

そして、少しだけ気まずそうな顔で俺を見る。

 

「えっと……ハルくんの携帯って、写真は撮れないんだっけ?」

 

「残念ながら、俺の携帯に写真を撮る機能はないな」

 

「そっか……この時代、まだカメラ付き携帯は一般的じゃないんだった」

 

あんなは、少しだけ悔しそうに呟いた。

彼女の時代では、当たり前のように写真が撮れるのだろう。

 

「なら、あれを買おう」

 

俺は、写真屋のショーウィンドウの隅に、小さな箱が積まれているのを見つけた。

 

『使い捨てカメラ』と書かれている。

 

インスタントカメラの一種で、フィルムが内蔵されていて撮影後は現像に出す必要があるらしい。

値段も手頃で、初心者でも扱いやすそうだ。

 

「これなら、俺でも使えそうだ」

 

俺は店に入って、使い捨てカメラを一つ買った。

 

店を出ると、俺は早速そのカメラを手に持ってあんなに向けた。

 

「試しに、あんなを撮ってみたい」

 

「えっ、私!?」

 

あんなは、慌てて両手を顔の前で振った。

 

「だ、ダメだよ。撮るならハルくんも一緒に撮ろうよ。私だけなんて恥ずかしいよ」

 

「そうか? 俺は、あんなの写真が欲しいんだが」

 

「そ、それなら……二人で撮ろうよ。私も、ハルくんと一緒の写真が欲しいもん」

 

あんなは、頬をほんのりと赤らめてそう言った。

その言葉に、俺の胸の奥がじんわりと温かくなる。

 

「わかった。でも、そうなると誰かに撮ってもらわないと……」

 

使い捨てカメラには、タイマー機能がついていない。

 

「どうする? 誰か通りがかりの人に頼むか?」

 

「うーん……でも、誰に声をかけたらいいのかな」

 

あんなと一緒に周囲を見回す。

だが、気軽に声をかけられそうな相手は見当たらなかった。

 

「困ったな……」

 

俺がそう呟いた、その時だった。

 

「よかったら、私が撮りましょうか?」

 

背後から、澄んだ声が聞こえた。

 

振り返ると、そこに立っていたのは――。

 

長くて綺麗な黒髪に銀縁のメガネ。

背筋をまっすぐに伸ばした、品のある立ち姿。

 

「――っ!!」

 

俺は、思わず息を呑んだ。

 

トゥルピス。

 

邪神教団カオスの神子。

街に爆弾を仕掛け、俺たちを散々振り回したあの女だった。

 

「トゥルピス……!!」

 

「あはっ……そんなに警戒しないでよ。今日は別に何かするわけじゃないんだから」

 

トゥルピスは両手をひらひらと振ってみせる。

 

その態度は気楽そのものだったが、俺の警戒はまったく解けなかった。

 

「……何の用だ?」

 

俺は、できるだけ感情を押し殺して問いかける。

 

「別に。ただ街を歩いてたら、見覚えのある顔を見つけたから声をかけてみただけ」

 

そう言って、トゥルピスは俺たちの手元にあるカメラへ視線を落とした。

 

「ふふ……仲良さそうで結構ね。その幸せ、いつまで続くかしら?」

 

あんなが俺の袖をぎゅっと掴む。

その手は、かすかに震えていた。

 

「そういえば、この間は楽しんでもらえた?」

 

「……ふざけるな」

 

俺は短く吐き捨てた。

 

「あの爆弾のせいで、どれだけの人が危険な目に遭ったと思っている。おまえの遊びに付き合う気はない」

 

「そうだよ!!四つ目の爆弾があるなんて、聞いてないよ!!」

 

あんなの言葉に、トゥルピスはふと笑みを消した。

 

「……四つ目の爆弾?」

 

「そうだ、黒い箱の爆弾だ。橋の下の爆弾の近くにもう一つあっただろ?」

 

俺がそう言うと、トゥルピスは少しだけ考えるような素振りを見せた。

そして、静かに首を振った。

 

「……それは、私じゃない」

 

その声は、今までの軽薄な調子とはまったく違っていた。

 

「本当に、私じゃない。私が仕掛けた爆弾は三つだけ。四つ目なんて知らない」

 

「……本当か?」

 

「嘘じゃない」

 

