豪雪に見舞われるのは、珍しい事ではなかった。
ただでさへ雪に覆われる北の大地は、北部に行けば行くほど、肺を凍て尽くす程の酷寒が、常に吹雪いていた。
更には環境に適応した強大な魔物が生まれ、人が日々を営むには、些か劣悪な環境にも思える。
ただ、ユーシャは雪が嫌いではなかった。
曇天に覆われた空は、仄暗い学園を作り出す。閉ざされた空間は息が詰まりそうになるが、横殴りの雪と、分厚い窓をガタガタと鳴らす冷風は、ユーシャの心を落ち着かせるには充分だった。
記憶も薄れてきた幼少期の、小さくて、薄暗い部屋。多分、あそこに似ているからだろうか。
凍える様な冷たさも、着込んでしまえば関係ない。それどころか、柔らかな暖かさが、心に安寧を齎してくれさえする。
後は花瓶に入った花さへあれば、あの時の光景を思い出す事が出来そうだ。
「では、転校生を紹介します」
階段上になった教室の最前で、教壇に上るトールがやはり冷たい声音を出した。
その隣には、古びた学園には似つかない花が佇立している。
金糸のようにな金髪、人形のような整った顔立ちの中にいて、望洋とした大海の様な碧眼はより一層目を引いた。質素な制服も、可憐な令嬢を彩るには十二分に思える。
しかし当の淑女は、憂いを帯びていた。自身の腕を抱いて、顔を伏せ、生徒達を視界に映さないようにしているようだった。
その横で面を上げ、背筋を伸ばす女性は正反対だった。
短い赤髪に、女性の中では特に高い身長、制服は男子のものを着用しているが、顔つきは女性的であり、男装がよく映えていた。
「聞いていると思いますが、左が元第二王女のクリスティーナさん。その隣が元従者のシュナさん。今からは、皆さんと同級生です」
『学園』にはクラスが存在している。
最前線でアラと戦う『前線組』は一組。状況によっては前線へと繰り出す『中衛組』は二組から五組。そして年齢や病、精神的な問題によって戦う事が出来ない『後衛組』が六組から八組。
本来ならばユーシャやリンの年齢なら『中衛組』のクラスに配属されている筈だが、二人は特別な事情から、一組に籍を置いていた。
「そして皆さんから見て右端が、リンネさん。皆さん、仲良くして下さい」
シュナの隣には、外套のフードを被った目つきの悪い少女が立っていた。しかし外套を羽織っている割には、下はスカートのみであり、生足が晒されている。
制服を着ていれば、その上からなにを羽織っても良いと言う学園のルールに則ってはいるものの、大半が防寒具を着込む中で、随分と寒そうな格好をしていた。
「では、紹介を終わります。三人は……あの手を挙げている方の近くに座って下さい。分からない事があれば、彼女に尋ねるように」
手筈通りに無言で手を挙げているフィアメルを指差し、トールは冷たく告げる。
あまりの淡白な声音に、シュナは形の良い眉を少し歪めるが、クリスティーナとリンネは無言で段差を上がり始めた。
「ユーシャ、そんなに緊張しなくても良いんですのよ?」
「え、いや、その……ごめんなさい」
固い表情のまま硬直していたユーシャに、フィアメルが耳打ちする。
ユーシャが想像していたよりも、三人はそれぞれ独特の雰囲気を持っていた。
クリスティーナは暴力的なまでの美を。シュナは屹然とした肉体を。リンネは兎に角、目つきが怖い。
「大丈夫ですわよ。わたくしがいますもの」
フィアメルはお茶目にウインクを飛ばした。そうしている内に、三人がやって来る。
そして自然と、隣り合うユーシャとフィアメルを真ん中に、クリスティーナとシュナが前、リンネが一人でその後ろにそれぞれ着席した。
「お三方、初めまして。案内を仰せつかった、フィアメルと申しますわ。ほら、貴方も」
「ユ、ユーシャです……その、よろしくお願いします」
凛とした声音のフィアメルとは対照的に、ユーシャはオドオドとした様子で挨拶を済ます。
しかし、反応があったのは一人だけだった。
「ああ、こちらこそ宜しく頼む。私はシュナ。そしてこちらが、私の主君にあたるクリスティーナ様だ」
フィアメルに負けないほどの、凛とした声音だった。
しかし主君と紹介された筈のクリスティーナは、前を向いたまま、微動だにもしない。
後ろに座るリンネも頬杖をついて、窓の外を眺めるばかりだ。
——思ったより、大変な気がする。
そう思いフィアメルに視線を向ければ、彼女も苦笑を浮かべていた。
「では授業が始まるので、歴史の教科書を出して下さい。確か、事前に配られていましたわよね?」
