北の空、貴方が消える前に   作:乗客犯

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北の空でいつか貴方が死ぬ前に

 雪が降っていた。

 目に映る全ては白化粧が施されているみたいで、冷風が吹き付ける度に、体の芯が震える気がした。

 視界には殴りつけるように吹き付ける雪は、僕の体に纏わりついてくる。

 

 僕は、強く魔力を熾した。

 凍える痩身を温める様に、腹部から熱が這い上がってくる。

 外套に積もる雪が、静かに溶け始める。

 足元を塞いでいた積雪も、僕を中心として自然と道を開き始めた。

 

 だから僕は、()()の後を追った。

 それは空に浮かぶ星を追う様な、無謀で無意味な行為だった。

 この戦場に、僕の存在価値はない。

 殺す事も、守る事も、僕は不得手だった。

 だけど彼女がいるから、僕は戦場にいた。

 

 僕は空を見上げた。

 暗幕の降りた様な暗闇に、青白い光が迸る。

 星明かりに照らされた彼女は、吹雪の中で舞っていた。

 

 ——彼女は、美しかった。

 

 恐ろしいほど純美な紅の長髪に、至宝の宝石を思わせる赤眼。

 体躯は幼い子供だが、未熟な美貌が、血塗られた外套の中にあった。

 

 ——今夜の殺害対象(パートナー)も、醜い悪魔だった。

 

 暗闇の中でさへ浮いてしまう人型の漆黒が、何体も空で蠢いていた。

 顔は塗りつぶされた様に真っ黒なのに、鮮血で満たされたみたいな赤黒く大きな双眸だけが、闇の中に軌跡を残している。

 恐ろしいと思った。でも、綺麗だとも思った。

 

 ——ああ、彼女は。

 

「……リン」

 

 あの子の名前を呟く。

 口の中だけで発されたみたいな、小さな声だった。

 でも彼女は、満面の笑みを浮かべていた。

 どうしてそんなに笑えるのか、笑ってくれるのか、僕には分からない。

 

 ただ、綺麗だと思った。

 感じるしか能のない僕は、ただ思っていた。

 

——いつか誰かが、あの子に安らぎを与えてくれるのだろうか。

 

 思うしか能のない僕は、静かに願った。

 願ったところで、現実が非情である事は知っていた。

 それでも、祈らずにはいられなかった。

 彼女が囚われているのを、ただ見つめるだけなのは、耐えられなかった。

 

 

 

◻️

 

 

 

 ユーシャは貧民窟に身を置いていた頃から、睡眠に忌避感があった。

 意識を手放してしまったら、もう二度と目を覚さないかも知れないと、臆病にも考えてしまうからだ。

 それに、目覚めの感覚も苦手だった。

 自分が水底に沈んでいて、水面を見つめているような無気力が、酷く苦手だったのだ。

 

 しかし人は、睡眠を取らなければ生命を維持出来ない。

 特に戦場から帰還した後は、心身の疲労から抗い難い眠気に襲われてしまう。

 昨夜も例に漏れず、いつの間にか気を失っていた。

 

 意識が浮上していく。

 それに伴って、気が狂ってしまいそうな程の無気力感から、段々と四肢に感覚が戻って来る。

 早く目覚める事を願って、ユーシャは流れに身を任せた。

 

 「……ん」

 

 双眸をゆっくりと開け放つ。

 カーテンを開けているのに薄暗い部屋だ。

 体が埋まってしまう程に柔らかなベッドの上で、ユーシャは目を覚ました。

 

 ふと寝息が聞こえ、視線を横に移動させる。

 そこには一糸纏わぬ姿のリンが、同じベッドを共にしていた。

 毛布をかけてはいるが、少し動く度に玉肌が晒されてしまいそうで、ユーシャは思わず視線を逸らす。

 しかし壁にかけられた時計を見るに、そろそろ起きる時間だ。

 

「リン、リン。起きて」

 

