(明智ハル視点)
散歩の途中で、ふと公園のベンチに座っているあんなの姿を見つけた。
まだ夕方には少し早い時間で、遊具では数人の子供たちが歓声をあげて走り回っている。
鉄棒のそばでは若い母親が小さな女の子の手を引きながら、届かない背中を押してやっていた。
女の子は逆上がりに失敗するたびに母親の顔を見上げて笑い、母親もまた柔らかい笑顔で「もう一回やってごらん」と励ましている。
俺はその微笑ましい光景に目を細めながら歩いていると、公園の隅にある古びたベンチに視線が吸い寄せられた。
そこに座っているのはあんなだ。
学校帰りの制服姿で膝の上にカバンを抱え、じっと親子の姿を見つめている。
いつも明るくて元気いっぱいのあんなにしては珍しく、その横顔からは笑顔が消えていた。
目は確かに親子を追っているのに、どこか焦点が合っていないような虚ろさがある。
小さく握りしめられた両手が膝の上で所在なさげに揺れていて、その背中がやけに小さく見えた。
普段のあんなからは想像もつかないほど、寂しそうに感じる。
気が付くと、俺の足は自然とベンチの方へ向かっていた。
「あんな、こんなところで何をしているんだ?」
俺が声をかけると、あんなはハッとしたように顔を上げた。
その瞳に一瞬だけ残っていた曇りが、俺の顔を認めると同時にすっと消えていく。
そして彼女はいつもの明るい笑顔を慌てて貼り付けた。
「あっ、ハルくん!!えへへ、ちょっとぼんやりしてただけだよ。今日はみくるが先生に呼び出されちゃって、先に帰ったから一人で公園をぶらぶらしてたの」
声はいつもの調子を取り戻している。
でもさっきまで見せていた表情が頭に焼きついていて、どうしてもそれが本当の姿のように思えてならなかった。
俺はベンチに腰を下ろすと、隣に座るあんなの顔を穏やかに見つめた。
「さっきのあんな、なんだか寂しそうに見えたんだが……気のせいだったか?」
俺の言葉にあんなはぴくりと肩を震わせた。
それから両手でカバンをぎゅっと抱え込み、うつむいてしばらく何かを考え込む。
遊具の方から子供たちの笑い声が風に乗って聞こえてきて、その音がやけに遠く感じられた。
「ハルくんには、隠し事ってできないんだね」
あんなは観念したように小さく笑うと、ゆっくりと顔を上げた。
その目はもう無理に作った明るさではなく少しだけ弱さを滲ませた素直な光をたたえている。
「ちょっとだけね、ホームシックになってたの。あの親子を見てたら未来にいる家族のこと思い出しちゃって」
あんなの声は普段よりずっと小さくて、風にさらわれてしまいそうなほどか細かった。
「私、未来から一人でこの時代に来てるでしょ。普段は大丈夫なんだよ。みくると一緒だし学校も楽しいし、探偵の仕事もやりがいがあるし。でも一人になるとね、たまにすごく寂しくなるの」
彼女はベンチの背もたれに体重を預けて、空を見上げた。
茜色に染まり始めた雲がゆっくりと流れていく。
「未来にいた頃は当たり前だったことが、今はもうできないんだなって思うと胸がきゅーってしてくるんだよね。お母さんの料理とか、お父さんと見てたテレビ番組とか、友達と交わしてた他愛ないおしゃべりとか。そういう小さなことが、急に愛おしくてたまらなくなるの」
俺はただ黙ってあんなの話に耳を傾ける。
「未来ではね、休日にお母さんとよく一緒に買い物に行ってたの。新しいお菓子を選んだり、くだらない話をしながら歩いたり……私、その時間がすごく好きだったんだ」
その言葉が俺の胸にじんわりと染み込んでくる。