「確かに、もらっている。しかし、我々は途中からになってしまうと思うのだが……」
「それなら、大丈夫だと思いますわ。ここでは毎年、同じ授業をしますの。わたくしも五回は同じ授業を受けていますから、分からないところは聞いて下さいませ」
「……毎年、同じなのか?」
シュナは困惑した様子で、周囲に視線を配る。
生徒の年齢に一貫性はなく、思い思いの席で教科書を開いている。しかし幼く見える生徒ほど真面目に教科書に目を落としているが、年齢の高そうな生徒はつまらなさそうに座っていた。
フィアメルの言葉に、嘘は無いようだ。
「では、授業を始めます。教科書の192ページを開いて下さい」
困惑を断ち切るように、トールの言葉が教室に響く。シュナは諦めたように、指定された教科書のページに目を通した。
その横でクリスティーナは教科書を開くことなく、裏表紙を見つめていた。ユーシャの位置からは、どんな表情をしているか分からない。
だがユーシャは、その光景が酷く印象深く感じられた。
学園の生徒からすれば、古びた教科者も、習っている内容も、特別に気を留めるものではない。しかし王族という立場であった人間からは、目新しく見えているのかも知れないと、ユーシャはぼんやりと想像した。
◼️
午前の授業は、何事もなく終わった。
クリスティーナさんとリンネさんは一言も話さなかったけど、シュナさんだけは合間に話しかけてくれた。とは言っても僕はあんまり話していなくて、大抵はフィアメルさんが応答してくれていたんだけど。
少なくとも、僕の存在感と存在価値は皆無だったに違いない。たまにチラチラと、クリスティーナさんに見られていた気もするけど、多分気のせいだろう。
それよりも、リンの方が苛烈だった。休み時間の度に僕らの方へやって来て、僕に話しかけ続けるものだから、気まずくて仕方がなかった。
転校生の人達に自己紹介もしないものだから、フィアメルさんが苦笑しながら紹介していたし、申し訳ない。当の本人は、あまり気にしていないようだったけど。
……気のせいだと思うけど、やっぱりクリスティーナさんは、僕とリンをチラチラと見ていた気がする。
「……葬儀、か」
廊下を歩きながら、眉を顰めたシュナさんが呟いた。
授業終わり、僕らは葬儀場に向かっていた。葬儀は昼食の前に執り行われる。なんでこの時間なのかは、僕も知らない。
学園の授業をマトモに受けるのかは、生徒次第だ。中にはサボる人もいるし、実際、前線組にはそう言う人もいる。
だけど淡々と、授業は行われる。人がいようと、いなかろうと、まるで延々と時を刻む時計のように、教師達は授業を行うのだ。
葬儀は、違う。全員が出る必要があるし、出席しない人がいない。皆んなが揃って、静かに死者を見送る。
生徒の中には、異なる宗教を信仰している人達もいる。火葬、土葬、もしかしたら散骨で葬送する人もいるかも知れない。
だけど、学園では全てを燃やす。皮膚を焼いて、肉を焼いて、骨も、灰すら残さず、肉体そのものを燃やし尽くすのだ。
それは学園が始まった頃からの伝統であり、死体を利用するアラに対して非常に有効だからだ。灰すら利用してくる悪魔に、別れの時さへ気を配らなければならないのは、心苦しさがある。
亡くなった後には、安らぎさへあればいいのに。
「……昨日の侵攻は、かなり大規模だったと聞いたが」
葬儀場に向かう最中、シュナさんがそう切り出した。
彼女の目に映る生徒達は、頭や腕に包帯を巻いていたり、暗い顔をしている。大きな戦いの後は、いつもこうだ。
僕は、見慣れてしまっていた。
「……昨日は……酷い、戦場でしたわ。でも、こう言っては非情に聞こえるかも知れませんけど、被害は最小限でしたの……皆んな、命を張って戦ってくれましたから」
言葉に詰まりながら、フィアメルさんは気丈に笑みを浮かべる。
でも誰が見たって、無理してる事が分かった。それくらい、悲しい笑みだった。
他の上級生が鉄仮面を付けたみたいに、感情を押し殺しているのとは違って、フィアメルさんは、嘘が下手だ。特に、悲しい時はすぐ顔に出る。
僕は、それでも良いと思った。
やがて、目的地が見えてくる。葬儀場は、せめて少しでも戦いから遠ざけ、安らかな眠りを与える為にと校舎の南側に作られた、らしい。セイエスさんからの受け売りだけど。
葬儀場は、教会の様な形をしていた。中央の大きい尖塔を中心に、いくつかの尖塔が四方に散らばっているみたいで、随分と規則正しく造られている。
でも外観だけで、中は少し違っている。入り口には地下に続く階段があって、その下には広々とした石造りの空間が広がっている。
