(明智ハル視点)
数日後の午後、俺とあんなは商店街を並んで歩いていた。
目的は、商店街の外れにあるたいやき屋だ。
あんなが「ここのたいやきは、あんこがぎっしりで皮がパリパリなんだよ」と前から言っていて、二人で行こうと約束していたのだ。
「ハルくん、あとちょっとだよ。あの信号を渡ったらすぐだから」
あんなは、俺の半歩前を歩きながら弾んだ声でそう言った。
時折振り返っては、俺がちゃんとついてきているか確認するように笑いかけてくる。
その仕草が、妙にかわいらしい。
商店街は夕方の買い物客で賑わっていた。
鮮魚店の威勢のいい声や、総菜屋から漂う揚げ物の匂いが通りを満たしている。
「そういえばさ、ハルくん」
あんなが、ふと足を緩めて俺の隣に並んだ。
「この商店街って、私の時代と全然違うし、けっこう知らないお店が多いんだよね。何度か来たことあるけど、あんまりじっくり見たことなかったな」
「ああ、俺も同じだ。いつも散歩で通り過ぎるだけだったからな」
俺は、商店街の両側に並ぶ店を改めて見渡した。
確かに、よくよく見てみれば初めて目にする店がいくつもある。
古びた喫茶店、小さな和菓子屋、懐かしい雰囲気の玩具屋。
どれも長い年月この場所で商いを続けてきたのだろう。
その佇まいには、どこか落ち着いた風格があった。
ふと、俺の目がある店の前で止まった。
写真屋だった。
ガラス張りのショーウィンドウには、たくさんの写真が飾られている。
家族で並んだ記念写真。
七五三の晴れ着姿。
成人式を迎えた若者たち。
みんな幸せそうに笑っている。
「写真屋か……」
俺は、思わず足を止めてしまった。
写真……。
そういえば、俺はあんなと写真を撮ったことがない。
事務所での日常も、公園で過ごした時間も、俺の中にはちゃんと残っている。
だけど、俺は記憶喪失だ。
いつかまた、大切なものを忘れてしまうかもしれない。
だからこそ、この街で過ごした日々や、あんなとの思い出を大切にしたかった。
「ハルくん?」
あんなが、俺の隣に立ってショーウィンドウを覗き込んだ。
「写真、見てたの?」
「ああ……」
俺は少し迷ってから、素直な気持ちを口にした。
「あんなと写真を撮りたいなと思って」
「えっ」
あんなの目が、丸くなった。
「写真……私と?」
「ああ。これから、あんなとたくさん思い出を作りたいんだ」
俺は少しだけ言葉を探した。
「だから、その思い出を何かの形に残しておきたい」
俺がそう言うと、あんなはしばらく黙って俺の顔を見つめていた。
その表情が、ほんの一瞬だけ泣きそうなほど悲しそうに歪んだ。
(ああ、そうか……)
俺は、自分の言葉が彼女の心に触れてしまったことに気づいた。
あんなは、いつか未来に帰らなければならない。
今のこの時間は、永遠じゃない。
「あんな……」
俺が何か言おうとしたとき、あんなはぶんぶんと首を振って、いつもの明るい笑顔を貼り付けた。
「うん、いいね。写真撮ろう。あ、でも……携帯で撮ればいいんじゃないかな?」
あんなは、自分の携帯をポケットから出して俺に示した。
「携帯?」
「うん、携帯で写真が撮れ……あっ!?」
あんなは、途中まで言って口を噤んだ。
そして、少しだけ気まずそうな顔で俺を見る。
「えっと……ハルくんの携帯って、写真は撮れないんだっけ?」
「残念ながら、俺の携帯に写真を撮る機能はないな」
「そっか……この時代、まだカメラ付き携帯は一般的じゃないんだった」
あんなは、少しだけ悔しそうに呟いた。
彼女の時代では、当たり前のように写真が撮れるのだろう。
「なら、あれを買おう」
