(明智ハル視点)
恋人になって初めての休日。
俺とあんなは、まことみらい市にある水族館に来ていた。
今日のあんなは、普段の私服や制服姿とはまるで違っていた。
白いワンピースに、薄い水色のカーディガン。
髪には小さなリボンのヘアピンがついている。
普段は元気いっぱいに走り回っている彼女が、今日はどこか大人びて見えた。
「今更だけど……その服、すごく似合ってるな」
「えっ!?」
あんなの目がまんまるになる。
それから、みるみるうちに頬が赤く染まっていった。
「そ、そうかな……ありがとう。頑張って選んでよかった」
「その……なんというか、今日は特にかわいい気がする」
俺がそう言うと、あんなは「もう、ハルくんってば」と照れくさそうに俯いた。
でも、その口元はしっかりと綻んでいた。
水族館の受付でチケットを購入する。
俺があんなの分のチケット代を払おうとすると……。
「ハルくん、私の分は自分で払うから大丈夫だよ」
「えっ、デート代は男が出すものじゃないのか?」
俺が事前に仕入れた知識(テレビ)によると、そうだった気がする。
「それって、いつの時代の話? 私たちくらいの年齢なら、デートは割り勘が普通だと思うよ」
そう言って、あんなは自分のサイフからお金を取り出し、チケットを購入する。
受付の女性が、そんな俺たちを見てにこりと微笑んだ。
「今日はデートですか? 羨ましいですね」
その言葉に、あんなは一瞬で耳まで真っ赤になった。
「え、えっと、その……はい……」
消え入りそうな声でそう答えるあんなの横で、俺は受付の女性に尋ねた。
「そうです。実はこの水族館に来るのは初めてなんですが、何かオススメのイベントや場所はありますか?」
「なるほど……それなら、今日はイルカのショーとペンギンの歩行パレードがオススメですよ。あとは、トンネル水槽やふれあい広場も人気です。特にトンネル水槽は、この水族館で一番大きな水槽で見応えがあります」
「ありがとうございます。参考にさせてもらいます」
俺は礼を言って、あんなの方へ向き直った。
「それじゃあ……あんな、行こう」
そう言って、右手を差し出す。
あんなは一瞬瞬きをした。
それから、その手を見つめてゆっくりと顔を上げた。
「……うん」
あんなの手が、そっと俺の手を掴む。
小さくて、温かくて少しだけ震えていた。
俺はその手をしっかりと握り返して、水族館の中へと足を踏み入れた。
中に入った瞬間、俺は思わず足を止めた。
「……すごい」
頭上を覆うように広がる巨大な水槽。
その中を、数えきれないほどの魚たちが泳いでいる。
青、銀、赤、黄色。
色とりどりの魚が光を受けてきらきらと輝いていた。
「これが水族館……なのか……」
あんなは俺の驚いた顔を見て、なんだか楽しそうに笑っている。
「ふふっ……ハルくん、口が開いてるよ」
「そ、そうか?」
「うん。魚みたい」
あんなはそう言って、くすくすと笑った。
俺は少しだけ恥ずかしくなって、空いている左手で口元を隠した。
「うっ……初めて見るんだから、仕方ないだろ」
「そうだね。私も初めて来たときは同じ顔してたかも」
あんなはそう言って、繋いだ手にそっと力を込めた。
俺たちは、受付の女性に教えてもらった場所を順番に回ることにした。
まずは、イルカのショー。
プールの前の観客席は、家族連れやカップルでいっぱいだったが、俺たちは運よく前の方の席を確保できた。
ショーが始まると、イルカたちは驚くほど高くジャンプして、観客の歓声を浴びていた。
あんなはイルカが芸をするたびに「わあっ!!」「すごい!!」と声を上げて、そのたびに俺の袖を引っ張った。
「ハルくん見て!! あのイルカ、ハルくんに似てるよ!!」
「えっ……どこが?」
「ほら、あの、一番小さくて端っこでくるくる回ってる子」
俺はイルカを見て、自分と似てる部分を探すが……まったくわからない。
「全然似てないと思うんだが……」
俺がそう言うと、あんなは「えー、似てるのに」と言って、また笑った。
次は、ペンギンの歩行パレード。
ペンギンたちがよちよちと行列を作って歩く姿は、確かに可愛らしかった。
あんなはペンギンたちをじっと見つめて、目をきらきらと輝かせていた。
「ペンギンって、歩くの遅いね」
「ああ……でも、一生懸命歩いてる姿はなんだか応援したくなるな」
「うん。 頑張れーって言いたくなっちゃうかも……」