トゥルピスはまっすぐに俺の目を見て、そう言った。

その顔は、嘘をついているようには見えなかった。

 

「……じゃあ、誰が仕掛けたんだよ?」

 

「さあね。私にもわからない」

 

トゥルピスはそう言って、肩をすくめた。

その仕草はどこか、本心から困惑しているようにも見えた。

 

すると彼女は、突然、俺の手からカメラを奪い取った。

 

「お、おい、どういうつもりだ!!」

 

俺が身構えると、トゥルピスはくすっと笑った。

 

「爆弾を解除できたご褒美に、私が二人の写真を撮ってあげる♪」

 

「……信用できない」

 

「そう言わないでよ。今回は、ドッキリじゃないから、大丈夫だって」

 

トゥルピスは、カメラを片手で弄びながらにっこりと笑う。

 

俺は、あんなと顔を見合わせた。

 

あんなの目は、まだ警戒の色を宿している。

だが、その奥には少しだけ、迷いのようなものも見えた。

 

「……どうする? あんな」

 

「うーん……」

 

あんなはしばらく考えて、それから小さく息を吐いた。

 

「……一度だけ、お願いしてみようか。本当に撮ってもらうだけなら、問題ないと思うし」

 

「わかった」

 

俺はトゥルピスに向き直って、短く言った。

 

「一度だけだ。余計なことをしたら、容赦しない」

 

「あはは♪わかってるって♪」

 

トゥルピスはそう言って、カメラを構えた。

 

俺とあんなは、商店街の入り口の看板の前で並んで立った。

 

あんなは、少しだけ背伸びをして俺の肩にそっと手を置いた。

その温もりが、妙に鮮明に感じられた。

 

「はい、チーズ♪」

 

トゥルピスの声に合わせて、俺たちは、少しだけぎこちなく笑った。

カシャリ、という軽いシャッター音が聞こえた。

 

「はい、撮れたよ」

 

トゥルピスは、すぐに俺にカメラを返した。

その動作は、本当に写真を撮っただけのように見える。

 

「それじゃあ、私は行くところがあるから……」

 

トゥルピスはそう言って、背を向けた。

 

「待って」

 

あんなが呼び止めると、トゥルピスはほんの少しだけ足を止めた。

 

「……写真、撮ってくれてありがとう」

 

しばらく沈黙が流れる。

 

トゥルピスは振り返らないまま、小さく肩をすくめた。

 

「その写真、大事にしなさい」

 

淡々とした声だった。

 

「案外、無くしたくないものほど、先になくなるものだから……」

 

「えっ?」

 

あんなが目を瞬かせる。

その時、トゥルピスはくるりと振り返った。

 

「な~んてね♪」

 

いつもの軽薄な笑み。

まるで今の言葉を冗談だったことにしたいみたいに。

 

「それじゃあ、またね」

 

そう言い残して、トゥルピスは商店街の雑踏の中へ消えていった。

 

その背中はどこか寂しそうで、少しだけ怒っているようにも見えた。

 

「あの人……本当に四つ目の爆弾のこと、知らないみたいだったね」

 

「ああ……」

 

俺は手の中のカメラを見つめながら、小さくうなずいた。

 

あの黒い箱の爆弾。

あれは、誰が仕掛けたものだったんだろうか。

 

トゥルピスが嘘をついているようには見えなかった。

だとしたら、俺たちの知らない誰かが動いているのかもしれない。

 

だが――今は、そのことを考えるのはやめよう。

 

俺は手の中のカメラを見つめ、それから隣のあんなへ視線を向けた。

 

今は、この時間を大切にしたかった。

 

「たいやき、買いに行こうか」

 

俺がそう言うと、あんなは少しだけ驚いた顔をした。

それから、ふっと笑う。

 

「うん。そうだね。せっかく来たんだし……」

 

俺たちは並んで歩き出した。

向かう先は、商店街の外れにあるたいやき屋だ。

 

 

商店街の外れにあるたいやき屋は、思っていたよりも小さな店だった。

暖簾は少し色褪せていて、店先には『創業五十年』と書かれた木の看板が掛かっている。

 

「おじさん、二つお願いします」

 

あんながそう言うと、店主は「はいよ」と返し、焼き立てのたいやきを紙袋に入れて渡してくれた。

あんなはそれを受け取ると、大事そうに抱えながら俺の方を振り返る。

 