俺は、写真屋のショーウィンドウの隅に、小さな箱が積まれているのを見つけた。
『使い捨てカメラ』と書かれている。
インスタントカメラの一種で、フィルムが内蔵されていて撮影後は現像に出す必要があるらしい。
値段も手頃で、初心者でも扱いやすそうだ。
「これなら、俺でも使えそうだ」
俺は店に入って、使い捨てカメラを一つ買った。
店を出ると、俺は早速そのカメラを手に持ってあんなに向けた。
「試しに、あんなを撮ってみたい」
「えっ、私!?」
あんなは、慌てて両手を顔の前で振った。
「だ、ダメだよ。撮るならハルくんも一緒に撮ろうよ。私だけなんて恥ずかしいよ」
「そうか? 俺は、あんなの写真が欲しいんだが」
「そ、それなら……二人で撮ろうよ。私も、ハルくんと一緒の写真が欲しいもん」
あんなは、頬をほんのりと赤らめてそう言った。
その言葉に、俺の胸の奥がじんわりと温かくなる。
「わかった。でも、そうなると誰かに撮ってもらわないと……」
使い捨てカメラには、タイマー機能がついていない。
「どうする? 誰か通りがかりの人に頼むか?」
「うーん……でも、誰に声をかけたらいいのかな」
あんなと一緒に周囲を見回す。
だが、気軽に声をかけられそうな相手は見当たらなかった。
「困ったな……」
俺がそう呟いた、その時だった。
「よかったら、私が撮りましょうか?」
背後から、澄んだ声が聞こえた。
振り返ると、そこに立っていたのは――。
長くて綺麗な黒髪に銀縁のメガネ。
背筋をまっすぐに伸ばした、品のある立ち姿。
「――っ!!」
俺は、思わず息を呑んだ。
トゥルピス。
邪神教団カオスの神子。
街に爆弾を仕掛け、俺たちを散々振り回したあの女だった。
「トゥルピス……!!」
「あはっ……そんなに警戒しないでよ。今日は別に何かするわけじゃないんだから」
トゥルピスは両手をひらひらと振ってみせる。
その態度は気楽そのものだったが、俺の警戒はまったく解けなかった。
「……何の用だ?」
俺は、できるだけ感情を押し殺して問いかける。
「別に。ただ街を歩いてたら、見覚えのある顔を見つけたから声をかけてみただけ」
そう言って、トゥルピスは俺たちの手元にあるカメラへ視線を落とした。
「ふふ……仲良さそうで結構ね。その幸せ、いつまで続くかしら?」
あんなが俺の袖をぎゅっと掴む。
その手は、かすかに震えていた。
「そういえば、この間は楽しんでもらえた?」
「……ふざけるな」
俺は短く吐き捨てた。
「あの爆弾のせいで、どれだけの人が危険な目に遭ったと思っている。おまえの遊びに付き合う気はない」
「そうだよ!!四つ目の爆弾があるなんて、聞いてないよ!!」
あんなの言葉に、トゥルピスはふと笑みを消した。
「……四つ目の爆弾?」
「そうだ、黒い箱の爆弾だ。橋の下の爆弾の近くにもう一つあっただろ?」
俺がそう言うと、トゥルピスは少しだけ考えるような素振りを見せた。
そして、静かに首を振った。
「……それは、私じゃない」
その声は、今までの軽薄な調子とはまったく違っていた。
「本当に、私じゃない。私が仕掛けた爆弾は三つだけ。四つ目なんて知らない」
「……本当か?」
「嘘じゃない」
トゥルピスはまっすぐに俺の目を見て、そう言った。
その顔は、嘘をついているようには見えなかった。
「……じゃあ、誰が仕掛けたんだよ?」
「さあね。私にもわからない」
トゥルピスはそう言って、肩をすくめた。
その仕草はどこか、本心から困惑しているようにも見えた。
すると彼女は、突然、俺の手からカメラを奪い取った。
「お、おい、どういうつもりだ!!」