 リンの細い肩を揺さぶる。

 よほど深い眠りについているのか、強い力で暫く揺らしていると言うのに、中々目が覚める気配がない。

 しかし悠然と、大きな瞳が悠然と開かれていく。

 

「……んー、もう、あさぁ?」

 

 溶けている様な声だった。

 普段もリンはユーシャに甘えるが、寝起きはいつにも増して甘えん坊になる。

 年齢で考えれば少し子供過ぎるものの、彼女の体躯だけを見れば、おかしな事ではなかった。

 

「うん、もう朝だよ。起きて準備しないと、授業に遅れちゃうよ」

 

「やだぁ、まだねるぅ」

 

「ダメだよ。ご飯、食べられなくなっちゃうから」

 

 ユーシャは心を鬼にして、今にも二度寝してしまいそうなリンから、布団を剥ぎ取る。

 傷一つない玉肌が顕になり、ユーシャは視線を逸らすが、自然と顔が熱くなるのを感じた。

 

「うう、さむぃよぉ」

 

 リンは口を尖らせながらも、体を起こし、自分の制服が掛けられたハンガーラックに向かう。

 ユーシャは心を落ち着かせる為に、自分の胸に暫く手を当てた後、同じようにして制服に着替えた。

 質素な男物の制服は、貧相なユーシャの体には非常に合っていた。

 ユーシャも制服からは安心感を覚えるため、朝の着替えが嫌いではなかったを

 

「ねぇ、ユーシャ。髪、やって?」

 

 制服に着替えたリンが、櫛を差し出してくる。

 ユーシャは自然にそれを受け取ると、椅子に座るリンの髪を、優しく梳かしていく。

 静寂だった。窓の外は薄暗く、横殴りの雪が降りつけていた。部屋に幽閉されたような錯覚さえ想起させる光景だ。

 それでもユーシャは、この時間が嫌いではなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ねえねえ、ユーシャ。昨日、凄かったよね、ユーシャは、怪我してない?」

 

「リンが守ってくれたから、僕は無傷だよ……それより、リンの傷はもう良いの?」

 

「うん!ルティが治してくれたの!」

 

 リンはそう言って、向日葵みたいな笑みを咲かせる。

 確かに先ほど見た限りでは、傷の一つも残っていなかった。

 もしかしたら見えない位置にあるかも知れないが、リンがユーシャに嘘を吐くことはない。

 たまに叱られるのが嫌で誤魔化そうとするが、あまりにも挙動不審になる為、すぐ分かってしまう。

 

「でも、髪はちょっと短くなっちゃったね」

 

「ユーシャは長い方が好きだもんね!」

 

「……リンの髪は綺麗だから、長い方が似合ってるよ」

 

 髪を梳かしながら、ユーシャは苦笑いを浮かべる。

 美しい紅色も、少し癖のある髪質も、リンは少しも気にしていなかった。

 ただユーシャがリンの髪を好きだからと言う理由だけで、自分の髪を気にしているのだ。

 

「うん、これでよし」

 

「ユーシャは?私、してあげるよ?」

 

「僕、あんまり寝癖付いてないからさっき直しちゃった。だから、今日はいいかな。それより、朝ごはん食べに行こ?」

 

「うん!」

 

 自然と、リンの小さい手を取った。多分、リンからも握っていた。

 二人で住むには、少々広めな部屋を後にして、リンとユーシャは食堂に向かう。

 

 煉瓦造りの古風な寮の通路は、吹雪で揺れる窓枠がガタガタと音を鳴らしていた。

 この時期の寮はやはり寒くて、沢山着込んだ筈だが、ユーシャは酷い寒気を感じていた。

 ただ、リンと握り合った掌だけが、総身を暖かくしてくれていた。

 

「今日のご飯、何かなぁ?」

 

「……今日はお葬式があるから、あんまり特別なものは出ないと思うよ」

 

「あっ、そっか。うーん、ないのかぁ」

 