普段は何も置かれていないけど、今日は十三個の棺が、中央に置かれていた。
僕らが階段を降り切ると、同い年くらいの子が、花の入った籠を持って近づいて来た。
「フィアメルさん達も、どうぞ」
「ありがたく頂戴いたしますわ。ユーシャも、皆さまも、十三個の花を取って下さいまし」
「私たちもか?」
「ええ、勿論。面識がなかったとしても、死者を弔う事は出来ますわ……嫌な話ではありますけど、やり方を覚えておけば、
数えきれない程、フィアメルさんは階段を降りて、この部屋にやって来ているのだろう。そして数えきれない程、花を持って、死者を弔って来たのだろう。
だから、その言葉には悲哀が詰まっている。流した涙の数を数えられないように、いつまでも悲しみからは逃れられない。
それでもフィアメルさんは強いから、生き残れる。僕には、多分無理だ。悲しみに首元を絞められて、いつかは溺れてしまうだろうから。
「……ねえ、ユーシャ」
「ひゃっ!?」
いきなり耳元で囁かれて、変な声が漏れる。急いで口を押さえて背後を見れば、リンが立っていた。
「ど、どうしたの、リン?」
「寂しかったから、来ちゃったの!だってユーシャ、全然構ってくれないんだもん」
「き、今日はお仕事があるから、無理だよ」
「レインに聞いたら、好きにしろって言ってた!」
僕がレインさんを見たら、頭を軽く振っていた。多分、呆れられるほどお願いしたんだろう。
「でも、お仕事はしなきゃだよ?……あんまり、役に立ってないけど」
「一緒にいられれば、それでいいの!」
「うーん」
僕は何とも言えず、そっとフィアメルさんの袖を少し引いた。
「あら、どうしましたの?」
「リンが、一緒にいたいって言ってて……」
「なら、一緒にいてあげなさいな。貴方も、そちらが良いんでしょう?」
「……うん、ごめんなさい」
「良いんですのよ。ほら、お花を忘れないように」
フィアメルさんがリンの分も合わせて、26本の花を渡してくれる。
こうして見れば、色彩の豊かさに驚かされる。花を飾る習慣はないけど、愛でたくなる気持ちも分からなくはなかった。
「リン、はいこれ」
「ユーシャ、ありがと!」
半分の花を渡すと、リンは思いっきり花に顔を近づけて、匂いを嗅いだ。
「良い匂い!」
なら良いと言う訳ではないと思うけど、手向けるなら、良い香りがするものの方がいい気がした。
その時、外から鐘の音が鳴った。それと同時に、重い扉が閉まる音と、階段を誰かが下る音がした。
「では、始めましょう」
足音の主は、トール先生だった。
教師陣は、皆んなが参加する訳じゃない。生徒に興味がない人や、外せない用事のある教師は、この部屋にやって来ることはない。
そう言えば、トール先生はいつも参加している。冷たい印象がするけど、意外と優しい人だったりするのだろうか。それとも、単に真面目なだけか。
僕は、トール先生のことを何も知らない。
「ユーシャ、行こ?」
「……うん、行こっか」
僕らは手を繋いで、右端の棺に向かった。
黒く塗られた木製の棺には、ダニアと刻まれていた。中に眠るのは、真っ白な制服に身を包まれた女子生徒。先日の侵攻で死亡した、『前線組』の精鋭だ。
僕やリンとも、面識がある。いつも本を読んでいて、あんまり笑わない人だったけど、名前を呼び捨てにして欲しいと言っていたり、仲間意識が凄く強かった。
最期は崩壊しかけた『中衛組』の面々を逃がそうとして、殿を務め、アラの大群に殺されたてしまったらしい。
十六歳になったばかりだった。僕も、街で買って来た本を渡した。いつもは笑わないのに、優しい「ありがとう」の言葉が、声が、耳に染み付いて離れない。
これだけ綺麗なのに、死んでいる。どこにも怪我なんてないように見えるけど、もう死んでしまっている。
二度と、言葉を話す事はない。
二度と、目覚めることもない。
二度と、ダニアとして生きる事は出来ない。
棺の周りには彼女が助けた『中衛組』の子達が、泣きながら佇んでいる。ダニアはこれで、本望だったのだろうか。誰かを助けても、自分が死んでしまったら、それは本当に良い事なんだろうか。
もう、ダニアに聞く事は出来ない。
僕とリンは、ダニアの棺に花を置いた。
これから何百本もの花に囲まれて、死体は焼却される。死体であっても、もうこの姿を見れないとなると、なんとも言えない物寂しさを感じてしまう。
次に、その隣の棺に足を運んだ。
オーラと書かれたその棺には、白の制服だけが置かれていた。死体を持って帰れないと判断されて、戦場で焼かれたのだ。
