葬送の後、僕らは校内を案内する事になっていた。
名残惜しそうに僕の手を握っていたリンは、レインさんに首根っこを掴まれて、訓練場に連れて行かれていた。まあ、リンがいるとちゃんと案内出来ないと思うから、仕方がない。
だけども校内を案内する僕らの雰囲気は、あまりに暗すぎた。葬送の後なのだから明るくなる事はないだろうと予想していたが、唯一話してくれていたシュナさんですら口を閉ざしてしまった。
誰だって、転校初日にあんなものを見たら気が滅入る。クリスティーナさんも、リンネさんだって、無理やり学園に在籍させられたのだ。シュナさんが気丈なだけで、誰だって話したくなくなるだろう。
「皆さん、寮の説明はお受けしましたの?」
「……ああ、私とクリスティーナ様は同部屋だ……フィアメル殿は、誰と同部屋なんだ?」
雰囲気を察して、フィアメルさんが話題を振った。反応するのはやはりシュナさんだけだが、それでもほんの少しばかりは空気が軽くなった。
「わたくしは一人部屋ですわ。『序列』について、説明はお受けしましたの?」
「いや、聞いていないな」
「アラに対する殲滅力で、一位から十位まで順位付けされる制度ですわ。その特権で、わたくしも一人部屋を頂けていますの」
序列に入った人は、一人で最前線に立たなければならない。
と言うのも、皆んなが小隊のような形で固まってしまうと、どうしても敵に抜けられてしまうからだ。そうなれば経験や実力の足りない中衛組、その後ろにいる後衛組にまで危険が及んでしまう。
だから序列に入った人は、一人で戦線を維持しなければならない。死ぬにしても、出来るだけ敵を引きつけて死ななければならない。
そして何よりも重量なのが、『将軍級』と呼ばれる強化種に対処しなければならない点だ。このせいで、序列に入れられるのを嫌がる人もいる。
だけど序列に入ったら、特典が付いてくる。一人部屋だったり、娯楽だったり、色々と自由がきくようになるのだ。
「でもその話は後にして、先ずはこちらの説明からいたしましょうか」
そう言ってフィアメルさんが足を止めた。
古びた木製扉の上には、治療室と書かれた木板が取り付けられている。鼻腔に薄らと鮮血の匂いが刺さり、煉瓦に染み付いた赤黒いシミが至る所に着いているのが見える。
僕は自分でも、うっと息が詰まるのを感じた。それは他の人たちも同じなようで、シュナさんだけでなく、他の二人も眉が寄っている。
「ここは治療室ですわ。戦場で負傷した人達は、全員ここに運ばれますの。まだ治療中の子達もいますから、今日は入れませんけれど」
「修復魔法は使わないのか?」
修復魔法は名前の通り、人体を修復する魔法だ。手足を失ったとしても、命さえ繋いでいれば元通りにする事さへ出来る。使用には相当の練度が必要ではあるのだが、戦地では重宝される魔法だ。
「よほどの重傷ならば使用いたしますが、出来るだけ使用は控える方針ですの」
「何故だ?ここには、戦える子供はあまりいないようにも見えるのだが?」
「いくつか理由はありますけれど、一つだけ確かな理由がありますの。肉体の傷は治っても、
僕らの日常は、死と隣り合わせだ。
ただでさえ吹雪に閉ざされ、外出すらも禁じられた学園生活で、生徒の心は磨耗していく。だから中には、完全に心を壊してしまう生徒もいるのだ。
僕が学園に来る前は大勢の人達が精神を壊して、それでも人手不足だったから無理やり戦場に出撃させられていたらしい。その人達がどうなったのかは、あまり深く考えたくはない。
今だって、心に傷を抱える生徒は後を絶たない。
「‥‥ここには、兵士がいないんだったな。む、隣に保健室もあるようだが」
「あちらは軽傷や、体調不良の子たちが利用しますの。入ってみます?」
「ああ、折角だ。中を覗きたい」
フィアメルさんを先頭にして、治療室の隣に設けられた保健室に向かう。こちらは治療室とは違って、鮮血の香りも、赤黒いシミもない。清潔に保たれている。
木製扉をガラッと開けると、手前にはカーテンに囲まれたベッドが並んでいて、その奥には作業用の机と椅子が置かれている。
「あら、いらっしゃい」
珈琲を飲みながら、ルティさんが本から顔を上げた。
やっぱり、大人の女性って感じがする。身長も、顔立ちも、出るところは出ていて引っ込むところは引っ込んでいるのも、全部大人っぽい。羨ましいとすら思ってしまう。