俺が身構えると、トゥルピスはくすっと笑った。
「爆弾を解除できたご褒美に、私が二人の写真を撮ってあげる♪」
「……信用できない」
「そう言わないでよ。今回は、ドッキリじゃないから、大丈夫だって」
トゥルピスは、カメラを片手で弄びながらにっこりと笑う。
俺は、あんなと顔を見合わせた。
あんなの目は、まだ警戒の色を宿している。
だが、その奥には少しだけ、迷いのようなものも見えた。
「……どうする? あんな」
「うーん……」
あんなはしばらく考えて、それから小さく息を吐いた。
「……一度だけ、お願いしてみようか。本当に撮ってもらうだけなら、問題ないと思うし」
「わかった」
俺はトゥルピスに向き直って、短く言った。
「一度だけだ。余計なことをしたら、容赦しない」
「あはは♪わかってるって♪」
トゥルピスはそう言って、カメラを構えた。
俺とあんなは、商店街の入り口の看板の前で並んで立った。
あんなは、少しだけ背伸びをして俺の肩にそっと手を置いた。
その温もりが、妙に鮮明に感じられた。
「はい、チーズ♪」
トゥルピスの声に合わせて、俺たちは、少しだけぎこちなく笑った。
カシャリ、という軽いシャッター音が聞こえた。
「はい、撮れたよ」
トゥルピスは、すぐに俺にカメラを返した。
その動作は、本当に写真を撮っただけのように見える。
「それじゃあ、私は行くところがあるから……」
トゥルピスはそう言って、背を向けた。
「待って」
あんなが呼び止めると、トゥルピスはほんの少しだけ足を止めた。
「……写真、撮ってくれてありがとう」
しばらく沈黙が流れる。
トゥルピスは振り返らないまま、小さく肩をすくめた。
「その写真、大事にしなさい」
淡々とした声だった。
「案外、無くしたくないものほど、先になくなるものだから……」
「えっ?」
あんなが目を瞬かせる。
その時、トゥルピスはくるりと振り返った。
「な~んてね♪」
いつもの軽薄な笑み。
まるで今の言葉を冗談だったことにしたいみたいに。
「それじゃあ、またね」
そう言い残して、トゥルピスは商店街の雑踏の中へ消えていった。
その背中はどこか寂しそうで、少しだけ怒っているようにも見えた。
「あの人……本当に四つ目の爆弾のこと、知らないみたいだったね」
「ああ……」
俺は手の中のカメラを見つめながら、小さくうなずいた。
あの黒い箱の爆弾。
あれは、誰が仕掛けたものだったんだろうか。
トゥルピスが嘘をついているようには見えなかった。
だとしたら、俺たちの知らない誰かが動いているのかもしれない。
だが――今は、そのことを考えるのはやめよう。
俺は手の中のカメラを見つめ、それから隣のあんなへ視線を向けた。
今は、この時間を大切にしたかった。
「たいやき、買いに行こうか」
俺がそう言うと、あんなは少しだけ驚いた顔をした。
それから、ふっと笑う。
「うん。そうだね。せっかく来たんだし……」
俺たちは並んで歩き出した。
向かう先は、商店街の外れにあるたいやき屋だ。
商店街の外れにあるたいやき屋は、思っていたよりも小さな店だった。
暖簾は少し色褪せていて、店先には『創業五十年』と書かれた木の看板が掛かっている。
「おじさん、二つお願いします」
あんながそう言うと、店主は「はいよ」と返し、焼き立てのたいやきを紙袋に入れて渡してくれた。
あんなはそれを受け取ると、大事そうに抱えながら俺の方を振り返る。
「どこで食べようか。歩きながらでもいいけど……」
「近くに公園があったはずだ。ベンチで座って食べないか」
「うん、それがいい!!」