 リンは悲しそうに面持ちに影を落とした。ユーシャは、リンの手をぎゅっと握った。

 そのまま二人は手を繋ぎ、食堂にやって来た。

 

 石造りの空間は、平時なら喧騒が聞こえてくる筈だが、妙に森閑としていた。

 カツカツと足を叩きながら、二人は食堂の右奥に足を運ぶ。

 席は自由に選べるが、大抵は皆んな、仲の良いグループで集まって食事を摂っているのだ。

 

「あら、おはようございます。あなた方は元気そうでよかったですわ」

 

 先に席に着いていた金髪の女性が、朗らかな笑みを浮かべた。

 とても綺麗な女性だ。切れ長の瞳に、艶やかな髪、背丈も高く、手足も長い。

 

「おはようございます、フィアメルさん」

 

「おはよー!」

 

 リンとユーシャも、挨拶を返す。

 最年長者の一人であるフィアメルは、こうして重鈍な雰囲気の中でも、気遣いと配慮を欠かさない人柄で知られていた。

 普段通りとはいかないまでも、『前線組』の面々が完全に意気消沈していないのは、彼女の影響が大きいだろう。

 

「あれ、レインさん達は……?」

 

「レインやアネーリャ達は、昨日の疲労が抜けていませんから、午前中は起きて来ないでしょうね。リンとユーシャは大丈夫ですの?」

 

「私はとっても元気だよ!」

 

「僕も、なんともありません」

 

「そう、良かったですわ」

 

 フィアメルがリンとユーシャの頭を、優しく撫でる。

 普段のリンは、ユーシャ以外に触れられることを拒むが、フィアメルと治療員であるルティさんだけは例外だった。

 

「……本当に、貴方達が無事で良かったですわ」

 

 フィアメルが安堵したように、優しく微笑む。

 リンは不思議そうに首を傾げたが、ユーシャは思わず胸に手を当てていた。

 心臓がドクンドクンと、いつもより早く脈を打っていた。

 戦場で無事に帰って来れる保証なんて、どこにもなかった。それを今更、痛いほど実感している。

 

「さあ、二人もご飯を取っていらっしゃい。今日は、わたくしと一緒に食べましょう」

 

「うん!ユーシャ、行こ?」

 

「……うん」

 

 二人は手を取り合って、朝食を取りに向かった。 

 食堂はヒソヒソと、小さい会話に溢れている。普段から目立つくらい大声で会話している子供達の姿が、ないからだろうか。

 ユーシャは、この時間が苦手だった。

 戦場帰りの皆んなで朝食をとる空気が、苦しかった。

 

 諦めがつくほど経験した戦場の空気も、血の匂いも、怒声も、魔法の音も、殺し合いに関わる全てが嫌いだった。

 ユーシャが戦場にいるのは、リンのためだった。

 だけどリンが戦場にいるのは、ユーシャのためだった。

 

 二人は、まともに生きる事は出来ない。

 だから、この『()()』に身を置いていた。

 

 

 

× × ×

 

 

 

 それは名をアラと言い、北から僕たちの領域を侵してくる悪魔だった。

 奴らは魔物とは違い、そこそこの知能があって、僕たちと同じ様に魔法を駆使し、人々を蹂躙していた。

 昔の『王国』は軍を編成して戦争を始めて、一度はアラに勝ったらしい。だから今はアラが生息しているのは北の一部だけで、何の脅威にもならないとされていた。

 

 だけど15年前、もう一度侵攻が起こった。その時の軍はすっかり油断していて、兵士を派遣するのにも時間がかかったという。

 その時、位置の関係上から真っ先にアラに襲われ、結果的に時間稼ぎ行ったのが、『学園』の前身だったらしい。

 元々は立場的に()()のし辛い子供達を閉じ込めておく、名ばかりの学校だったらしいが、今は孤児や犯罪者の子供、不正を暴かれ爵位を取り上げられた貴族の子息や子女など、世俗から弾かれた子供達が集められている。

 