その隣には、車椅子に座った生徒がいる。空色の髪をおさげにしていて、こっちには目を向けずに、窓の外を見つめている。名前は、アンリさんだ。
「紹介いたしますわね。彼女は治療員のルティ。保険医も兼任していて、学園の
転校生の三人が、一斉に表情を変えた。分かりづらいけど、確かに反応していた。
ルティもそれに気付いたのか、薄い苦笑いを浮かべると、本を机に置いた。何の本だろうか。本は貴重だと思うんだけど、伝手でもあるんだろうか。
「その話は今度にしましょう。ほら、アンリも挨拶しなさい」
車椅子の向きを変えて、アンリさんがこっちに向く。顔立ちは綺麗だけど、澄んだ碧眼は虚で口が少し開いている。僕たちの事を認識しているのかすら、分からない。
転校生の三人が、少し息を飲む。こうやって心の傷が治り切らず、完全に壊れてしまった人がいる。環境がマシになった今だって、心が瓦解してしまう人もいるのだ。
ルティさんに促されても、アンリさんは何も言わない。ずっと虚空を見つめて、呆然としている。
しかしフィアメルさんはアンリさんに近付いていくと、腰を折って、視線を合わせた。
「こんにちは、アイリ。今日も息災そうで、わたくしも嬉しいですわ」
フィアメルさんが柔和に微笑むと、アイリさんを優しく抱擁した。すると今まで無反応だったアイリさんの腕がゆっくりと動き、フィアメルさんの背中に回った。表情も、穏やかに微笑んでいる気もする。
「昨日も頑張ってくれたのでしょう?貴方のおかげで、何人も命を救われたと聞きましたわよ。ねえ、ルティ?」
「ええ、そうね。よく頑張ったわね」
ルティさんが優しく微笑んで、アイリさんの頭を撫でる。
アイリさんは戦えないけど、魔力保有量に優れているらしく、治療室でルティさんの補助をしている。魔力を受け渡して、魔力切れが起こらないようにしているのだ。
その他にも、戦場に出る事の出来ない数人の生徒が、ルティさんの補助をしている。学園で役割がない生徒は、いないと思う。
「あっ、ユーシャ。ちょっといい?」
「……あっ、はい!」
呆然としていたら、ルティさんに呼ばれた。声が上擦ってしまい、少し恥ずかしい。顔が赤くなってなければいいんだけど。
「リンなんだけど、今度検査しようと思ってるの。私が言っても来ないから、連れてきてもらえる?」
「あ、はい。分かりました」
僕じゃなくて、リンの用事だった。いや、そもそも僕に用事がある事なんて滅多にないんだけど。僕、何を勘違いしてるんだろう。
「転校生の三人も、今度検査をしましょうか。それに、ユーシャも」
「……僕もですか?」
「念の為よ。最近、少し痩せたでしょう?」
言われて、僕は自分の頬に手を触れる。
痩せすぎないように、努力しているつもりだった。けれど痩せ型で普段から少食な僕が食べないとなると、更に痩せてしまうらしい。
「さて、お話はここまでにしましょうか。まだ案内は済んでないんでしょう?」
「ええ、そうですわね。では、訓練場に移動しましょう。アイリも、また」
フィアメルさんは優雅に頭を下げると、先頭を切って保健室を後にする。シュナさんも、リンネさんも後に続く。
クリスティーナさんだけが、その場に止まって、少しの間アイリさんを見つめていたが、やがて足の向きを変える。
何を考えているのか、やっぱり気になってしまう。
でも、僕に尋ねる勇気なんてなかった。
◼️
「フィアメル殿は、元貴族なのだろう?」
訓練場に向かっている最中、シュナさんがそう尋ねた。
「ええ、侯爵令嬢でしたわね。十年前の大粛清で、汚職と謀反の疑いで廃嫡されてしまいましたけれど」
「十年前……もしや、ウィンテスター卿、か」
「あら、ご存じなのですね……とは言ってみましたけれど、わたくしはお二人と顔を合わせた事もありますのよ。当時は病弱で、会えたのは一度だけでしたけれど」
フィアメルさんの声音は、当時を懐かしむようだった。
僕は頑健なところしか知らないけれど、フィアメルさんにも体の弱い時期があったと知ると、親近感が湧き上がってくる。
「……すまない。私は覚えていない」
「忘れるなと言うのは、酷な話でしょう。わたくしも、お二人に関する記憶は曖昧でしたから」
申し訳なさそうなシュナさんに、フィアメルさんは苦笑で返した。
