(明智ハル視点)
俺は物陰に身を潜め、息を殺して戦いを見守っていた。
腕の中ではポチタンが不安そうに小さく震えていて、「ポチッ……」と鳴く声もいつもよりずっと弱々しい。
前方の広場では、キュアアンサーとキュアミスティックがハンニンダーと対峙していた。
今回は、バナナの木から生みだされたハンニンダーで、バナナのブーメランを複数飛ばしてきたり、バナナの皮を大量に撒いてこちらを滑らせてくるという厄介な敵だった。
カルト教団の怪物と戦った時と同じように、二人の動きは息がぴったりと合っていて、ハンニンダーの攻撃を冷静にかわしながら着実に反撃の機会をうかがっている。
「アンサー、右に回り込んで!!」
「わかった、ミスティック!!」
二人の連携は見事だったがハンニンダーもさすがに手強く、戦況は膠着状態に陥りつつあった。
俺も加勢したいところだが、二人からハンニンダーとの戦いは私たちに任せて欲しいと言われている。
それに、今下手に飛び出しても、二人の連携の邪魔になるだけだろう。
そんなことを考えていると……戦場に新たな人影が現れた。
セミロングの髪を風に揺らしながら涼しげな表情で歩み寄ってくる少女。
腕には薄紫色のかわいらしい妖精を抱えている。
キュアアンサーとキュアミスティックが同時に身構えた。
あんなから怪盗団ファントムにプリキュアがいるという話は聞いていたが、本人と対面するのはこれが初めてだ。
「るるかさん!?」
キュアミスティックの声が緊張に強張る。
森亜るるか──彼女は何事もなかったかのように淡々とした表情で、腕の中の妖精をそっと地面に下ろした。
そして何かを取り出すと……その姿を光が包み込む。
「神秘と秘密で包み込む、キュアアルカナ・シャドウ!!」
「さあ、迷宮へ誘いましょう」
変身を終えた彼女は、キュアアルカナ・シャドウとして俺の目の前に立っていた。
キュアアルカナ・シャドウは手に持ったロッドで反時計回りに円を描くと……。
次の瞬間、彼女の周囲に無数の暗黒の光点が浮かび上がり、それが一斉にビームとなって全方位に放たれた。
「……アルカナスターレイン」
闇の光線が雨のように戦場を覆い尽くす。
キュアアンサーとキュアミスティックは間一髪でそれをかわしたが、ハンニンダーにビームが直撃する。
「ハ、ハンニンダー!?」
キュアアルカナ・シャドウの攻撃に巻き込まれたのが、よほど痛かったのか、巨体を翻して逃げ出してしまう。
「逃げられた!!」
キュアミスティックの唇が悔しそうに歪む。
アルカナ・シャドウの攻撃は危険だ、ここで止めるしかない。
そう判断して、俺は茂みを飛び出し、キュアアンサー達に声をかける。
「こいつの相手は俺がするから、あんな達はハンニンダーを倒せ!!」
二人がはっと振り返り、驚愕の表情で俺を見た。
あんなの顔が一瞬で不安に染まる。
彼女は一歩俺に駆け寄ろうとして、その手が宙で止まった。
「でも、ハルくん、相手はプリキュアだよ!!いくらハルくんでも一人じゃ……」
「ハルくん、私たちは二人ともハルくんを信じてる。でも……」
二人が不安に思うのは当然だ。普通の人間がプリキュアに勝てるわけがない。
未だに自分が何者かはわからない。だが俺は普通の人間じゃない。
やり方次第でなんとかなるはずだ。
今この場で最も合理的な選択は俺が時間を稼ぎ、二人がハンニンダーを倒すこと……二人もそれがわかっているはずだ。
「俺には作戦があるんだ。だから大丈夫、心配するな」
できる限り平静を装ってそう言うと、腕の中のポチタンをあんなに差し出した。