 僕らの役割は一つ。アラを食い止める事だ、

 殲滅出来れば良し。最悪僕らが全滅しても、時間稼ぎさえ出来れば御の字。そんな使い捨ての駒が、僕たち学園の生徒だった。

 僕らの存在は世間から秘匿され、人権もない。全滅しても、まるで痛くも痒くもないだろう。

 僕らは、そういう存在だった。

 

「ユーシャ!これあげる!」

 

 向かい合って座るリンが、自分の皿からミートボールを渡してくれる。

 

「ありがとう。じゃあこれ、あげるね」

 

 僕は自分の皿から、二つのベーコンを取って、リンの皿に移す。

 

「ありがとう!!ユーシャ、大好き!」

 

 僕は、頬が熱くなるのを感じた。リンは素直に言葉を口にする。本当なら文字に起こすのも憚られる単語だって、この子は簡単に伝えてしまうのだ。

 

 大好き。リンが僕に持つ好きは、多分家族に向けるものだ。

 僕らに血の繋がりがない。けど、幼い頃から一緒に育って来た。だから、僕らは家族だ。

 

「こら、リン。お口にソースが付いていますわよ」

 

「ん?」

 

「もう14歳なんですから、キチンとしなさいな」

 

 リンの隣に座ったフィアメルさんが口を尖らせて、胸ポケットから取り出したハンカチで、リンの口元を拭う。

 

「ん」

 

「ほら、ユーシャを見習いなさい。あんなに綺麗に食べてますのよ?」

 

「いや、僕のは口が汚れるものじゃないから……」

 

 とは言ったものの、リンの食べ方は昔から何も変わっていない。口に入るだけ詰め込んで、リスみたいに頬を膨らませて、口元を汚すのだ。出会った時から、何一つ変わっていない。

 

 僕は、食事が喉を通らない。元々少食で線が細いのに、最近は更に細くなってしまった。リンを心配させないように誤魔化してるけど、もう誤魔化せる気がしない。

 原因は分かってる。今までは目を逸らし続けてきたけど、もう無理だ。

 

 先日のアラとの戦いで、僕は何も出来なかった。それはいつも通りと言えばいつも通りだけど、それでも、僕は苦しかった。学園の皆んなが命を賭けて戦ってる間、見ている事しか出来ないのだ。

 

 僕が戦場の、それも最前線に身を置いているのは、リンの為だった。彼女は僕が側にいないと、()()を失ってしまう。だから僕はリンの側にいて、錯乱を抑えるためだけに、前線に身を置いている。

 

 僕に魔法の才はない。アラを一人で殺す事も出来ないし、一人で身を守る事すらままならない。危険に晒されたら、リンが助けてくれる。でも目の前の敵を無視してでも来るものだから、たまに大怪我を負ってしまう。

 リンは僕を救えた事に気を取られて、傷のことなんか気にも留めない。このままじゃ、いつか死んでしまう。鈍い僕でも、それくらい分かる。

 彼女を死なせないためにと、僕は何かしなくてはならない。

 

「……フィアメルさん、一つ聞いても良いですか」

 

 僕が口を開くと、フィアメルさんは意外そうな表情を浮かべた。

 

「珍しいですわね、ユーシャから質問してくるなんて。良いですわよ、なんでも聞いてくださいまし」

 

「……その、防衛術の事で、相談があるんですけど。僕、咄嗟に魔法が出なくて……少しでも自分で身を守れたら、リンの普段も減ると思うんです」

 

「ええ、その通りですわね。解決策は……レインからも言われているとは思いますけれど、視野を広く持つことですわね……けど貴方の場合は、冷静さを欠かないことの方が重要かもしれませんね」

 

 僕はうっ、と言葉を詰まらせる。確かに僕は冷静を保つ事が苦手だ。目まぐるしく変わる戦況や、こっちに向かってくるアラや、鳴り響く魔法の音が、心から安寧を奪ってしまう。

 

