雪が降っていた。
目に映る全ては白化粧が施されているみたいで、冷風が吹き付ける度に、体の芯が震える気がした。
視界には殴りつけるように吹き付ける雪は、僕の体に纏わりついてくる。
僕は、強く魔力を熾した。
凍える痩身を温める様に、腹部から熱が這い上がってくる。
外套に積もる雪が、静かに溶け始める。
足元を塞いでいた積雪も、僕を中心として自然と道を開き始めた。
だから僕は、
それは空に浮かぶ星を追う様な、無謀で無意味な行為だった。
この戦場に、僕の存在価値はない。
殺す事も、守る事も、僕は不得手だった。
だけど彼女がいるから、僕は戦場にいた。
僕は空を見上げた。
暗幕の降りた様な暗闇に、青白い光が迸る。
星明かりに照らされた彼女は、吹雪の中で舞っていた。
——彼女は、美しかった。
恐ろしいほど純美な紅の長髪に、至宝の宝石を思わせる赤眼。
体躯は幼い子供だが、未熟な美貌が、血塗られた外套の中にあった。
——今夜の
暗闇の中でさへ浮いてしまう人型の漆黒が、何体も空で蠢いていた。
顔は塗りつぶされた様に真っ黒なのに、鮮血で満たされたみたいな赤黒く大きな双眸だけが、闇の中に軌跡を残している。
恐ろしいと思った。でも、綺麗だとも思った。
——ああ、彼女は。
「……リン」
あの子の名前を呟く。
口の中だけで発されたみたいな、小さな声だった。
でも彼女は、満面の笑みを浮かべていた。
どうしてそんなに笑えるのか、笑ってくれるのか、僕には分からない。
ただ、綺麗だと思った。
感じるしか能のない僕は、ただ思っていた。
——いつか誰かが、あの子に安らぎを与えてくれるのだろうか。
思うしか能のない僕は、静かに願った。
願ったところで、現実が非情である事は知っていた。
それでも、祈らずにはいられなかった。
彼女が囚われているのを、ただ見つめるだけなのは、耐えられなかった。
◻️
ユーシャは貧民窟に身を置いていた頃から、睡眠に忌避感があった。
意識を手放してしまったら、もう二度と目を覚さないかも知れないと、臆病にも考えてしまうからだ。
それに、目覚めの感覚も苦手だった。
自分が水底に沈んでいて、水面を見つめているような無気力が、酷く苦手だったのだ。
しかし人は、睡眠を取らなければ生命を維持出来ない。
特に戦場から帰還した後は、心身の疲労から抗い難い眠気に襲われてしまう。
昨夜も例に漏れず、いつの間にか気を失っていた。
意識が浮上していく。
それに伴って、気が狂ってしまいそうな程の無気力感から、段々と四肢に感覚が戻って来る。
早く目覚める事を願って、ユーシャは流れに身を任せた。
「……ん」
双眸をゆっくりと開け放つ。
カーテンを開けているのに薄暗い部屋だ。
体が埋まってしまう程に柔らかなベッドの上で、ユーシャは目を覚ました。
ふと寝息が聞こえ、視線を横に移動させる。
そこには一糸纏わぬ姿のリンが、同じベッドを共にしていた。
毛布をかけてはいるが、少し動く度に玉肌が晒されてしまいそうで、ユーシャは思わず視線を逸らす。
しかし壁にかけられた時計を見るに、そろそろ起きる時間だ。
「リン、リン。起きて」
リンの細い肩を揺さぶる。
よほど深い眠りについているのか、強い力で暫く揺らしていると言うのに、中々目が覚める気配がない。
しかし悠然と、大きな瞳が悠然と開かれていく。
「……んー、もう、あさぁ?」
溶けている様な声だった。
普段もリンはユーシャに甘えるが、寝起きはいつにも増して甘えん坊になる。
年齢で考えれば少し子供過ぎるものの、彼女の体躯だけを見れば、おかしな事ではなかった。
「うん、もう朝だよ。起きて準備しないと、授業に遅れちゃうよ」
「やだぁ、まだねるぅ」
「ダメだよ。ご飯、食べられなくなっちゃうから」
ユーシャは心を鬼にして、今にも二度寝してしまいそうなリンから、布団を剥ぎ取る。
