訓練場は、広々とした無骨な石造りの部屋だった。
魔法の衝撃に耐えることに注力して設計されている為、外観は考慮されていない。今はリンが開けた穴に木の板で補強がされており、冷風が吹きつけてもいる。
前衛組の皆んなは、訓練場の中央に集合していた。レインさんは、いつもは端に寄せられている椅子を引っ張り出して、その中心で座っている。
フィアメルさんは腕組みをして、何やらレインさんの前で佇立していた。あれは——お説教だ。
「ですから、貴方はもっとリーダーとしての自覚を持って……」
「あー、うるせえうるせえ」
レインさんは鬱陶しげに面持ちを歪めて、手で耳に蓋をしてしまう。フィアメルさんがそれを引き剥がそうとして、二人は揉めあっていた。
「いい加減にしなよぉ。もう、全員揃ったみたいだけどぉ」
セイエスさんが僕らを流し見しながら、煙草の煙を吐き出した。普段はオーラさんが喫煙を注意するけど、今は誰も何も言わない。
フィアメルさんも諦めたようにレインさんから手を離して、漸く落ち着いたみたいだ。
「それでぇ〜、なんで僕らも集めたのぉ〜?眠いんだけどぉ〜」
セイエスさんに寄りかかりながら、ミュルニスさんが大きな欠伸をした。16歳組のミュルニスさんは、褐色の肌に癖のある黒髪を伸ばしぱっなしにした、眠たげな女の人だ。セイエスさんとは馬が合うのか、一緒にいる事が多い。
「あー、昨日の今日で悪いが、いくつか伝える事と、やる事がある。転校生組も、聞いとけ」
「レイン、言葉遣い」
フィアメルさんが、きっとレインさんを睨め付ける。けれどレインさんは面倒くさそうにしながら、無視して話を続ける。
「先ず騎士団との模擬戦だが、来週に決まった。時間は放課後。前衛組と中衛組の小隊長達は参加しろ。いつも通り、こっちがアラ役だ。詳細は、後日また伝える」
「このタイミングで模擬戦なんて、奴さんは無遠慮さねぇ。それともなにかい?私らは都合の良い道具って事かい?」
「邪推すんじゃねえ。向こうには世話にもなってる。今回も、非公式だが騎士を派遣してただろうが」
「前線に出ない兵士でしょお?」
レインさんとセイエスさんが睨み合う。喧嘩自体は珍しい事じゃないけど、この二人が諍いを起こすのは滅多にない。
特にセイエスさんが、こんなに毒づくのは見たことがない。
「ここデ言い争ウのはヨそう」
ネストさんが、間に入る。
口元の影響からか、話し辛そうだ。ただ、真っ直ぐに二人を見つめている。
レインさん達も、直ぐに言い合いを止めた。
「そうですわよ。シャキッとしなさいな。最年長でしょうに」
「それを言うなら最古参な。もう最年長じゃねえ」
「屁理屈言わない」
「へいへい、分かりましたよ」
適当に返事を返したレインさんの頭を、フィアメルさんが叩いて、ひとまず諍いのけりがついた。
改めて、レインさんが説明を続ける。
「でっ、あと一個あるんだが……これこそ、昨日の今日だ。お前ら、ここで聞いたことはまだ他で話すなよ。面倒な事になる」
この雰囲気を、僕は知っている。昨日の大規模侵攻を教えられた時と、同じだ。
それは、死の気配。死者の仲間入りをしてしまう可能性が、最も高くなるタイミング。
皆んなの顔に、緊張が走る。
「——
「アラの、王?」
誰かが言った。多分、最近前衛組に入った人だ。
他の皆んなも、よく分からず腑に落ちていない。しかし、最年長組の人々には緊張の走っているようにも見える。
「将軍級とは違うんですよね?」
「王は将軍級を従える。そして将軍級が通常のアラを従える事で、大軍になる。押し寄せるアラは、昨日の比じゃない」
「昨日の……」
今度こそ、皆んなが息を呑んだ。
昨日の侵攻でさへ、僕らは何人もの死者を出した。それ以上ともなれば、それこそ前線組が壊滅してしまうのではないだろうか。