「……フィアメルさんは、どうやって冷静さを保ってるんですか?」

 

「わたくしは、頭で自分に話しかけ続けますわね。あそこのアラが、魔法を撃ってくるかもとか、とにかく言葉で情報を処理すると言えば、分かりやすいかもしれませんね」

 

「言葉……」

 

「あくまで一例として、考えた方が良いですわよ。人には、合う合わないがありますもの。冷静でいられる方法を探すのも、大事な訓練ですから」

 

 僕は、改めてリンを見た。山盛りのパンを頬張っている彼女は、冷静でいようとか、そんな事を考えるタイプじゃない。本能で、敵を殺している。僕にはとてもじゃないけど、真似出来ない。

 

 リンは小柄で綺麗だけど、戦い方は荒々しいのだ。

 

「焦らないで、と言うのは無理な事でしょうけど、あまり固執し過ぎるのもよくありませんわ。要は身を守れれば、良いのでしょう?」

 

「……でも、僕は魔力も少ないし、魔法が上手い訳でもないので……」

 

 ふむ、とフィアメルさんは顎に手を当てる。こうして見れば、一つ一つの動作がとても綺麗だ。顔も綺麗だから、より洗練された美しさが見える気がした。

 

「あら」

 

 フィアメルさんの視線が、食堂の入り口に向いていた。僕も目で追ってみれば、周りの子達よりも背の高い生徒達が、食堂に入って来ていた。

 

「レイン」

 

 フィアメルさんが微笑みながら手を振ると、一際背の高い男生徒が、こっちに気付いた。

 いつも思うけど、やっぱり顔に威圧感がある。背は高いし、目つきも悪くて、頬に付いた大きな傷跡も、茶色の短髪も、全てが悪い方に噛み合っている、気がした。

 

「ちゃんと起きれたのですわね」

 

「色々とやる事があったんだよ。朝はいつも通り起きてた」

 

「本当ですの?」

 

「ホントだ、バカ」

 

 荒い口調で、レインさんは嘆息を吐いた。

 この人はレインさんで、フィアメルさん達と同じ17歳。学園の実質的なリーダーで、学園に一番長く在籍してる。

 この学園は実質的に生徒達で運営しているようなものなので、レインさんの立場は教師よりも高い地位にいる、のかも知れない。僕には関係ないから、あまり詳しくは知らないけど。

 

「よお、二人もおはようさん」

 

「ふん!」

 

 がるると、リンが威嚇する。いつも訓練でボコボコにされていたり、無理矢理に言うことを聞かされていたりするから、リンはレインさんの事を嫌ってる。

 

「……あの、レインさん。昨日は、その、ありがとうございました」

 

「ん、ああ、気にすんな。お前、怪我は?」

 

「おかげさまで、無傷、です」

 

「なら良い。お前鈍臭いんだから、気を付けろよ」

 

 さらっと言われる。多分レインさんはわざと言ってるし、確かに僕は鈍臭い。昨日だってレインさんがいなかったら、僕はリンの所まで辿り着けなかったし、何回も死んでいただろう。

 

「ユーシャをイジメるな!」

 

「アホか、イジメてねえよ」

 

「いじめてる!!」

 

「めんどくせえなぁ」

 

 レインさんはため息を吐いた。

 こうやって噛み付くから、魔法でボコボコにされて、無理矢理言うことを聞かせられる事が多い。可哀想だとは思うけど、いくら嗜めても聞かないリンも悪いから、おあいこだ。

 

「あー、フィアメル。今日のこと聞いてるか」

 

「いいえ、何も。何かあるんですの?」

 

 レインさんは頭を掻きながら、非常に面倒そうな表情をしていた。

 

「新しく入ってくる奴に、ちょっとめんどくせえ奴らがいる。お前が面倒見ろ」

 

「別に構いませんけれど、もしかして問題児を押し付ける気ですの?」

 

「取り扱いが難しいって点では問題児かもな。まあ、後で説明する」

 