傷一つない玉肌が顕になり、ユーシャは視線を逸らすが、自然と顔が熱くなるのを感じた。
「うう、さむぃよぉ」
リンは口を尖らせながらも、体を起こし、自分の制服が掛けられたハンガーラックに向かう。
ユーシャは心を落ち着かせる為に、自分の胸に暫く手を当てた後、同じようにして制服に着替えた。
質素な男物の制服は、貧相なユーシャの体には非常に合っていた。
ユーシャも制服からは安心感を覚えるため、朝の着替えが嫌いではなかったを
「ねぇ、ユーシャ。髪、やって?」
制服に着替えたリンが、櫛を差し出してくる。
ユーシャは自然にそれを受け取ると、椅子に座るリンの髪を、優しく梳かしていく。
静寂だった。窓の外は薄暗く、横殴りの雪が降りつけていた。部屋に幽閉されたような錯覚さえ想起させる光景だ。
それでもユーシャは、この時間が嫌いではなかった。
「ねえねえ、ユーシャ。昨日、凄かったよね、ユーシャは、怪我してない?」
「リンが守ってくれたから、僕は無傷だよ……それより、リンの傷はもう良いの?」
「うん!ルティが治してくれたの!」
リンはそう言って、向日葵みたいな笑みを咲かせる。
確かに先ほど見た限りでは、傷の一つも残っていなかった。
もしかしたら見えない位置にあるかも知れないが、リンがユーシャに嘘を吐くことはない。
たまに叱られるのが嫌で誤魔化そうとするが、あまりにも挙動不審になる為、すぐ分かってしまう。
「でも、髪はちょっと短くなっちゃったね」
「ユーシャは長い方が好きだもんね!」
「……リンの髪は綺麗だから、長い方が似合ってるよ」
髪を梳かしながら、ユーシャは苦笑いを浮かべる。
美しい紅色も、少し癖のある髪質も、リンは少しも気にしていなかった。
ただユーシャがリンの髪を好きだからと言う理由だけで、自分の髪を気にしているのだ。
「うん、これでよし」
「ユーシャは?私、してあげるよ?」
「僕、あんまり寝癖付いてないからさっき直しちゃった。だから、今日はいいかな。それより、朝ごはん食べに行こ?」
「うん!」
自然と、リンの小さい手を取った。多分、リンからも握っていた。
二人で住むには、少々広めな部屋を後にして、リンとユーシャは食堂に向かう。
煉瓦造りの古風な寮の通路は、吹雪で揺れる窓枠がガタガタと音を鳴らしていた。
この時期の寮はやはり寒くて、沢山着込んだ筈だが、ユーシャは酷い寒気を感じていた。
ただ、リンと握り合った掌だけが、総身を暖かくしてくれていた。
「今日のご飯、何かなぁ?」
「……今日はお葬式があるから、あんまり特別なものは出ないと思うよ」
「あっ、そっか。うーん、ないのかぁ」
リンは悲しそうに面持ちに影を落とした。ユーシャは、リンの手をぎゅっと握った。
そのまま二人は手を繋ぎ、食堂にやって来た。
石造りの空間は、平時なら喧騒が聞こえてくる筈だが、妙に森閑としていた。
カツカツと足を叩きながら、二人は食堂の右奥に足を運ぶ。
席は自由に選べるが、大抵は皆んな、仲の良いグループで集まって食事を摂っているのだ。
「あら、おはようございます。あなた方は元気そうでよかったですわ」
先に席に着いていた金髪の女性が、朗らかな笑みを浮かべた。
とても綺麗な女性だ。切れ長の瞳に、艶やかな髪、背丈も高く、手足も長い。
「おはようございます、フィアメルさん」
「おはよー!」
リンとユーシャも、挨拶を返す。
最年長者の一人であるフィアメルは、こうして重鈍な雰囲気の中でも、気遣いと配慮を欠かさない人柄で知られていた。
普段通りとはいかないまでも、『前線組』の面々が完全に意気消沈していないのは、彼女の影響が大きいだろう。
「あれ、レインさん達は……?」
「レインやアネーリャ達は、昨日の疲労が抜けていませんから、午前中は起きて来ないでしょうね。リンとユーシャは大丈夫ですの?」
「私はとっても元気だよ!」
「僕も、なんともありません」