ふと、クリスティーナさんが僕の方を見ている事に気付いた。今度は綺麗な碧眼が、ハッキリと見下ろしてきているり
「——貴方は、なぜここに?」
初めて、クリスティーナさんが口を開いた。
鈴みたいに、綺麗な声。無意識の内、引き寄せられそうになる。
「えっ、あの、その……貧民窟で生活していたところを、都市の騎士団に捕まって……その、気付いたらここにいました」
緊張して言葉に詰まりながら、僕はオドオドと説明する。
僕とリンは、貧民窟の出だ。どちらも天涯孤独の身で、二人で寄り添い合いながら生きていた。
学園に来たのは、本当にたまたまだ。
「……そう、苦労してきたのね」
なぜかクリスティーナさんは、僕の頭を撫でた。
頭が、混乱で一杯だ。話してくれたのは嬉しいけど、なんで僕は撫でられているんだろう。
クリスティーナさんの手は汚れ一つなくて、まるで肌が澄んでいるみたいに白かった。でもそれは、穢れを受け入れられない脆弱さを表しているみたいでもあって、素直に褒め称える事は出来なかった。
こんな場所じゃなかったら、見惚れていただろうに。
「けっ、なんだよ」
リンネさんも、初めて口を開いた。
「どいつもこいつも、しけたツラした奴らばっかりじゃねえか」
ギザギザの歯が覗かせながら、口汚くそう言い放った。
クリスティーナさんの美貌が、不快に染まるのが分かる。シュナさんも、何か言いたそうに口を開きかけたところで、さっきのようにフィアメルさんが言葉を挟む。
「喧嘩はまた後にいたしましょうか。訓練場、もう直ぐですわよ」
平然とした様子で言われたものだから、リンネさんも、「けっ」と言って口を閉ざしてしまう。
クリスティーナさんとシュナさんも、矛を収めたようだ。
フィアメルさんが言った通り、もう直ぐ訓練場に着く。
本校舎に併設された訓練場には、この廊下の角を曲がれば——
——その瞬間、爆音と共に壁が壊れ、何かが廊下の壁に激突した。
「リン!?」
血だらけのリンが、倒れ込んでいた。僕が咄嗟に駆け寄ろうとすると、フィアメルさんに制止させられる。その手には、杖が握られていた。
そうだ、この状態で近寄るのは危険だ。状況がハッキリしない内は、距離を取る必要がある。
そこに、
「馬鹿野郎!!あんな至近距離で魔法を使うなって、何度言ったら分かる!!」
怒声と共に、壊れた壁からレインさんが現れる。
額には切り傷が残っており、憤慨しているのが表情から見て取れる。あそこまで怒るのは、珍しい。
レインさんの杖は、赤みがかっている。それはまるで血が滲んでいるようで、恐ろしくもあった。
「いっぺん頭でも吹っ飛ばされねぇと、分かんねぇか!?」
レインさんは怒り心頭といった様子で、ずんずんとリンに近付いていく。リンは打ちどころが悪かったのか、それとも他に理由でもあるのか、中々立ち上がらない。
その時、僕の視界端を何かが通り過ぎた。
「あっ?」
決然とした面持ちのクリスティーナさんが、レインさんの前に立ち塞がっていた。それは両腕を広げて、リンの姿を隠すみたいだ。
僕は、固まってしまった。
僕には、無理だ。今はレインのことを知っているから平気だけど、クリスティーナさんと同じ立場に立って、同じ事は出来ない。
僕には、ああして動くことなんて出来ない。誰かを守ることなんて、出来るはずもない。
お腹から、なにか熱いものが上ってきて、胸に溜まっていく。これは一体、何なんだろう。この感覚に、名前を付けることが出来ない。
「転校生、お前、勘違いしてるぞ」
「私には、貴方がこの子を害そうとしているようにしか見えません」
レインさんが面倒くさそうに、表情を歪める。そして諦めたように嘆息を吐くと、不意にこっちを見て、口を開く。
「ユーシャ!」
「はっ、はい!」
「その馬鹿を介抱して、訓練場に連れてこい」
「わ、分かりました!」
レインさんの気迫に押されて、僕も声が大きくなる。
「わたくし達は?」
「フィアメルはそのまま来い。他の奴はユーシャに付き添ってもいいが、一度は全員訓練場に来い。残るにしても、さっさとしろよ」
レインさんはそれだけ言い残すと、苛立った様子で壁の向こうに消えていく。その瞬間、クリスティーナさんは総身から力が抜けたように、その場で座り込んでしまう。
「リン!」
「クリスティーナ様!」