 その時、またもや食堂の入り口に複数の人達が入って来た。僕らと違う服に身を包んでいるから、教師達だ。

 先頭は頬がこけ、神経質そうな顔立ちをしたトール先生だ。その後ろにも数人の教師達が続いて、食堂の前側の方に進んでいく。

 

「レイン、こっちおいで」

 

 列の中から、白衣を着た女性がレインさんを呼んだ。紺色の髪を腰まで伸ばした、女性的な体つきをした人だ。

 あの人は、治療員のルティさん。数少ない学園の()()()で、僕たちの先輩だ。

 

「その言い方やめろ、ルティ」

 

 苛立った様子で、レインさんは列に合流していく。

 ああやって教師陣に混じる事にも違和感がないのは、レインさんの身長が高くて、顔が大人びているからだろうか。

 素直に、羨ましい。僕は小柄な方だし、ああやって人を見下ろす事も出来ない。どうにかして、身長を伸ばせないだろうか。

 

「皆さん、おはようございます」

 

 トール先生が声を上げた。女性の中では高めの声だけど、無機質で、感情が乗っていない。だけどしっかり聞こえるし、自然と耳に入る不思議な声だ。

 

「先日の大規模進行、大変お疲れ様でした。皆さんのおかげで、被害は最小限に止める事が出来ました」

 

 淡々とトール先生は言葉を紡ぐ。

 最小限。生徒には、少なくない死傷者が出ている筈だ。それなのにそんな言葉を使うと言うことは、僕らは消費されるものとして扱われていると言う事だろう。

 

 何も思わない訳じゃない。僕らは人だ。生き死にの権利は自分で持っているし、一人の人間として人生を生きている。

 だけれど国から見れば、殆ど存在すらしていない人間達だ。僕らの学園が壊滅しても、その背後にある都市や騎士団に被害がなければ、それで役目は果たした事になる。

 

「残念ながら、生徒にも少なくない犠牲者が出てしまいました。今日の午後は授業を中止して、葬儀を行います。皆さん、忘れず出席するように」

 

 あまりに冷たい声音だった。やっぱり、感情は乗っていない。教師達の殆どが、トール先生と同じように、興味の欠片もなさそうだった。

 こんな僻地に赴任する教師達も、何かしらの事情があるのかも知れないけど、僕は特に接点もないし、仲も良くないから分からなかった。

 

「後のことはレインさんに一任します。では、また授業で」

 

 そう言ってトール先生は頭を下げると、食堂から出て行ってしまう。他の教師も後に続く。けど、数人の教師は残っている。

 

「あー、お前ら、食いながらで良いからよく聞け。昨日は一般兵の大群と、将軍級が二体出てたが、なんとか殲滅出来た。だが、こっちの死者は13人だ。これから、名前を読み上げていく」

 

 食堂の空気が、より一層重くなった。レインさんはいつも通りだけど、他の皆んなは、顔が暗い。手を組んで、祈っているような子もいる。

 

「アラキ、ダニア、シュリン、マフィス、オーラ、リュージン、アナイザ、トマス、ネイド、ギルバルト、エマ、ルーデッド、ラッシュ、以上だ。何か聞きたい事がある奴は、手を挙げろ」

 

 あまりにあっさりと、名前が読み上げられた。だけど、これも初めてではない。

 戦場に出て死人が出る度に、レインさんはこうして名前を読み上げる。この役目は教師じゃなくて、同じ学生であるレインさんが担っているのだ。

 

 今回は誰も手を挙げないと思った矢先、一人の女子生徒がおずおずと手を上に挙げた。名前は分からないけど、確か14歳くらいで、僕らと歳が近かったと思う。知らないと言う事は、『中衛組』だろうか。

 

「何だ、言ってみろ」

 

「その、エマの死体は……やっぱり、残っていないんですか?」

 

 今にも息が詰まりそうなところを、無理やりに吐き出したみたいな声だった。レインさんは一呼吸置くと、静かに口を開く。

 