「そう、良かったですわ」
フィアメルがリンとユーシャの頭を、優しく撫でる。
普段のリンは、ユーシャ以外に触れられることを拒むが、フィアメルと治療員であるルティさんだけは例外だった。
「……本当に、貴方達が無事で良かったですわ」
フィアメルが安堵したように、優しく微笑む。
リンは不思議そうに首を傾げたが、ユーシャは思わず胸に手を当てていた。
心臓がドクンドクンと、いつもより早く脈を打っていた。
戦場で無事に帰って来れる保証なんて、どこにもなかった。それを今更、痛いほど実感している。
「さあ、二人もご飯を取っていらっしゃい。今日は、わたくしと一緒に食べましょう」
「うん!ユーシャ、行こ?」
「……うん」
二人は手を取り合って、朝食を取りに向かった。
食堂はヒソヒソと、小さい会話に溢れている。普段から目立つくらい大声で会話している子供達の姿が、ないからだろうか。
ユーシャは、この時間が苦手だった。
戦場帰りの皆んなで朝食をとる空気が、苦しかった。
諦めがつくほど経験した戦場の空気も、血の匂いも、怒声も、魔法の音も、殺し合いに関わる全てが嫌いだった。
ユーシャが戦場にいるのは、リンのためだった。
だけどリンが戦場にいるのは、ユーシャのためだった。
二人は、まともに生きる事は出来ない。
だから、この『
× × ×
それは名をアラと言い、北から僕たちの領域を侵してくる悪魔だった。
奴らは魔物とは違い、そこそこの知能があって、僕たちと同じ様に魔法を駆使し、人々を蹂躙していた。
昔の『王国』は軍を編成して戦争を始めて、一度はアラに勝ったらしい。だから今はアラが生息しているのは北の一部だけで、何の脅威にもならないとされていた。
だけど15年前、もう一度侵攻が起こった。その時の軍はすっかり油断していて、兵士を派遣するのにも時間がかかったという。
その時、位置の関係上から真っ先にアラに襲われ、結果的に時間稼ぎ行ったのが、『学園』の前身だったらしい。
元々は立場的に
僕らの役割は一つ。アラを食い止める事だ、
殲滅出来れば良し。最悪僕らが全滅しても、時間稼ぎさえ出来れば御の字。そんな使い捨ての駒が、僕たち学園の生徒だった。
僕らの存在は世間から秘匿され、人権もない。全滅しても、まるで痛くも痒くもないだろう。
僕らは、そういう存在だった。
「ユーシャ!これあげる!」
向かい合って座るリンが、自分の皿からミートボールを渡してくれる。
「ありがとう。じゃあこれ、あげるね」
僕は自分の皿から、二つのベーコンを取って、リンの皿に移す。
「ありがとう!!ユーシャ、大好き!」
僕は、頬が熱くなるのを感じた。リンは素直に言葉を口にする。本当なら文字に起こすのも憚られる単語だって、この子は簡単に伝えてしまうのだ。
大好き。リンが僕に持つ好きは、多分家族に向けるものだ。
僕らに血の繋がりがない。けど、幼い頃から一緒に育って来た。だから、僕らは家族だ。
「こら、リン。お口にソースが付いていますわよ」
「ん?」
「もう14歳なんですから、キチンとしなさいな」
リンの隣に座ったフィアメルさんが口を尖らせて、胸ポケットから取り出したハンカチで、リンの口元を拭う。
「ん」
「ほら、ユーシャを見習いなさい。あんなに綺麗に食べてますのよ?」
「いや、僕のは口が汚れるものじゃないから……」
とは言ったものの、リンの食べ方は昔から何も変わっていない。口に入るだけ詰め込んで、リスみたいに頬を膨らませて、口元を汚すのだ。出会った時から、何一つ変わっていない。
僕は、食事が喉を通らない。元々少食で線が細いのに、最近は更に細くなってしまった。リンを心配させないように誤魔化してるけど、もう誤魔化せる気がしない。
原因は分かってる。今までは目を逸らし続けてきたけど、もう無理だ。