すると近くにいた子供たちが「がんばれー」と声を上げる。
「頑張れー!!」
子供たちに影響されたのか、あんなもペンギンたちに向かって声援を送る。
俺があんなに視線を向けると「だって、転ばないか心配なんだもん」と言われた。
あんなは、その後も子供たちと一緒にペンギンたちに声援を送っていた。
俺は、その姿を見て微笑ましく思うのだった。
次にふれあい広場に行くと、小さな魚やヒトデなどに触ることができた。
あんなは、おそるおそる水に手を入れて小さな魚が指先をつつくと「きゃっ」と小さく悲鳴を上げて、それから嬉しそうに笑った。
「ハルくんも触ってみて!! くすぐったいよ!!」
促されるまま、俺も水に手を入れてみる。
小さな魚が俺の指の間をすり抜けていく。
その感触は、確かにくすぐったかった。
「本当だ。くすぐったいな」
「でしょ!!」
あんなは、満足そうに何度も頷いた。
「こうやって実際に触ってみると、やっぱり図鑑で見るのとは全然違うな」
俺はヒトデやヤドカリに指先で軽く触れながら感触を確かめる。
「ハルくんって、海の生き物が好きなの?」
「好きというか……単純に興味がある感じかな、普段見る事もないし」
海の生き物は、陸に住んでいる生き物とは違った形をしていて興味深い。
「こうやって生き物に実際に触れられるのは、貴重な体験かもしれない」
「そうなんだ、じゃあ、いっぱい触っていかないとね」
あんなは、ふれあい広場の生き物に触れる俺を見て、なぜかニコニコしていた。
それから、トンネル水槽へ移動する。
巨大な水槽の下をくぐるように作られたトンネルは、まるで海の中を散歩しているような気分だった。
頭上をエイがゆったりと泳いでいく。
その姿は、どこか優雅で見ているだけで心が落ち着いた。
「ここ、すごく落ち着くね」
「そうだな……時間がゆっくり流れているみたいだ」
あんなは、そっと俺の肩に寄りかかった。
「どうした?」
「なんだかね……少しだけ、こうしたくなったの」
そう言って、あんなは照れたように笑う。
俺は何も言わなかった。
ただ、その時間が終わらなければいいと思った。
俺たちは、しばらくその場に立ち止まって、ただ魚たちを眺めていた。
その時、撮影OK(フラッシュ・補助光の禁止)と書かれた看板が目に入る。
俺はポケットの中に入れていた使い捨てカメラのことを思い出す。
この間、商店街で買ったものだ。
「あんな、一緒に写真を撮ろう」
「えっ、ここで?」
「ああ。せっかくだから、この景色を背景に記念写真に撮りたいんだ」
「いいけど……誰に撮ってもらうの?」
俺は、近くにいた水族館のスタッフらしき女性に声をかけて、カメラを渡した。
「すみません、写真を撮ってもらえますか?」
「はい、いいですよ」
スタッフの女性は快く引き受けてくれて、俺たちはトンネル水槽の前で並んだ。
あんなは、少しだけ背伸びをして俺の肩にそっと手を置いた。
その温もりが、妙に鮮明に感じられた。
「はい、チーズ」
スタッフの女性の声に合わせて、俺たちは笑った。
カシャリという軽いシャッター音が聞こえた。
「ありがとうございます」
俺はスタッフの女性からカメラを受け取る。
「うーん……すぐに写真が見れないのは、やっぱり不便かも」
あんなが不満そうにカメラを見る。
「フィルムを全部使い切ったら、今度現像してみよう」
「だったら、もっといっぱい写真を撮らないとね」
「それじゃあ、他の場所でも写真を撮ってみるか」
その後、食堂でラーメンを食べるあんなを撮ったり、逆にあんなが俺を撮ったり、再び水族館のスタッフに二人の写真を撮ってもらったりした。
気が付くと、時刻は夕方になり帰る時間になる。
水族館を出ると、空はすっかり夕焼け色に染まっていた。
「今日は、楽しかったね」
「ああ、俺もすごく楽しかった」
水族館を出てからも、手は繋いだままだ。
「あんな……また今度、一緒にどこかに行こうな」
「うん!! たくさん行きたいところがあるんだ。今度は、遊園地とか……」
あんなは指を折りながら、楽しそうに次に行きたい場所を挙げていく。
俺はその笑顔を見ているだけで、胸の奥が温かくなった。
「あっ、でも……また、ここに来るのもいいかもね」
「……そうだな、また来よう」
俺はそう答えて、あんなの手をそっと握り直した。
今日の思い出は、きっとこの先もずっと俺の中に残り続けるだろう。
何があろうと、この温もりだけは忘れない気がした。