「絶望する程の事じゃないさねぇ。私らの頭は六年前、アラの王をぶっ殺してるからねぇ」
「辛勝だがな。楽観視は出来ねえ。と言う事で、訓練の回数は増やす。死にたくなきゃ、サボんなよ」
誰も抗議の声を上げない。普段は不真面目な人達も、レインさんの言葉に耳を傾けている。
誰だって、死にたくない。レインさんと言う強力なリーダーがいたとしても、前回のように生き残れる保証なんて、どこにもないのだ。
「さて、切り替えろ。次は転校生達だ。どの程度使えるのかを測る」
パンっと手を叩いて、レインさんは立ち上がる。クリスティーナさん達に、皆んなの視線が集まった。
「少々時期が早すぎるのでは?クリスティーナ様達も、昨日到着したばかりでしょう?」
「甘やかすな。疲弊した状態でも動かなきゃ、話にならねぇ」
「でも……」
「私なら、大丈夫です」
クリスティーナさんが人の間を抜けて、レインさんの前に立った。さっきは気丈に振る舞ってたけど、足の力が抜けちゃっていたし、怖い筈だ。
それに、最初は凄く暗い人なのかと思ったけど、そうでもないみたいだ。ただですら端麗な容姿が、とても煌めいて見える。
「なら、お前からだ。アネーリャ、ネスト、お前らがアラ役な」
「「は?」」
アネーリャさんと、クリスティーナさんの声が被る。片方は不機嫌そうで、もう片方は疑問に満ちていた。
アネーリャさんは、16歳で、桜色の髪をポニーテールした女の人だ。真っ白な肌と、高い体温、非常に高い視力を持っている少数民族の出身らしい。
誰かと行動を共にするところを滅多に見ないし、こういった場でも、一人で佇んでいる。
「なんでウチなの?」
「あの、どうして二人がかりなのでしょうか?」
「一斉に聞くんじゃねえ」
レインさんは面倒くさそうに、頭をガシガシと掻いた。そして先ずはクリスティーナさんに体を向ける。
「いいか、アラって言うのは最低二体で襲ってくる。だから実力を測る時、二体一でやって対応力を見んだよ。まあ、一体一が良いんだったらそっちでも良い」
「ちょっと。なんでウチとネストなの」
アネーリャさんは不機嫌そうに眉を顰め、レインさんを睨みつける。
「お前らが一番調整上手いだろ。一般兵のアラで良いぞ」
「はっ?ふざけてんの?」
「まあマあ、オち着イテ。それだケ、信頼さレてるッテことダロウ?」
アネーリャさんの肩に手を置いて、ネストさんが嗜める。苛立ちは収まらないみたいだけど、取り敢えずは言葉を収めてくれた。
「でっ、どうすんだ」
レインさんの問いかけに、クリスティーナさんは少し間を空けてから、口を開く。
「……では、二体一で」
その手には、杖が生成されていく。酷く平凡で、僕と似たような杖だ。そこだけで、僕は妙な親近感を覚えてしまう。
しかしその瞬間、シュナさんが一歩前に出る。
「先ずは私からにしてもらえないだろうか!」
「シュナ……」
「罷免されたとはいえ、私はクリスティーナ様の従者だ。主より先に体を張らずして、なんとする」
シュナさんは屹然とした様子で胸を張り、真っ直ぐにレインさんを睨め付ける。
少しの時間を共にしただけでも、シュナさんの忠誠心は相当に高いことが分かった。何がそうさせるのか、僕には分からない。
けれど二人の間には、確固たる信頼が見て取れた。
「好きにしろ。おい、準備するぞ」
普段通り静かに言い放つレインさんと、緊張で面持ちに冷や汗をかいたシュナさんは、実に対照的だった。
◼️
訓練場の中央で、シュナさんは顔を強張らせて佇んでいた。対するネストさんとアネーリャさんは、実に涼しげな面持ちだ。
外野には前線組の皆んなが揃っており、僕はリンと、何故かクリスティーナさんと一緒にいた。自然と、隣り合ってしまっていたのだ。
つまらなさそうに欠伸をするリンを横目に、クリスティーナさんへ視線を向ける。彼女は、青白い顔をしていた。祈るように胸の前で手を合わせて、シュナさんを見つめている。