先日のアラとの戦いで、僕は何も出来なかった。それはいつも通りと言えばいつも通りだけど、それでも、僕は苦しかった。学園の皆んなが命を賭けて戦ってる間、見ている事しか出来ないのだ。
僕が戦場の、それも最前線に身を置いているのは、リンの為だった。彼女は僕が側にいないと、
僕に魔法の才はない。アラを一人で殺す事も出来ないし、一人で身を守る事すらままならない。危険に晒されたら、リンが助けてくれる。でも目の前の敵を無視してでも来るものだから、たまに大怪我を負ってしまう。
リンは僕を救えた事に気を取られて、傷のことなんか気にも留めない。このままじゃ、いつか死んでしまう。鈍い僕でも、それくらい分かる。
彼女を死なせないためにと、僕は何かしなくてはならない。
「……フィアメルさん、一つ聞いても良いですか」
僕が口を開くと、フィアメルさんは意外そうな表情を浮かべた。
「珍しいですわね、ユーシャから質問してくるなんて。良いですわよ、なんでも聞いてくださいまし」
「……その、防衛術の事で、相談があるんですけど。僕、咄嗟に魔法が出なくて……少しでも自分で身を守れたら、リンの普段も減ると思うんです」
「ええ、その通りですわね。解決策は……レインからも言われているとは思いますけれど、視野を広く持つことですわね……けど貴方の場合は、冷静さを欠かないことの方が重要かもしれませんね」
僕はうっ、と言葉を詰まらせる。確かに僕は冷静を保つ事が苦手だ。目まぐるしく変わる戦況や、こっちに向かってくるアラや、鳴り響く魔法の音が、心から安寧を奪ってしまう。
「……フィアメルさんは、どうやって冷静さを保ってるんですか?」
「わたくしは、頭で自分に話しかけ続けますわね。あそこのアラが、魔法を撃ってくるかもとか、とにかく言葉で情報を処理すると言えば、分かりやすいかもしれませんね」
「言葉……」
「あくまで一例として、考えた方が良いですわよ。人には、合う合わないがありますもの。冷静でいられる方法を探すのも、大事な訓練ですから」
僕は、改めてリンを見た。山盛りのパンを頬張っている彼女は、冷静でいようとか、そんな事を考えるタイプじゃない。本能で、敵を殺している。僕にはとてもじゃないけど、真似出来ない。
リンは小柄で綺麗だけど、戦い方は荒々しいのだ。
「焦らないで、と言うのは無理な事でしょうけど、あまり固執し過ぎるのもよくありませんわ。要は身を守れれば、良いのでしょう?」
「……でも、僕は魔力も少ないし、魔法が上手い訳でもないので……」
ふむ、とフィアメルさんは顎に手を当てる。こうして見れば、一つ一つの動作がとても綺麗だ。顔も綺麗だから、より洗練された美しさが見える気がした。
「あら」
フィアメルさんの視線が、食堂の入り口に向いていた。僕も目で追ってみれば、周りの子達よりも背の高い生徒達が、食堂に入って来ていた。
「レイン」
フィアメルさんが微笑みながら手を振ると、一際背の高い男生徒が、こっちに気付いた。
いつも思うけど、やっぱり顔に威圧感がある。背は高いし、目つきも悪くて、頬に付いた大きな傷跡も、茶色の短髪も、全てが悪い方に噛み合っている、気がした。
「ちゃんと起きれたのですわね」
「色々とやる事があったんだよ。朝はいつも通り起きてた」
「本当ですの?」
「ホントだ、バカ」
荒い口調で、レインさんは嘆息を吐いた。
この人はレインさんで、フィアメルさん達と同じ17歳。学園の実質的なリーダーで、学園に一番長く在籍してる。
この学園は実質的に生徒達で運営しているようなものなので、レインさんの立場は教師よりも高い地位にいる、のかも知れない。僕には関係ないから、あまり詳しくは知らないけど。
「よお、二人もおはようさん」
「ふん!」
がるると、リンが威嚇する。いつも訓練でボコボコにされていたり、無理矢理に言うことを聞かされていたりするから、リンはレインさんの事を嫌ってる。