僕とシュナさんは走って、二人の元に向かった。
リンはまだ眠ったように、廊下で倒れていた。頭だけじゃなくて、あちこちに大きな傷があり、ドクドクと血が流れ出していっている。
だけど僕はリンの血で濡れる事も気にせず、彼女の体を抱いた。見た目通り、軽い体だ。
でも、心音は確かに聞こえてくる。一定の間隔で、命の証明を鳴らしている。
「……ん」
リンの口から息が漏れ出し——肉体に淡い光が灯る。
それは痩身を優しい光で包み込むようで、リンの傷口がゆっくりと塞がっていく。
これはリンだけの奇跡。リンが、悪魔と踊れる理由の一つ。
良かった、今回も治ってくれた。いつも見ているのに、この瞬間だけは、妙に心が温かくなった。
そして、リンの瞳がゆっくりと開かれていく。
「……あれぇ?ユーシャだぁ」
寝起きみたいに、甘えた声だった。僕の首に細腕を回して、僕らは抱擁を交わす。この時間が、僕の心を一番落ち着かせてくれた。
その背後で、クリスティーナさんがシュナの手を借りて、よろよろと立ち上がっていた。そこにフィアメルさんが「まったく、もう」と言いながら、掌から杖を消して、僕らに近づいて来る。
「ごめんなさい。レインが、失礼いたしましたわ。彼も、気が立っていましたの。普段は、あのような——」
「——あの方は、ここの指導者なのですか?」
「……ええ、名前はレイン。わたくし達の、リーダーですわ」
「なら貴方は、早急に訓練場へ行くべきです。私たちも、後で合流します」
自分の体を抱きながら、淡々とクリスティーナさんが告げた。
フィアメルさんは何か言いたそうに口の端を動かしたが、言葉を飲み込んで、早歩きで訓練場に向かっていく。リンネさんも、「けっ」と言って僕らを睨め付けながら、その背を追っていってしまう。
「ねえねえ、ユーシャ?汚れちゃってるよ?」
僕の胸に顔を預けながら、リンが僕を見上げる。
僕の制服は、リンの血で真っ赤に染まっていた。洗濯しても、落ちないかも知れない。けど、そんな事はどうでも良かった。
「大丈夫だよ。服は、どうとでもなるから」
リンが僕の手を、ぎゅっと握った。リンの血で濡れた手は、いつもより温かい。だけど、気持ち悪くはなかった。
「……失礼。少し、いいですか?」
「ひゃあ!?……ご、ごめんなさい!」
驚いて、リンの手をぱっと離してしまう。そうだ、いつもと違ってクリスティーナさん達がいたんだ。
僕は、顔が熱くなるのを感じた。真っ赤になってなければ良いけど。
リンは手を離された事が不満なのか、むすっと、頬を膨らませる。
「ごめん、リン。ほら、立って」
「むー、イジワル」
僕とリンは手を取り合って、一緒に立ち上がる。
クリスティーナさんとシュナさんは、じっとこちらを見つめていた。
「その……お二人は、仲が良いんですね」
クリスティーナさんは頬をほんのり赤く染めて、恥ずかしそうにしている。
「うん、そうだよ!私たち、家族だもん!」
「家族……」
リンは向日葵みたいに笑みを咲かせた。それに対してクリスティーナさんは、どこか考え込むみたいな表情だ。
「その、二人は……恋愛関係なのですか?」
「い、いや、違いますよ!!」
恥ずかしそうに尋ねるクリスティーナさんに、僕は思わず大声を上げてしまった。こんな大きな声、出した事ない。
「その、クリスティーナ様?それはまた違う機会でも、よろしいのでは?」
僕が顔を真っ赤にしているのを見かねてか、シュナさんが間に入ってくる。
「……ええ、そうですね。皆さんを待たせるのも悪いので、訓練場に参りましょうか」
そう言うと、クリスティーナさんとシュナさんは訓練場の方に向かっていく。
僕は赤くなった頬を、こねこねと揉んだ。恥ずかしさで、どうにかなってしまいそうだった。
ふと、リンが僕を見上げていた。
「私、ユーシャのこと好きだよ?」
リンは自分の血で濡れながら、頬をほんのり朱色に染めて、華みたいに笑顔を咲かせた。紅い、綺麗な花だ。
「……あっ」
魅入られてしまった。
僕達は、家族だ。それ以上でも、それ以下でもない。
なのに、僕の胸は脈を打つ。ドクンドクンと、早く、強く、心臓を動かそうとしている。
僕は、なんで。彼女は、リンは——
「……僕たちも、行かないと」
「うん!」
僕たちは手を繋ぎ直して、訓練場に向かって歩き出した。