「あっ、今話したことは、みんなには黙っててほしいんだ。特にみくるには内緒だよ。あの子すごく責任感じるタイプだから自分が呼び出されたせいで私が寂しい思いしたなんて知ったら、絶対に落ち込んじゃうもん」
「わかった、みくるには言わないと約束するよ」
俺がそう請け合うと、あんなは安心したように息を吐いた。
でも俺の胸の中には、まだもやもやとしたものが残っている。
あんなはいつも誰かのために動いて誰かの笑顔を優先して、自分の弱さを隠してしまう。
それが彼女の優しさであり強さでもあるけれど、一人で抱え込むには重すぎる荷物だ。
俺は自然と右手を伸ばして、そっとあんなの頭に手を置いた。
「俺は、あんなの家族だ。だから寂しいときは一人で抱え込まないでほしい」
あんなの肩がびくりと跳ねた。
大きな瞳がまんまるに見開かれて、俺の顔をまじまじと見つめてくる。
その視線には驚きと戸惑いと、それからかすかな期待が入り混じっていた。
「か、家族って、どういうこと?」
「だって俺はあんなと同じ『明智』だからな」
俺がそう言って微笑むと、あんなの頬が一瞬でぽっと赤く染まった。
口をぱくぱくと開閉させて何か言おうとしては言葉にならずに飲み込む。
そんな彼女の慌てふためく様子が可愛らしくて、俺は口元が緩むのを抑えきれず、つい笑みを深くしてしまった。
「わ、わわっ!!そっか、そうなるのか。ハルくんの苗字、私の苗字だもんね。でも、それってジェット先輩が適当につけただけで深い意味は」
「俺は気に入ってるよ。あんなと同じ苗字でいられることを、誇らしく思ってる」
俺が静かにそう伝えると、あんなはもう反論する言葉を完全に失ってしまったようだった。
彼女は耳まで真っ赤にして両手で顔を覆おうとしたけれど、その手を途中で止めて代わりに俺の手のひらの下でそっと目を閉じる。
「ハルくんに頭を撫でられるの、すごく恥ずかしいけど……でも嬉しい」
あんなの声はくすぐったそうで、けれど確かな温もりを帯びていた。
彼女は俺の手を振り払うでもなく、ただじっと身を預けてくる。
「なんだかね、あったかくて安心するんだ。ハルくんの手、大きくて優しい」
俺はしばらくの間、黙ってあんなの頭を撫で続けた。
指先でそっと髪を梳くように、時々耳の後ろをくすぐるように。
そのたびにあんなは小さく身じろぎして、でも決して嫌がらずに俺の手を受け入れていた。
夕暮れの公園に子供たちの声がだんだんと遠くなっていく。
母親と女の子もいつの間にか帰っていて遊具だけが茜色に染まって静かに佇んでいた。
「ハルくん、ありがとう」
あんながぽつりと呟く。
その声はさっきまでの寂しさを溶かしきったみたいに、穏やかで澄んでいた。
「気がついたら森の中で一人だった俺に、家族をくれたのはあんなとみくるだ。だから今度は俺があんなの家族になる番だよ」
俺がそう言うとあんなは顔を上げて、目を少しだけ潤ませながら笑った。
それは作り物じゃない本当の笑顔だった。
「えへへ、じゃあ今日からハルくんは私の自慢の弟だね」
「兄じゃなくて弟か……まあ、それでもいいけどな」
俺たちは顔を見合わせて小さく笑い合った。
公園の外れにある時計台が五時の鐘を鳴らし始めて、俺はベンチから立ち上がる。
「みくるももう帰ってきてるかもしれないし、俺たちも事務所に帰ろう。」
「うん!!帰って三人でおやつにしようよ。今日は何を食べようかなあ……プリンにするか、ドーナツにするか、ねえハルくんはどっちがいい?」
あんなの声がすっかりいつもの調子を取り戻していて、俺は安心しながら歩き出す。
二人分の足音が夕暮れの舗道に重なって響いていた。