「……あの、レインさん。昨日は、その、ありがとうございました」
「ん、ああ、気にすんな。お前、怪我は?」
「おかげさまで、無傷、です」
「なら良い。お前鈍臭いんだから、気を付けろよ」
さらっと言われる。多分レインさんはわざと言ってるし、確かに僕は鈍臭い。昨日だってレインさんがいなかったら、僕はリンの所まで辿り着けなかったし、何回も死んでいただろう。
「ユーシャをイジメるな!」
「アホか、イジメてねえよ」
「いじめてる!!」
「めんどくせえなぁ」
レインさんはため息を吐いた。
こうやって噛み付くから、魔法でボコボコにされて、無理矢理言うことを聞かせられる事が多い。可哀想だとは思うけど、いくら嗜めても聞かないリンも悪いから、おあいこだ。
「あー、フィアメル。今日のこと聞いてるか」
「いいえ、何も。何かあるんですの?」
レインさんは頭を掻きながら、非常に面倒そうな表情をしていた。
「新しく入ってくる奴に、ちょっとめんどくせえ奴らがいる。お前が面倒見ろ」
「別に構いませんけれど、もしかして問題児を押し付ける気ですの?」
「取り扱いが難しいって点では問題児かもな。まあ、後で説明する」
その時、またもや食堂の入り口に複数の人達が入って来た。僕らと違う服に身を包んでいるから、教師達だ。
先頭は頬がこけ、神経質そうな顔立ちをしたトール先生だ。その後ろにも数人の教師達が続いて、食堂の前側の方に進んでいく。
「レイン、こっちおいで」
列の中から、白衣を着た女性がレインさんを呼んだ。紺色の髪を腰まで伸ばした、女性的な体つきをした人だ。
あの人は、治療員のルティさん。数少ない学園の
「その言い方やめろ、ルティ」
苛立った様子で、レインさんは列に合流していく。
ああやって教師陣に混じる事にも違和感がないのは、レインさんの身長が高くて、顔が大人びているからだろうか。
素直に、羨ましい。僕は小柄な方だし、ああやって人を見下ろす事も出来ない。どうにかして、身長を伸ばせないだろうか。
「皆さん、おはようございます」
トール先生が声を上げた。女性の中では高めの声だけど、無機質で、感情が乗っていない。だけどしっかり聞こえるし、自然と耳に入る不思議な声だ。
「先日の大規模進行、大変お疲れ様でした。皆さんのおかげで、被害は最小限に止める事が出来ました」
淡々とトール先生は言葉を紡ぐ。
最小限。生徒には、少なくない死傷者が出ている筈だ。それなのにそんな言葉を使うと言うことは、僕らは消費されるものとして扱われていると言う事だろう。
何も思わない訳じゃない。僕らは人だ。生き死にの権利は自分で持っているし、一人の人間として人生を生きている。
だけれど国から見れば、殆ど存在すらしていない人間達だ。僕らの学園が壊滅しても、その背後にある都市や騎士団に被害がなければ、それで役目は果たした事になる。
「残念ながら、生徒にも少なくない犠牲者が出てしまいました。今日の午後は授業を中止して、葬儀を行います。皆さん、忘れず出席するように」
あまりに冷たい声音だった。やっぱり、感情は乗っていない。教師達の殆どが、トール先生と同じように、興味の欠片もなさそうだった。
こんな僻地に赴任する教師達も、何かしらの事情があるのかも知れないけど、僕は特に接点もないし、仲も良くないから分からなかった。
「後のことはレインさんに一任します。では、また授業で」
そう言ってトール先生は頭を下げると、食堂から出て行ってしまう。他の教師も後に続く。けど、数人の教師は残っている。
「あー、お前ら、食いながらで良いからよく聞け。昨日は一般兵の大群と、将軍級が二体出てたが、なんとか殲滅出来た。だが、こっちの死者は13人だ。これから、名前を読み上げていく」
食堂の空気が、より一層重くなった。レインさんはいつも通りだけど、他の皆んなは、顔が暗い。手を組んで、祈っているような子もいる。