俺たちは商店街を少し戻り、細い路地を一本入ったところにある小さな公園へ向かった。
商店街の喧騒が嘘のように静かな場所で、木々の間にベンチが並んでいる。
ちょうど日陰になったベンチに腰を下ろすと、あんなは袋からたいやきを取り出した。
「わあ……見て。あんこがぎっしり詰まってる。皮もパリパリだよ」
「本当だな」
「でしょ。ここ、私の時代ではもうなくなっちゃってて……見つけた時は嬉しかったんだ」
そう言って、あんなはたいやきを一口かじった。
「ん〜っ、おいしい!! ハルくんも早く食べてみて!!」
促されるまま、俺もたいやきを口にする。
確かに皮は香ばしく、あんこも甘すぎない。
だが、俺の印象に残ったのは味だけじゃなかった。
隣で幸せそうにたいやきを頬張るあんな。
その姿の方が、ずっと強く心に残った。
「どう? おいしい?」
あんなが、俺の顔を覗き込むようにして聞いてくる。
「ああ、おいしい。皮が香ばしくてあんこの甘さも丁度いい」
「でしょでしょ!!」
あんなは満足そうに何度もうなずき、たいやきをかじった。
しばらく、俺たちは無言でたいやきを食べていた。
特別な会話もない、ただの静かな時間。
でも、その静けさが心地よかった。
「ねえ、ハルくん」
不意に、あんなが口を開いた。
「なんだ?」
「今日のたいやき、いつもよりおいしい気がするんだ」
「そうなのか? 俺は初めて食べたから、比べようがないんだが」
俺が正直にそう答えると、あんなは少しだけ口ごもった。
手にしたたいやきへ視線を落とし、小さく息を吐く。
「うん。いつもより……っていうか、たぶん初めて食べた時よりも、ずっとおいしい」
「どうしてだ?」
あんなは返事の代わりに、たいやきを持つ手をそっと膝の上に置いた。
そして、少しだけ照れたように笑う。
「……ハルくんが隣にいるから、かな」
そう言って、あんなはほんの少しだけ俯いた。
耳の先が、夕陽の色とは違う赤みを帯びている。
俺は、その言葉を頭の中でゆっくりと反芻した。
ハルくんが隣にいるから。
それは不思議な理屈だった。
でも、俺にもわかる気がした。
隣にいる人が違うだけで、同じものでも違って見える。
きっと、そういうことなんだろう。
「そっか……」
俺は静かに呟いた。
「だから、こんなにおいしいんだな」
その言葉に、あんなが顔を上げた。
少し赤くなった顔のまま、それでもまっすぐに俺を見ている。
「あんなが隣にいると、たいやきも、きっと他の何もかも……いつもより、ずっとおいしく感じる」
「えへへ……同じだね」
あんなは嬉しそうに笑って、またたいやきをかじった。
俺も残りのたいやきを食べる。
特別なことをしたわけじゃない。
ただ、たいやきを食べて、話をして、一緒に笑った。
それだけだ。
それだけなのに、胸の奥は静かに温かかった。
今は、それで十分だった。
たいやきを食べ終えると、あんなは紙袋を丁寧に畳んでベンチの端に置いた。
「ハルくん、もう一個買おうか? みくるたちのお土産もまだ買ってないし」
「そうだな。買って帰ろう」
俺たちは立ち上がって、再び商店街へ向かって歩き出した。
あんなは、さっきよりも少しだけ俺の近くを歩いている。
その距離が、なんだか嬉しかった。
「ハルくん」
「なんだ?」
「また来ようね。このたいやき屋さん」
「ああ。また来よう」
俺がそう答えると、あんなは嬉しそうに笑った。
夕暮れの商店街に、俺たちの足音が重なって響く。
たいやきの温もりは、もう手の中には残っていない。
それでも――
胸の奥の温かさは、まだ消えずに残っていた。