それはきっと、シュナさんの無事を祈っている。待つ人の気持ちは、痛いほど理解出来た。
見ている事しか出来ず、祈ることしか許されず、大切な貴方が傷付く度に、私の心は引き裂かれていく——そんな苦しみだけが、永遠にも思えてしまう。
ネストさんとアネーリャさんがいくら信頼されているとはいえ、それをクリスティーナさんは知らない訳だから、不安に思うのも無理はない。
だから僕は、そっとクリスティーナさんの耳に口を近づけた。
「多分、大丈夫だと思いますよ」
「……疑っている訳ではないの。ただ、シュナが心配で」
声に覇気がない。怯えが、声の震えとなって表出している。さっきは、あんなに気丈だったのに。
僕がクリスティーナさんと話していると、リンがムッと眉を曲げた。そして僕の腕に、自分の腕を絡ませてくる。
「リン?」
「ユーシャ、私とお話しようよ!」
リンはふんふんと鼻息を荒くして、上目遣いで僕を見上げる。
と言うか、クリスティーナさんが不安になってるのは、さっきのリンを見たからではないだろうか。
「リン、さっきは何があったの?」
「んーっとね、レインに昨日の悪かったところ治せって言われて、模擬戦してたの。そしたらね、間違えて爆発する魔法使っちゃって……」
「それは……レインさんも、怒ると思うよ」
リンは、にへーと笑うけど、さらっと信じられない事を言ってのけた。
爆発の魔法は、相手との距離を十分に取らないと自爆してしまう。それに殺傷能力が高すぎて、模擬戦なんかでは使用が禁止されている。
相手がレインさんじゃなきゃ、二人とも死んでいたかも知らない。
ふと視線を感じて、クリスティーナさんの方を見れば、彼女は今にも泣き出してしまいそうな程、青い顔になっていた。
「い、いや、大丈夫ですから!リ、リンはちょっと……やんちゃですけど、あの二人は真面目ですから!」
「むっ、私がやんちゃってどう言うこと!?」
「だってリン、いつも怒られてるし……二人は、怒られてるの見た事ないよ?」
むむむ、とリンは不満そうだ。でも言っている事に間違いはないから、そのまま頬を膨らませて、何も言ってこない。
「その、あの二人は『序列』に入っているの?」
「アネーリャさんが二位で、ネストさんが四位です。二人とも魔力で押し倒すって言うより、技術で狙い倒す人達だから、よっぽど安全だと思います、けど……」
ネストさんについては、信用して良い。あの人はよく人の訓練に付き合って、上手い具合に調整しているのを見てる。性格も穏やかだし、心配はない。
問題は、アネーリャさんだ。あの人はいつも一人で行動していて、模擬戦の相手もレインさんだけだ。終わった後はボロボロになっているし、アラ役をした経験もないだろう。
そうこうしている内に、準備が整ったみたいだ。
「よし、じゃあ始めんぞ。俺が止めと言うまで、魔法を撃ち合え。勿論、相手を死に至らしめるような魔法は禁止な」
「アンタに審判させるの、怖いんだけど」
アネーリャさんが怪訝そうな面持ちを浮かべる。
「文句言うんじゃねえよ。俺以上の適任いないだろうが。分かったら、さっさと構えろよ」
アネーリャさんは尚も不満そうだったけど、杖を持って構えた。青白い、氷みたいな杖だ。
「じゃあ、始め」
軽い語調で、レインさんが開始の合図を出した。
アネーリャさんとネストさんは、まずその場で魔法を熾す。一般的な火の魔法だ。二人にしては威力の無さそうな魔法を選択しているので、様子見だろう。
小さな火球が、シュナさんに向かって撃ち込まれる。けれど速度はそんなに速くないし、軌道も読み易い。
シュナさんは難なく火球を回避して、逆に動きながら火球を二つ熾し、二人に向かって撃ち出した。
「ほお」
レインさんが、興味深そうに声をあげる。