「エマが死んだのは、前線で本隊と合流した後だ。その後、押し引きの関係上、死体は持って帰れないと判断してその場で燃やしたらしい。だから死体は残ってない。他に、聞きたいことあるか?」

 

「いえ……ありません」

 

 女子生徒は頭を下げると、そのまま椅子に座る。体が小刻みに揺れて、嗚咽が食堂に響く。泣いているのだ。

 恋人か、友人か、どんな関係性だったかは分からない。だけど、近しい間柄の人を亡くしたのだろう。

 泣いている人は、一人じゃない。何も言わずに、何人もの生徒達が静かに泣いている。

 

 大体、僕らと同年代の子が多かった。僕は同い年の友達が少ないから、あまり泣く気にはならなかった。誰が亡くなったら、僕は泣くんだろうか。

 

 リンが亡くなったら、僕は間違いなく泣くし、多分後を追う。フィアメルさんはどうだろうか。多分、僕は泣いてしまうと思う。

 

「続けるぞ。『前衛組』に欠員が出たから、『中衛組』から数人移動してもらう。ブリード、ヘンリー、ネオ、アヤネの四人だ。それに伴って、『中衛組』のブルージャ、ケインを小隊長に引き上げる。今読み上げた奴は、今日の葬儀が終わったら訓練場に集合しろ。なにか質問は」

 

 あの人は、どれだけ死人の名前を読み上げて来たんだろうか。ただの文字を読み上げるのとは、訳が違うだろう。

 一人一人の顔や性格——人生そのものを知っている。耳に声が残って離れない筈だ。笑った顔も、泣いた顔も、怒った顔も、レインさんは全部知ってる。

 

 あの人は、そう言う人だ。興味のないふりをしているけど、『前衛組』の皆んなは知っている。あの人は、いつも無理をしている。だけど、破綻はしない。

 

 悲しい人だって、フィアメルさんは言っていた。

 

「レイン、しつもーん」

 

 気怠げな女性が、手を挙げる。放置された髪が片目を隠していているし、制服を着崩していて、少し胸元が見えている。17歳組の、セイエスさんだ。

 

 この人は、泣いてる所を見た事がない。と言うより、フィアメルさん以外、最年長組は泣いているのを見た事がない。その中でも、セイエスさんは割り切っているようにも見えた。

 

「何だ」

 

「ダニアとオーラが死んから『序列』に穴が空いたけど、誰か補充したりするさね?」

 

「まだ入れる気はねえが、順位は一つずつ繰り上げる。決めるのは()()()の実力を見た後だ」

 

「あらぁ、随分とタイミングがいいさねぇ。前衛に入れるのぉ?年齢はぁ?」

 

「大半はチビだが、15歳、16歳、18歳がいる。でっ、この16歳が面倒だ」

 

 レインさんが面倒くさそうに頭を掻いて、フィアメルさんの方を向いた。

 

()()()だと。18の奴は、こいつの従者だ」

 

「ああ、だからわたくしですのね」

 

 得心がいったように、フィアメルさんは呟いた。

 ここには色々な事情の人がいるけど、元王女は初めて聞く。権力者の子供は、ここには入りずらいと聞いていたんだけど。

 

「そうだ。もう一人の奴も含めて、三人に校内の事を教えてやれ。訓練については、俺が見る。ただ、まあ、一人じゃ味気ないな。折角の機会だ。元王女の話を聞きたい奴とかいるか」

 

 シーンと、静寂が返る。

 この場にいる人で、わざわざ元王女に話を聞きに行く人はいないだろう。だって、その人達のせいで、僕らはここにいるんだから。

 

「レイン、わたくしは一人でも大丈夫ですわよ」

 

「心配してねぇよ。単純に、興味ある奴がいねえか聞いただけだ……いや、こうしよう。今から俺が指名した奴も、フィアメルと一緒に元王女の面倒を見てやれ——ユーシャ、お前だ」

 

「——つ!?」

 