ポチタンは不安げに「ポチッ……」と鳴きながらも、俺の意図を察したのか素直にあんなの腕に飛び移る。
あんなはポチタンをぎゅっと抱きしめながら、それでもまだ迷っているような目で俺を見つめていた。
「わかった……ハンニンダーを倒したらすぐに戻ってくるから!!」
「信じてるからね、ハルくん。絶対に無理しちゃダメだよ!!」
「ああ、約束だ。二人とも頼んだぞ」
俺の言葉を聞くと二人は一度だけ強く頷き、そして地を蹴ってハンニンダーを追っていった。
その背中が見えなくなると同時に俺は全身の神経を戦闘に切り替える。
「あなた……誰なの?」
キュアアルカナ・シャドウが初めて俺に視線を向けた。
その声には驚きも警戒もなく、ただ純粋な疑問だけが浮かんでいる。
おそらく彼女は俺のことをただの一般人とでも思っているのだろう。
だからこそ、この一言は効果がある。
「俺は……おまえを倒すものだ」
喉の奥がひりつく。
自分でも無謀だとわかっている挑発を、あえて選んだ。
この一言で彼女の冷静さがほんの少しでも揺らげば、それで十分だ。
戦闘において相手の冷静さを崩すことは、実力差を埋める数少ない手段のひとつだ。
「何を言ってるの?プリキュアでもないあなたには無理」
彼女の声は淡々としていて、感情が読めない。
その無機質さが逆に、背筋をひやりと撫でていく。
「じゃあ試してみろよ」
俺が言い返した瞬間、彼女の身体がわずかに沈む。
表情は変わらないまま、次の瞬間には鋭い蹴りが俺へと迫っていた。
速い──想像していたよりもずっと速い。
空気が裂ける音すら聞こえた気がした。
俺は全神経を集中させ、彼女の足の軌道を目で追いながら、両腕をクロスさせて防御の姿勢を取る。
衝撃が腕全体に走り抜け、骨が悲鳴を上げたがなんとか受け止めることができた。
「っ!?」
彼女は俺の前で初めて感情らしいものを瞳に浮かべた。
それはほんのわずかな驚きだったが、確かに彼女の中で何かが揺らいだ証拠だ。
プリキュアの攻撃を生身の人間が受け止められるはずがない──その常識がほんの少しだけ揺らいだのだろう。
だが俺の方は、この一撃で確信してしまった。
このまま正面から戦っても、俺の力では彼女には勝てない。
だから、別の手段を使うしかない。
俺は彼女の全身を素早く観察する。
彼女はあんな達より年上、おそらく15~16歳。
それなら……こういう言葉が効く可能性が高い。
「今思ったんだが……おまえ、足が太いな」
戦いの最中だというのに、我ながら最低な挑発だと思った。
こんな挑発が本当に効くのか賭け以外の何物でもない。
外せば次の一撃で俺は倒されるかもしれないという瀬戸際で、あえて軽薄な煽り文句を選んだのだ。
「……何?」
彼女の動きがぴたりと止まった。
蹴りを放とうとしていた足が途中で凍りつき、その目がわずかに見開かれる。
無表情だった顔に初めて明確な感情の色が浮かんだ。
「別に……太くない」
彼女の声は相変わらず淡々としていたが、その口元がほんのわずかにへの字に曲がっている。
どうやら思ったよりも効いているようだ。
「いや、普通にあんなとみくるの方が細いぞ」
俺はさらに畳みかけるように言った。
心の中で二人に謝りながら、あえて比較の対象として名前を挙げる。
こういう戦い方はあまり好きではないが、彼女との実力差を考えれば、やむを得ない。
「私は二人より年上だから……ほんのちょっと太く見えるだけ」
彼女の声がほんの少しだけ震えた気がした。
その瞬間、彼女の足元に控えていた妖精が、ふわりと浮かび上がって彼女に声をかける。
「るるか、彼の煽りに乗ったらダメよ!!」
「……わかってる、マシュタン」