二人に向かった火球は、かなりの速度で撃ち出されている。でも多分、二人なら難なく避けられる筈だ。
だけど二人は微動だにもせず、その瞬間、青白い光に火球が衝突した。防衛魔法だ。
今度は二人が動く。それぞれ左右に向かって走り始めた。これでシュナさんの注意が、二つに裂かれる。
その隙を見て、二人が同時に火球を放った。今回は速度も速く、回避はギリギリだ。
だからシュナさんはその場に留まって、防衛魔法を選択した。自分を覆うようにして、青白い光が展開され、火球を打ち消した。
「……っ!?」
二人は絶え間なく動き続け、複数の火球を放ち続ける。シュナさんは身動きが取れず、防衛魔法を展開し続ける事しか出来ていない。誰の目から見ても、詰んでいた。
やがて光にヒビが入り始めたところで、レインさんが口を開いた。
「止めだ。もう詰んでる」
二人が、火球の嵐を止める。シュナさんも防衛魔法を解いて、その場に倒れ込んでしまう。目立った傷はないけど、制服が少し焼き切れて、顔にも火傷の跡が見えた。
「シュナ——」
「動くなよ。ややこしくなるだろうが」
今にも駆け出しそうなクリスティーナさんを、レインさんが睨んで制止させた。
「おい、立てるか。フィアメル、手を貸してやれ」
クリスティーナさんの代わりに、フィアメルさんが駆け寄っていく。どうやら意識はあるようだが、衝撃のせいで立たないようだ。
「防衛魔法の練度が低いから、衝撃を流し切れてねぇな。そうだな、改善の余地はあるが、筋はいい。まあ、一人目ならこんなもんだろ」
「……っ、実践なら、私は、どうなる」
息も絶え絶えの状態で、シュナさんは尋ねた。
「間違いなく、一人なら死ぬな」
「レイン……」
「誤魔化してどうする。言葉を包んでも、意味がねえだろ。ほら、さっさと次やるぞ」
レインさんは相変わらず淡々としている。フィアメルさんも何か言いたそうだったけど、言葉を飲み込んで、シュナさんに肩を貸した。
「次、やりたい奴いるか」
「じゃ、アタシ」
リンネさんが、気だるげに手を挙げた。見るからにやる気はなさそうだ。
「じゃあ準備しろ。お前は——」
「アンタが相手してよ」
リンネさんが、レインさんを指差していた。
「アンタがここの頭でしょ。ならアンタを倒すのが、一番手っ取り早い。他の奴とやっても、つまんなそうだし」
「自信があるのは結構だが、少しやんちゃが過ぎるな。頭でもすげ替える気かよ」
「そのつもり。どうせ雑魚ばっかりでしょ。アンタは威圧感があるだけで、一切重圧を感じないし、さっきの奴も動きが鈍すぎ」
「ほお、後者の意見にだけは賛成だ。だが、俺はやれねえ。そっちの二人から選べ」
挑発にも微動だにせず、レインさんはアネーリャさんとネストさんを指差した。レインさんが模擬戦をするのは、『序列』の面々だけだ。
それでも、魔法や防衛術を教えてはくれる。教え方も上手いし、教師達より頼る人も多い。
リンネさんはそれが不満なようで、ツカツカとレインさんに詰め寄った。身長差があって、下から見上げるような形。それでも、怯えている様子は一切ない。
「ビビってんの?」
「ああ、お前の不敵さにビビってる……そうか、お前、
「それがどうしたって言うのよ?」
否定しないと言う事は、リンネさんは犯罪者という事になる。
ここに犯罪者はいない。その親族はいても、本人が犯罪を犯している場合は別の場所に送られる。
多くの場合、強盗には殺人が伴う。リンネさんも、人を殺した事があるのだろうか。
「自分を大きく見せようとするのは勝手だが、俺に噛みついてくんのは止めろ。あと、輪を乱すのもだ。身内同士で争って、神経を擦り減らすのも馬鹿らしい」
「こんな頭に着いてくような雑魚だから、みんな死ぬんじゃない?」
リンネさんは、禁句を口にした。死者を貶す事は、絶対の御法度だ。