「アラキ、ダニア、シュリン、マフィス、オーラ、リュージン、アナイザ、トマス、ネイド、ギルバルト、エマ、ルーデッド、ラッシュ、以上だ。何か聞きたい事がある奴は、手を挙げろ」
あまりにあっさりと、名前が読み上げられた。だけど、これも初めてではない。
戦場に出て死人が出る度に、レインさんはこうして名前を読み上げる。この役目は教師じゃなくて、同じ学生であるレインさんが担っているのだ。
今回は誰も手を挙げないと思った矢先、一人の女子生徒がおずおずと手を上に挙げた。名前は分からないけど、確か14歳くらいで、僕らと歳が近かったと思う。知らないと言う事は、『中衛組』だろうか。
「何だ、言ってみろ」
「その、エマの死体は……やっぱり、残っていないんですか?」
今にも息が詰まりそうなところを、無理やりに吐き出したみたいな声だった。レインさんは一呼吸置くと、静かに口を開く。
「エマが死んだのは、前線で本隊と合流した後だ。その後、押し引きの関係上、死体は持って帰れないと判断してその場で燃やしたらしい。だから死体は残ってない。他に、聞きたいことあるか?」
「いえ……ありません」
女子生徒は頭を下げると、そのまま椅子に座る。体が小刻みに揺れて、嗚咽が食堂に響く。泣いているのだ。
恋人か、友人か、どんな関係性だったかは分からない。だけど、近しい間柄の人を亡くしたのだろう。
泣いている人は、一人じゃない。何も言わずに、何人もの生徒達が静かに泣いている。
大体、僕らと同年代の子が多かった。僕は同い年の友達が少ないから、あまり泣く気にはならなかった。誰が亡くなったら、僕は泣くんだろうか。
リンが亡くなったら、僕は間違いなく泣くし、多分後を追う。フィアメルさんはどうだろうか。多分、僕は泣いてしまうと思う。
「続けるぞ。『前衛組』に欠員が出たから、『中衛組』から数人移動してもらう。ブリード、ヘンリー、ネオ、アヤネの四人だ。それに伴って、『中衛組』のブルージャ、ケインを小隊長に引き上げる。今読み上げた奴は、今日の葬儀が終わったら訓練場に集合しろ。なにか質問は」
あの人は、どれだけ死人の名前を読み上げて来たんだろうか。ただの文字を読み上げるのとは、訳が違うだろう。
一人一人の顔や性格——人生そのものを知っている。耳に声が残って離れない筈だ。笑った顔も、泣いた顔も、怒った顔も、レインさんは全部知ってる。
あの人は、そう言う人だ。興味のないふりをしているけど、『前衛組』の皆んなは知っている。あの人は、いつも無理をしている。だけど、破綻はしない。
悲しい人だって、フィアメルさんは言っていた。
「レイン、しつもーん」
気怠げな女性が、手を挙げる。放置された髪が片目を隠していているし、制服を着崩していて、少し胸元が見えている。17歳組の、セイエスさんだ。
この人は、泣いてる所を見た事がない。と言うより、フィアメルさん以外、最年長組は泣いているのを見た事がない。その中でも、セイエスさんは割り切っているようにも見えた。
「何だ」
「ダニアとオーラが死んから『序列』に穴が空いたけど、誰か補充したりするさね?」
「まだ入れる気はねえが、順位は一つずつ繰り上げる。決めるのは
「あらぁ、随分とタイミングがいいさねぇ。前衛に入れるのぉ?年齢はぁ?」
「大半はチビだが、15歳、16歳、18歳がいる。でっ、この16歳が面倒だ」
レインさんが面倒くさそうに頭を掻いて、フィアメルさんの方を向いた。
「
「ああ、だからわたくしですのね」
得心がいったように、フィアメルさんは呟いた。
ここには色々な事情の人がいるけど、元王女は初めて聞く。権力者の子供は、ここには入りずらいと聞いていたんだけど。
「そうだ。もう一人の奴も含めて、三人に校内の事を教えてやれ。訓練については、俺が見る。ただ、まあ、一人じゃ味気ないな。折角の機会だ。元王女の話を聞きたい奴とかいるか」