オーラさんは眼鏡をかけた、真面目な女の人だった。授業をサボる人に怒るし、何回も受けたであろう授業もきちんと受けていたし、魔法や戦闘の訓練も、相当に熱を入れていた。
だけど本人は自分のことを臆病で、小心者だと語っていた。出撃の前にはいつも手が震えていたし、顔も白かったのを覚えている。本当に、怖かったんだろう。
オーラさんがどんな死に方をしたか、僕は聞いていない。ただ、戦場で彼女は死んで、死体は焼かれてしまった。
死の瞬間、彼女は何を考えていたんだろうか。諦めか、絶望か、それとも別の感情か。あまり、考えたくはない。
「ねえ、ユーシャ」
不意に、リンが声を上げた。綺麗な双眸が、真っ直ぐに棺を見下ろしている。オーラさんとダニアの棺には、顔馴染みの『前線組』の面々が寄り添っている。
リンは、どんな風に見ているんだろう。
「ユーシャは、私が死んだら悲しい?」
リンの瞳が、僕を捉えた。蛇に睨まれた蛙みたいに、僕の体は動かなくなる。
頭の中が真っ白になって、それ以上は考えられなくなった。この感情はは、一体なんだろう。
「……うん、悲しいよ」
絞り出しのは、か細い声だった。どうしてこんな事になってるのか、僕自身も分からなかった。
リンが死んだら、僕は絶対泣いてしまうのに。そんな事、分かりきってる筈なのに。
「そっかぁー。なら、良かったー」
リンは溶けちゃいそうな笑みを浮かべて、にへへと可愛い声を漏らした。
そこで漸く、現実感が足元から戻って来る。止まっていた呼吸が、息を吹き返す。
「私も、ユーシャが死んじゃやだよ」
そう言って微笑むリンは、
◼️
僕らは、全ての棺に花を入れ終えた。
遺体はあったりなかったりで、半分くらいしか置かれていなかった。それでも、今回は運が良かった方だ。
前に大規模な侵攻があった時は、一つも持って帰れななかったどころか、死体をいくつか取られてしまった時もある。それを考えたら、大分良い方だ。
全生徒が花入れを終えた後、僕らは離れた位置から円形に棺を囲んだ。
どこかに設けられた換気用の窓から、冷風が吹き付ける。冷たいけど、やっぱりリンの手は温かかった。
遺体の焼却は、セイエスさんとネストさんの担当だ。
ネストさんは17歳組の一人で、長い黒髪をポニーテールにしていて、レインさんの次に背の高い、綺麗な女の人だ。
何より特徴的なのは、口元につけた鉄製のマスクだ。着脱式らしいけど、普段は絶対に取れないよう固定されているらしい。
幼い頃に口元を抉られてしまったらしく、傷を隠しているらしいのだ。
「……では、お別れを」
トール先生が、合図を告げる。
セイエスさんとネストさんが、魔力で杖を生成する。昔と違って、今の魔法使いは杖を携帯しない。
嵩張るし、咄嗟に体を動かした時、動きを阻害してしまう可能性があるからだ。だから今の魔法使いは、少量の魔力で杖を作る。
セイエスさんは基本通りの木製で、ネストさんは黒く、鉄っぽい色合いの杖だ。何千回と生成されているからか、実に洗練されている。
「じゃあ、燃やすさね」
セイエスさんが、杖先から魔法を熾す。
炎炎と盛る焔が、灯火となって仄暗い室内に光をもたらす。ネストさんも同様に魔法を熾すと、二つの焔が目玉みたいに映し出された。
そして二人は、棺に魔法をかけた。
ぼうっと言う音がして、木製の棺は花を巻き込んで一気に燃え上がる。ばちばちと木が唸って、白煙が空へと押し上げられていく。
それはあたかも命が空に帰るようだけど、遺体のない棺を燃やしても、命は空に昇るのか分からなくなった。
あちらこちらで、啜り泣く声が聞こえて来る。両手で祈ってる人も、僕らみたいに呆然と見つめている人も、色んな人達がいる。
僕らに共通しているのは、今この場で死者を弔おうとしてること。それは間違いなく、確信をもって言えた。少なくとも皆んな、死者を思ってる。
「……行かないで」
近くで、誰かが呟いた。
「……燃やさないで」
もう、燃えてしまっている。それに燃やさないと、まだ生きている人たちに迷惑がかかってしまう。
それに、弔いは生者のためでもある。どこかで蹴りをつけるために、僕たちは死体を弔っているのだ。
僕はふと、クリスティーナさんの方に視線を向けた。
彼女は余った花を両手で持ちながら、ただ茫然と、炎を瞳に映し出している。彼女達にとっては、見知らぬ誰かの葬送だ。
だからこそ僕は、あの人が気になった。何を感じて、何を思っているのか、考えずにはいられなかった。