「どこで食べようか。歩きながらでもいいけど……」

 

「近くに公園があったはずだ。ベンチで座って食べないか」

 

「うん、それがいい!!」

 

俺たちは商店街を少し戻り、細い路地を一本入ったところにある小さな公園へ向かった。

 

商店街の喧騒が嘘のように静かな場所で、木々の間にベンチが並んでいる。

ちょうど日陰になったベンチに腰を下ろすと、あんなは袋からたいやきを取り出した。

 

「わあ……見て。あんこがぎっしり詰まってる。皮もパリパリだよ」

 

「本当だな」

 

「でしょ。ここ、私の時代ではもうなくなっちゃってて……見つけた時は嬉しかったんだ」

 

そう言って、あんなはたいやきを一口かじった。

 

「ん〜っ、おいしい!! ハルくんも早く食べてみて!!」

 

促されるまま、俺もたいやきを口にする。

確かに皮は香ばしく、あんこも甘すぎない。

 

だが、俺の印象に残ったのは味だけじゃなかった。

隣で幸せそうにたいやきを頬張るあんな。

 

その姿の方が、ずっと強く心に残った。

 

「どう? おいしい?」

 

あんなが、俺の顔を覗き込むようにして聞いてくる。

 

「ああ、おいしい。皮が香ばしくてあんこの甘さも丁度いい」

 

「でしょでしょ!!」

 

あんなは満足そうに何度もうなずき、たいやきをかじった。

 

しばらく、俺たちは無言でたいやきを食べていた。

 

特別な会話もない、ただの静かな時間。

でも、その静けさが心地よかった。

 

「ねえ、ハルくん」

 

不意に、あんなが口を開いた。

 

「なんだ?」

 

「今日のたいやき、いつもよりおいしい気がするんだ」

 

「そうなのか? 俺は初めて食べたから、比べようがないんだが」

 

俺が正直にそう答えると、あんなは少しだけ口ごもった。

手にしたたいやきへ視線を落とし、小さく息を吐く。

 

「うん。いつもより……っていうか、たぶん初めて食べた時よりも、ずっとおいしい」

 

「どうしてだ?」

 

あんなは返事の代わりに、たいやきを持つ手をそっと膝の上に置いた。

そして、少しだけ照れたように笑う。

 

「……ハルくんが隣にいるから、かな」

 

そう言って、あんなはほんの少しだけ俯いた。

耳の先が、夕陽の色とは違う赤みを帯びている。

 

俺は、その言葉を頭の中でゆっくりと反芻した。

 

ハルくんが隣にいるから。

 

それは不思議な理屈だった。

 

でも、俺にもわかる気がした。

隣にいる人が違うだけで、同じものでも違って見える。

 

きっと、そういうことなんだろう。

 

「そっか……」

 

俺は静かに呟いた。

 

「だから、こんなにおいしいんだな」

 

その言葉に、あんなが顔を上げた。

少し赤くなった顔のまま、それでもまっすぐに俺を見ている。

 

「あんなが隣にいると、たいやきも、きっと他の何もかも……いつもより、ずっとおいしく感じる」

 

「えへへ……同じだね」

 

あんなは嬉しそうに笑って、またたいやきをかじった。

俺も残りのたいやきを食べる。

 

特別なことをしたわけじゃない。

ただ、たいやきを食べて、話をして、一緒に笑った。

 

それだけだ。

 

それだけなのに、胸の奥は静かに温かかった。

 

今は、それで十分だった。

 

たいやきを食べ終えると、あんなは紙袋を丁寧に畳んでベンチの端に置いた。

 

「ハルくん、もう一個買おうか? みくるたちのお土産もまだ買ってないし」

 

「そうだな。買って帰ろう」

 

俺たちは立ち上がって、再び商店街へ向かって歩き出した。

あんなは、さっきよりも少しだけ俺の近くを歩いている。

 

その距離が、なんだか嬉しかった。

 

「ハルくん」

 

「なんだ?」

 

「また来ようね。このたいやき屋さん」

 

「ああ。また来よう」

 

俺がそう答えると、あんなは嬉しそうに笑った。

 

夕暮れの商店街に、俺たちの足音が重なって響く。

 

たいやきの温もりは、もう手の中には残っていない。

 

それでも――

 

胸の奥の温かさは、まだ消えずに残っていた。

 

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