学園には十代前半から、一桁の年齢まで、基本的には幼い子供達が入学させられる。多少の好き嫌いはあれど、仲は深まるし、仲間意識が芽生える筈だ。
その仲間の死を貶されて、頭にこない筈がない。僕も、怒りはないけど、気分は良くない。
レインさんは冷めた目でリンネさんを見下ろすと、静かに口を開く。
「……なるほど、お前の考えは分かった。じゃあ、うちの二番手とやれよ。そいつに勝ったら、俺に勝ったことにもしてやる」
「へー、誰?」
レインさんが、静かに指を指す。その先には、不機嫌そうなアネーリャさんが佇立していた。
「アネーリャは『序列』の二位だ。勝ったらお前を一位にして、権限もくれてやる」
「……じゃあそいつで良いや」
リンネさんはつまらなさそうに呟くと、そのまま準備に入る。
「おい、アネーリャ。お前も準備しろ」
「——そいつ殺しても良いなら、やってあげる」
「駄目だ。だが、ちょっとした仕置きならいいぞ」
アネーリャさんは尚も不満を隠さなかったが、やがて大きくため息を吐き出すと、準備にかかる。
ふと、視界の端でネストさんが訓練場から出ていくのを見つけた。なんだか、嫌な予感がする。
「おし、じゃあ準備できたな。さっきとルールはさっきと同じ。くれぐれも、殺すなよ」
ちらっと、アネーリャさんを見つめるが、無視される。ハラハラと、またもや心臓が痛む。自分の事じゃないのに、とても緊張してしまう。
「ほい、じゃあ始め」
気の抜けた合図と共に、二人が動き出す。
リンネさんの黒ずんだ杖から、紫電が発生する。あれは確か、殺傷能力に特化した魔法だ。マトモに食らえば、人体が破裂する。
対するアネーリャさんは、弓を構えるような、独特の構えを取っていた。杖を持った右手を前に、左手で宙を引いて、狙いを定めている。
「死ね!」
思いきり殺意を口にして、リンネさんが魔法を放つ。先の火球とは比べ物にならない程の速度で、地を這いながら、アネーリャさんに迫る。
あれが当たったら、足が吹き飛ぶだろう。
対するアネーリャさんは少しも動じる事なく、魔力で弓矢を形成する。
その瞬間、魔法が直撃し——防衛魔法に阻まれる。同時に魔法を熾す事は、非常に難しい。尚且つ、あの威力を防ぐのは、更に困難だ。
「……っ!」
リンネさんも多少の動揺はしたようだが、こちらは万全の防衛魔法を展開した。アネーリャさんの攻撃を防いでから、魔法を放つ算段だろう。
でも、それは悪手だ。いや、本当なら強固な防衛魔法を熾すのは、最前に近い手なんだろうけど、アネーリャさんの魔法には相性が悪い。
「覚悟しな」
凍えるほどに冷たい声と共に、一筋の光が軌跡を描き、防衛魔法に放たれる。普段なら青白い光に弾かれる筈なのだが——魔法同士が接触した瞬間、光が粉々に砕け、雪みたいに散っていく。
しかし、アネーリャさんの魔法は消えていない。驚くべき速度を維持したまま、リンネさんに向かっていく。
「……っ、ぅ!!」
必死に回避しようとするが、間に合わない。光がリンネさんの左腕を捉え、吹き飛ばす。鮮血が飛び散って、肉塊になった左腕と共に宙を舞う。
「止めだ」
レインさんの制止が入るが、アネーリャさんはそもそも追撃を止めていた。リンネさんは床に転がって、鮮血が流れ出る左腕を、必死に抑えていた。双眸には多量の涙が浮かんでおり、頬を伝って、血液と混ざっていく。
僕は、目眩を覚えた。誰かが傷つくのは、何度見ても慣れない。現実感が、僕を離してしまう。
レインさんはツカツカと、倒れ込むリンネさんに近寄った。
「誇って良いぜ。普通は泣き叫んで、気を失ってもおかしくねえからな。才能あるぜ、お前」
「——っ、この、お馬鹿!!」
いつの間にか背後にいたフィアメルさんに、レインさんは思いきり頭を叩かれた。しかも杖で殴ったものだから、鈍い音がした。
「イッテェな!!」