マシュタンと呼ばれたその妖精の声は、柔らかかったが芯の強さを感じさせる響きがあった。
彼女は、その小さな目が俺をじっと睨みつけている。
だが俺はさらに踏み込むことにした。
マシュタンが口を挟んだということは、彼女の動揺が本物である証拠でもある。
「自分でも思い当たる節があるんじゃないか?例えば……この前、アイスを食べ過ぎたとかな?」
俺のその言葉に、彼女の眉がぴくりと動いた。
彼女は無表情のままだったが、その胸の内では思い当たる節があるのだろう。
その隙を逃さず、俺は地面を蹴って踏み込んだ。
彼女の意識が自分の足に向いている今が唯一の攻撃の機会だ。
拳を握りしめ彼女の胴体を狙って一直線に突き進む。
彼女はすぐに反応し、身をかわそうと横に跳んだが……。
その時、予想外のことが起きる。
俺の足が地面に落ちていたバナナの皮を踏んでしまったのだ。
「なっ!?」
思わぬ方向に体が滑り、まったく予期しない軌道で彼女の方へと倒れ込んでいく。
彼女もまた俺の予想外の動きに対処できずそのまま二人は激突した。
地面に倒れ込んだ衝撃で一瞬息が止まる。
そして意識が戻った瞬間、俺は自分の右手に感じる、小さくて柔らかな感触に気がついた。
もにゅ
それはあまりにも予想外で、あまりにも場違いな感覚だった。
ゆっくりと目を開けると俺の右手は彼女の胸の上に、はっきりと置かれていた。
さっきまで涼しげだった彼女の顔が見る見るうちに真っ赤に染まっていく。
白磁のような肌が耳の先まで紅潮し、その変化があまりにも鮮やかで俺は自分の状況も忘れて見入ってしまいそうになった。
彼女の唇がかすかに震え、何かを言おうとして言葉にならずにいる。
その瞳には驚きと羞恥と怒りがぐちゃぐちゃに混ざり合って、まるで嵐のような感情の渦が巻き起こっているのが、ありありと見て取れた。
「あっ……ごめん」
敵である彼女に、つい謝ってしまう。
この一瞬で戦闘の空気は大きく崩れ、代わりに気まずさと申し訳なさが場を支配してしまった。
遠くで光の柱が上がる。
ハンニンダーが倒された証だ。
あんなとみくるが約束通りに敵を倒し今頃こちらに戻ってきているはずだ。
それはいい知らせだったが、今の俺にはこの状況をどう収拾するかの方が先決問題だった。
「あなた……いつまで触ってるの?」
その声で我に返り、俺は慌てて彼女から離れた。
その瞬間、キュアアルカナ・シャドウの瞳に羞恥と怒りが一気に燃え上がった。
無表情の仮面が完全に崩れ、今にも爆ぜそうなほどの感情が露わになっていた。
彼女はゆっくりと立ち上がりながら、まだ耳の赤みが消えていない顔を俺に向ける。
「……な、名前」
「えっ?」
「名前を教えなさい」
彼女の声は震えを帯びていて、今にも爆発しそうな感情を必死で押さえつけているようだった。
その問いかけには、ただの名乗りの要求以上の重みが込められている気がした。
「……明智ハルだ」
俺は正直に名乗った。
ここで彼女に対して、これ以上嘘を重ねる気になれなかった。
「明智ハル……絶対に許さない」
彼女はその言葉を一言一言噛みしめるように紡ぐと、その場を去っていった。
マシュタンが一瞬だけ俺を振り返り何か言いたげな目を向けたが、すぐに主人の後を追って姿を消す。
広場には俺だけが取り残され、さっきまでの戦闘が嘘のように静まり返っていた。
そこへ息を切らせて走ってくる二つの足音が聞こえる。
あんなとみくるが戻ってきたのだ。
二人の笑顔を見た瞬間、全身の力が抜けた。
だが胸の奥では、キュアアルカナ・シャドウの「絶対に許さない」がいつまでも消えなかった。