シーンと、静寂が返る。
この場にいる人で、わざわざ元王女に話を聞きに行く人はいないだろう。だって、その人達のせいで、僕らはここにいるんだから。
「レイン、わたくしは一人でも大丈夫ですわよ」
「心配してねぇよ。単純に、興味ある奴がいねえか聞いただけだ……いや、こうしよう。今から俺が指名した奴も、フィアメルと一緒に元王女の面倒を見てやれ——ユーシャ、お前だ」
「——つ!?」
突然名前を呼ばれて、僕は口に含んでいたパンを喉に詰まらせる。
「うわ、ユーシャ!?大丈夫!?」
リンが僕の背中を摩ってくれる。そしてフィアメルさんが差し出してくれた水を一気に飲み干すと、漸く治った。
リンが僕の背中を摩り続けながら、がるると、レインさんを睨んだ。
「ユーシャが死にかけた!!」
「死にかけてねえよ。つーか、ユーシャもこんなんで驚いてんじゃねえ。もっとシャキッとしろ」
そうは言っても突然の事だったから、驚くのも無理はないと思う。
と言うか、僕が適任でない事くらい、皆んな分かってる筈だ。元王女様なんて貧民窟出身の僕からしたら、遠すぎて現実感が薄い。質問も、まともに出来るとは思えない。
「その、僕、あんまり、やりたくな……」
「駄目だ。言っとくが、昨日のお前は酷かった。少しでも何か変われるようにしなきゃ、死ぬぞ」
キッパリと言い切られた。
僕だって、このままじゃ駄目な事くらい分かってる。だから色々と変えようとしてるけど、それとこれとは話が違う。
血液が、心臓の音量を押し上げる。うるさいくらいに鼓膜を揺らして、嫌でもその存在を知らしめてくる。
皆んなの視線が、僕に集まってるのが分かった。たったそれだけなのに、僕は身が凍えるほど怯えていた。
「話はこれで終わりだ。転校生はこの後、授業前に合流する。今いない奴には、同じ組の奴が教えてやれ。なにか分からない事があったら、俺か、ここにいる教師に聞け。じゃ、解散」
レインさんは無理やりに話を纏めてしまう。どう言っても、僕に拒否権はないみたいだ。
レインさんはルティ先生と一緒に、朝食を取りに行ってしまう。他の教師は、落ち込んでる生徒に寄り添ったり、一緒に朝食を取り始めたり、交流を始めている。
悩んでる僕の表情を見て、フィアメルさんが声をかけてくる。
「ユーシャ、わたくしもいますから、大丈夫ですわよ。もし本当に駄目そうなら、わたくしからレインに言いましょうか?」
「そうだよ!」
リンが身を乗り出して、僕に顔を近付ける。
いつも思うけど、本当に綺麗な顔をしている。まるでこの世のものとは思えないくらいだ。
「なんでユーシャが、やりたくもない事やらなきゃいけないの!?」
「……大袈裟だよ。それに、レインさんが言う通り、僕もなにか変えないと……僕だけじゃなくて、リンも死んじゃうから」
そう言うとリンは納得したような、納得しようとしている様な、曖昧な表情を浮かべると、腕組みをして、うんうんと唸り出した。
「私も、ユーシャが死ぬのは嫌!だけど、んー!ユーシャと離れるのも、嫌!」
「こらこら、ユーシャを困らせちゃいけませんわよ」
フィアメルさんが困った様に、苦笑を浮かべる。
僕だって、リンと離れたい訳じゃない。離れたくないから、行動しないと。
「……ごめんね、リン。その、無理だったら、外してもらうから……」
「んー、じゃあさ、今度のお休み、デートしよ!」
「デっ……でも、直ぐには外に行けないよ?」
それにデートと言っても、普段も休日は一緒にいる。特に目新しい事も、この学園じゃ出来ない筈だ。
月に一度、町に行ける日があるけど、それは来週の話だ。
「いいの!なにするかは、その時までに決めよ!」
「う、うん。リンが良いなら、僕は良いよ」
「やった!約束ね!」
リンは満開に咲いた向日葵みたいに、朗らかな笑みを浮かべた。
やっぱり彼女は、笑っていた方が可愛い。改めて、僕はそう思った。