頭を抑えながら、レインさんが大声を張った。しかし、フィアメルさんは更に大きな声を張る。
「痛いのは彼女の方でしょう!?貴方、止められましたわよね!?」
「いや、こういうのは一回懲らしめた方が良いと思って……」
「どう考えたって、やり過ぎですわよ!!」
なぜ自分だけなのだと、レインさんはアネーリャさんに視線を向ける。しかし、無視された。
その時、訓練場の入り口からルティさんと、ネストさんが入ってくる。
「はいはい、みんなどいてね」
人混みを掻き分けて、ルティさんが小走りで駆け寄ってくる。そして倒れ込んだリンネさんの側で、膝を付いた。
「片腕を飛ばすのは、やり過ぎね。レイン、腕を拾ってちょうだい」
「……分かったよ。俺も悪かったしな」
何故かルティさんに言われると、レインさんは素直に従う。昔から、頭が上がらないらしい。レインさんは、フィアメルさんルティさんの二人には弱いと思う。
レインさんは吹き飛んだ腕を拾い上げると、ポイっと、ルティさんに投げ渡す。
「投げないの」
「うるせえ。早く治さねえと、そいつ死ぬぞ」
「死なないわよ。私が治すから。ネスト、この子を抑えて?」
「分かッタ」
痛みで暴れるリンネさんを、ネストさんはハンカチを口に噛ませると、無理やりに押さえ付ける。するとそこにルティさんが、優しく傷口に腕を当てた。
「——んっ!?んんんんん!!」
リンネさんはハンカチを噛み切りそうな勢いで、思い切り噛み締める。涙の量が増えて、今にも溺れてしまいそうだ。体を押さえ付けるネストさんの腕にも、爪が食い込んで、服の下から血が流れ出てしまう。
でも、それも一瞬だった。ルティさんの掌から淡い光が生まれて、リンネさんの体を包み込む。修復魔法の光だ。
吹き飛ばされた筈の腕が、自然と繋がっていく。リンネさんの表情も、呼吸も、段々と落ち着いていき、光が収束する頃には何事もなかったように繋がっていた。
ふう、とルティさんが額の汗を拭う。そして、ネストさんに向き直った。
「ネストも、傷を見せてちょうだい」
「イや、ワタしはイイ」
傷を放置したまま、ネストさんはその場から離れる。ルティさんは止めようとしたけど、早歩きで訓練場から立ち去ってしまう。
「ほっとけ。傷口でも洗いに行ったんだろ」
レインさんはぶっきらぼうに言い放つと、そのまま倒れ込むネストさんを見下ろした。
「残念だが、勝てなかったな。まあ、仕方ない。アイツ、宮廷魔法使いに誘われるくらいには強いからな」
「……ふざけんな」
「精神的な強さも問題なしだな。お前、『序列』の候補に入れとく。ああ、暫く個別に面倒見て、最終決定を下すからな。確定じゃない事には、気をつけておけ」
リンネさんは尚も悪態を吐こうとしたが、そのまま力尽きて意識を失ってしまった。反応から察するに、あそこまでの大怪我を負った事がなかったのだろう。
悪態を吐けるだけ、精神的にも強い。魔法の練度も高かったし、本当に相手が悪過ぎた。
アネーリャさんは、僕たちの中でも頭抜けた実力者だ。宮廷魔法使いに誘われていると言う事実が、彼女の実力が国内でも最高峰だと言う事を示している。
「誰かコイツの面倒見る奴いるか?」
誰も手を挙げない。それはそうだ。あんな事を言っていたら、皆んなに嫌われてしまう。腕を吹き飛ばされたのだって、ざまあみろって思ってる人もいるだろう。
しかし——
「じゃあボク、その子の面倒見るネ」
手を挙げたのは、ルンデッタさんだ。確か16歳で、サボりの常習犯。儚げな印象を抱かせる長い白髪に、紅の瞳が特徴的だ。
正直、今回のように自分から動くのは珍しい。いつもはもっと、飄々としている。
「おい、サボんなよ」
「分かってるヨ。この子、面白そうだからサ。楽しみなんだよネ」
「……使えるようにするなら、文句はねえよ」
「部屋も同室にしちゃっていいかナ?」