 突然名前を呼ばれて、僕は口に含んでいたパンを喉に詰まらせる。

 

「うわ、ユーシャ!?大丈夫!?」

 

 リンが僕の背中を摩ってくれる。そしてフィアメルさんが差し出してくれた水を一気に飲み干すと、漸く治った。

 リンが僕の背中を摩り続けながら、がるると、レインさんを睨んだ。

 

「ユーシャが死にかけた!!」

 

「死にかけてねえよ。つーか、ユーシャもこんなんで驚いてんじゃねえ。もっとシャキッとしろ」

 

 そうは言っても突然の事だったから、驚くのも無理はないと思う。

 と言うか、僕が適任でない事くらい、皆んな分かってる筈だ。元王女様なんて貧民窟出身の僕からしたら、遠すぎて現実感が薄い。質問も、まともに出来るとは思えない。

 

「その、僕、あんまり、やりたくな……」

 

「駄目だ。言っとくが、昨日のお前は酷かった。少しでも何か変われるようにしなきゃ、死ぬぞ」

 

 キッパリと言い切られた。

 僕だって、このままじゃ駄目な事くらい分かってる。だから色々と変えようとしてるけど、それとこれとは話が違う。

 

 血液が、心臓の音量を押し上げる。うるさいくらいに鼓膜を揺らして、嫌でもその存在を知らしめてくる。

 皆んなの視線が、僕に集まってるのが分かった。たったそれだけなのに、僕は身が凍えるほど怯えていた。

 

「話はこれで終わりだ。転校生はこの後、授業前に合流する。今いない奴には、同じ組の奴が教えてやれ。なにか分からない事があったら、俺か、ここにいる教師に聞け。じゃ、解散」

 

 レインさんは無理やりに話を纏めてしまう。どう言っても、僕に拒否権はないみたいだ。

 レインさんはルティ先生と一緒に、朝食を取りに行ってしまう。他の教師は、落ち込んでる生徒に寄り添ったり、一緒に朝食を取り始めたり、交流を始めている。

 

 悩んでる僕の表情を見て、フィアメルさんが声をかけてくる。

 

「ユーシャ、わたくしもいますから、大丈夫ですわよ。もし本当に駄目そうなら、わたくしからレインに言いましょうか?」

 

「そうだよ!」

 

 リンが身を乗り出して、僕に顔を近付ける。

 いつも思うけど、本当に綺麗な顔をしている。まるでこの世のものとは思えないくらいだ。

 

「なんでユーシャが、やりたくもない事やらなきゃいけないの!?」

 

「……大袈裟だよ。それに、レインさんが言う通り、僕もなにか変えないと……僕だけじゃなくて、リンも死んじゃうから」

 

 そう言うとリンは納得したような、納得しようとしている様な、曖昧な表情を浮かべると、腕組みをして、うんうんと唸り出した。

 

「私も、ユーシャが死ぬのは嫌!だけど、んー!ユーシャと離れるのも、嫌!」

 

「こらこら、ユーシャを困らせちゃいけませんわよ」

 

 フィアメルさんが困った様に、苦笑を浮かべる。

 僕だって、リンと離れたい訳じゃない。離れたくないから、行動しないと。

 

「……ごめんね、リン。その、無理だったら、外してもらうから……」

 

「んー、じゃあさ、今度のお休み、デートしよ!」

 

「デっ……でも、直ぐには外に行けないよ?」

 

 それにデートと言っても、普段も休日は一緒にいる。特に目新しい事も、この学園じゃ出来ない筈だ。

 月に一度、町に行ける日があるけど、それは来週の話だ。

 

「いいの!なにするかは、その時までに決めよ!」

 

「う、うん。リンが良いなら、僕は良いよ」

 

「やった!約束ね!」

 

 リンは満開に咲いた向日葵みたいに、朗らかな笑みを浮かべた。

 やっぱり彼女は、笑っていた方が可愛い。改めて、僕はそう思った。

 

 

 

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