「好きにしろ。誰と同部屋になるかも、『序列』の特権だ」
ルンデッタさんは楽しげな面持ちで、杖を生成した。白っぽい杖だ。
それを振るうと、ネストさんの体が宙に浮く。
「じゃあ、保健室連れてくネ。ばいばーい」
そうして軽い調子のまま、訓練場を去ってしまう。
仕切り直して、レインさんが声を上げる。
「トラブルはあったが、あと一人だ」
ビクリと、クリスティーナさんの肩が上がる。顔は青白さを増しているし、杖を持つ手も、尋常じゃないくらいには揺れている。
この状態で戦えるとは、思えない。それはレインさんも分かっているようで、今日何度目か、面倒くさそうに頭を掻いた。
「どうする。今日やるか、後日やるか、お前が決めろ」
またもや、凄くぶっきらぼうな言い回しだった。今やっても、後日やっても、模擬戦をする事には変わりがない。問題は、いつやるかだ。
「その……私は……」
クリスティーナさんは、言い淀んだ。それはそうだ。戦いなんて、やりたい筈がない。いつやるかなんて、関係がないんだ。
「……はぁ、なら後日な。今日はもう休め」
悩みをバッサリ断ち切るように、レインさんが告げる。クリスティーナさんは力が抜けたように、またもや膝から崩れ落ちてしまう。
でもこれは、仕方がないと思う。だってあんなの見せられたら、誰だって気が引けてしまうだろうし。
「あれぇ〜?僕らだったら、やれって言う癖に〜」
ミュルニスさんが揶揄うけど、レインさんは顎に手を当てて、神妙な面持ちを作っていた。
「腑に落ちねえ事があるんだよ。どうせ、調べねえと分かんねえが」
「私らはどうするさねぇ。もう、引き上げるぅ?」
「まあ、それでも良いだろ。明日は普通にやるからな。皆んなサボるんじゃねえぞ」
あちこちで適当な返事が返り、ぞろぞろと皆んなが訓練場を後にする。クリスティーナさんはまだ動けないようで、保健室に運ばれたらシュナさんの代わりに、フィアメルさんが駆け寄って来た。
「クリスティーナ様、申し訳ありません。無理をさせてしまいました」
「……いえ、こちらこそ、ごめんなさい。私、こんなに弱くて……」
今にも消えてしまいそうな声だった。
僕は、はクリスティーナさんが弱い人だとは思わない。でも、当人がそう思ってしまうのも、無理はなかった。
「疲労が溜まっていれば、誰だってそうなってしまいますわ。お部屋までお送りますから、今日はもう休息をとって下さいまし」
「でも、シュナが……」
「シュナ様も一時的に保健室で休息を取られていますけど、直ぐお部屋に戻れますわ」
クリスティーナさんは、小さくコクリと頷くと、フィアメルさんの手を借りて、よろよろと立ち上がる。
そして、なぜか僕とリンを見つめた。
「……あなた達も、ああやって戦うの?」
「ぼ、僕は……戦えません。ずっと、見てるだけです。リンは——」
「私はいっぱい戦うよ!」
雰囲気に沿わない、明るい声音。僕に体を預けたリンは、楽しそうだった。
「……あなたは怖くないの?」
「怖くないよ!!ユーシャとかフィアメルに怒られる方が、よっぽど怖いから!!あっ、でも——」
リンの双眸が、僕を見上げていた。鮮血のような、紅の宝石のような、美しい瞳が爛々と佇んでいる。
「ユーシャがいなくなっちゃうのが、一番怖いかも」
驚くほど冷たい声。普段の甘えた声とか、溶けちゃいそうな雰囲気とか、そんな欠片が一切なかった。
リンは心の底から、そう思ってる。
「……そう。ごめんなさい、変なことを聞いて」
「んー?全然変じゃないよ!よく分かんないけど!」
リンはいつも通り、ふにゃふにゃと笑った。
クリスティーナさんは何か言いたげだったけど、やっぱり口を閉ざしてしまって、ゆっくりとその場を去ってしまう。
いつか僕がいなくなったとして、その後、リンはどうなるのだろうか。無意味な想像が、僕の頭をずっと掻き乱していた。